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1巻
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私はディディエとロザリーに向き直った。
「結局、おふたりの素敵なひとときを邪魔してしまいました。申し訳ございません」
また地面にちょいと指をついて、深々と頭を下げる。
「まあ。なんて素敵で楽しい方かしら!」
可愛らしい感嘆の声に顔を上げると、ヒロイン、ロザリー・ワルキエが突進してきた。同じように地面に座り込むと、私の手を取って握りしめる。
「はじめまして、ロザリー・ワルキエといいます。お友達になってください! 貴族になったばかりで、お友達がひとりもいないのです」
ロザリーはスミレ色の瞳をキラキラさせて、私を見つめている。テンプレのピンクブロンドの髪はふわふわで、庇護欲を誘う儚げな女の子。しかもいい香りがする。
「こんなに美しいのに力業に出ちゃうなんて、可愛すぎ! ね、お願いします」
こてん、と首をかしげるヒロイン。待って、可愛すぎはロザリーのほうよ――‼
そう思った途端、声が口からこぼれていた。
「ではお友達になりましょう!」
あっ。考えるよりも先に、答えてしまった。
大丈夫かな? ヒロインとお友達。
大丈夫だよね? そんな展開、悪役令嬢への転生ものではよくあるパターンだもの。ビミョーにドキドキしながらも、にこりと微笑む。
するとロザリーの顔が、ぱっと柔らかくほころんだ。
「嬉しい! ぜひ今度お茶会でも!」
叫んだロザリーが私に抱きつく。
スキンシップ激しくない? ヒロインだからかな?
嬉しくて、それを拒まずにいると、ディディエが半眼になっていた。
「……本当に私のストーカーでも変質者でもないのだな?」
不審者から変質者に格下げされているんだけど……まあいいわ。
私は力強く答える。
「違います!」
「だとしても不審すぎる」
騎士エルネストがまだ言う。
「あんな突飛な縦ロールがこんな地味女になるなんておかしい。裏があるに違いない」
「それは酷くないですか? 縦ロール、私に似合うと思っていたのに」
「本気?」
弟クレールが首をかしげる。
彼って突っ込み担当だったかな?
私は改めて真剣な表情を作った。
「本気です。それにあれは一年も前にやめました。今日、急に地味になったわけではありません」
「確かに、しばらく見かけないなとは思っていたんだ」
弟クレールがそう言うと、神官ジスランがうなずいた。
「それに本当に不審者ならば、もう少し格好も行動も考えるでしょう。人目を引くセンス崩壊の装いに――」
え? センス崩壊? これが?
自分の服を見下ろしたところに、神官ジスランが爆弾発言を落とした。
「スカートの中を丸見せにする異常行為」
「えぇ! 見えていたの!」
ディディエとロザリー以外、全員うなずく。
なんてこと。終わった。私の令嬢人生が完全に終わった……
床に両手をつけて、がっくりと肩を落とす。ひんやりとした石の感触が伝わってきて、肩に一際冷たい風が当たった。寒い。
「まあまあ。おかげで命拾いをしたのではありませんか」
その声に視線を上げると、ひとを奈落の底に突き落とした神官ジスランが、とりなすように微笑んでいた。
確かにそうだけど。私だって令嬢だもの。スカートの下にはペチコートやらドロワーズやら絹のストッキングやらを履いていて、肌は見えない仕様になっているけど、そういう問題じゃない。
またがっくりとして、力が抜ける。
じっくりと床の模様を眺める私の目の前に、手が差し出された。
リュシアンだった。
「アニエス嬢、そのままの姿勢では冷えて風邪をひくぞ。今夜は誰と来ている。姿が見えずに心配しているかもしれない」
ようやくかけられた真っ当な慰めに、少しだけ気を取り直す。
彼の手を掴んで立ち上がり、礼を言う。それから「ひとりです」と答えた。
「ひとり? エスコートは?」
「いません」
全員に微妙な沈黙がおりる。なぜかロザリーにまた手を握られた。
「親はなにやってるの?」
クレールが尋ねる。
私は一瞬考えてから、多分合っているだろう答えを返した。
「恐らく屋敷で、いちゃいちゃ」
またも微妙な沈黙。
変なことを言ったかな? やっぱりうちの親がおかしいから、こんな反応なのかな。誕生会へのぼっち参加は、私だけだものね。
そう思いながらみんなの反応を窺っていると、リュシアンがはあっとため息をついてディディエに視線を送った。
「ディディエ。今回は見逃してやってくれ。彼女はただの変わり者だ。誕生会での騒ぎはお前も嫌だろう?」
なんですって、大公令息。私のことを変わり者って言った? 自分のことは棚に上げて?
「そうだな。騒ぎは増やしたくない」
あ、王子も納得している。ストーカー認定されるよりはいいの……かな?
私はただのモブ令嬢でいたいのだから。とりあえず丁寧に詫びて去ろう。
「お騒がせして――きゃっ⁉」
頭を下げようとしたら、突然浮遊感に見舞われた。
視線を横に向けると大公令息――リュシアンの顔が近い。横抱きにされているようだ。
こんなの、お姫様抱っこじゃない!
「な、なにをするんですかっ⁉」
下りようと抵抗すると、リュシアンがぎろりと私を見る。
「アニエス嬢。髪はボサボサだし、ドレスは崩れている。他の貴族に詮索されたくなかったら、具合の悪いふりをしていろ」
「乱暴されたように見えますからねえ」
神官ジスランが苦笑する。他の令息たちもほんのり視線を逸らしてうなずいている。
私ってば、そんなにひどい格好なの⁉
さっと頬に熱が上るのを感じて、私はリュシアンの胸元に顔をあずけた。
「します! 具合悪いです!」
慌てて答えると、頭の上から笑い声が聞こえた。
「じゃあ、ディディエ。連れていくな」
「……好きにしろ」
私は大公令息に抱えられたまま、バルコニーを出る。
なんとか不審者の汚名は免れたみたい。だけれど危機は、乗り切れていない気がする……
そのあと、リュシアンの指示により、私は王宮の一室でメイドたちに身だしなみを整えてもらった。
彼女たちはさすが宮仕えなだけあっててきぱきと、ドレスも髪型も私が屋敷を出たときと全く同じに直した。派手に転んでしまってという言い訳も信じてくれて、ボルダリングで皮が剥けてしまった指や手に、良い香りのする軟膏を塗り込んでくれる。
気分が落ち着くようにとココアもいれてくれた。
素晴らしき哉、王宮メイド!
もっともうちのメイドたちだって、負けてないと思う。性格がアレな私に負けずに仕えてくれていたし、性格が一変したあとも不気味がりながらも辞めずにいて、完璧な仕事をしてくれている。
不満があるとしたら、評判が悪いヘアスタイルと枯葉色のドレスに意見をしてくれなかったことだけれど、それは確実に昔のアニエスがアレだったせいだもの。
屋敷に帰ったら素直に自分のセンスの悪さを謝って、次からはすべてお任せしたいと頼もう。
密やかにそんな決意をしていると、メイドたちが下がるのと入れ替わりでリュシアンがやって来た。
リュシアンは攻略対象たちに比べるとやや派手さに欠けるものの、結構なイケメンだ。髪はくせのあるダークブラウンで、瞳は従弟ディディエと同じ碧眼。そのアンバランスさが印象的で、背は高くスタイルもいい。
そんな彼の印象がなぜ悪いかというと――
彼の誕生会に参加していた令嬢への態度が、最悪だったから!
重箱の隅をつつくかのように令嬢の悪いところをみつけては指摘して、自分のような素晴らしい王族には相応しくないと嘲笑っていたのよね。
なんとかして大公令息に見初められたいという令嬢数人が最後までがんばっていたけれど、あまりの毒舌ぶりに顔は強張っていた。噂によれば、泣いていた令嬢もいたとか。昔のアニエスよりも性格が悪い。
そんなリュシアンは、長椅子に腰かけていた私のとなりに座った。
前にも他にも椅子があるのに、と少し不審に思う。
しかも部屋にはふたりきりだ。気味が悪いので、バレないようにおしりをずらして離れる。
だけど――
「さて、アニエス嬢。白状してもらおうか」
リュシアンはそう言いながら、私の腰に手を回した。
「は、白状?」
家族以外の異性と、こんな至近距離で話したこともなければ、触れられたこともない。パニックになってさらに逃げようとしたら、腕を掴まれた。
「白状ってなんですか?」
「どう考えたって、バルコニーの下に逃げるなんておかしいだろう?」
うわぁ、まだ不審がられていたのね!
大急ぎで、私は弁解する。
「だから焦って」
「焦ってサルの真似事をするようなキテレツな令嬢なら、とっくに社交界で噂になっているはずだ。それなのに実際にある噂は髪型のことぐらい。おかしいじゃないか」
うっ、と言葉に詰まる。その隙を見過ごさず、リュシアンが問い詰めてくる。
「あのバルコニーでなにをしていた? 見つかるとまずいことをしていたから、隠れたのではないか?」
その言葉に、はっとした。メイドたちがドレスを直すときに、服も私の体もやけに触っていた。あれはきっと、なにか不審物を隠し持っていないか探していたのね。
「違います!」
「正直に答えろ。でないと――」
そう言ったリュシアンは、がしりと私の腰を両手で掴むと、軽々と持ち上げ自分の膝の上に横向きに降ろした。
「????」
焦ってジタバタするけれど、しっかりホールドされていて逃げられない。
「正直に答えないと、外にいるメイドと従者を呼ぶ。――痴女に襲われていると叫んでな」
ニヤリとするリュシアン。
「どう見たって逆よ!」
「いいんだ、俺の言葉の通りに反応してくれる者たちだから」
「卑怯者!」
「不名誉な噂が広がるのが嫌なら、話すのだな」
足掻くのをやめて、息を吐いた。
「さすがね、性格がサイアク」
「褒めてくれてありがとう」
イヤな奴だ。
素早く拳を握ると、リュシアンの腹に叩き込む。
「んぐっ」
踏まれたカエルのような声を出すリュシアン。
私は急いで立ち上がると、彼の正面の椅子に座り直した。
所詮、令嬢の華奢な手のパンチ。たいした衝撃ではないはず。実際、彼は驚いただけで、ダメージは受けていないみたいようだった。
リュシアンは、苦虫を噛み潰したような顔を向けてくる。
「暴力に出るなんてひどくないか?」
「不埒なことをする人に、淑やかな対応をする必要はないでしょう?」
「不審者はお前なのに」
そう言われて、じっくりと検討する。
……確かに。
言い訳を懸命に考える。前世、なんてことを言っても信じてもらえないわよね。この国にそういう概念はない。よし、神様のせいにしよう。この世界は西欧風の色々なものがごちゃ混ぜになっていて、宗教は多分ギリシャかローマ時代のものをモチーフにした多神教だ。信仰の深さは人によってまちまちで、バダンテール家は冠婚葬祭のときしか宗教と関わらない。
でもこれでイケる。誤魔化しきるのよ!
「では正直に話しますけど、他言しないでくださいね」
リュシアンは案外素直にうなずいた。
私はたっぷりと間を置いて、彼に答えた。
「神様のお告げです」
「……お告げ?」
不審そうな顔をされたけれど、私は真面目な顔を作ってしっかりとうなずいた。
「そもそもは一年前でした。夢に神様が現れて、『縦ロールをやめて性格改善しないと、良くないことが起きる』と仰ったのです」
「……で、奇抜な縦ロールをやめた、と」
「そうです。お告げを守ったおかげで、良くないことはなにも起こりませんでした。そして一ヵ月前、またお告げがあったのです。ディディエ殿下の恋路を邪魔すると身に危険が及ぶ、と」
リュシアンはますます、疑いの目を向けてくる。
「だから地味な髪型とドレスで目立たなくして、バルコニーでひっそりとしていたのです。なのに向こうから近づいてきた。それは焦るでしょう?」
「本気で言っているのか?」
「もちろん。疑うのならば、うちのメイドたちに尋ねてください。みんな口を揃えて、アニエスは一年前に突然性格が変わったと言うでしょう」
ふうん、とリュシアンは呟いて椅子の背にもたれた。
「お前を見つけたあと、真下の庭を確認させた。不審者も不審物もなかった」
その言葉に、少し驚いた。
性格が最悪でも、危機対応はきちんとしているらしい。もっともリュシアンは頭脳や武術など総じて優秀との噂なのだけど。悪いのは性格だけということね。
あれ。これって昔の私と同じじゃない。ちょっとだけ親近感を覚え……ないな、こんなヤツ。
私は少し落ち着きを取り戻す。
こちらをちらりと見て、リュシアンがまた不服そうにため息を吐いた。
「お告げねぇ」
「お願いだから内密にお願いします。巫女とか神殿勤めとかはしたくないです」
ここだけは譲れない。
さらっと神様を引き合いに出してしまったけれど、お告げがあったなんて神殿に知られたら、スカウトされてしまう。神官や巫女といった神職は結婚を認められていないから人気がなくて、常に人手不足なのだ。
そうお願いすると、本気が伝わったのかリュシアンはうなずいた。
「ああ。それは黙っていてやる」
「意外。話が分かる方なんですね」
「喧嘩を売っているのか?」
「褒めています」
「『意外』と言っている時点で褒めてない」
「バレました?」
リュシアンはため息をついて、「変な女」と呟いた。
自分でもそう思う。前世の記憶を取り戻してからも、元のアニエスと変わらない完璧な令嬢として振る舞ってきた。それなのに、なんでイヤミなんて言ったり腹パン決めたりしているのかな。
ちょいちょい、とリュシアンが手招きをする。
「……なんでしょうか?」
すると、リュシアンが今度は自分の膝を叩いた。
これはまさか、そこに座れということ?
「いくらお告げを信じたからって、バルコニーの下に逃げるサルはそうそういないぞ、アニエス嬢。不審な行動は不問にしてやるから、来い」
「……サルに見えても、厳しく躾けられた令嬢なんです」
「聞いているだろう? 俺は愛しい婚約者に逃げられて傷心中なんだ。おかしなことはしないから、ちょっと癒せ」
リュシアンの表情は、とても傷心中には見えなかったけれど、彼が婚約者に逃げられた件は知っている。むしろ都に住んでいて知らない人はいないと思う。
誕生会で彼は、遠縁にあたる伯爵令嬢を見初めた。だけれど彼女は一人っ子で、結婚するならば婿に入ることが条件だった。リュシアンは大公家の長男だけれど、どうしても彼女と結婚したくて両親を説得。なんとか伯爵家への婿入りを認めてもらい、めでたく婚約と相成った。
ところが先月、その伯爵令嬢が幼馴染の使用人と駆け落ちしてしまったのだ。
この婚約はリュシアンの一方的な好意によって成り立っていたそうで、令嬢のほうは結婚がどうしてもイヤだったらしい。そりゃ彼の性格は最悪だから、逃げたい気持ちは分からないでもない。でも大公令息を捨てるなんて、相当の覚悟がないとできないことだ。それに今夜見る限りでは、思っていたほど最悪ではないように見受けられる。
少しの間悩む。
それから立ち上がって、私は、先ほどと同じように彼の膝に横向きに座った。
やっぱり今日の私は少し変みたいだ。
リュシアンはゆるく腕をまわして、私のうなじに顔を埋めた。
「令嬢がスカートの中身をまる見えでぶら下がっている姿は、破壊力抜群だった」
シチュエーションとセリフが全く合っていない。
甘い言葉をささやかれても困ってしまうけど。すでに私の心臓は爆発寸前だ。
加えて、リュシアンが囁く。
「惚れたかも」
「っ⁉」
慌てて立ち上がる。リュシアンを振り向くと、バカにしたような笑みを浮かべていた。
「冗談に決まっている。サルに惚れるほど趣味は悪くない」
「最低! ちょっとでも同情した私がバカだった!」
ツカツカと扉に向かう。そのノブに手をかけたものの、いったん離してリュシアンを見た。
「助けてくださったことと服装の乱れを直す手配をしてくださったことには、感謝します。ありがとうございました」
一礼をして、今度こそ部屋を出た。
廊下にはリュシアンの従者らしき青年が、ひとりで立っていた。メイドはいない。
ということは、私を痴女と貶めるつもりはなかったということかな。なにを考えているのか、よく分からないヤツね。
大広間に戻って、天才チェリスト、ギヨームの復活リサイタルが始まるのを待つ。
そんな私の周囲は、とてもカオスな状況だ。
私の左側には、番犬のように騎士エルネストがいて、私の右側にはヒロイン・ロザリーが寄り添うように立っている。
どうしてこうなったの……?
リュシアンのもとを辞したあと、彼らが別個に迎えに来た。私が服装を直している間に演奏があることが発表されたようで、みんなそれを教えにきてくれたのだ。
でも、今日会ったばかりの令嬢に、そんなに親切にするものなのかな?
そう疑問に思ったものの、全員の目からは親切そうな気配がしたし、ギヨームの演奏はとても聴きたかったから私はついていってしまった。
そんなわけで大広間にはゲームのヒロイン、攻略対象、それぞれのルートの悪役がほぼ揃っている。あと、おまけでリュシアンも。彼はさっき私にしたことなんて忘れたかのように、ディディエやマルセルたちと談笑している。
大丈夫かな。なにも起きないかな。私はモブ令嬢のまま、誕生会を終えたい。
いや、ヒロインと攻略対象者に挟まれている時点で、その願いはかなわないかもしれないけれど。
高い天井を見上げると、左から袖を引かれる。
ロザリーが私にはにかんだ可愛い笑顔を向けていた。
「アニエス様。楽しみですね。私、ギヨーム様の演奏を聴くのは初めてなんです」
「……そうなのね。とても素晴らしい演奏をする方なのよ」
私もにこりと笑顔を向ける。これは本当のことだから躊躇わずに言えた。
宮廷楽団に所属するチェリスト、ギヨーム・ゴベールは、演奏も作曲も神の域、と褒め称えられるほどの天才なのだ。だけれど数ヶ月前に左手の指をケガし、以来休養していた。以前のような演奏はもうできないのでは、なんて噂もあったぐらい。
それが無事復活したうえに、完成させたばかりの新曲を披露してくれるのだとか。
「でもギヨーム様だけの演奏じゃなさそうですよね?」
そう言うロザリーの視線の先には、二脚の椅子とグランドピアノがある。
「あれはきっと――」
私が言いかけたとき、拍手が沸き上がった。
チェロを抱えたギヨームがやって来る。彼と同じくチェリストで妹のマノンと、攻略対象のクレールも一緒に。彼ら三人は我が国で一番の人気を誇る、音楽家たちなのだ。
ギヨームたちが着席すると、大広間は静寂に包まれた。そして三人は顔を合わせてうなずきあうと、静かに演奏を始めた。
やわらかで美しい調べ。
そう思ったのもつかの間、曲調は一気にアップテンポの激しいものになった。魂を揺さぶるような、激しい演奏。こんな攻撃的な音楽は聞いたことがない。
――いや、違う。私は聞いたことがある。これは前世のロックだわ! でも、どうして……
これを作曲したのは、転生者。そうとしか考えられない。
ということは、ギヨーム・ゴベール。彼は私と同じ、転生者ということ?
疾風怒濤のような演奏が終わった。
静寂。
それからパラパラと拍手が始まり、最後は大広間が揺れんばかりの大喝采となった。
「どうだった?」
私の目の前に立ったクレールが尋ねる。
彼は喝采にひととおり応えると、まっすぐに私の元に来た。
どうして? そう思いながらも、きちんと応える。
「素晴らしかったわ。あなたの音色は、曲調に合わせて自由自在ね」
クレールは満足そうな顔をした。
「縦ロールのくせに、よく分かっているね」
「私の名前はアニエスよ」
「知っているけど、縦ロールと呼ばせてもらうよ。僕だけの呼び方をしたいからね」
……ん? 今のセリフはなんだろう。おかしくないかな?
ここは話題を変えよう!
私は隣を向いて、ロザリーに話題を振った。
「ロザリー様は彼の演奏、どうだったかしら?」
「ええ、大変に素敵な演奏でした。だけれどアニエス様に変な呼び名をつけるのは、いかがなものかと思います」
あら? 声がとげとげしい。
気のせいかな。クレールとロザリーの間に火花が散ったように見えた。しかもエルネストも無言のまま強い視線と圧で、参戦している。
なにかが、おかしい。実は大広間に来るまでにも、不可解なことがあったのよね。なんだかイヤな予感がする……
「クレール!」
そう声をかけながら、ギヨーム・ゴベールがやってきた。
やった! チャンス到来。予感のことは、とりあえず放り捨てておこう。
クレールと会話するギヨームを観察する。ひょろりとして背が高い。髪色は黄土色で瞳はグレー。色合いは地味だけど顔は甘めのイケメンで、柔らかく下がった目じりが印象的だ。年は確か二十代半ばだったはず。
彼には転生者であることを感じさせるものは一切ないけれど、それは私も同じだものね。
「結局、おふたりの素敵なひとときを邪魔してしまいました。申し訳ございません」
また地面にちょいと指をついて、深々と頭を下げる。
「まあ。なんて素敵で楽しい方かしら!」
可愛らしい感嘆の声に顔を上げると、ヒロイン、ロザリー・ワルキエが突進してきた。同じように地面に座り込むと、私の手を取って握りしめる。
「はじめまして、ロザリー・ワルキエといいます。お友達になってください! 貴族になったばかりで、お友達がひとりもいないのです」
ロザリーはスミレ色の瞳をキラキラさせて、私を見つめている。テンプレのピンクブロンドの髪はふわふわで、庇護欲を誘う儚げな女の子。しかもいい香りがする。
「こんなに美しいのに力業に出ちゃうなんて、可愛すぎ! ね、お願いします」
こてん、と首をかしげるヒロイン。待って、可愛すぎはロザリーのほうよ――‼
そう思った途端、声が口からこぼれていた。
「ではお友達になりましょう!」
あっ。考えるよりも先に、答えてしまった。
大丈夫かな? ヒロインとお友達。
大丈夫だよね? そんな展開、悪役令嬢への転生ものではよくあるパターンだもの。ビミョーにドキドキしながらも、にこりと微笑む。
するとロザリーの顔が、ぱっと柔らかくほころんだ。
「嬉しい! ぜひ今度お茶会でも!」
叫んだロザリーが私に抱きつく。
スキンシップ激しくない? ヒロインだからかな?
嬉しくて、それを拒まずにいると、ディディエが半眼になっていた。
「……本当に私のストーカーでも変質者でもないのだな?」
不審者から変質者に格下げされているんだけど……まあいいわ。
私は力強く答える。
「違います!」
「だとしても不審すぎる」
騎士エルネストがまだ言う。
「あんな突飛な縦ロールがこんな地味女になるなんておかしい。裏があるに違いない」
「それは酷くないですか? 縦ロール、私に似合うと思っていたのに」
「本気?」
弟クレールが首をかしげる。
彼って突っ込み担当だったかな?
私は改めて真剣な表情を作った。
「本気です。それにあれは一年も前にやめました。今日、急に地味になったわけではありません」
「確かに、しばらく見かけないなとは思っていたんだ」
弟クレールがそう言うと、神官ジスランがうなずいた。
「それに本当に不審者ならば、もう少し格好も行動も考えるでしょう。人目を引くセンス崩壊の装いに――」
え? センス崩壊? これが?
自分の服を見下ろしたところに、神官ジスランが爆弾発言を落とした。
「スカートの中を丸見せにする異常行為」
「えぇ! 見えていたの!」
ディディエとロザリー以外、全員うなずく。
なんてこと。終わった。私の令嬢人生が完全に終わった……
床に両手をつけて、がっくりと肩を落とす。ひんやりとした石の感触が伝わってきて、肩に一際冷たい風が当たった。寒い。
「まあまあ。おかげで命拾いをしたのではありませんか」
その声に視線を上げると、ひとを奈落の底に突き落とした神官ジスランが、とりなすように微笑んでいた。
確かにそうだけど。私だって令嬢だもの。スカートの下にはペチコートやらドロワーズやら絹のストッキングやらを履いていて、肌は見えない仕様になっているけど、そういう問題じゃない。
またがっくりとして、力が抜ける。
じっくりと床の模様を眺める私の目の前に、手が差し出された。
リュシアンだった。
「アニエス嬢、そのままの姿勢では冷えて風邪をひくぞ。今夜は誰と来ている。姿が見えずに心配しているかもしれない」
ようやくかけられた真っ当な慰めに、少しだけ気を取り直す。
彼の手を掴んで立ち上がり、礼を言う。それから「ひとりです」と答えた。
「ひとり? エスコートは?」
「いません」
全員に微妙な沈黙がおりる。なぜかロザリーにまた手を握られた。
「親はなにやってるの?」
クレールが尋ねる。
私は一瞬考えてから、多分合っているだろう答えを返した。
「恐らく屋敷で、いちゃいちゃ」
またも微妙な沈黙。
変なことを言ったかな? やっぱりうちの親がおかしいから、こんな反応なのかな。誕生会へのぼっち参加は、私だけだものね。
そう思いながらみんなの反応を窺っていると、リュシアンがはあっとため息をついてディディエに視線を送った。
「ディディエ。今回は見逃してやってくれ。彼女はただの変わり者だ。誕生会での騒ぎはお前も嫌だろう?」
なんですって、大公令息。私のことを変わり者って言った? 自分のことは棚に上げて?
「そうだな。騒ぎは増やしたくない」
あ、王子も納得している。ストーカー認定されるよりはいいの……かな?
私はただのモブ令嬢でいたいのだから。とりあえず丁寧に詫びて去ろう。
「お騒がせして――きゃっ⁉」
頭を下げようとしたら、突然浮遊感に見舞われた。
視線を横に向けると大公令息――リュシアンの顔が近い。横抱きにされているようだ。
こんなの、お姫様抱っこじゃない!
「な、なにをするんですかっ⁉」
下りようと抵抗すると、リュシアンがぎろりと私を見る。
「アニエス嬢。髪はボサボサだし、ドレスは崩れている。他の貴族に詮索されたくなかったら、具合の悪いふりをしていろ」
「乱暴されたように見えますからねえ」
神官ジスランが苦笑する。他の令息たちもほんのり視線を逸らしてうなずいている。
私ってば、そんなにひどい格好なの⁉
さっと頬に熱が上るのを感じて、私はリュシアンの胸元に顔をあずけた。
「します! 具合悪いです!」
慌てて答えると、頭の上から笑い声が聞こえた。
「じゃあ、ディディエ。連れていくな」
「……好きにしろ」
私は大公令息に抱えられたまま、バルコニーを出る。
なんとか不審者の汚名は免れたみたい。だけれど危機は、乗り切れていない気がする……
そのあと、リュシアンの指示により、私は王宮の一室でメイドたちに身だしなみを整えてもらった。
彼女たちはさすが宮仕えなだけあっててきぱきと、ドレスも髪型も私が屋敷を出たときと全く同じに直した。派手に転んでしまってという言い訳も信じてくれて、ボルダリングで皮が剥けてしまった指や手に、良い香りのする軟膏を塗り込んでくれる。
気分が落ち着くようにとココアもいれてくれた。
素晴らしき哉、王宮メイド!
もっともうちのメイドたちだって、負けてないと思う。性格がアレな私に負けずに仕えてくれていたし、性格が一変したあとも不気味がりながらも辞めずにいて、完璧な仕事をしてくれている。
不満があるとしたら、評判が悪いヘアスタイルと枯葉色のドレスに意見をしてくれなかったことだけれど、それは確実に昔のアニエスがアレだったせいだもの。
屋敷に帰ったら素直に自分のセンスの悪さを謝って、次からはすべてお任せしたいと頼もう。
密やかにそんな決意をしていると、メイドたちが下がるのと入れ替わりでリュシアンがやって来た。
リュシアンは攻略対象たちに比べるとやや派手さに欠けるものの、結構なイケメンだ。髪はくせのあるダークブラウンで、瞳は従弟ディディエと同じ碧眼。そのアンバランスさが印象的で、背は高くスタイルもいい。
そんな彼の印象がなぜ悪いかというと――
彼の誕生会に参加していた令嬢への態度が、最悪だったから!
重箱の隅をつつくかのように令嬢の悪いところをみつけては指摘して、自分のような素晴らしい王族には相応しくないと嘲笑っていたのよね。
なんとかして大公令息に見初められたいという令嬢数人が最後までがんばっていたけれど、あまりの毒舌ぶりに顔は強張っていた。噂によれば、泣いていた令嬢もいたとか。昔のアニエスよりも性格が悪い。
そんなリュシアンは、長椅子に腰かけていた私のとなりに座った。
前にも他にも椅子があるのに、と少し不審に思う。
しかも部屋にはふたりきりだ。気味が悪いので、バレないようにおしりをずらして離れる。
だけど――
「さて、アニエス嬢。白状してもらおうか」
リュシアンはそう言いながら、私の腰に手を回した。
「は、白状?」
家族以外の異性と、こんな至近距離で話したこともなければ、触れられたこともない。パニックになってさらに逃げようとしたら、腕を掴まれた。
「白状ってなんですか?」
「どう考えたって、バルコニーの下に逃げるなんておかしいだろう?」
うわぁ、まだ不審がられていたのね!
大急ぎで、私は弁解する。
「だから焦って」
「焦ってサルの真似事をするようなキテレツな令嬢なら、とっくに社交界で噂になっているはずだ。それなのに実際にある噂は髪型のことぐらい。おかしいじゃないか」
うっ、と言葉に詰まる。その隙を見過ごさず、リュシアンが問い詰めてくる。
「あのバルコニーでなにをしていた? 見つかるとまずいことをしていたから、隠れたのではないか?」
その言葉に、はっとした。メイドたちがドレスを直すときに、服も私の体もやけに触っていた。あれはきっと、なにか不審物を隠し持っていないか探していたのね。
「違います!」
「正直に答えろ。でないと――」
そう言ったリュシアンは、がしりと私の腰を両手で掴むと、軽々と持ち上げ自分の膝の上に横向きに降ろした。
「????」
焦ってジタバタするけれど、しっかりホールドされていて逃げられない。
「正直に答えないと、外にいるメイドと従者を呼ぶ。――痴女に襲われていると叫んでな」
ニヤリとするリュシアン。
「どう見たって逆よ!」
「いいんだ、俺の言葉の通りに反応してくれる者たちだから」
「卑怯者!」
「不名誉な噂が広がるのが嫌なら、話すのだな」
足掻くのをやめて、息を吐いた。
「さすがね、性格がサイアク」
「褒めてくれてありがとう」
イヤな奴だ。
素早く拳を握ると、リュシアンの腹に叩き込む。
「んぐっ」
踏まれたカエルのような声を出すリュシアン。
私は急いで立ち上がると、彼の正面の椅子に座り直した。
所詮、令嬢の華奢な手のパンチ。たいした衝撃ではないはず。実際、彼は驚いただけで、ダメージは受けていないみたいようだった。
リュシアンは、苦虫を噛み潰したような顔を向けてくる。
「暴力に出るなんてひどくないか?」
「不埒なことをする人に、淑やかな対応をする必要はないでしょう?」
「不審者はお前なのに」
そう言われて、じっくりと検討する。
……確かに。
言い訳を懸命に考える。前世、なんてことを言っても信じてもらえないわよね。この国にそういう概念はない。よし、神様のせいにしよう。この世界は西欧風の色々なものがごちゃ混ぜになっていて、宗教は多分ギリシャかローマ時代のものをモチーフにした多神教だ。信仰の深さは人によってまちまちで、バダンテール家は冠婚葬祭のときしか宗教と関わらない。
でもこれでイケる。誤魔化しきるのよ!
「では正直に話しますけど、他言しないでくださいね」
リュシアンは案外素直にうなずいた。
私はたっぷりと間を置いて、彼に答えた。
「神様のお告げです」
「……お告げ?」
不審そうな顔をされたけれど、私は真面目な顔を作ってしっかりとうなずいた。
「そもそもは一年前でした。夢に神様が現れて、『縦ロールをやめて性格改善しないと、良くないことが起きる』と仰ったのです」
「……で、奇抜な縦ロールをやめた、と」
「そうです。お告げを守ったおかげで、良くないことはなにも起こりませんでした。そして一ヵ月前、またお告げがあったのです。ディディエ殿下の恋路を邪魔すると身に危険が及ぶ、と」
リュシアンはますます、疑いの目を向けてくる。
「だから地味な髪型とドレスで目立たなくして、バルコニーでひっそりとしていたのです。なのに向こうから近づいてきた。それは焦るでしょう?」
「本気で言っているのか?」
「もちろん。疑うのならば、うちのメイドたちに尋ねてください。みんな口を揃えて、アニエスは一年前に突然性格が変わったと言うでしょう」
ふうん、とリュシアンは呟いて椅子の背にもたれた。
「お前を見つけたあと、真下の庭を確認させた。不審者も不審物もなかった」
その言葉に、少し驚いた。
性格が最悪でも、危機対応はきちんとしているらしい。もっともリュシアンは頭脳や武術など総じて優秀との噂なのだけど。悪いのは性格だけということね。
あれ。これって昔の私と同じじゃない。ちょっとだけ親近感を覚え……ないな、こんなヤツ。
私は少し落ち着きを取り戻す。
こちらをちらりと見て、リュシアンがまた不服そうにため息を吐いた。
「お告げねぇ」
「お願いだから内密にお願いします。巫女とか神殿勤めとかはしたくないです」
ここだけは譲れない。
さらっと神様を引き合いに出してしまったけれど、お告げがあったなんて神殿に知られたら、スカウトされてしまう。神官や巫女といった神職は結婚を認められていないから人気がなくて、常に人手不足なのだ。
そうお願いすると、本気が伝わったのかリュシアンはうなずいた。
「ああ。それは黙っていてやる」
「意外。話が分かる方なんですね」
「喧嘩を売っているのか?」
「褒めています」
「『意外』と言っている時点で褒めてない」
「バレました?」
リュシアンはため息をついて、「変な女」と呟いた。
自分でもそう思う。前世の記憶を取り戻してからも、元のアニエスと変わらない完璧な令嬢として振る舞ってきた。それなのに、なんでイヤミなんて言ったり腹パン決めたりしているのかな。
ちょいちょい、とリュシアンが手招きをする。
「……なんでしょうか?」
すると、リュシアンが今度は自分の膝を叩いた。
これはまさか、そこに座れということ?
「いくらお告げを信じたからって、バルコニーの下に逃げるサルはそうそういないぞ、アニエス嬢。不審な行動は不問にしてやるから、来い」
「……サルに見えても、厳しく躾けられた令嬢なんです」
「聞いているだろう? 俺は愛しい婚約者に逃げられて傷心中なんだ。おかしなことはしないから、ちょっと癒せ」
リュシアンの表情は、とても傷心中には見えなかったけれど、彼が婚約者に逃げられた件は知っている。むしろ都に住んでいて知らない人はいないと思う。
誕生会で彼は、遠縁にあたる伯爵令嬢を見初めた。だけれど彼女は一人っ子で、結婚するならば婿に入ることが条件だった。リュシアンは大公家の長男だけれど、どうしても彼女と結婚したくて両親を説得。なんとか伯爵家への婿入りを認めてもらい、めでたく婚約と相成った。
ところが先月、その伯爵令嬢が幼馴染の使用人と駆け落ちしてしまったのだ。
この婚約はリュシアンの一方的な好意によって成り立っていたそうで、令嬢のほうは結婚がどうしてもイヤだったらしい。そりゃ彼の性格は最悪だから、逃げたい気持ちは分からないでもない。でも大公令息を捨てるなんて、相当の覚悟がないとできないことだ。それに今夜見る限りでは、思っていたほど最悪ではないように見受けられる。
少しの間悩む。
それから立ち上がって、私は、先ほどと同じように彼の膝に横向きに座った。
やっぱり今日の私は少し変みたいだ。
リュシアンはゆるく腕をまわして、私のうなじに顔を埋めた。
「令嬢がスカートの中身をまる見えでぶら下がっている姿は、破壊力抜群だった」
シチュエーションとセリフが全く合っていない。
甘い言葉をささやかれても困ってしまうけど。すでに私の心臓は爆発寸前だ。
加えて、リュシアンが囁く。
「惚れたかも」
「っ⁉」
慌てて立ち上がる。リュシアンを振り向くと、バカにしたような笑みを浮かべていた。
「冗談に決まっている。サルに惚れるほど趣味は悪くない」
「最低! ちょっとでも同情した私がバカだった!」
ツカツカと扉に向かう。そのノブに手をかけたものの、いったん離してリュシアンを見た。
「助けてくださったことと服装の乱れを直す手配をしてくださったことには、感謝します。ありがとうございました」
一礼をして、今度こそ部屋を出た。
廊下にはリュシアンの従者らしき青年が、ひとりで立っていた。メイドはいない。
ということは、私を痴女と貶めるつもりはなかったということかな。なにを考えているのか、よく分からないヤツね。
大広間に戻って、天才チェリスト、ギヨームの復活リサイタルが始まるのを待つ。
そんな私の周囲は、とてもカオスな状況だ。
私の左側には、番犬のように騎士エルネストがいて、私の右側にはヒロイン・ロザリーが寄り添うように立っている。
どうしてこうなったの……?
リュシアンのもとを辞したあと、彼らが別個に迎えに来た。私が服装を直している間に演奏があることが発表されたようで、みんなそれを教えにきてくれたのだ。
でも、今日会ったばかりの令嬢に、そんなに親切にするものなのかな?
そう疑問に思ったものの、全員の目からは親切そうな気配がしたし、ギヨームの演奏はとても聴きたかったから私はついていってしまった。
そんなわけで大広間にはゲームのヒロイン、攻略対象、それぞれのルートの悪役がほぼ揃っている。あと、おまけでリュシアンも。彼はさっき私にしたことなんて忘れたかのように、ディディエやマルセルたちと談笑している。
大丈夫かな。なにも起きないかな。私はモブ令嬢のまま、誕生会を終えたい。
いや、ヒロインと攻略対象者に挟まれている時点で、その願いはかなわないかもしれないけれど。
高い天井を見上げると、左から袖を引かれる。
ロザリーが私にはにかんだ可愛い笑顔を向けていた。
「アニエス様。楽しみですね。私、ギヨーム様の演奏を聴くのは初めてなんです」
「……そうなのね。とても素晴らしい演奏をする方なのよ」
私もにこりと笑顔を向ける。これは本当のことだから躊躇わずに言えた。
宮廷楽団に所属するチェリスト、ギヨーム・ゴベールは、演奏も作曲も神の域、と褒め称えられるほどの天才なのだ。だけれど数ヶ月前に左手の指をケガし、以来休養していた。以前のような演奏はもうできないのでは、なんて噂もあったぐらい。
それが無事復活したうえに、完成させたばかりの新曲を披露してくれるのだとか。
「でもギヨーム様だけの演奏じゃなさそうですよね?」
そう言うロザリーの視線の先には、二脚の椅子とグランドピアノがある。
「あれはきっと――」
私が言いかけたとき、拍手が沸き上がった。
チェロを抱えたギヨームがやって来る。彼と同じくチェリストで妹のマノンと、攻略対象のクレールも一緒に。彼ら三人は我が国で一番の人気を誇る、音楽家たちなのだ。
ギヨームたちが着席すると、大広間は静寂に包まれた。そして三人は顔を合わせてうなずきあうと、静かに演奏を始めた。
やわらかで美しい調べ。
そう思ったのもつかの間、曲調は一気にアップテンポの激しいものになった。魂を揺さぶるような、激しい演奏。こんな攻撃的な音楽は聞いたことがない。
――いや、違う。私は聞いたことがある。これは前世のロックだわ! でも、どうして……
これを作曲したのは、転生者。そうとしか考えられない。
ということは、ギヨーム・ゴベール。彼は私と同じ、転生者ということ?
疾風怒濤のような演奏が終わった。
静寂。
それからパラパラと拍手が始まり、最後は大広間が揺れんばかりの大喝采となった。
「どうだった?」
私の目の前に立ったクレールが尋ねる。
彼は喝采にひととおり応えると、まっすぐに私の元に来た。
どうして? そう思いながらも、きちんと応える。
「素晴らしかったわ。あなたの音色は、曲調に合わせて自由自在ね」
クレールは満足そうな顔をした。
「縦ロールのくせに、よく分かっているね」
「私の名前はアニエスよ」
「知っているけど、縦ロールと呼ばせてもらうよ。僕だけの呼び方をしたいからね」
……ん? 今のセリフはなんだろう。おかしくないかな?
ここは話題を変えよう!
私は隣を向いて、ロザリーに話題を振った。
「ロザリー様は彼の演奏、どうだったかしら?」
「ええ、大変に素敵な演奏でした。だけれどアニエス様に変な呼び名をつけるのは、いかがなものかと思います」
あら? 声がとげとげしい。
気のせいかな。クレールとロザリーの間に火花が散ったように見えた。しかもエルネストも無言のまま強い視線と圧で、参戦している。
なにかが、おかしい。実は大広間に来るまでにも、不可解なことがあったのよね。なんだかイヤな予感がする……
「クレール!」
そう声をかけながら、ギヨーム・ゴベールがやってきた。
やった! チャンス到来。予感のことは、とりあえず放り捨てておこう。
クレールと会話するギヨームを観察する。ひょろりとして背が高い。髪色は黄土色で瞳はグレー。色合いは地味だけど顔は甘めのイケメンで、柔らかく下がった目じりが印象的だ。年は確か二十代半ばだったはず。
彼には転生者であることを感じさせるものは一切ないけれど、それは私も同じだものね。
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