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20. 砂上の城、薄氷の上、それが幸福

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ルークは生まれた瞬間から明確な自我があった。
……つまり、生まれたその瞬間から目に映る全てを理解し記憶できた。
だが、彼にとってとても残酷なことだった。



ルークの最初の記憶は実の母親から怪訝な目で見つめられたことだ。

表情が変わらないルークを訝しみ、疑う彼女は親というより初めての生物を目にした子どものようだった。

ルークはどうにかコミュニケーションを取ろうとしたが、生まれつき固い表情筋を動かすより周囲の何かを動かした方が楽だった。

生まれた時からルークはただ気持ちを込めるだけで何でもできた。

ミルクの入ったコップを動かすのも、ぬいぐるみが乗った椅子も、思い通りに動かして自力で飲むことも自力で取ることもできた。

だから、表情が出ない代わりにそうやって母親とコミュニケーションを取ろうとした。


だが、それはやってはいけないことだった。


ルークはそれが人から怖がられるものだと気づくのが遅かったのだ。

気がついたらルークは死の淵にいた。

(いたい……)

最後に水を飲んだのは、食べ物を口に含んだのは、いつだろう。

身体を清められることなくなり、打撲と痣だらけの身体になったのは、いつだろう。

母親はいつの間にかルークにとって、ルークを傷つける恐ろしい怪獣になった。

いたいと泣いても、やめてと周囲のものをぶつけても、ルークの母親はルークを壊すのを止めなかった。

「悪魔! お前は悪魔なのよ! お前のせいで私は不幸になった!」

母親はルークを名前で呼ばなくなり、悪魔と呼ぶようになった。

ルークは悲しかった。

とても悲しかった。自分は人間ですらないと否定されて、優しくされなくて、愛されなくて、悲しくて仕方がなかった。

あまりに悲しみにずっと落ち込んでいたら……。

いつの間にか自分の不可思議な力は母親を傷つけていた。

「やめて! どうしてこうなるの! 助けて! 誰か助けてよ!」

半狂乱になる母親をコップやぬいぐるみ達が襲う。

ルークは慌てて止めようとした。

だが、何をどうやっても止まらなかった。

ただ母親に憎々しげに睨まれて無言で責められるしかなかった。

何も出来ないやるせなさにルークは絶望した。

その瞬間、母親に出来たてのスープが降り掛かった。







あの日からずっとルークは母親に一言、ごめんなさいと言いたかった。

でも、自分にその資格がないのも何となく分かっていた。

ルークの父親はあまりに酷い人だった。あの人のことをルークは嫌いだ。自分より我儘だから。でも、ルークと違って彼は母親を直接傷つけたりはしなかった。

だからこそ幼いルークでも否が応でも分かる。

母親はそもそも自分さえ産まなければ、もう少し幸せだったのだろうな、と。

ルークさえいなければ、あの人の大雨な毎日も曇天で済んだ、まだ壊れずに済んだとルークは察した。

だから、母親が自分を捨てると決めた時、悲しみよりも納得の方が先に来た。

(ぼくは、いらないこ……)

そう分かっていた。もう母親に縋る気力さえ無かった。

だから、別邸に捨てられた時も泣きもしなかった。絶望も期待もせず、ただただ全てを諦めていた。




だが、捨てられた先の別邸でルークを待っていたのはこれ以上ない幸福だった。




マリィはルークにとって幸せそのものだった。

どんなに無表情でも無反応でもマリィはずっとルークに笑いかけてくれる。ルークがいてくれて幸せだと言ってくれる。

そして、ルークの力を怖がらなかった。

ルークは嬉しかった。

まるで運命だ。

ルークは知っている。自分を丸ごと受け入れてくれて愛してくれる人なんてそういない、と。
だが、ここにいる。いてくれている。
彼女はルークの為に生きてくれる人だった。

(このひとに、あえてよかった……)  

ルークは彼女ことが大好きだった。

時たま脳裏に母親との痛くて辛い思い出が過ぎるけれど彼女さえいればどんな日も幸せに感じる。

(まりぃ、いっぱいだいすき)



マリィと一緒にいたい。

マリィに愛されたい。

マリィが望むことなら何でも叶えたい。



ルークは日増しにそう思うようになっていった。

だから、マリィが望む自分になろうと決めた。

笑って、走り回って、駄々を捏ねて、我儘を言う、そんな子どものフリをルークがすると、マリィは喜ぶ。

本当のルークはマリィ以外全てのことに無関心だったが、何処にでもいる普通の子どものようにすればするほど、マリィは嬉しそうにするからルークは頑張って子どものフリをした。

侍女達や乳母とも仲良くしたし、言葉も表情も覚えた。

そして、そんなルークの願いを魔法も全て叶えてくれた。

「ふふっ、ルーク、ハンバーグが食べたかったの?」

彼女を笑わせ。

「ルーク。貴方のおかげで助かったわ」

彼女を助けて。

「ルーク、綺麗な花を咲かした」

彼女の為に花を咲かした。


人を傷つけるだけだったルークの力も、この頃になると、不思議と全部良い出来事しか起こさなかった。
 
嬉しい、笑わせたい、幸せにしたい。この力はそんな気持ちだといいことしか起こさないようだと、ルークは気づいた。


(凄い。これならマリィを、僕でも幸せに出来る……。
この力はマリィの為に使おう。
マリィを幸せにすればするほど、そしたら、マリィは僕とずっと一緒にいてくれるはず……)


ルークのマリィへの愛は深く、深く、ずっと大きいものになっていた。

自分の人生にはマリィさえいればいい、ルークは本当に心の底から思っていた。



だが。





「どうしましょう。マリィ様が賊に攫われたと……警備隊から連絡が……!」


その報告は幸せだったルークの日常を一瞬で砕いた。


「ボーナンド侯爵邸の目の前で攫われたんですって!」

「ちょっと待って。この邸の近くではありませんか。なんてこと!」

「賊は貴族の手引きでマリィ様のいる場所まで忍び込んだ可能性があると……」

「奥様は、奥様は……一体どうなるのです? あぁ、なんてこと……!」

「警備隊の話では……覚悟した方がいいと……」

「そんな……!」

その瞬間、ルークは崖から突き落とされたかのような心地がした。

もうここにはいられなかった。

マリィの傍にいることがルークの幸せだった。だが、その幸せが消えるかもしれない。いや、もしかしたら、もう既に……。

そう思うと居ても立ってもいられなかった。

ルークは邸から飛び出した。

「ルーク様!?」
 
「ルーク様! 何処に行かれるのですか!?」

「待って下さい! 行かないで!」

侍女達が引き止める声が聞こえるが、ルークにはそんな声、既にどうでも良かった。

「マリィ……マリィ……!」

頭の中ではマリィのことだけでいっぱいだった。


ルークはマリィが攫われたというボーナンド邸に向かう。

息を切らしながら到着するとそこではは丁度、警備隊によってボーナンド侯爵が逮捕され、護送車に乗せられるところだった。

「まさか、貴方自らが人攫いを邸に入れていたとは思いませんでしたよ。よく被害者面で警備隊に報告できたものです。まぁ、我々の前では嘘は通じなかったわけですが……。
何故こんなことを? マリィ夫人に何の恨みがあったのです?」

その警備隊の言葉をボーナンド侯爵は鼻で笑った。

「恨み? 違うな。愛さ。
結局、共有することになってしまったがな」

「は?」

「あの女は極上の女だ。少なくとも容姿は……。
なのに、あの女は口を開けたら子ども子どもと……! 俺達なんて全く見ちゃいなかった!
子どもと言ったって実の子どもでもないし、なんてたってあのクリフォードとシルヴィーという最悪最低な2人の子どもだぞ!?
私は2人のせいで母と妹を亡くした!
私だけじゃない!セレスチア人は全員被害を被ったんだ! 孤児みなしごや障がい者になった奴だっている!
セレスチア人にとって悪夢でしかない!あんなクソ野郎共の子どもなんて、ろくな子どもじゃないし、ろくな大人にもならないだろう!
そんな子どものせいで、俺達は振られて……クソッ! 
だからだ。だから、彼女を攫った!
子どもから離れれば目も覚めるだろ!」

ボーナンド侯爵の言葉はルークの心を深く抉った。

「そんな……」

マリィを幸せにする為に、今までルークは生きてきた。
そして、マリィもルークを幸せにする為に生きてきた。

だが、マリィはそう生きたことで狙われたのだ。

ルークにはマリィしかいないが、マリィはそうじゃない。
だから、マリィがルークの為に生きるのは周囲にとって面白なく……しかも、ルークの両親はあの2人だ。あの災厄の日の象徴とも言えるルークを恨んでいた。

顔面蒼白になり、ルークは地面に崩れ落ちる。

ボーナンド侯爵の声はまだ聞こえていた。


「今頃、あの女も理解しているだろうよ! 
とっておきの薬も用意したしな!
脳がぶっ壊れてるかもしれないが、あの容姿だ。何も問題ない。
むしろ、あんなろくでもない子どもの為に生きるよりずっと幸せだろうよ!
そして、やっと気づくだろう。ルーク・ズィーガー、奴は悪魔から生まれたただの悪魔だってなぁ!」


その瞬間、ルークの心は砕け散った。






























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