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幕間 ミーティ・アモール
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レオリオと婚約する前、あまり良いものではなかった人生を送っていたミーティ・アモールの話。本編の裏話。残酷な描写多し。苦手な方はお気をつけて下さい。
彼女が生まれたアモール辺境伯爵家はアウレア王国の中で最も微妙な立ち位置にいる貴族だった。
元々アモール領は世界最小の国家だった。アウレア王国とは隣国の関係でしかなかったが、それが長い歴史の中でアウレア王国に吸収され王国に従属する一貴族になったのが今のアモール領だ。
だが、やはり長い年月を経てその関係はまたも変貌していった。
アモール領は隣接する帝国レコットとの貿易要地として、そして、アウレアの海洋貿易の拠点として代々の名主によって整備され、今や小国家と呼称できる程、繁栄し栄華を極めた場所となった。
それはもうアウレア王国の国王ですら制御出来ないほどで、アモール領は事実上自治区のような場所になっていた。
それだけでも微妙な立場だったのに、そんな状況下でそれは起こった。
アウレア王国全体で全てのものが不作になる未曾有の事態が起こったのだ。
雨量も肥料も足りない訳では無いのに作物が育たない。それだけではなく家畜が原因不明の病で次々と死んだり、魚が海から消えたり、そうして様々な食料が大ダメージを受けた。次第に収穫量は最盛期の1割にも満たなくなり、国は飢饉に見舞われた。それは災害といって過言ではなかった。
だが、アモール領だけは違った。
アモール領はアウレア王国が不作になればなるほど豊作になっていった。
小麦も野菜も肉も魚も驚くほど出来る。
最終的にアモール領はたった一つの領土だけで不作のアウレア王国の人々を全員食べさせられるほどの大豊作になった。
だから、アモール領はアウレア王国を支援することにした。
その支援は誰が見ても明らかに何か邪な企みが潜んでいたが、アウレア王国は既に原因不明の不作で国全体で困窮しており、アモール領の支援がなければ直ぐに滅ぶ運命にあった。いくら怪しくてもアモール領の支援をアウレア王国は享受するしかなかった。
だが、それは国内どうしようもない歪みを産むことになる。
この支援によってアモール領とアウレア王国の立場は完全に逆転してしまったのだ。
ただでさえ手に負えない状態だったというのに、支援によって国王はアモール領に完全に頭が上がらなくなり、国王は常にアモール領の機嫌を取るしかなくなった。
今アモール領に見放されるとアウレア王国全てが貧困と飢餓に見舞われることになる。その為、国王も他の貴族もあらゆる手段を使ってアモール領を懐柔した。
税の緩和や貿易路の優遇などアウレア王国はアモール領を留める為に様々な施策を行った。他国からやり過ぎだと忠告されることもある程に、彼らはアモール領に平伏し支援の続行を願った。
ミーティの姉、ティファニアとアウレア王国の王太子ヴィンセントの婚約もそうだ。
国際結婚が盛んなこの大陸に置いて、王太子が自国の貴族令嬢と結婚するのはかなり稀であり、むしろ主従関係の瓦解に繋がる為忌避するものなのだが、2人の婚約はアモール領の独立を阻止し援助を得る為に結ばれた。
だが、これにより王威は完全に失墜し、今やアウレア王国はアモール領の情けで国を存続出来る国家だと全世界に広めたようなものだ。
事情を知らない市民や他国の人間は失望し、貴族達はやるせなさを覚える。
この婚約は必要とされて結ばれた婚約だったが、アモール領の人間以外は誰1人歓迎しない望まれない婚約だった。
しかし、アウレア王国を蝕む飢餓は日に日に深刻さを増していく。
アモール領が支援する今、食べものに困ることはないが、農民や漁民達は職を失い、税が払えず、家を失った。貴族達は税収が無くなり、その生活は困窮し、国王ですら節制を心がけるようになった、
それに対し、アモール領はますます栄えていく。辺境伯自身も領民もこれ以上ないほど豊かになり、どんな身分の人間も宝石やドレスが買えるほどの財産家になった。
貧富の差は広がるばかり、今や職と富を求め、アウレア王国からアモール領に移民するものが絶えず、王国はその人口を大きく減らしていた。
そんな状況の為、誰もがアモール領がアウレア王国に取って代わる日も近いように思えた。
だが、アモール領は辺境伯ながらその地位は既に国王より高いのに、微妙な立場のまま現状を維持するだけだった。
その気になれば独立、もしくは、国王の座を乗っ取ることも出来るだろうに、何の思惑かアモール辺境伯は未だアウレア国王に従属し、無茶な要求もせずアウレア王国を支援し続けている。
誰もが首を傾げ、誰もが不可解に思った。
しかし、アモール辺境伯は沈黙を貫き通し、この歪んだ関係を続けた。
そんな歴史上類を見ない程の歪な情勢の中生まれたのがミーティだった。
アモール辺境伯には3人の子どもがいる。
長男アーサー。
長女ティファニア。
そして、次女ミーティだった。
だが、ミーティが生まれた時には、既に5歳のアーサーはアモール辺境伯の後継者に決定し毎日の後継者教育に忙しくしていたし、3歳のティファニアはヴィンセントと婚約している為か、アモール領よりも王都にいる事が多かった。
その為、幼いミーティは2人の兄姉と幼少期を過ごした記憶は無い。会ったことはないが兄姉がいる。その程度の認識しかなかった。
だが、両親は2人とミーティを比べた。
そして、比べた結果、両親は跡取りでも誰かの妃になるわけでもないミーティを生まれて早々放置した。
ミーティの推論だが、両親はいずれ嫁いで家を出て行くミーティに価値を見い出せなかったのだろう。
だから、ミーティに貴族令嬢らしい最低限のマナーと教育を受けさせるだけで、それ以上のことはせず、サロンや茶会にも連れて行かなかった。
アモール領は今やアウレア王国で一番の領地。たとえミーティが無能でも釣り書は幾らでも来る為、ミーティ本人に手を入れる必要はないと思ったようだった。
だが、そのせいでアモール領でのミーティの立場はとても低かった。
確かにアモール辺境伯の子ども故に何処に行ってもそれなりの扱いをされたが、いずれこの領から居なくなる存在。侍女や侍従も内心では彼女を軽んじていたし、領民も明らかに彼女を舐めていた。その為、彼女の肩身は狭く、特に家族のいる家では居場所がなかった。
ある日、姉ティファニアから嫌われてからは尚更……。
ティファニアは幼少期から儚げな容姿で大人しい性格のミーティとは何もかもが真逆の子どもだった。
誰もを圧倒する美貌の持ち主だった。
しかし、その中身は苛烈にして傲慢。
物心ついた頃から人にかしずかれてきた彼女は自分が世界の中心だと本気で思っている。
欲しいものはたとえそれが既に他人の手に渡っていようと全て手に入れ、だが、飽きたら他人の手に渡る前に壊して捨てた。
自分が不快だと思ったものはそれが国宝だろうが他人の子どもだろうがどんなものでも処分させ、不愉快な仕事をした者はそれが国王の従僕だろうと鞭で罰した。
齢10歳になる頃には彼女は既に国中から恐れられ、疎まれる存在になっていた。
少女の姿をした悪魔。それがティファニアだった。
そんなティファニアとミーティは家族だったが会話すらした事がなく、ティファニアはミーティに対してとにかく無関心で、ミーティの中ではティファニアはよく知らない人のままだった。
だが、とある日から2人の関係は最悪なものになった。
その日、幼いミーティは邸宅の一室で習いたての刺繍を一生懸命していた。
だが、真剣な眼差しでてんとう虫を作っていたそこへ突然、ティファニアがやってきたのだ。
「貴方が私の妹……? これがそうなの?」
その質問は既におかしかった。
お互い殆ど関わらないとはいえ顔を合わせたくらいは幾らでもある。姉であるティファニアがミーティの顔を知らないはずがなく、ミーティは訝しんだ。
「お姉様? どうされました? 何か御用でしょうか?」
「……。そう、お前が私の全てを奪うのね……」
「お姉様?」
「こんな奴のせいでこの私が不幸になるなんて……忌々しいわ……忌々しい!」
ティファニアはうわ言のようにそう言うと、ミーティを指差し、その場にいた侍従達に命じた。
「この女を殺して! 今すぐに!!」
その日、ティファニアはこれ以上ないほどヒステリックにミーティを殺せと何度も叫んだ。
理由は誰にも分からない。
ミーティはただただ恐ろしくなって逃げるしかなかった。逃げている間、背後からずっとティファニアの絶叫と鞭の音が聞こえる。
「役立たず! 何故逃したの!? 早く殺しなさいよ!」
「実の妹? それが何なんのよ! 私の命令が聞けないの!?」
「早く捕まえて! 私の目の前で殺して! でないと安心できない!」
しかし、ティファニアの命令とはいえ主君の子どもを殺す事など侍従達は誰にも出来ず、半狂乱になってミーティを殺せというティファニアをどうにか宥めることしか出来なかった。
それにティファニアは苛立ち、翌日、ティファニアに仕えていた侍従達はティファニアの手により全員処罰された。
すると、ミーティの世話をしていた侍女達も護衛も逃げ出し、ミーティをティファニアに差し出す者も現れた。
ミーティは死を覚悟するしかなかった。
何がティファニアの琴線に触れたか分からないが、今やミーティを守るものは誰もいない。ミーティはティファニアの望み通りに死ぬしかないと思った。
しかし、意外な人物がミーティを救い、ミーティは一命を取り留めた。
その人物は……ずっとミーティを放置していた両親だった。
「ティファニア。何故妹を殺したいんだい?」
「この子が私の人生を台無しにするからですわ!」
「……へぇ、それは本当かい?」
「えぇ、私はこの女狐のせいで貶められて……」
「じゃあ、ティファニアの方が要らないね」
「……えっ」
しかし、両親がミーティを助けたのは愛や情からではなかった。
両親はやはりミーティがよく知る冷たい両親のままだった。そして、それはティファニアにとってもそうだった。
「……お前はそこの妹程度に足を掬われるのだろう? では、お前は妹より無能ということじゃないか。
残念だよ……。無能な子どもは必要ないのに、私達はゴミを王太子妃に推薦してしまったようだ」
父は残念そうにティファニアにそう告げ、母はティファニアを冷たい目で見つめた。
「ティファニア。私達は今後もアモール領を繁栄させていくような有能で素晴らしい子どもしか要らないの。
妹を殺さないと自分の立場も守れないような愚鈍は私達の子どもとは呼べないわ。
特に貴方は、ある程度アモールの威光で黙らせているとはいえ、ただでさえ悪い評判しかないのに……。
今のところ貴方って王太子妃になるくらいしか価値がないのを分かっているのかしら。
これに加えて愚鈍だなんて本当要らない子ね。ヴィンセント殿下の婚約者をミーティに変えようかしら?」
淡々とそう告げ、両親は本気でティファニアを切り捨てようとした。彼らにとってティファニアでさえもその程度の存在だったのだ。
ティファニアは震える足でどうにか思い留ませようと立ち上がって声を上げた。
「あ、あ、あっ……お、お待ちください。ち、違うっ! これは侍従がそうしろって……!」
ティファニアは侍従に罪を擦りつけるしかなかった。
「おや、そうなのかい?」
「まぁ、そうなの?」
誰が見ても苦しい言い訳だったが、予想外なことに両親は彼女の言い訳を信じた……少なくともティファニアにはそう見えた。
「では、侍従がダメだね。直ぐに変えなくては。因みに誰なんだい?」
「そ、そこの男ですわ!」
希望が見えたティファニアは適当に指差した。指差した向こうにいたのは一昨日侍従になったばかりの若い男だった。当然、ティファニアとは面識もない。
「!? 違います! 私では……!」
男は慌てて弁明するが、アモール辺境伯である父はにっこりと男に笑みを浮かべた。
「娘がお前だと言ったんだ。それが正解だよ?」
そう言った瞬間、部屋に血の海が広がる。
ティファニアも、ずっと部屋の隅にいたミーティも青ざめて絶句するしかなかった。
そんな状況だというのに父は笑い母はお茶を啜っていた。
「ティファニア。お前の一言で人が死んだよ。
まぁ、日常的に人を処罰しているお前からすればどうということはないだろうが……次こうやって死ぬのはお前かもしれないね」
「……っ」
そこでようやくティファニアは全く窮地から脱していないことに気づいた。
そんなティファニアに父は顔色一つ変えずに告げた。
「粗相した侍従はともかく身内を殺すことは許さないよ。ティファニア。
君がダメだった時の為のミーティなのだからね。
もし君がまたこんな風に無能を晒したら、君の想像した通り、君の立場も地位も何もかもミーティのものになる。
ミーティに奪われるのを恐れるより、自分の無価値さに絶望しなさい。いいね?」
柔和に、穏やかに告げられたそれはまるで死刑宣告のようだった。
ティファニアは両親の前から逃げ出すように立ち去り、ミーティもまたそれに続くように部屋から出た。
悪寒が止まらない。
ミーティは自分の家の異常さを身をもって理解した。
しかし、ミーティの地獄は始まったばかりだった。
ティファニアは両親に脅されたこともありミーティを殺すようなことはしなくなったが、何が彼女をそうさせるのか過度な嫌がらせを行うようになった。
侍従や侍女を使い、彼女の衣服をハサミで切り刻んだり、食事に腐ったものを混ぜたり……終いには、2階から物を投げつけられることもあった。
ミーティは嫌がらせが始まってすぐ全てティファニアの命令なのが分かった。本人はあれ以来滅多に領地に帰ってこず姿も見せないが、嫌がらせする侍従達が皆、怯えた顔でミーティを見ていたから。もしやらなければ彼らの命はないのだろう。
しかし、このまま嫌がらせを受け続けるわけには行かなかった。
ティファニアの嫌がらせは急激にエスカレートする一方だ。
卸したてのオートクチュールのドレスに毒針が仕込んであった時にミーティは身の危険を感じた。
このままでは何れにしろ死んでしまうと。
だが、とっくの昔にミーティを守る人間は居なくなっている。あの両親も今度はミーティを庇うようなことはしないだろう。
ミーティは自分で自分を守る為、家から逃げる事にした。
とはいえ、本当にこの家から逃げるには何処かの家に嫁がない限り不可能だろう。だから、ミーティはとりあえずの避難先としてアモールの郊外にある全寮制の女子校、聖カトレア女学院に飛び級で入ることにした。
その女学院は将来の女主人を育成する為の学校で、花嫁修行先として大陸でも有名な場所だった。しかし、規律が厳しくその生活は過酷の一言。どんなに高名な貴族令嬢であっても成績不振ならば容赦なく退学させる厳格な学校でもあった。
だが、厳格故に外部からの干渉を一切受け付けない。噂によれば国王さえ手が出せないと言う。逃げるにはうってつけの場所だった。
両親はミーティをティファニアも通っている王都にある男女共学の学校へ入れたがっていたようだが、そんな場所に行けば今よりも酷い生活を送ることになる。ミーティは両親の説得も程々に、逃げるように女学院に入学した。
女学院は確かに何もかも厳しい学校だったが、ミーティからすれば女学院は天国のような場所だった。
ずっと最低限の教育しか受けてこなかったミーティもここでは好きなだけ勉強ができ、家の隅に放置され孤独だったミーティもここでは友人や先生に恵まれ楽しい生活を送れた。
確かにアモール辺境伯の娘ということもあり何人か邪な感情から絡んでくる相手もいたが、あの嫌がらせに比べれば可愛いくらいである。
ティファニアはミーティが女学院に入学してからも、何度か女学院にいるミーティに嫌がらせしようとしたようだが、外界の権力が及ばない女学院では全て失敗に終わったらしい。
それはここはティファニアでも手が出せない場所だと証明されたようなものだ。ミーティは生まれて初めて居場所を得たのだ。
そうして3年。
ミーティが最終学年になってもアモール領は未だ微妙な立場のままだった。
両親が今のアモールをどう思っているのか、どうしようとしているのか、未だに分からない。一方、王家や他の貴族も支援さえ受けられればそれでいいらしく今ところ謎の不作の解明も含め何もしていない。
ただ風の噂で、ティファニアとヴィンセントが結婚したことを知った。
女学院に入学してから、両親や姉兄も含めアモール領の誰1人ミーティに手紙一つ寄越さなかった。だから、身内だというのに知ったのは全て終わった後だ。
義兄だというのにヴィンセントの顔すら知らないし、ティファニアの結婚式がどんなものだったかも分からない。そもそも今家族がどうしているのかも分からない。
一度だけ出した手紙は読まれずに返却されてミーティのもとへ帰ってきた。受け取り拒否されたのではなく、ミーティからの手紙を使用人を含め誰も受け取らず、両親も他を当たってくれと言い、受け取り手がいない為に郵便局員が困ってミーティに返したのだ。
それだけ彼らにとってミーティはどうでもいい存在だった。きっと羽虫より気にする価値もないものだった。
……だから、ミーティは女学院の最上階、アモール領を見下ろすバルコニーで誓った。
「私は、人を優しく出来る人になろう……」
これからミーティの人生がどんな人生になるかは予想できない。
だが、どんなものになるにしろ。ミーティはティファニアのように世界を自分のものだと勘違いしたり、両親のように無能は不要と断じたりしない。全ての人に価値を感じ優しく出来るそんな人に、ミーティはなろうと決めた。
「アモールの娘というのは変えられないけど、私の生き方は自由なはず。私は私よ。私の人生のあり方は私が選択をするの」
そう誓った。
数日後。ミーティの元にミーティとバウルツェン公爵子息の婚約を結んだという両親の手紙が届いた。
ミーティの薄暗い人生を大きく変える瞬間はもうすぐそこまで来ていた。
彼女が生まれたアモール辺境伯爵家はアウレア王国の中で最も微妙な立ち位置にいる貴族だった。
元々アモール領は世界最小の国家だった。アウレア王国とは隣国の関係でしかなかったが、それが長い歴史の中でアウレア王国に吸収され王国に従属する一貴族になったのが今のアモール領だ。
だが、やはり長い年月を経てその関係はまたも変貌していった。
アモール領は隣接する帝国レコットとの貿易要地として、そして、アウレアの海洋貿易の拠点として代々の名主によって整備され、今や小国家と呼称できる程、繁栄し栄華を極めた場所となった。
それはもうアウレア王国の国王ですら制御出来ないほどで、アモール領は事実上自治区のような場所になっていた。
それだけでも微妙な立場だったのに、そんな状況下でそれは起こった。
アウレア王国全体で全てのものが不作になる未曾有の事態が起こったのだ。
雨量も肥料も足りない訳では無いのに作物が育たない。それだけではなく家畜が原因不明の病で次々と死んだり、魚が海から消えたり、そうして様々な食料が大ダメージを受けた。次第に収穫量は最盛期の1割にも満たなくなり、国は飢饉に見舞われた。それは災害といって過言ではなかった。
だが、アモール領だけは違った。
アモール領はアウレア王国が不作になればなるほど豊作になっていった。
小麦も野菜も肉も魚も驚くほど出来る。
最終的にアモール領はたった一つの領土だけで不作のアウレア王国の人々を全員食べさせられるほどの大豊作になった。
だから、アモール領はアウレア王国を支援することにした。
その支援は誰が見ても明らかに何か邪な企みが潜んでいたが、アウレア王国は既に原因不明の不作で国全体で困窮しており、アモール領の支援がなければ直ぐに滅ぶ運命にあった。いくら怪しくてもアモール領の支援をアウレア王国は享受するしかなかった。
だが、それは国内どうしようもない歪みを産むことになる。
この支援によってアモール領とアウレア王国の立場は完全に逆転してしまったのだ。
ただでさえ手に負えない状態だったというのに、支援によって国王はアモール領に完全に頭が上がらなくなり、国王は常にアモール領の機嫌を取るしかなくなった。
今アモール領に見放されるとアウレア王国全てが貧困と飢餓に見舞われることになる。その為、国王も他の貴族もあらゆる手段を使ってアモール領を懐柔した。
税の緩和や貿易路の優遇などアウレア王国はアモール領を留める為に様々な施策を行った。他国からやり過ぎだと忠告されることもある程に、彼らはアモール領に平伏し支援の続行を願った。
ミーティの姉、ティファニアとアウレア王国の王太子ヴィンセントの婚約もそうだ。
国際結婚が盛んなこの大陸に置いて、王太子が自国の貴族令嬢と結婚するのはかなり稀であり、むしろ主従関係の瓦解に繋がる為忌避するものなのだが、2人の婚約はアモール領の独立を阻止し援助を得る為に結ばれた。
だが、これにより王威は完全に失墜し、今やアウレア王国はアモール領の情けで国を存続出来る国家だと全世界に広めたようなものだ。
事情を知らない市民や他国の人間は失望し、貴族達はやるせなさを覚える。
この婚約は必要とされて結ばれた婚約だったが、アモール領の人間以外は誰1人歓迎しない望まれない婚約だった。
しかし、アウレア王国を蝕む飢餓は日に日に深刻さを増していく。
アモール領が支援する今、食べものに困ることはないが、農民や漁民達は職を失い、税が払えず、家を失った。貴族達は税収が無くなり、その生活は困窮し、国王ですら節制を心がけるようになった、
それに対し、アモール領はますます栄えていく。辺境伯自身も領民もこれ以上ないほど豊かになり、どんな身分の人間も宝石やドレスが買えるほどの財産家になった。
貧富の差は広がるばかり、今や職と富を求め、アウレア王国からアモール領に移民するものが絶えず、王国はその人口を大きく減らしていた。
そんな状況の為、誰もがアモール領がアウレア王国に取って代わる日も近いように思えた。
だが、アモール領は辺境伯ながらその地位は既に国王より高いのに、微妙な立場のまま現状を維持するだけだった。
その気になれば独立、もしくは、国王の座を乗っ取ることも出来るだろうに、何の思惑かアモール辺境伯は未だアウレア国王に従属し、無茶な要求もせずアウレア王国を支援し続けている。
誰もが首を傾げ、誰もが不可解に思った。
しかし、アモール辺境伯は沈黙を貫き通し、この歪んだ関係を続けた。
そんな歴史上類を見ない程の歪な情勢の中生まれたのがミーティだった。
アモール辺境伯には3人の子どもがいる。
長男アーサー。
長女ティファニア。
そして、次女ミーティだった。
だが、ミーティが生まれた時には、既に5歳のアーサーはアモール辺境伯の後継者に決定し毎日の後継者教育に忙しくしていたし、3歳のティファニアはヴィンセントと婚約している為か、アモール領よりも王都にいる事が多かった。
その為、幼いミーティは2人の兄姉と幼少期を過ごした記憶は無い。会ったことはないが兄姉がいる。その程度の認識しかなかった。
だが、両親は2人とミーティを比べた。
そして、比べた結果、両親は跡取りでも誰かの妃になるわけでもないミーティを生まれて早々放置した。
ミーティの推論だが、両親はいずれ嫁いで家を出て行くミーティに価値を見い出せなかったのだろう。
だから、ミーティに貴族令嬢らしい最低限のマナーと教育を受けさせるだけで、それ以上のことはせず、サロンや茶会にも連れて行かなかった。
アモール領は今やアウレア王国で一番の領地。たとえミーティが無能でも釣り書は幾らでも来る為、ミーティ本人に手を入れる必要はないと思ったようだった。
だが、そのせいでアモール領でのミーティの立場はとても低かった。
確かにアモール辺境伯の子ども故に何処に行ってもそれなりの扱いをされたが、いずれこの領から居なくなる存在。侍女や侍従も内心では彼女を軽んじていたし、領民も明らかに彼女を舐めていた。その為、彼女の肩身は狭く、特に家族のいる家では居場所がなかった。
ある日、姉ティファニアから嫌われてからは尚更……。
ティファニアは幼少期から儚げな容姿で大人しい性格のミーティとは何もかもが真逆の子どもだった。
誰もを圧倒する美貌の持ち主だった。
しかし、その中身は苛烈にして傲慢。
物心ついた頃から人にかしずかれてきた彼女は自分が世界の中心だと本気で思っている。
欲しいものはたとえそれが既に他人の手に渡っていようと全て手に入れ、だが、飽きたら他人の手に渡る前に壊して捨てた。
自分が不快だと思ったものはそれが国宝だろうが他人の子どもだろうがどんなものでも処分させ、不愉快な仕事をした者はそれが国王の従僕だろうと鞭で罰した。
齢10歳になる頃には彼女は既に国中から恐れられ、疎まれる存在になっていた。
少女の姿をした悪魔。それがティファニアだった。
そんなティファニアとミーティは家族だったが会話すらした事がなく、ティファニアはミーティに対してとにかく無関心で、ミーティの中ではティファニアはよく知らない人のままだった。
だが、とある日から2人の関係は最悪なものになった。
その日、幼いミーティは邸宅の一室で習いたての刺繍を一生懸命していた。
だが、真剣な眼差しでてんとう虫を作っていたそこへ突然、ティファニアがやってきたのだ。
「貴方が私の妹……? これがそうなの?」
その質問は既におかしかった。
お互い殆ど関わらないとはいえ顔を合わせたくらいは幾らでもある。姉であるティファニアがミーティの顔を知らないはずがなく、ミーティは訝しんだ。
「お姉様? どうされました? 何か御用でしょうか?」
「……。そう、お前が私の全てを奪うのね……」
「お姉様?」
「こんな奴のせいでこの私が不幸になるなんて……忌々しいわ……忌々しい!」
ティファニアはうわ言のようにそう言うと、ミーティを指差し、その場にいた侍従達に命じた。
「この女を殺して! 今すぐに!!」
その日、ティファニアはこれ以上ないほどヒステリックにミーティを殺せと何度も叫んだ。
理由は誰にも分からない。
ミーティはただただ恐ろしくなって逃げるしかなかった。逃げている間、背後からずっとティファニアの絶叫と鞭の音が聞こえる。
「役立たず! 何故逃したの!? 早く殺しなさいよ!」
「実の妹? それが何なんのよ! 私の命令が聞けないの!?」
「早く捕まえて! 私の目の前で殺して! でないと安心できない!」
しかし、ティファニアの命令とはいえ主君の子どもを殺す事など侍従達は誰にも出来ず、半狂乱になってミーティを殺せというティファニアをどうにか宥めることしか出来なかった。
それにティファニアは苛立ち、翌日、ティファニアに仕えていた侍従達はティファニアの手により全員処罰された。
すると、ミーティの世話をしていた侍女達も護衛も逃げ出し、ミーティをティファニアに差し出す者も現れた。
ミーティは死を覚悟するしかなかった。
何がティファニアの琴線に触れたか分からないが、今やミーティを守るものは誰もいない。ミーティはティファニアの望み通りに死ぬしかないと思った。
しかし、意外な人物がミーティを救い、ミーティは一命を取り留めた。
その人物は……ずっとミーティを放置していた両親だった。
「ティファニア。何故妹を殺したいんだい?」
「この子が私の人生を台無しにするからですわ!」
「……へぇ、それは本当かい?」
「えぇ、私はこの女狐のせいで貶められて……」
「じゃあ、ティファニアの方が要らないね」
「……えっ」
しかし、両親がミーティを助けたのは愛や情からではなかった。
両親はやはりミーティがよく知る冷たい両親のままだった。そして、それはティファニアにとってもそうだった。
「……お前はそこの妹程度に足を掬われるのだろう? では、お前は妹より無能ということじゃないか。
残念だよ……。無能な子どもは必要ないのに、私達はゴミを王太子妃に推薦してしまったようだ」
父は残念そうにティファニアにそう告げ、母はティファニアを冷たい目で見つめた。
「ティファニア。私達は今後もアモール領を繁栄させていくような有能で素晴らしい子どもしか要らないの。
妹を殺さないと自分の立場も守れないような愚鈍は私達の子どもとは呼べないわ。
特に貴方は、ある程度アモールの威光で黙らせているとはいえ、ただでさえ悪い評判しかないのに……。
今のところ貴方って王太子妃になるくらいしか価値がないのを分かっているのかしら。
これに加えて愚鈍だなんて本当要らない子ね。ヴィンセント殿下の婚約者をミーティに変えようかしら?」
淡々とそう告げ、両親は本気でティファニアを切り捨てようとした。彼らにとってティファニアでさえもその程度の存在だったのだ。
ティファニアは震える足でどうにか思い留ませようと立ち上がって声を上げた。
「あ、あ、あっ……お、お待ちください。ち、違うっ! これは侍従がそうしろって……!」
ティファニアは侍従に罪を擦りつけるしかなかった。
「おや、そうなのかい?」
「まぁ、そうなの?」
誰が見ても苦しい言い訳だったが、予想外なことに両親は彼女の言い訳を信じた……少なくともティファニアにはそう見えた。
「では、侍従がダメだね。直ぐに変えなくては。因みに誰なんだい?」
「そ、そこの男ですわ!」
希望が見えたティファニアは適当に指差した。指差した向こうにいたのは一昨日侍従になったばかりの若い男だった。当然、ティファニアとは面識もない。
「!? 違います! 私では……!」
男は慌てて弁明するが、アモール辺境伯である父はにっこりと男に笑みを浮かべた。
「娘がお前だと言ったんだ。それが正解だよ?」
そう言った瞬間、部屋に血の海が広がる。
ティファニアも、ずっと部屋の隅にいたミーティも青ざめて絶句するしかなかった。
そんな状況だというのに父は笑い母はお茶を啜っていた。
「ティファニア。お前の一言で人が死んだよ。
まぁ、日常的に人を処罰しているお前からすればどうということはないだろうが……次こうやって死ぬのはお前かもしれないね」
「……っ」
そこでようやくティファニアは全く窮地から脱していないことに気づいた。
そんなティファニアに父は顔色一つ変えずに告げた。
「粗相した侍従はともかく身内を殺すことは許さないよ。ティファニア。
君がダメだった時の為のミーティなのだからね。
もし君がまたこんな風に無能を晒したら、君の想像した通り、君の立場も地位も何もかもミーティのものになる。
ミーティに奪われるのを恐れるより、自分の無価値さに絶望しなさい。いいね?」
柔和に、穏やかに告げられたそれはまるで死刑宣告のようだった。
ティファニアは両親の前から逃げ出すように立ち去り、ミーティもまたそれに続くように部屋から出た。
悪寒が止まらない。
ミーティは自分の家の異常さを身をもって理解した。
しかし、ミーティの地獄は始まったばかりだった。
ティファニアは両親に脅されたこともありミーティを殺すようなことはしなくなったが、何が彼女をそうさせるのか過度な嫌がらせを行うようになった。
侍従や侍女を使い、彼女の衣服をハサミで切り刻んだり、食事に腐ったものを混ぜたり……終いには、2階から物を投げつけられることもあった。
ミーティは嫌がらせが始まってすぐ全てティファニアの命令なのが分かった。本人はあれ以来滅多に領地に帰ってこず姿も見せないが、嫌がらせする侍従達が皆、怯えた顔でミーティを見ていたから。もしやらなければ彼らの命はないのだろう。
しかし、このまま嫌がらせを受け続けるわけには行かなかった。
ティファニアの嫌がらせは急激にエスカレートする一方だ。
卸したてのオートクチュールのドレスに毒針が仕込んであった時にミーティは身の危険を感じた。
このままでは何れにしろ死んでしまうと。
だが、とっくの昔にミーティを守る人間は居なくなっている。あの両親も今度はミーティを庇うようなことはしないだろう。
ミーティは自分で自分を守る為、家から逃げる事にした。
とはいえ、本当にこの家から逃げるには何処かの家に嫁がない限り不可能だろう。だから、ミーティはとりあえずの避難先としてアモールの郊外にある全寮制の女子校、聖カトレア女学院に飛び級で入ることにした。
その女学院は将来の女主人を育成する為の学校で、花嫁修行先として大陸でも有名な場所だった。しかし、規律が厳しくその生活は過酷の一言。どんなに高名な貴族令嬢であっても成績不振ならば容赦なく退学させる厳格な学校でもあった。
だが、厳格故に外部からの干渉を一切受け付けない。噂によれば国王さえ手が出せないと言う。逃げるにはうってつけの場所だった。
両親はミーティをティファニアも通っている王都にある男女共学の学校へ入れたがっていたようだが、そんな場所に行けば今よりも酷い生活を送ることになる。ミーティは両親の説得も程々に、逃げるように女学院に入学した。
女学院は確かに何もかも厳しい学校だったが、ミーティからすれば女学院は天国のような場所だった。
ずっと最低限の教育しか受けてこなかったミーティもここでは好きなだけ勉強ができ、家の隅に放置され孤独だったミーティもここでは友人や先生に恵まれ楽しい生活を送れた。
確かにアモール辺境伯の娘ということもあり何人か邪な感情から絡んでくる相手もいたが、あの嫌がらせに比べれば可愛いくらいである。
ティファニアはミーティが女学院に入学してからも、何度か女学院にいるミーティに嫌がらせしようとしたようだが、外界の権力が及ばない女学院では全て失敗に終わったらしい。
それはここはティファニアでも手が出せない場所だと証明されたようなものだ。ミーティは生まれて初めて居場所を得たのだ。
そうして3年。
ミーティが最終学年になってもアモール領は未だ微妙な立場のままだった。
両親が今のアモールをどう思っているのか、どうしようとしているのか、未だに分からない。一方、王家や他の貴族も支援さえ受けられればそれでいいらしく今ところ謎の不作の解明も含め何もしていない。
ただ風の噂で、ティファニアとヴィンセントが結婚したことを知った。
女学院に入学してから、両親や姉兄も含めアモール領の誰1人ミーティに手紙一つ寄越さなかった。だから、身内だというのに知ったのは全て終わった後だ。
義兄だというのにヴィンセントの顔すら知らないし、ティファニアの結婚式がどんなものだったかも分からない。そもそも今家族がどうしているのかも分からない。
一度だけ出した手紙は読まれずに返却されてミーティのもとへ帰ってきた。受け取り拒否されたのではなく、ミーティからの手紙を使用人を含め誰も受け取らず、両親も他を当たってくれと言い、受け取り手がいない為に郵便局員が困ってミーティに返したのだ。
それだけ彼らにとってミーティはどうでもいい存在だった。きっと羽虫より気にする価値もないものだった。
……だから、ミーティは女学院の最上階、アモール領を見下ろすバルコニーで誓った。
「私は、人を優しく出来る人になろう……」
これからミーティの人生がどんな人生になるかは予想できない。
だが、どんなものになるにしろ。ミーティはティファニアのように世界を自分のものだと勘違いしたり、両親のように無能は不要と断じたりしない。全ての人に価値を感じ優しく出来るそんな人に、ミーティはなろうと決めた。
「アモールの娘というのは変えられないけど、私の生き方は自由なはず。私は私よ。私の人生のあり方は私が選択をするの」
そう誓った。
数日後。ミーティの元にミーティとバウルツェン公爵子息の婚約を結んだという両親の手紙が届いた。
ミーティの薄暗い人生を大きく変える瞬間はもうすぐそこまで来ていた。
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