優雅にざまぁ、ごめんあそばせ

おてんば松尾

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うちの夫がやらかしたので、侯爵邸を売り飛ばします

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男爵は明らかに納得していない顔をしていた。
眉間には皺が寄り、唇はわずかにへの字に結ばれている。

「娘と正式な婚姻関係を結ぶ必要などなかった。愛人、あるいは第二夫人の立場で十分だったはずだ。なぜ離婚までする必要があった? 今、娘は貴族たちから好奇の目で見られているのだぞ」

「好奇の目なんて……! 私は、ただライアン様を愛しただけなのに……」

そのとき、母親が口を開いた。今度は、低く抑えた声だった。

「ライアン様が結婚してくださったのは、あなたが妊娠していたから。そうでなければ、結婚まではお考えにならなかったでしょう?」

「ち、違うわ……!」

ナタリーが否定しようとしたその瞬間、母親はさらに言葉を重ねる。

「私たちは、ちゃんとした保証が欲しいのよ。侯爵邸ももう他の人の手に渡ったわけだし……」

まったく、話が通じない親だ。

今まで俺がどれだけ援助してきたと思っているんだ?
しかも、貧しい男爵家の娘を正式な妻として迎えてやったというのに。感謝されて然るべきなのに、この仕打ちはなんなんだ。

「侯爵家が売りに出されたのは、何か事情があったんだろう。引っ越しやらで混乱している間に、ルビーと連絡が取れなくなっているだけだ」

「つまり……ルビー様と連絡さえ取れれば、侯爵家に戻られるのですね?」

「当たり前だ。ルビーは俺の妻だった。愛し合っていたんだ。彼女が何の言葉もなく姿を消すなんて、あるはずがない」

「では……ルビー様の新しい住まいが分かれば、そこへ行かれるのですね?」

「ああ……とりあえず、明日は社交クラブにでも顔を出して……」

……いや、待て。

社交界で妻の居場所を聞いて回るなんて、恥を晒すようなものだ。なぜ俺がルビーの住所を知らないのか、余計な疑念を抱かせる。
それに、離婚の事情をいちいち説明するのも面倒だ。貴族仲間に尋ねるのは避けるべきだな。

「明日、子爵家の実家に行く。おそらく、そちらにはルビーも居場所を伝えているはずだから」

「それを聞いて、少し安心しました。正直なところ、娘がどういう経緯で結婚したのか、周囲に尋ねられても、どう答えてよいか迷っていたのです。私たちも、ネイル侯爵家の状況について表立って聞いて回るわけにもいきませんでしたから……」

緊張が解けたのか、ナイザル男爵夫妻はほっとしたように顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。

***

翌朝早く、俺は実家であるビスコンテ子爵家へと向かった。
久しぶりに帰る実家だった。

ルビーとは形式上の離婚に過ぎず、いずれ復縁するつもりだった。だから今回の件をわざわざ報告する必要はないと、俺は両親には何も話していなかった。

……もっとも、詳細はすでにルビーから伝えられているだろう。
そう考える一方で、何も言わなかったことを責められるのではないかと、馬車の中で俺は苛立ちを募らせた。

情けないことに、男爵家にある馬車は一台だけ。それも見栄えのしない、古びた型のものだった。
仕方なくそれに乗ったが、乗り心地は最悪で、かび臭さが鼻をついた。

子爵家は王都の南にある。
一時間はかかるかもしれないと、窓の外の街並みをぼんやりと眺めていたそのときだった。

通りを歩く、見覚えのあるメイドたちの姿を偶然見つけた。

急いで御者に指示を出し、馬車を路肩に止めて、俺は彼女たちの後を追った。

「くそっ……なぜ俺が、隠れて居場所を探るような真似をしなければならないんだ……」

本来なら「ルビーのもとへ案内せよ」と言うだけで済む話なのに。
だが、使用人に新しい屋敷の場所すら教えられていないと思われたら、さすがに面目が立たない。
ただ連絡の行き違いなだけなのに、まるで軽視されていると取られるのは、どうしても避けたかった。

やがて視界の先に、堂々とした佇まいの立派な屋敷が現れた。
貴族街の中でも、一等地に位置する場所に建っている。

門をくぐっていく使用人の背を目で追い、物陰からそっと様子を窺う。
見覚えのある顔ぶれがいくつも見えた。

間違いない。ここが、ルビーの新しい住まいだ。

俺はすぐに馬車へと戻り、御者にその屋敷へ向かうよう指示を出した。

旅行土産を持って来ていなかったことが一瞬頭をよぎった。
だが、久しぶりに彼女の顔を見られると思うと、そんな些細なことはどうでもよく思えた。

石造りの門をくぐった瞬間、俺の胸に安堵が広がった。

この屋敷にルビーがいる。久しぶりに、彼女と顔を合わせて話せる。
それだけで、張りつめていた緊張が少しだけほどけた。

庭は見事に手入れされ、塀にはつる薔薇が咲き誇っていた。
白と深紅のコントラストが風に揺れ、見る者の心を和ませる。

新しい住まいの中も、きっと彼女らしく整えられているのだろう。
そう思うと、自然と笑みがこぼれた。

屋敷の扉が開いた瞬間、ふわりと鼻をかすめたのは、あの懐かしい薔薇の香りだった。
屋敷の調度品も、飾られた花も、すべてが整っていて、やはり、さすがはルビーだ。

彼女の凛とした立ち姿、細く長い指、首筋に落ちるブルネットの髪。
ふとした瞬間に見せる微笑、どれもが思い出され、胸が締めつけられるような、愛おしい気持ちが溢れ出る。

彼女はいつだって美しかった。誰よりも気高く、優雅で、それでも俺にだけ心を許してくれた。
俺の、愛する妻だった。

そのルビーが、今、この屋敷にいる。それだけで、俺は救われた気がした。



……けれど、そんな安堵は、あまりにも短く儚いものだった。

扉の先に現れたルビーの目は、かつて俺が知るどの表情とも違っていた。
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