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幕間 レオリオ 7
しおりを挟むそこには今拘束されているはずのティファニアが立っていた。どうやら拘束を振りほどき、ここまでやってきたようだ。
その目的は分からない。
だが、ティファニアは何故か何をすることもなく呆然と立っていた。
降りしきる雨で真っ暗な廊下ではティファニアの表情は見えない。
だが、その声は震えていた。
「私が……下衆……?」
このような陰口を聞いたら、いつもなら怒り狂う彼女だが、今は違った。
彼女は呆然とブツブツと呟いていた。
「何で……私は……アモール辺境伯の娘なのよ。今この国で最も尊ばれるべき女なのよ……なのに、悪魔? クズ? あんな女……?
私の夫になれることは名誉なことじゃない! なのに、何故こんなに言われなくてならないの?
惚れ薬を飲ませた意味もなかったし、これじゃ……」
「ほぅ、惚れ薬ですか?」
ブツブツと呟くティファニアに、レオリオはそっと近づく。
今頃になってティファニアはレオリオに気づき、ハッとなる
「なっ、お前……ヴィンセントの近くでいつもヘコヘコしてるネズミじゃない。
何よ! 悪趣味よ」
「……悪趣味はどちらでしょうか?
惚れ薬とは何ですか? ヴィンセント殿下に何を飲ませたんです?」
「…………」
レオリオは少しずつティファニアに躙り寄っていく。そこに表情はなく、ただただティファニアを見つめる冷たい紅い目があるだけ。
そんなレオリオに対し、自分の身体が震えていることにティファニアは気づいた。
恐怖。そうティファニアは確かに目の前の男に恐怖していたのだ。
「ち、近づかないで! 何よ、いきなり! 私の方が偉いのよ! 私は愛されてるの! 私の願いは何でも叶うの! 私の力ならお前なんて直ぐに処刑できるわ」
「……そうなのでしょうか?」
「……え?」
「貴方は本当に、そうなのでしょうか?
確かに貴方はヴィンセント殿下との結婚が決まり、今、王太子妃になることが確定した。このまま行けば貴方は王妃だ。
ですが、貴方は卑怯な手段でそれを得た……」
ティファニアの目と鼻の先にレオリオがいる。男女にしては近すぎる距離だが、そこに甘い空気は無い。あるのは殺伐とした空気……ティファニアを糾弾し責め立てる断罪の空気だった。
「ひっ……」
ティファニアの喉から小さな悲鳴が上がり、ティファニアは思わず仰け反った。
そんな彼女をレオリオは鼻で笑った。
「1番偉くて、愛されて、何でも叶う……でしたっけ?
気づいていますか?
もしそれが本当なら惚れ薬なんて使わなくて良いんですよ」
「……っ」
「本当は自覚があったのでしょう?
自分が誰にも愛されてないって。
嫌われて、疎まれて、憎まれている。どんなに命令しても、喚いても、誰も好きになってくれない。
だから、惚れ薬に手を出した。そんな卑怯な手段を使ってでしか王太子妃になれなかった」
「……っ」
「でも、話を聞くにそれは惚れ薬ではなくただの強力な媚薬だったようですね。
でなければ、ヴィンセント殿下がああなるはずがないですから……むしろ、薬を使ったことで更に嫌われ恨まれている。
ヴィンセント殿下は滅多に人の悪口なんて言わないのですよ?
それが悪魔、クズ、下衆と……。
貴方はもう二度と殿下からは愛されない」
「うるさいっ!」
その瞬間、ティファニアはレオリオの頬を叩いた。
廊下にティファニアの絶叫とレオリオが廊下に倒れる音が響く。
レオリオが床から彼女を見上げると、ティファニアは手を震わせ肩を激しく上下させながら、レオリオを睨みつけていた。そして、必死に叫んだ。
「侍女のせいよ! アイツが市井で話題になってるっていう惚れ薬を廊下で他の侍女に自慢してたから! 気になるあの人と両思いになれる薬だって言っていたから! だから、私は……!
そう、全部あの侍女のせい! 私じゃない! あの侍女が私を謀ったの!そうよ!全部アイツのせい!
私が愛されないのも、私が避けられているのも、私を皆が大事にしないのも全部! 全部! アイツのせいなの!
私は何も悪くない!!」
そこまで叫んでティファニアはハッとした。
今まで暗かった廊下がいつの間にか明るい。だが、雨はずっと続いている。何処からか光が差しているのだ。
顔を向ける。光ある方へ。
そうして自分から伸びる長い影の反対側を見た時、ティファニアは青ざめた。
玉座の間の扉が開いている。
そしてその入り口には、よりによってヴィンセントが立っていた。
そして、そのヴィンセントは、ティファニアを無表情にただただ見ていた。だが、彼の青い目には煮え滾るような怒りと憎しみが渦巻いていた。
ティファニアはもう呼吸すらできない。ただはくはくと口を戦慄かせることだけしか出来なかった。そんな彼女をヴィンセントは睨みつけた。
「……そう、お前悪くないんだ?」
「……っ」
「俺の侍女を脅して、俺の紅茶に薬を入れて、薬が回って正気を失った俺をお前は無理やり襲ったのに、お前は悪くないんだ?」
「ちょっ、そんな言い方! 貴方だって盛り上がって……」
「本当にそうだったと思うなら、お前の目はガラス玉か何かか?」
「え?」
呆然となるティファニア。まるで本気でそう思っていたかのような素振りだ。そんなティファニアをヴィンセントは嫌悪した。
「本当、頭おかしいよな、お前」
「は、は? 私を侮辱するの?
ヴィンセント! これ以上私の怒りを買うなら、父に……!」
「言えばいいさ」
「……えっ」
いつもなら支援の事を持ち出せば、ヴィンセントは引き下がった。頭を下げもしたし、ご機嫌取りもしてくれた。ティファニアにとってアモール領の支援はヴィンセントを動かす魔法の呪文だった。
だが、今はただただ冷たい目を向けられるだけ。それにティファニアは愕然となる。
「ヴィンセント……?」
「そうやってずっと喚いていればいい。そしたら誰かしらお前の言う事を聞くさ。
俺はもう御免だが」
「……え、えっ?」
はっきりと拒絶され、ティファニアは驚愕し、思わず引き止めるようにヴィンセントに手を伸ばす。
しかし、その手は叩き落とされた。
「っ!!」
ヴィンセントに初めて手を上げられ、ティファニアは呆然となる。
そして、ヴィンセントは、自分の事は棚に上げ周りの人間に責任転嫁ばかりする身勝手なその卑しい女に、吐き捨てた。
「結婚はしてやる。王太子妃になりたかったんだろう? 良かったな、なれて。
だが、それ以上何を望んでも叶うと思うなよ?
特に夫婦らしいこと全てな」
「なっ、ど、どういうことよ!? 私達は幼い頃から結ばれた婚約者で……貴方が私を愛するのは当然で……! 」
「へぇ、そうなんだ……。
……今の俺がお前に思っていることは、お前なんて地獄に落ちればいい、それだけだよ」
「っ!」
あまりの言葉にティファニアはショックを受け、半ば倒れるように床に座り込んでしまう。
そんなティファニアを尻目に、ヴィンセントは未だ床に倒れていたレオリオに手を差し出した。
その手をレオリオは取り立ち上がる。その時、レオリオはちらりと玉座の間の方を見た。
扉の向こうでは王妃や側近達が打ちひしがれた様子で俯いている。レオリオは先程ティファニアにそうしたようにヴィンセントが彼らも突き放したのだと察した。
それと同時に、ヴィンセントがレオリオに耳打ちしてきた。
「……なぁ、俺は間違ってないよな?」
その問いにレオリオは一瞬、逡巡したが、直ぐに答えた。
「えぇ、間違ってませんよ」
そう答えると、ヴィンセントはレオリオだけに分かるよう微笑んだ。
「お前、良い奴だったんだな。ずっと無表情で近寄り難い印象だったが、お前が側近で良かったよ」
その微笑みに、その言葉に、レオリオは似たような微笑みで返事した。だが、その内心では。
(本当に調子のいい奴……)
そうヴィンセントを唾棄した。
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