真実の愛の犠牲になるつもりはありませんー私は貴方の子どもさえ幸せに出来たらいいー

春目

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幕間 アーネット 後編

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彼は、アーネットがクリフォードとともに入学した時には、色んな人から慕われていた。

クリフォードは彼を研究室と教室の間を往復ばかりするガリ勉だと馬鹿にしていたが、彼はいつも誰かに囲まれていた。

アーネットは廊下を歩く度に彼を囲んでいる人混みを見たし、食堂に行けば、誰かの相談に乗る彼を見た。放課後は彼自身は研究室に行っていたが、彼について話している人は毎日何処にでもいた。

学院でも評判の人物……学年も違えば専攻クラスも違う彼へのアーネットの第一印象はそんなものだった。

だが、偶然、アーネットは彼に救われた。



学院の校庭。
そこは開校以来、わざと整備されずに残された自然が広がっていた。
林が広がり、季節の花々が咲き、小川が流れ、池が静かにそこにある。
そんな場所でアーネットはその日、大切なものを失くした。

「ない、ない……」

今はもう会えないジャンヌから貰った髪飾り……別れ際にずっと謝り続けるアーネットに彼女が涙混じりの笑顔で渡してくれたそれを中庭で失くし、アーネットは辛く苦しく泣きたくなりながら探していた。
走ってきた生徒とぶつかってしまった時に落ちたそれがどこにあるのか分からない。最悪、池に落ちてしまったかもしれないと思うと、アーネットは膝から崩れ落ちそうになる。

「絶対に見つけないといけないのに……」

潤む瞳を抑えながら諦めずに探す。しかし、何時間探しても見つからず、アーネットは打ちひしがれた。

「そんな……どうしたら……」

「どうした? 泣いているのか?」

絶望して項垂れるアーネットに声がかかる。
アーネットが顔を上げると、そこにはずっと遠目でしか見た事のなかったその人がいた。

「貴方は……?」

「すまない。突然、声をかけて。
俺はフィルバート・セレスチア。君は?」

「……アーネット・モローです」

「モロー? あぁ、モロー公爵の御令嬢だったか。
大丈夫か? 随分困っているみたいだが?」

彼は心配そうにアーネットを見ていた。そこには下賎な欲や悪意は一切ない。ただただアーネットを気遣っている。アーネットには直ぐにそれが分かった。

だから、察した。彼は信頼にたる人だと。

「実は……」

アーネットは彼に事情を全て話した。

幼い頃別れた親友が残してくれた大切な髪飾りを失くしたこと。
何時間も探しているが見つからないこと。
池の中に入ってしまっていたら、どうしようもないこと……。
自分の不安も絶望も、その全ても……。

彼はアーネットの事情を……そして、気持ちをずっと聞いてくれた。
空が夕暮れを迎えようとするその時まで、ずっと。

それがアーネットは有難くてたまらなかった。
セレスチアの姓で分かる。彼はクリフォードと同じ王族だ。だが、クリフォードと彼は大違いだった。
クリフォードだったら鼻で笑ってどうでもいいから働けと吐き捨てるだろう。
しかし、彼は真剣に聞いてくれる。両親も婚約者も聞いてくれないアーネットの話をずっと……。
そして、アーネットの話を、アーネットの気持ちを、肯定してくれる。
アーネットはそれだけで救われた。

アーネットの話を聞いた彼は、即座に制服の上着を脱ぎ、ズボンの裾を膝上まで上げた。

それにアーネットが驚いていると、彼は靴下ごと靴を脱ぎ、躊躇いなく池に入っていった。

「せ、先輩!?」

「君は引き続き周りを探してくれ。俺は池の中を探す。
2人で探した方が早い。そうだろう?」

「し、しかし……先輩が泥まみれに……」

「気にするな」

慌てるアーネットにフィルバートは微笑むと、眼鏡を外し、前髪をかきあげた。

「君は君のことだけを考えろ。
君の人生に関わる大切なものなんだろ? なら、絶対に諦めたらダメだ」

その瞬間、アーネットは息を飲んだ。
見えたその琥珀色の目、端正な顔立ち、自分を慮るその言葉……全てがアーネットの胸の鼓動を早める。

フィルバートは無言でアーネットの髪飾りを探した。

自分が泥だらけになるのも構わず、袖を捲りあげ、濁った池の中を手探りで真剣な眼差しで探す。

アーネットは彼が慕われる理由を今、理解した。

彼は確実にアーネット以外の人もこうして助けている。
たった1人の、それも自分とは全く関係ない知らない人の為に、彼はこんなに真剣になってくれる。
そんな王族はいないし、そもそも、そんな人間もいない。

(私……ずっとこういう人に出会いたかった。私をちゃんと見て話して懸命になってくれる貴方みたいな人に……。
もちろん、彼からすれば私は目に付いたから助けただけの人なのだろうけど……でも、嬉しい。
私、理想の人に出会ったんだわ……)

先程のものとは意味の違う熱い涙がアーネットの目に込み上げる。

そんなアーネットに手を差し出される。

「これだろうか?」

その手に乗っていたのは確かに自分が大切にしているものだった。泥だらけのそれを躊躇いなく受け取るとアーネットは泣き崩れた。

嬉しさ、報われた気持ち、幸せ……色んなものが混ざりあったそれがアーネットの目から零れる。

嵐の中で生きる小舟に、一筋の光が差した瞬間だった。





アーネットはそれから他の生徒と同じように彼の傍に近づくようになった。

しかし、あの日が奇跡だったかのように、アーネットが彼の眼中に入ることはなかった。

単純に彼を慕う人間が多すぎるのだ。

彼に近づいて話そうにも既に誰かに取られているのが当たり前。彼も一度助けただけの彼女に振り向くことはなかった。

だから、アーネットは自ら彼との関わりを作ることにした。

未来の王太子妃として様々な繋がりを持つアーネットは、恩返しも兼ねて彼の為に彼と隣国の王族との縁を取り持ち、彼の研究の一助になろうとした。

フィルバートは懸命になるアーネットに申し訳無さそうにしていたが、アーネットは彼の為に奮闘した。

全ては、彼の目の中に入る為に。

その頃にはもうアーネットは自覚していたのだ。
このフィルバート・セレスチアという人間を愛しているのだと。

しかし、自分はクリフォードの婚約者。懸想することすら許されない人間だ。
だが、アーネットは初めて自分に差し込んだ光を失いたくなかった。
だからこそアーネットは彼の為に全てを捧ぐ覚悟で努力したのだ。

その結果、アーネットの計画は大成功。

隣国との合同研究発表会は最高の形で幕を引き、彼はアーネットに感謝してくれた。
アーネットは嬉しかった。
これで彼の心に少しでも近づけられたならと思い、彼にアーネットと名前で呼ばれる未来を夢想した。 


しかし、それは夢想で終わってしまった。



「モロー公爵令嬢。素晴らしい在校生挨拶だった。学院を卒業する身として、これ以上ない誉れだった。
貴方も来年卒業だろう? 残りの期間、素晴らしい学院生活を楽しんで過ごしてくれ」

そう告げて、フィルバートはアーネットを置いて卒業してしまった。
連絡先すら教えて貰えなかった。
アーネットにとって特別なその人。しかし、彼から見ればやはりアーネットは昔助けた人の中の一人に過ぎなかったのだ。

アーネットはこの残酷な結末に涙すら出なかった。
光は途絶えた。
嵐は去らず、アーネットを荒れた海が襲い続ける。
そして、それからのアーネットの人生は散々なものになった。

クリフォードによる婚約破棄に始まり、3歳も年下のセロンとの再婚約。両親による媚薬騒動……。

両親はアーネットを思い国家転覆や暗殺計画まで立てるのに、相変わらず、いつまで経ってもアーネットを見ない。 頭の中にいる理想のアーネットばかり見て、勝手に王家を毛嫌いしている。

一方、新たに婚約したセロンはそんな両親を持つアーネットに同情してくれアーネットの為に配慮してくれたが、両親を警戒してか最低限の交流しか持たず、結婚してからも寝食を共にすることはなかった。

クリフォードから解放され実家から距離を置くことが出来たのは良かったものの、王太子妃になったアーネットはこの悲惨な現状を嘆いた。

脳裏に、あの日救ってくれたその人ばかり浮かべる。あの人が助けに来てくれないか、と叶いもしない願いばかり祈った。
無論、分かっている。
アーネットのことなど眼中になかったあの人が、アーネットを助けに来てくれることはないと。

それでも祈らないと、辛く虚しい夜をどうやったら乗り越えられるのか分からなかった……やってられなかった。 
  


だが、まさかそんな現実がたった今、更に最悪なものになるとは誰が予想出来ただろうか?








今、目の前の現実に、アーネットは信じられない目を向けるしかなかった。

昼下がりのカフェの個室。

一瞬、凍りついたように見えたその部屋は先程のことが嘘だったように温かな日差しが部屋を照らし、穏やかな空気が流れている。

その入口で1人の女性が、頭に血が上ってしまった彼を止めるように後ろから抱きしめていた。

「……っ!」

その細腕の中で我に返ったその人は、アーネット達に背を向け、抱きしめる彼女のほうに体を向ける

白銀の髪を持つ彼女は彼と目が合うと安堵し彼から手を離して微笑んだ。

「良かった……間に合いましたね」

その彼女に彼はどんな顔を向けたのか……アーネットは分からない。分からないが。

「すまない。今度は貴方に助けられてしまったな……」

その口調は、言葉は、ずっとアーネットが求めていたもので。

「貴方がいてくれてよかった。マリィ夫人」

アーネットがあの日欲しかった全てだった。

























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