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「ご存じでしょう?わたしは少し恥ずかしがり屋です」

「ああ、君は慎ましい淑女だ」

「いいえ、慎ましい、貞淑な妻です」

わたしはそっと目を上げ、レオナールに視線を合わせた。
レオナールは瞬時にそれを察してくれ、挑戦的な目になった。

「成程、それでは、私も紳士にならなくてはね、キスはしても良い?」

「はい、ですが、上品なキスでなければいけませんわ」

「新婚だというのに、それでは疑われないかな?」

「その分、沢山キスをするのはいかがですか?練習にもなります」

わたしが真面目に言うと、レオナールは「ふっ」と笑った。
わたしは頬を膨らませた。

「真面目になられて下さい!あなたが始めた事なのに…」

「ふふ、悪かったね、私は真面目だよ、だけど、君は実に、合理的な女性だ…」

レオナールの顔が近付き、わたしたちの唇が触れた。
その瞬間に、先程までの自分が掻き消えた。
ただ、触れるだけのキスだというのに…

「緊張しているね、真っ赤だ」

「まだ、一度目ですから…」

わたしは恥ずかしさに瞼を落とす。

「重ねる程に、慣れる?」

レオナールの熱い息が肌に触れたかと思うと、再び口付けられた。
だが、先のキスとは違い、しっかりと合わさり、わたしの唇を啄んだ。
舌で舐められると、ぞくぞくとし体に震えが走った。
彼の手がわたしの肩を抱き、キスが更に深くなる…
舌が絡み、熱く、我を忘れてしまっていた。

「はぁ、はぁ…はぁ…」
「はぁ…」

唇を離され、熱い息を吐く。
その時になり、漸く頭が回り始めた。

「あまり上品では無かったね…
だけど、一度しておけば、上品なキス位では、緊張しなくなる」

わたしを合理的だなんて良く言えたものだ。
レオナールの方が百倍合理的だろう。
だが、わたしは反論などせずに、「確かに、その通りですわ…」と従順に頷いた。

こんなキスは、ジェロームともした事が無かった。
それをうれしいと思ってしまう…
わたしは、レオナールを愛しているのだ…
改めて、その想いが溢れ、わたしは赤くなった頬を手で擦った。

彼の手が、わたしの肩から腕を撫で下りた。
反射的に体が震えてしまい、わたしは赤くなり顔を反らした。

「敏感だね、だが、触れられるのにも慣れて欲しい」

その手はわたしの腰で止まった。
まるで、ここが定位置だと言わんばかりに。

「もっと、力を抜いて」

「はい…ふぅ…」

わたしは緊張を解そうと深呼吸をした。
そんなわたしを、レオナールが「ふふ」と笑う。
それだけで、わたしの顔は赤くなった。

「笑わないで下さい!」

「ああ、すまない、君があんまり可愛かったから…」

レオナールが目尻を下げ、白い歯を見せて笑う。
ドキリとするが、この場合の《可愛い》は《子供》という意味だ。
現に彼は、わたしの腰から手を離し、わたしの頭をポンポンと叩いた。

「自然にしているのが一番だろうね、自然な時の君は私を慕っている様に見えるよ」

レオナールはわたしの恋心に気付いていないと思っていたが、
やはり、何かは感じていた様で、ヒヤリとした。
それを誤魔化そうと、軽口を言った。

「あなたが自然になさっている時は、父と娘に見えるかもしれません」

「ふふ、それは仕方が無いな、私たちは十三歳も離れているんだからね」

わたしにとって、十三歳差など問題では無かったが、
レオナールにとっては、大きいものらしく、それが悲しかった。

「二十歳は子供ではありませんわ」

「ああ、そうだね、傷つけたかな?
それじゃ、君の機嫌を取らなくてはね…」

レオナールはわたしを離すと、鞄から用紙を取り出し、わたしに見せた。

「正式にマイヤー家の負債を完済したよ、これが証明書だ」

「!?まぁ!それでは、この事で館を空けられていたのですか!?」

てっきり、伯爵の仕事だとばかり思っていた。

「実はそうなんだ、ここまで長く掛かったのには理由があってね…
負債を払うに当たり、まずは君の両親が抱えていた負債を調べさせて貰った。
あまりに大きな額だったからね、どんな取引をしていたのか、その経緯も知りたかった。
それで、分かったんだが、事の元凶は、君の叔父、ギャストン=ロシェ男爵だ」

「叔父様!?」

叔父は両親が亡くなり、一番に駆けつけてくれ、全てを取り仕切ってくれた。
他の親戚は遺産が無いと知るや否や、瞬く間に解散して行ったが、
叔父は残り、最後まで面倒見てくれた。
その叔父が元凶だなんて…とても信じられなかった。

「一体、叔父様は何をしたのですか?」

「ギャストン=ロシェ男爵は賭博好きで、負債を作っていた。
困ったギャストンは、君の両親に架空の取引を持ち掛け、マイヤー家の財産を引き出させ、
自分の負債に当てる事を思い付いた。実際、そうした記録が出てきている」

「まぁ…!」

「一度上手くいくと、歯止めが掛からなくなるものでね…
ギャストンは大きな投資を勧め、マイヤー家の館や土地を次々に抵当に入れさせた。
彼はその何割かを手数料として、自分の懐に入れていたんだ。
大きな投資は、見返りは大きいが、失敗した時は全てを失う。
彼の勧めた投資は失敗した、だが、彼はそれを隠して、新たに投資を勧め、
埋め合わせをしようとしていた。
ギャストンは知られない様にやっていた様だから、
君の両親はこの事を知らなかった可能性が高い___」

「それでは、両親は本当に、事故で亡くなったんだわ!」

わたしは思わず声を上げていた。

「どういう事?」

「叔父に言われたんです、両親は心中だったんだろうって…
返しきれない負債があると知らされて、納得してしまいましたが…
ああ!良かった!教えて下さり感謝します!」

少なくとも、両親は悩んだ末の心中では無かったのだ。
それだけは救いだった。

「そうか…両親が亡くなり、財産の整理をしたのはギャストンだね?」

「はい、叔父が全てやって下さいました。
わたしたちでは分かりませんので…」

レオナールは頷いた。

「そう、君たちが何も知らないのを良い事に、ギャストンは自分の不正を隠蔽したんだ。
然るべき所で調査をして貰った所、ギャストンの不正が幾つか立証出来、
ギャストンの財産、館や土地を差し押さえた。これをマイヤー家の負債に当てる。
これで負債はかなり減ったが、まだ少しあってね、それは私が払っておいた。
君との契約分だ、それで構わないかな?」

「はい、勿論です…こんなに良くして下さって…
それに、叔父の不正を暴いて下さって、感謝します。
真相が分かり、両親も浮かばれます…」

「ああ、ギャストンも捕まったし、少しは救いになるだろう…」

叔父がそんな悪人だったとは…
わたしたちは叔父を信じ切っていた。
それに、帳簿や財産の事など分からないと、叔父に全て任せてしまったのも良く無かった。
その所為で、アンリエットは妾にされたのだ___

「あの、アンリエットはどうしたでしょう!?
負債が無くなれば、自由の身になれるのですよね?」

「ああ、アンリエットの自由は保証された。
だが、アンリエットはルグラン卿の別宅に入り、十日も経たずに逃げ出したそうだ」

「逃げ出した!?」

そんな事になっているとは知らず、わたしは驚きのあまり声を上げていた。

「ルグラン卿の別邸に出入りしていた、若い配達の男と逃げたらしい。
ルグラン卿も探していたが、居場所が分からなくてね…
ルグラン卿とトラバース卿には、君が私の館に居る事を伝えたよ。
連絡が来た時には知らせて貰う」

「ありがとうございます…きっと、妹は辛かったんですわ…」

一瞬だが、アンリエットに裏切られた気がした。
だが、よく考えてみると、わたし自身、娼館へ売られると聞かされた時は、
恐ろしくて一晩中泣いてしまった。
レオナールが助けてくれなければ、どうなっていたか分からない。
アンリエットには助けなど無かった。
あんな年の離れた男の妾にされ、どんな酷い仕打ちを受けたか…
わたしは想像し、震えた。
自分で自分を抱きしめる様にし、腕を擦っていると、レオナールの手が肩を撫で、
腕を擦ってくれた。
その手の温もりに安堵を覚え、震えも収まった。
「ふぅ…」と、息を吐くと、レオナールが肩を優しくポンポンと叩いてくれた。

「君たち姉妹は辛い思いをしたが、まだ若い、幾らでも取り戻せるよ。
今はアンリエットから連絡が来るのを待とう」

「はい、ありがとうございます…」

「紅茶を飲みなさい」

レオナールが紅茶のカップを渡してくれた。
わたしはそれを受け取り、一口飲んだ。
紅茶はすっかり冷めてしまっていたが、心地よく、喉を潤してくれた。

「紅茶が冷めてしまいましたので、淹れ直しましょうか?」

「そうか、気付かなかった…」

わたしがソファを立とうとすると、レオナールが腰に手を置き、止めた。
そして、空いた手で、わたしの左手を握った。

「このままでいい、使用人に仲の良い所を見せよう」

レオナールがベルを鳴らすと、「失礼します」とメイドが入って来た。

「紅茶が冷めてしまったから、淹れ直してくれ」
「はい、畏まりました」

メイドが紅茶のポットを持って書斎を出て行く。
数分後に戻って来るだろう。

「このままでいた方が良いでしょうか?」
「そうだね、それとも、私の膝に乗るかい?」
「いいえ、わたしは慎ましい、貞淑な妻です!」
「それなら、私の肩に頭を預けて…」

わたしは言われるままに、レオナールの肩に頭を寄せた。
レオナールはわたしの左手を取ると、何やら揉み始めた。

「何をなさっているのですか?」
「こうすると、疲れが取れると聞いたのでね…」
「それなら、わたしがして差し上げます!お疲れでしょう…」

わたしは跳ね起きると、レオナールの手を取った。

「何処を揉んだら良いのですか?」
「指の強張りを解く様にして…」
「こうでしょうか?」
「ああ、いいね、後は、全体を揉んでくれたらいいよ」
「随分、大雑把なのですね?」
「実は、聞いたが忘れてしまってね、数打てば当たるだろう」
「まぁ!」

几帳面な方と思っていたが、こんな所もあるのだと知り、わたしはうれしくなった。

「この辺りはいかがですか?」
「うん、いいね…君は筋がいい」

そんな事をしていると、「失礼します」とメイドがポットを持って入って来た。
レオナールが「続けて」と言うので、わたしは赤くなりつつも、彼の手を揉み続けた。
メイドは紅茶を淹れ直すと、「失礼します」とそそくさと出て行った。

「ありがとう、上出来だよ」

レオナールがわたしの頭にキスを落とし、わたしの腰を叩いた。
《上出来》は、夫婦の芝居の事なのか、それとも手を揉む事なのか…
気にはなったが、それに触れるのは危険な気がし、

「折角ですので、熱い内に…」

わたしはカップを手に取り、誤魔化した。

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