9 / 11
日常
しおりを挟む同居を始めて、数日が経った。
快は少しずつ家の空気に馴染んでいった。
最初のうちは遠慮がちに廊下を歩いていたのに、今では「おはよー」と寝癖のままリビングに現れる。
僕のマグカップを勝手に使いながら、パンをくわえて笑う姿は、まるで子どものようだった。
その日も夜遅くまで書類を整理していると、廊下の奥から足音が近づいた。
「まだ仕事してんの?明日、早いんじゃないの?」
カーディガンを羽織った快が、湯気の立つカップを手に持って立っていた。
「ココア作った。……俺のはちょっと甘すぎたから、亮介のは控えめにした」
「ありがとう」
受け取ると、手の中に熱が伝わる。そのぬくもりだけで、胸の奥の凍った部分が少し溶ける気がした。
「なぁ、亮介ってさ、寂しい時どうしてた?」
不意の言葉に手が止まる。
「……寝るかな。考えると余計寂しくなるから」
「そっか」
快は俯いて、小さく笑った。
「俺もそうするわ。明日から」
そう言って立ち上がり、僕の隣のテーブルに置かれた書類をまとめてくれた。
リビングの灯りが少しだけオレンジ色に見えた。
背中越しに聞こえる快の息づかいが、やけに近く感じる。
何かを言えば壊れてしまいそうで、僕は黙ってココアを啜った。
静かな夜だった。けれど、たぶんその静けさの中で、何かが少しずつ動き始めていた。
後日、病院から帰って来た快はスタスタと歩いていた。
食生活も安定して、血色も良くなり、何かを取り戻したような顔立ちになっていた。
土木の仕事は続けるか悩んでいたようだった。
歩いている快の姿を見て
「うん!もう大丈夫そうだね。今日はその髪を何とかしよう」
コーヒーを片手に僕は、ボサボサ頭の快に言った。
「えー!いいよこのままで」
快は両手で、自分の頭を覆いイヤイヤと首を振る。
「目が隠れてるし、邪魔でしょう?もう予約してるから、行こう!」
嫌がる快を車に乗せて行きつけの美容院へ連れて行った。
「…………!」
戻ってきた姿を見てびっくりした。ここまでとは。
髪型1つでこうも変わるのか?まるでモデルのような顔立ち、これは大したもんだ!
「快、君はきっとモテただろうねー」
「んなわけ!」
恥ずかしそうに快は呟いた。
そのまま、洋服を買った。
ついでに出来心でスーツも揃えてみた。
快のスーツ姿はとても凛々しく眩しかった。
僕は目を丸くしてさらに驚いた。体型がすらっとしているし、背筋が伸びているので、どこに出してもおかしくない男になっていた。快は何かスポーツでもしてたのか?
「快、……もしよければ、うちで働かない?俺の補佐として仕事してくれると助かる。何より、給料が出る」
全身鏡の中の自分を見ながら「社会人スーツ、初めて着たわー!」と、ポーズを取りながら
「給料かー。俺にできるか?」
と答えた
「大丈夫!1から教えるから土木も悪くはないが、また、大怪我されるのは心苦しい。」
「うーん……できるかな?」
不安そうに鏡に首を傾げる快はたまらなく可愛いかった
夕食の時間、快が聞いてきた。
「そう言えば、前に車でイチャコラしていたアイツとは付き合ってんの?なんか、いけない不倫的な?大人的な?」
あの日の事を言ってるのだ。
どうなのよ~。と、ニヤニヤして俺を見ている
「ううん、そんなんじゃないよ。あの方は上司の奥様。ちょっと試されただけだよ。」
「試された?」
「ちょっかい出されて、もしも、俺が靡いたらクビにでもするつもりだったかな?」
「うぅわっ!こわ!」
「大丈夫、僕は何もやましい事は……」
言葉が止まった。
「亮介?どした?」
「あー、前の会社では、そうゆう接待があった事はあったかな。社会に出れば、理不尽は沢山ある。自分で自分を守らないと。流されてしまって後悔する事だけは……僕はしたくないな。」
そう呟いた亮介の瞳の奥には、まだ癒えない傷が静かに揺れていた
「ふうーん」
と快は、そんなものか。と言うように頷いていた。
夜、快が寝た後、僕は部屋の灯を落とし、ベランダへ出た。
冷たい空気の中、街の明かりが遠くで瞬いている。
カップの底に残ったコーヒーを口に含み、ふっと息を吐いた。
その吐息が白く滲んで、夜空に溶けていく。
あの頃の僕は、誰かに頼られることを恐れていた。
自分が正しいのかも分からなくなって、流されるまま過ごしていた。
そして――心を失う痛みはもうごめんだった。
心のどこかで“もう誰も好きにならない”と決めていた。
そうすれば、何も壊れないと思っていた。
でも——。
快は、僕が築いた壁の向こうから、あっけなく笑って手を伸ばしてきた。
初めてうちへ来た日の、不安げな目。
それでも負けん気だけは強いのにすぐ笑うし、すぐ照れる。
彼のそんな表情ひとつひとつが、僕の中の硬く冷たい部分を少しずつ溶かしていった。
気づけば、夜には彼が寝ていると思うと自分も安心して眠れるようになっていた。
守るつもりだったのに、守られていたのは僕の方だった。
「……快」
ソファで眠てしまった快の頬に、月の光が淡く差している。
その髪を、そっと指で整えた。
大人になってから、誰かの寝顔を見てこんなに穏やかに笑えるとは思わなかった。
この世界に“永遠”なんてものはない。
それでも、今この瞬間くらいは、誰かを包み込むように生きていたいと思った。
もう、恐れることはない。
悲しみも痛みも、ちゃんと抱いて歩いていける。
その手を離さずにいれば、きっと——。
夜風が窓から入ってきて頬を撫でた。
遠くで車のライトが流れ、静かな夜の気配が街を飲み込んでいく。
0
あなたにおすすめの小説
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる