双花 夏の露

月岡 朝海

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「そうさ、同じ地獄さ」
 浮世絵も吉原も、人の心を弄んだ金で肥えてゆく、業の深い商売だ。温さを持たぬ眸で、稲尾は広年の顔を見やる。
「俺はもう地獄は勘弁、惨めだ」
 広年は頭を掻き毟る。このふた月が殊のほか身に染みているらしい。下げたくない相手に頭でも下げたのだろうか。
「今だったらお前の足も舐めちまいそうだ」
 己れの言葉に、広年は声を上げて嗤う。
「舐めるかえ?」
 稲尾はすっと脚を上げ、男に向かっておもむろに爪先を差し出した。向こうの眉間に皺が寄る。沈黙の中で、窓の外の雨音だけがざあっと強くなる。広年は膠色の爪先を暫く睨んだ後、無言で唇を付けた。
 指を口に含んで吸い、舌で足の輪郭をなぞる。それはそのまま踝を上り、脹脛を辿っていく。膝頭を嘗め、柔らかい腿の内側に着くと、何度もそこを行ったり来たりして、やがて音を立てながら啄んだ。
「んっ……」
 窓の外の驟雨は、一向に止みそうにない。明かりを灯さぬと周りが見えぬほど暗くなった部屋の中で、稲尾は広年の肌の熱だけを感じていた。



「おや、すっかり止みんしたね」
 出窓の格子越しに見える夕空は雲も取れ、鮮やかな橙色に染まっている。安堵した蝉が其処此処で鳴き始めていた。けれど男は応えることもなく、はだけた牡丹柄の着物のまま、呆けた顔で天井を眺める。稲尾は単衣の襟を直し、煙草盆の煙管に手を伸ばす。
「……絵、描きてぇな」
 長い睫毛を半ば伏せ、広年がぼそりと零す。
「そらぁ、良えね」
 思い掛けぬ言葉に、煙を吐き出す稲尾の口の端が綻ぶ。過去のやり方は行け好かぬ点も多いが、実のところこの男の心に根を張っているのは絵への直向きな熱ではないかと、稲尾はずっと感じていたのだった。
「お前が俺の上へ乗ってるとこ」
 広年が低い声でそう続ける。稲尾は黙ったまま、熱くなった煙管を白い腕に押し当てた。




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