23 / 32
23
しおりを挟む塔に着き、鍵を開けると、ランメルトはボヌールを放し、部屋の中を確認してくれた。
「大丈夫です」
二階から戻って来たランメルトは、わたしに向かい、その手を伸ばすと、
そっと、わたしの髪に触れた。
わたしはドキリとし、息を飲んだ。
だが、ランメルトのその深い青色の目には、剣呑な光があった。
「怪我はされていませんか?」
怪我?何の事だろうか?
彼の視線が下に向かい、わたしは戸惑いつつも、「はい」と頷いた。
「父にとって女は母だけです、他の女性は皆同じ、ただの道具でしかない。
父は決してあなたを愛す事も、大事にする事もないでしょう。
あなたは、そんな男に自分を捧げても良いのですか?
それ程、あなたは父を___」
ランメルトがそれに気付いていた事に驚き、わたしは息を飲んだ。
尤も、彼は違う風に取った様だ。
「すみません…」
「いえ…」
言葉は続かず、沈黙が落ちた。
わたしの立場では、何も答える事は出来無い。
この結婚が解消されるまでは、わたしはアラード卿夫人の役を演じなければならない。
ランメルトの義母を…
「ランメルト、あなたには感謝しています。
あなたがいなければ、わたしはどうなっていたか分かりません…」
ここに来た時、わたしには絶望しかなかった。
そして、独りきり、この孤独に耐えられなかっただろう。
「ですが、わたしはもう…」
「感謝などいりません」
ランメルトの冷たい声に、わたしは息を飲んだ。
彼はわたしから目を逸らし、そのまま塔を出て行ってしまった。
きっと、もう、ここへは来てくれない___!
わたしはその場に崩れ落ち、泣いていた。
ボヌールが心配し、切ない声で鳴く。
わたしはボヌールを抱き寄せ、いつまでも泣いていた。
◇
泣き疲れたわたしは、ボヌールを促し、階段を上がった。
二階の部屋へ入り、宝飾を外し、ドレスを脱ぐ…
泣いた所為か、酷く疲れていて、頭痛もする。
わたしはそのままベッドに入り、眠りについた。
どの位、眠っただろうか…
不意に意識が浮上し、わたしは目を開けた。
周囲はまだ薄暗い、夜中である事は確かだ。
わたしは予感がし、体を起こし、瞬きをした。
そこには、思った通り、白いワンピースを着た、髪の長い、半透明の女性の姿があった。
デルフィネの幽霊だ。
彼女が来ると思ったのは、わたしが今夜、アラード卿と共に、彼の部屋に入ったからだ。
彼女は嫉妬して出て来たのだろうか?
だが、その顔に表情は無かった。
「デルフィネ様、何故、来られるのですか?」
わたしはそれを聞いた。
「見てらしたのなら、わたしの所へ来る必要が無い事は、お分かりの筈です」
わたしとアラード卿の間には、何も無いのだから。
だが、デルフィネに反応は無く、彼女はただ、揺れているだけだ。
「何か、伝えたい事がおありなのですか?」
ゆらゆらと揺れたかと思うと、その姿は薄くなり、消えてしまった。
わたしは嘆息し、体を戻した。
「もしかしたら、彼女には、声が聞こえていないのかしら?」
ぼんやりと思いながら、わたしは目を閉じていた。
◇◇
翌日、昼前に来訪を告げるベルが鳴り、わたしは期待と共に、扉を開けた。
だが、そこに立っていたのは、期待していた人の姿ではなく、
わたしは知らず知らず、息を吐いたのだった。
「何をガッカリしている」
いつもなら気付かない筈のアラード卿が、今日に限っては、それに気付いた様だ。
わたしは内心を隠し、アラード卿を迎え入れた。
「いえ、どうぞ、お入り下さい」
アラード卿はいつもの様にズカズカと入って来ると、さっさと椅子を引き、座った。
ボヌールはすっかりアラード卿に慣れていて、尻尾を振りながら彼を歓迎し、
大きなブーツにジャレ付いた。
アラード卿は適当にボヌールの相手をしながら、わたしに尋ねた。
「おい、息子と会ったか?」
「はい、昨夜、ここまで送って下さいました」
「ほう、何か言っていたか?」
わたしはランメルトとのやり取りを思い出し、唇を噛んだ。
「ランメルトは、あなたがデルフィネ様以外の女性を愛さない事をご存じでした。
わたしを不憫に思い、心配して下さっている様でした。
わたしたちの関係を申す事は出来ませんので、気まずくなってしまいました…
ランメルトを騙している様で辛いですわ…」
騙している事の辛さを訴えたのだが、アラード卿には通じなかったのか、
返事は軽かった。
「まぁ、気にするな、良い薬だ」
「何が薬なのですか?」
「先程スザンヌ嬢が帰ったぞ、見送りに行ってやったが、息子に睨まれたわ!」
アラード卿が大きく笑う。
ランメルトから冷たくされて笑うなんて、今日のアラード卿は一体どうしてしまったのか?
わたしは訝しく思いながら、紅茶を淹れ、アラード卿に出した。
「邪魔をなさると、嫌われますよ…どうぞ」
アラード卿はカップに目を落とし、紅茶を揺らした。
「デルフィネもよく紅茶を淹れてくれた、だが、時々、酷い紅茶を飲ませてきた。
おまえの様にな」
アラード卿の目が、わたしに向き、楽し気に光った。
わたしは笑う気分ではなく、目を逸らし、椅子に座った。
「先日は失敗でしたが、今日は大丈夫です」
促したのだが、アラード卿は「先に飲んでみろ」と顎で差した。
わたしは呆れつつ、それを飲んだのだが、飲み込むのに苦労した。
どういう訳か、酷く苦い。時間を間違えてしまったのだろうか?
「今日も失敗ですわ」
口元を押さえるわたしを、アラード卿は笑った。
今日は機嫌が良いらしい。
「淹れ直さずともよい、どうせまた失敗するんだろう。
デルフィネも機嫌が悪い時や、何か気になる事がある時には、そうだった」
わたしはアラード卿に気付かれてはいけないと、気を引き締めた。
何も気付かない人だと安心していたが、半分は演技だと知った筈だった。
「おまえとデルフィネは似ていないと思っていたが、おまえといるとデルフィネを思い出す…」
「その…実は、気になっている事があります!」
わたしは話を逸らそうと、アラード卿の思考を遮った。
それは成功し、その黒い目がわたしに向いた。
「ほう、何だ?」
「この塔に幽霊が出る事はご存じですか?」
アラード卿は知らないものと思っていたが、普通に頷かれた。
「それならば、塔に限った事では無い、館の方にも出ていた、かなり前だがな」
「見られた事がおありなのですか!?」
わたしは思わず身を乗り出したが、アラード卿は肩を竦めた。
「俺は見ていないが、連れて来た女たちが幽霊を見たと騒いでおった。
女たちの間で噂になり、館へ来るのを嫌がられてな、以来、別邸を使っている」
「その為の別邸だったのですか!?」
思わず言ってしまい、わたしは手で口を覆った。
アラード卿は楽しそうに笑った。
「なんだ、知らなかったのか、俺が女を連れ込む場所と知っているから、
息子は寄り付かない」
「パーティでランメルトに会った時、
別邸に泊まらなくて良いのかと聞かれましたが、そういう事だったのですね…」
「おまえは何と答えたんだ?」
「ボヌールが待っているので、帰らなくてはいけないと…」
「夫よりも犬を取るとは、妻失格だぞ!」
アラード卿は笑う。
本当に、今日は良く笑う。
「知らなかったのですから、仕方ありませんわ!
ランメルトに怪しまれなかったでしょうか…」
「気にするな、昨夜の事で帳消しになった筈だ」
「昨夜ですか?」
「おまえは、本当に鈍いヤツだな!
男の部屋から髪を乱した女が出てくれば、やった事は一つだ」
わたしはそれに気付き、「まぁ!」と顔を赤くし、アラード卿を睨んだ。
「酷いですわ!皆に誤解させようと、わざとなさったのですね!」
わたしを見たランメルトは、何と思っただろう!
わたしは恥ずかしく手で顔を隠した。
それに、もし、使用人たちに見られていたら、噂話の恰好の餌食だ。
「何が酷い、おまえは俺の妻だぞ、何も無い方が変じゃないか」
確かに、夫婦であれば当然の事だ。動揺している自分の方が変だろう。
わたしは自分を落ち着けようと、胸を押さえた。
アラード卿は、嘘の結婚だと疑われない様に、一芝居打ったのだろうか…
それにしても、彼は芝居をするのが好きな様だ。
「あなたは、奥様以外の女性を抱く事は無いのでしょう?」
「女と一緒に部屋に入り、俺は酔った振りをして寝る。
女は、俺程の女好きに相手にされなかったとは言えず、抱かれたと話す。
英雄に抱かれたといえば自慢になり、俺の面目も立つ…まぁ、そんな所だ」
わたしは頭を振った。
他の者は兎も角、誤解させられているランメルトが気の毒だ。
「だが、おまえと再婚した所為で、暫く女遊びを控えなくてはいけなくなった」
「良い機会です、その様な事はもう止めて下さい、誰の為にもなりませんわ」
「こんな父親の所為で、息子は真面目な男になった、良い事もあるだろう?」
わたしは、『困った方だわ』と、もう一度頭を振ったのだった。
18
あなたにおすすめの小説
わたしの方が好きでした
帆々
恋愛
リゼは王都で工房を経営する若き経営者だ。日々忙しく過ごしている。
売り上げ以上に気にかかるのは、夫キッドの健康だった。病弱な彼には主夫業を頼むが、無理はさせられない。その分リゼが頑張って生活をカバーしてきた。二人の暮らしでそれが彼女の幸せだった。
「ご主人を甘やかせ過ぎでは?」
周囲の声もある。でも何がいけないのか? キッドのことはもちろん自分が一番わかっている。彼の家蔵の問題もあるが、大丈夫。それが結婚というものだから。リゼは信じている。
彼が体調を崩したことがきっかけで、キッドの世話を頼む看護人を雇い入れことにした。フランという女性で、キッドとは話も合い和気藹々とした様子だ。気の利く彼女にリゼも負担が減りほっと安堵していた。
しかし、自宅の上の階に住む老婦人が忠告する。キッドとフランの仲が普通ではないようだ、と。更に疑いのない真実を突きつけられてしまう。衝撃を受けてうろたえるリゼに老婦人が親切に諭す。
「お別れなさい。あなたのお父様も結婚に反対だった。あなたに相応しくない人よ」
そこへ偶然、老婦人の甥という紳士が現れた。
「エル、リゼを助けてあげて頂戴」
リゼはエルと共にキッドとフランに対峙することになる。そこでは夫の信じられない企みが発覚して———————。
『夫が不良債権のようです〜愛して尽して失った。わたしの末路〜』から改題しました。
※小説家になろう様にも投稿させていただいております。
【完結】精霊姫は魔王陛下のかごの中~実家から独立して生きてこうと思ったら就職先の王子様にとろとろに甘やかされています~
吉武 止少
恋愛
ソフィアは小さい頃から孤独な生活を送ってきた。どれほど努力をしても妹ばかりが溺愛され、ないがしろにされる毎日。
ある日「修道院に入れ」と言われたソフィアはついに我慢の限界を迎え、実家を逃げ出す決意を固める。
幼い頃から精霊に愛されてきたソフィアは、祖母のような“精霊の御子”として監視下に置かれないよう身許を隠して王都へ向かう。
仕事を探す中で彼女が出会ったのは、卓越した剣技と鋭利な美貌によって『魔王』と恐れられる第二王子エルネストだった。
精霊に悪戯される体質のエルネストはそれが原因の不調に苦しんでいた。見かねたソフィアは自分がやったとバレないようこっそり精霊を追い払ってあげる。
ソフィアの正体に違和感を覚えたエルネストは監視の意味もかねて彼女に仕事を持ち掛ける。
侍女として雇われると思っていたのに、エルネストが意中の女性を射止めるための『練習相手』にされてしまう。
当て馬扱いかと思っていたが、恋人ごっこをしていくうちにお互いの距離がどんどん縮まっていってーー!?
本編は全42話。執筆を終えており、投稿予約も済ませています。完結保証。
+番外編があります。
11/17 HOTランキング女性向け第2位達成。
11/18~20 HOTランキング女性向け第1位達成。応援ありがとうございます。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
突然決められた婚約者は人気者だそうです。押し付けられたに違いないので断ってもらおうと思います。
橘ハルシ
恋愛
ごくごく普通の伯爵令嬢リーディアに、突然、降って湧いた婚約話。相手は、騎士団長の叔父の部下。侍女に聞くと、どうやら社交界で超人気の男性らしい。こんな釣り合わない相手、絶対に叔父が権力を使って、無理強いしたに違いない!
リーディアは相手に遠慮なく断ってくれるよう頼みに騎士団へ乗り込むが、両親も叔父も相手のことを教えてくれなかったため、全く知らない相手を一人で探す羽目になる。
怪しい変装をして、騎士団内をうろついていたリーディアは一人の青年と出会い、そのまま一緒に婚約者候補を探すことに。
しかしその青年といるうちに、リーディアは彼に好意を抱いてしまう。
全21話(本編20話+番外編1話)です。
職業『お飾りの妻』は自由に過ごしたい
LinK.
恋愛
勝手に決められた婚約者との初めての顔合わせ。
相手に契約だと言われ、もう後がないサマンサは愛のない形だけの契約結婚に同意した。
何事にも従順に従って生きてきたサマンサ。
相手の求める通りに動く彼女は、都合のいいお飾りの妻だった。
契約中は立派な妻を演じましょう。必要ない時は自由に過ごしても良いですよね?
噂の悪女が妻になりました
はくまいキャベツ
恋愛
ミラ・イヴァンチスカ。
国王の右腕と言われている宰相を父に持つ彼女は見目麗しく気品溢れる容姿とは裏腹に、父の権力を良い事に贅沢を好み、自分と同等かそれ以上の人間としか付き合わないプライドの塊の様な女だという。
その名前は国中に知れ渡っており、田舎の貧乏貴族ローガン・ウィリアムズの耳にも届いていた。そんな彼に一通の手紙が届く。その手紙にはあの噂の悪女、ミラ・イヴァンチスカとの婚姻を勧める内容が書かれていた。
公爵夫人の気ままな家出冒険記〜「自由」を真に受けた妻を、夫は今日も追いかける〜
平山和人
恋愛
王国宰相の地位を持つ公爵ルカと結婚して五年。元子爵令嬢のフィリアは、多忙な夫の言葉「君は自由に生きていい」を真に受け、家事に専々と引きこもる生活を卒業し、突如として身一つで冒険者になることを決意する。
レベル1の治癒士として街のギルドに登録し、初めての冒険に胸を躍らせるフィリアだったが、その背後では、妻の「自由」が離婚と誤解したルカが激怒。「私から逃げられると思うな!」と誤解と執着にまみれた激情を露わにし、国政を放り出し、精鋭を率いて妻を連れ戻すための追跡を開始する。
冒険者として順調に(時に波乱万丈に)依頼をこなすフィリアと、彼女が起こした騒動の後始末をしつつ、鬼のような形相で迫るルカ。これは、「自由」を巡る夫婦のすれ違いを描いた、異世界溺愛追跡ファンタジーである。
【完結】地味な私と公爵様
ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。
端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。
そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。
...正直私も信じていません。
ラエル様が、私を溺愛しているなんて。
きっと、きっと、夢に違いありません。
お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる