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15.あれから5年が経って
しおりを挟む「奥様ー! 奥様!!」
別邸に侍女の声が響き渡る。
その声に椅子に座って刺繍をしていたマリィは気づき、顔を上げた。
しばらくするとドタバタと音がして、部屋の扉の方を見れば、慌てた様子で侍女が扉を開いた。
「どうしたの?」
「またです! ルーク様が見当たりません!」
その言葉にマリィは慌てて刺繍道具を置き、席を立った。
「ルーク! ルーク! 何処なの!? 返事して!」
屋敷中を捜すが何処を探してもいない。
マリィは机の下を覗いたり戸棚を開けてみたりしたが、影さえ掴めなかった。
「ルーク、何処なの……?」
マリィはすっかり困り果て、ため息を吐く。
そんなマリィの様子を遠くから見つめる目があった。
「ふふっ……」
見つからないようにジッとしながら彼は待つ。
彼は知ってる。マリィならきっと自分を見つけてくれると。
だから、マリィの姿が見える位置で隠れてじっと待つ。
そしたら、ほら……。
「やっと見つけたわ! ルーク!」
小さな少年を隠していたシーツが剥ぎ取られる。
「わっ!」
洗濯カゴに入れられた干したてのシーツは絶好の隠れ場所だった。見つかったルークは笑いながら洗濯カゴから飛び出し、走り出した。
「マリィ、こっちだよ!」
「ルーク! 待ちなさい!」
待っていたとばかりにルークは笑いながら逃げ回る。庭を、屋敷を、ずっと走り回り、マリィが追いかけてくるのを楽しんでいた。
マリィは必死に追うが、子どもの体力は侮れない上に底知れない。
どんなにマリィが追っても距離は縮まらない。
「もう! 本当にやんちゃなんだから!」
マリィは追いながらため息を吐く。だが、その顔には笑みがあった。
何に対しても無表情で無反応だったルークは成長する毎に、その感情を取り戻していった。
泣いて怒って喜んで……笑って……。
今では立派な普通の子どもだ。
こうしてやんちゃばかりして手を焼くが、かつてのルークを知るマリィからすれば嬉しくて堪らない。
そして、ルークはマリィに懐いていた。
「マリィ、こっちだよ! 僕、こっちだよ!」
「はぁ……はぁ……分かってるわ! だから、早く捕まりなさい! 」
マリィが疲れてしまって追いかけられないと分かると、ルークは走る足を緩めて手を振ってこっちこっちと笑う。
そして、最後はマリィに向かって走り、わざとマリィに捕まるのだ。
「マリィ!」
駆け寄ってきたルークをマリィは抱きしめる。そうすればこのやんちゃな子どもはずっと腕の中にいてくれるのだ。
「全く、アンネを困らせてはダメでしょう?」
「だって、マリィが遊んでくれないんだもん」
頬を膨らませるルークに、マリィは抱きしめる手を解いて腰に手を当てた。
「あら? 私は貴方のお洋服に刺繍していたのだけど? ちゃんとルークが好きな鷹さんを縫っていたのよ?
もしかして鷹さんはいらなかったかしら?」
「えっ、い、いる!分かったよ。良い子に待っとくよ……」
少し名残惜しそうだったが、素直なルークはそう言ってマリィの手を握る。
どうやらマリィの刺繍が終わるのを一緒に待ってくれるらしい。
それがマリィはとても嬉しかった。
そんな時だった。
「きゃっ!」
侍女の1人が躓いて、洗濯物が山盛り入った洗濯カゴごと床に倒れ込むように転倒する。
「あっ、危ない!」
マリィが慌てて彼女を助けようとした。
だが、その瞬間だった。
洗濯カゴから飛び出た洗濯物が宙をふわふわと飛ぶ。その洗濯カゴはくるくると回りながら宙を舞い、侍女は床に倒れ込まずに空中に浮かんだ。
「きゃ、きゃあああ!」
自分も洗濯物も浮いていることに侍女は驚き悲鳴を上げる。
すると、ゆっくりと洗濯物もカゴも侍女も床に降ろされていく。
床に降ろされた侍女は腰を抜かしていた。慌ててマリィは駆け寄る。
「大丈夫?ミーリー」
「え、いえぇ……わ、私、高いとこダメ……じゃなくて! 奥様、この屋敷、何かいますよ!」
まだこの屋敷に来て日が浅い彼女は、自分を助けてくれた先程の出来事を悪霊の仕業と思ったようだった。怯えた目で周りを見ている。
「私、見えない何かとか無理なんですぅ! 正体不明とかそういうの!」
そんな彼女をマリィは優しく諭した。
「大丈夫だから落ち着いて。この見えない誰かさんは良い人だから。
私、ずっとこの屋敷に住んでいるけどいい事しか起きないし……」
「良い人とかそんなこと関係ありません! 私、怖いです! こんな得体の知れないもの、耐えられません!
思えば、この屋敷はいっつも変です。庭師もいないのにお庭は常に満開の花畑、枯れたりもしない。買ってきたばかりの野菜やお肉がハンバーグにしてと言わんばかりにみじん切りにされて置かれていますし、嵐が来て木とか枝とか屋敷の敷地内に散乱した時なんかいつの間にか1ヶ所に固められていましたよ!
確かに悪いことは起こってませんけど、私、こんなの無理です。得体が知れないってだけで怖すぎます!」
侍女は立ち上がると、マリィに勢い良く頭を下げた。
「辞めさせていただきます」
それにマリィは困った顔をし、傍で見ていたルークは俯いた。
「マリィ、僕は悪いことをしたの?」
あの侍女が荷物をまとめて出て行った夜、ルークは思い悩んだ様子で、ソファに座るマリィの隣に座ってきた。
周りには誰もいない。マリィとルークだけの2人きりの空間……内緒話をするにはうってつけだった。
「悪いことなんてしてないわ。でも、驚かせてしまったわね」
マリィはそっとルークを抱き寄せ、頭を撫でる。そうしながら落ち込んでいるルークの隣でマリィもまた悩んでいた。
ずっと侍女3人と乳母1人で切り盛りしていた別邸だったが、ルークが大きくなったタイミングで侍女の1人が辞めてしまった。それは家の事情で仕方がないことだったが、人手が少なくなった屋敷は仕事が回らなくなり、どうしても新しい侍女が必要だった。
だが、この半年、色んな侍女を雇ったが、誰も長続きしなかった。
みんな屋敷で起こる奇怪な出来事……ルークの魔法に怯えてしまうのだ。
国王を通して雇った侍女だから腕もよく実績もあるのだが、流石に堪えられないようだった。
当然だ。この世に魔法なんて今や存在しないもの。悪霊の仕業と思われて彼女達に気味悪がれるのも仕方がなかった。
ルークにはできるだけ魔法を使わないよう話すが、どうやら感情によって動く魔法は制御できるものではなく、咄嗟に出てきてしまうものらしい。完全に魔法を使わないようにするのは困難だった。
(はぁ……困ったわ。私がその都度大丈夫だからと話してもダメだし。
この広い屋敷を維持するには侍女は絶対3人は必要。ナニーに侍女の仕事をさせる訳にはいかないし……早くルークの魔法に驚かない腕のいい侍女を探さなくちゃ……。
はぁ、近いうちにルークの家庭教師も探さないとダメなのに……)
マリィは悩んでいた。
侍女の問題もそうだが、その後、家庭教師の問題もマリィには待っていた。
マリィの実子になったルークは事実上、正式なズィーガー公爵家の子どもである。ズィーガー公爵家の跡取りになるかは国王が判断することである為分からないが、いずれにしろルークは貴族子息として相応しい教育と教養を身につけなければならない。
今はルークが幼い故に何とかなっているが、高位貴族に必要な専門的で高度な教育は男爵令嬢だったマリィも乳母も教えられない。
いつか家庭教師は絶対に雇わなくてはならない。
公爵位に相応しい高度な教育に精通していて、尚且つ、ルークの魔法に驚かない、そんな家庭教師を……。
だが、家庭教師探しに国王は頼りたくなかった。
(ルークの将来に関わることだもの。家庭教師だけは陛下が派遣する家庭教師ではなく自分で選びたい。ルークに合う人が良いわ……あと、まともな人が良い。あの人みたいな……)
その時、不意にマリィの脳裏に、かつてマリィに魔法使いに教えてくれた青年が過ぎる。
あの親切な青年とはあれから何度か王立図書館に通ったがとうとう再会することはなく、そして、彼が言っていた魔法使いを研究している‘’先生‘’も探したが結局、マリィの力では何処にいるのか、一体誰なのか分からなかった。
(研究室って学院の研究室だと思ってたけど、そんな研究室、学院に問い合わせたけどなかった。王立の方かとも思って調べたけど結局分からずじまい。
……はぁ、会えたらこんなに困りはしないのに)
マリィは考えに考え込み、やがて、閃いた。
「こうなったら、そうよ! 私が相応しい人を探しに行けばいいんだわ」
「マ、マリィ?」
戸惑いの目を向けるルークを前にマリィは立ち上がると腕を回した。
「ルーク、私、頑張ってくるわ! 貴方の為に、そして、この家の為にね」
そうと決まればとばかりに、マリィはルークへの別れの挨拶もそこそこに部屋から出ていく。
思い立ったが吉日。マリィは即行動に移した。
一方、ルークは。
マリィが居なくなると同時に、ずっと表情豊かだったその顔から、表情を消した。
静寂に包まれる部屋。先程まで年相応の無邪気な子どもがいたそこには無表情で無反応な、まるで人形のような子どもがいた。
「僕にはマリィさえいれば良いのになぁ……」
その瞬間、部屋の中に置いてある全てのものが宙に舞う。ソファも、ブランケットも、本も全て。
誰もいないその部屋で、彼は虚ろな目をずっと天井に向けていた。
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