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幕間 アーネット 前編
しおりを挟むアーネット・モローの人生は常に嵐の中にいるようだった。
滝のように降る雨の中、荒波に呑まれながら進む小舟。水を被り、潮に流され、浪に揺さぶられ、それでも前へ行こうとするそんな人生。
(何が悲しいって……。
その嵐も、荒波も、全部、お父様とお母様のことよ)
アーネットは常に両親に振り回されてきた。
大切にされてなかったわけではない。
しかし、それは全くアーネットの意思に沿ったものではなかった。
モロー公爵と夫人は政略結婚が主なこの国の貴族では珍しい恋愛結婚だった。
しかし、子宝に恵まれず、何年も何年も夫婦2人だけの日々を過ごした。
同世代の人間がどんどん子どもを作っていても、モロー夫妻に子どもが出来ることはなく、落胆の日々が続いた。
それでも夫妻は諦めず、辛抱強く、頑張った。
そして、他人の子どもが大きくなり、成人近くになった頃、モロー公爵夫妻にようやく子どもが産まれた。
それがアーネットだった。
夫人似の美しい赤毛を持つ彼女は赤ん坊の頃から美人だった。
待望の子ども、女の子、美人……。
夫妻はこれ以上ないほど彼女を溺愛した。それはそれはもう目に入れても痛くないほどに。
しかし、その愛は酷く独善的だった。
「おとうさま、な、なにをしてるの?」
「アーネット、あの侍女はお前に気安すぎる! 何が友人だ! 侍女なんて使われる存在がお前に気安く接していいはずないだろう。
だから、鞭打ちだ。罰を与えなければ……」
「ダメです!ジャンヌはわたしのたいせつなひとです! わたしのしんゆうをきずつけないで、わたしからジャンヌをとらないで」
「優しいなぁ、お前は。そんな嘘をついて。侍女を守ろうというのか。
では、家族ごと国外追放だ。お前の優しさに免じて」
「ちがう! ちがうわ! わたしのともだちをとらないで! おとうさま、うそなんかじゃない! ほんとうにともだちなのとらないで」
「はいはい。ちゃんと追放するから」
「おかあさま、やめて! わたしのケガはわたしがころんだからで、かれのせいではないの!」
「いいえ、この侍従のせいよ。私達の大切なアーネットによくも怪我なんて負わせたわ。
貴方が身を呈してアーネットを庇っていれば……」
「ひとがころぶしゅんかんなんて、だれがわかるのよ! そんなことむりよ。
おねがい、かれをころさないで! このひとはほんとうにやさしいひとよ! わたしのためにおはなをつんでくれるの!
ころんだのはわたしのせいなのに! かれがしぬことないじゃない! おかあさま!」
「アーネット、庇わなくていいわ。私は分かってますからね。貴方が本当は怒っていることぐらい」
「おこってないわ! おねがい! わたしのはなしをきいて!
わたしのはなしをきいてよ! やめてってわたしは、いっているの!」
「じゃあ、いますぐ毒杯を飲みなさい。死んで詫びるのです」
「おかあさま!」
アーネットの周りで何か起こる度に、両親はアーネットが大切にしていたものを平気で壊した。
そして、アーネットの全てに干渉してきた。
「アーネット? お前にレーズンのタルトを買ってきた。どうだ? 好きだろう?」
「それはお父様が好きな物であって私は……」
「さぁ、今からお茶にしよう。飛び切りの紅茶を用意するからな」
「は、待ってください。今から私、お友達のところに行くのです。お茶なんて……」
「私とのお茶だ。とても嬉しいだろう?」
「さぁ。これ全部貴方のドレスよ。今からこれを着ましょうね……」
「お母様? このドレスは……私が着るにはあまりにも流行遅れですし、華美ですし、色も目に痛いし……こんなの無理です」
「さぁ、まずはどれから着ましょうか? やっぱりパープルよね、あっ、でも、緑も紅色も」
「どうして……。ねぇ、お母様、聞いて! 聞いてよ」
「私達のアーネットは世界一可愛い子よ。誰がなんと言おうと。
こんな子は自慢しなくちゃね」
「さぁ、舞踏会に行こう。お前をお披露目せねば……」
「お母様、お父様。私、熱があるの……吐きそうなの……お医者様だって1週間安静するようにって仰ってたわ。だから……」
「ドレスはやっぱり家族3人お揃いがいいわね。
濃いクチナシ色はどう? 貴方の髪色だし、良いんじゃないかしら?」
「そうだな! では、そうしよう。
様々な貴族に私の愛娘を覚えてもらわねば……」
アーネットは2人から愛されていた。
それはそれは素晴らしい無償の愛だった。
……まるで人形を愛でるような歪な愛だった……。
幼いアーネットはその歪な愛をずっと受け止めるしかなかった。
その苦しさにうずくまって何度も何度も泣いた。
こちらが泣いていても両親は目の前でにこやかに談笑していた。
そんな両親を見て、アーネットは気づいた。
「……あぁ、この人達が欲しかったのは子どもであって、私じゃないんだ……」
アーネットは両親から逃れるように家から出かけることが多くなった。
幸い、アーネットを助けてくれる人はいっぱいいた。
友人や家庭教師、デザイナーや工房の主人など、アーネットの交友関係は多岐に渡る。その誰もがアーネットの境遇に同情し、手を貸してくれた。
そして、アーネットはそのお礼に彼らのお手伝いをするようになった。
友人のパーティーを手伝い、家庭教師の補佐をし、ドレスのモデルになり、アクセサリーのアドバイザーになった。
その経験の中で、アーネットは自分を磨き高め、そして、誰よりも輝く宝石になった。
理由はただ1つ。自分の人生を自分で輝かせる為。
他人の生き方に囚われない、自分の人生を歩む為に、彼女は血の滲むような努力をした。
その結果、アーネットはいつしか完璧な淑女と人々から評され、様々な人々の視線と尊敬を集めた。
両親は、彼女を褒めたたえた。
もう友人とのお茶の邪魔をし趣味の悪いドレスを持ってきたり、娘を自慢する為に無理やり連れ出したりしなかった。
アーネットはホッとした。完璧な淑女になった自分をようやく認めてくれたのだと思った。
これで自分は解放される……。
そう思った。
だが、アーネットの両親はやはりアーネットの両親だった。
「なんで……私は、好きな人と生きていくってずっと言ってきたではありませんか!
それが何故、クリフォード殿下と婚約なんて……私は嫌です。
あの人は実の兄弟にも手を上げ、公務もサボり、悪態ばかり吐いて、王太子とはとても思えない人です。
そんな人と婚約なんて……お願いです。やめてください……」
アーネットは青ざめ、泣いて、何度も取り止めるように願った。
だが、両親は全くアーネットなど見ていなかった。
「完璧な淑女と呼ばれるアーネットこそ、王妃に相応しい。
あの王太子は正直不快だが、アーネットとの子どもが出来たらさっさと処分すればいいさ」
「そうなれば、外戚として国政を牛耳るのも良いと思いませんか?
アーネットの素晴らしさを国中に広げるのです」
「それはいい! アーネットを崇め傅く国を作るんだ」
とうとうふたりがアーネットの話に耳を貸すことはなかった。
アーネットはクリフォードと婚約することになった。
王族との婚約は基本的に解消されることはない。このままアーネットはクリフォードと結婚して一生を共にしなくてはならない。
アーネットは絶望した。だから、せめて彼のその性格を変えようと頑張った。
しかし、クリフォードはアーネットを他人の注目を集める為の客寄せの動物のように、または、便利な道具としか見てくれなかった。
アーネットの意思を全て無視する両親。
アーネットを都合よく利用する婚約者。
どちらもアーネットの一生に関わる人達なのに、どちらもアーネット本人などが眼中にない。
「私の人生はどうして……」
どんなに頑張っても家族という存在がいつまでもアーネットを蝕む。
このままでは本当に誰かの操り人形になってしまいそうだ。
アーネットは何度も泣いた。
泣いて、
泣いて、
泣いていたそんな時。
……アーネットは彼に出会った。
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