上 下
71 / 634
第六章 一日一夜物語

6

しおりを挟む
ローブ姿のあの男の人が手に持つ鞭を
地面に打ち付けてから、
私の目の前では非現実的で凄惨な光景が
繰り広げられていた。

「醜い顔だ」

そう言ったその人が優雅な手付きで
鞭を一振りすると、何人かの人達の
顔面の皮がずるりとその場に
剥がれ落ちた。
当然鼻も削げてしまっている。

思わずヒュッと息を飲んだ。
遠目に見てもその人達の顔は真っ赤だ。
あれは血なのかそれとも顔の肉が
露出してしまっているのか。
思わず理科室の人体模型を思い出した。

「全く持って美しくない」

ため息をついてローブを被り直した
その人は、鞭を片手にくるりと
舞うようにその場で回ると、
近くにいた数人の首に瞬く間に
その鞭がまとめて巻き付いていた。

細身にみえるその体の一体どこに
そんな力があるのか、そのままグンと
頭上に鞭を振り上げれば
その人達は全員、ローブ姿の人の
頭上高くに集められ、鞭を引き絞れば
その人達の首が落ちて来て
文字通り血の雨が降った。

ビシャビシャビシャッ、という
今までに聞いたことのない重い水音と
首の落ちてくる鈍い音がして、
あっという間に辺りには
鉄錆びみたいな血の匂いが充満する。

男の人のローブはその血を浴びて
真っ赤に染まってしまっていた。

あちこちに転がっている人の首と、
鼻の削げた自分の顔に手をやり
転がって呻いている人達。

そしてそんな光景を目の当たりにし、
腰を抜かして這ってでも
逃げようとする人達と。

あんまりな光景に、きっと私の脳も
処理能力の限界を越えたんだと思う。

まるで映画を見ているみたいに
現実感がなく、
おじさんに抱えられたまま
ぼんやりとその様子を
眺めてしまっていた。

「さあ、次は誰かな」

ぐるりと辺りを見回したその人は
血濡れて重くなったローブを
邪魔だと言わんばかりに
ばさりと乱暴に脱ぎ捨てた。

現れたほっそりとしなやかに
引き締まった体躯には
黒い制服のようなものを
身に纏っている。

あれ?あの服装はもしかして。

「・・・騎士団のひと?」

その人はそんな私の呟きを
聞き逃さなかった。

頬についた血飛沫を拭いもせずに
にこりと微笑み、滴るような色気を
滲ませながら私の目を見つめた。

「そうですよ、かわいいお嬢さん。
我が隊員から聞いている特徴に
間違いがなければ、あなたは
オレの大切な部下デレクの怪我を
治してくれた方と認識して
よろしいでしょうか?」

「デレク・・さん。
あ!あの右膝を怪我していた?」

騎士団で迷子になった時に
出会ったあの人のことだろうか。

オレの大切な部下って言った。
てことはこの人は。

「キリウ小隊の人・・・」

「はい、キリウ小隊隊長の
シェラザード・イル・ザハリと申します。
ではやはりあなたが、例のお方ですね。
ようやくそのお姿を直接目にすることが
できて光栄の極み、
心より尊崇と欽慕を申し上げます。」

そ、そんすうときんぼ?
初めて言われた。
崇め奉る的な意味だよね確か。

この人攫いのおじさんの前では
さすがに私のことを癒し子だと
言うわけにもいかずあえて
例の方、と口にしてくれたみたいだ。

キリウ小隊の隊長さんだと言う
その人は、左手を後ろ手に回し
鞭を持つ手を胸に当てて
綺麗に腰を折ったお辞儀をしてくれた。

優雅なその所作はまるでお姫様に
ダンスでも申し込んでいるみたいな
美しさだったけど、
残念ながら周りは血の海で男の人達の
呻き声で溢れている。

ダンス会場とはまるでかけ離れた
恐ろしい惨殺現場だ。

シャル・ウィ・ダンスよりも
じっちゃんの名にかけてと言われる方が
よっぽどしっくりくる。

と、その時隊長さん・・・
シェラザードさんはお辞儀をしたまま
チラリと自分の斜め上を見上げると
失礼致します、と言い残して駆け出し
隣接する建物同士の壁をリズミカルに
タン、タン、タンと蹴り上げて登ると
屋根の上に瞬時に躍り出た。

宙空に浮かんだまま身体を捻り、
鞭を持つ手を大きく振り上げれば
その鞭の長さは辺り一帯に
大きく拡がり屋根の上を
撫でるように数回動く。

どさどさっ、と何か重い物が
倒れたような音がしたから
どうやら屋根の上にいて逃げ出そうと
していたおじさんの手下の人達を
一掃したらしい。

屋根の上は物音一つしなくなった。

今、鞭の長さが明らかに変わった。
てことはあれは魔道具なんだ。

目を丸くして驚いていたら
おじさんがクソッ、と吐き捨てると
私を放り出して逃げ出した。

どうやらこのとんでもない惨状に、
自分の命が大事だと理解したらしい。

地面に叩きつけられるように
落ちてしまったけど、良かった。
解放されないよりはずっとましだ。

ほっとしていたら目の前に影が落ちた。

シェラザードさんだ。
前髪に隠れて表情は見えないけれど、
私をじいっと見降ろすその瞳だけは
鮮やかな金色に煌々と輝いている。

その左目の下には泣きぼくろがあって、
それがまたシェラザードさんの
ただならぬ色気を押し上げていた。

しなやかな体躯に真っ黒な服装で、
その金色の瞳で射抜かれるように
見つめられるとまるで黒豹が
私の目の前に佇んでいるみたいだ。

「・・・この世界のあまねく
全ての者に敬慕されるべきあなたに
対してこの仕打ち。醜い者のする事は
全く持って理解できないな。
心の底から性根が腐って
生まれ出たとのだとしか言い様がない。
そのような輩、もはやこの世に
その姿形の一片すら残しておくことも
オレには耐えられそうにない。」

低い声でそう言うと片手を上げた。
鞭はいつの間にかしまっている。

そのかざした手に、青白い光が
集まり始めていた。

光は丸い球体になって、
白く眩しい光を放ち始める。

するとシェラザードさんは
集めた光の玉をその手でぐっと
握り潰した。

握ったその手から溢れて漏れ出た
青白い光は、
その場に転がって呻いている人達や
屋根の上の倒れた人達、
首と胴体が泣き別れになっている遺体、
・・・そして走って逃げ出した
おじさん目掛けて飛び出した。

光が当たった瞬間、轟々とその場に
青白い炎柱が立ちみんなその炎に
包まれて声もなく燃えている。

ヒエッ、何これ⁉︎

今日何度目の驚きなのか、私は
一声も上げられずに人が燃えている
目の前の光景に茫然としていた。

青白いその炎はとてもまばゆく、
ずっと見つめていられそうな
美しさだった。
・・・人さえ燃えていなければ、だけど。

炎はやがて静かに消えると、
その場には何も残っていない。

本当に、なんにもない。
まるで最初からここには私と
シェラザードさんしか
いなかったみたいだ。

・・・人の焼け焦げた匂いとか
さっきまで漂っていた鉄錆みたいな
血の匂い、惨殺現場のその痕跡すら
何も残っていなかった。

「醜い者どもがこの世から消えてくれて
清々しい気分です。さあ、ユーリ様。
僭越ながらこのオレが王宮まで
お連れいたします。・・・と、」

艶やかな微笑みを綺麗な顔に乗せて
嬉しそうにそう言った
シェラザードさんが、
何かに気付いたように空を見上げた。

「今頃来たのか。」

そう呟いたシェラザードさんと
私の間に、音もなく大きな影が
降り立つとまるで私を庇うように
立ち塞がった。

「レジナスさん‼︎」

見覚えのあるその背中は、
さっきまで必死に心の中で
助けを求めたその人だった。

思わずぎゅっと縋りつく。

レジナスさんはそんな私を
安心させるように胸に抱き寄せると
腕の中に囲い込んでくれた。

「シェラ、これは一体どういう事だ。
まさかユーリを前にしてお前はいつもの
あの非道な戦い方をしたのか⁉︎」

今までに聞いたことのない、
怒気を孕んだレジナスさんの
その低い声に私は身を固くする。

えぇっ、あの血まみれの戦い方が
平常運転なんだ。
なんて精神衛生上よろしくない
戦い方をする人なんだろう。
私が本当の女児だったらトラウマ物だ。
そりゃレジナスさんも怒るよ。

シェラザードさんはそんな怒れる
レジナスさんに対して飄々としていた。

「相も変わらず魔物も真っ青の
恐ろしい顔をしていますね。
来るのが遅いんですよ、あなたは。
オレがいなければ今頃ユーリ様は
二度と手の届かない所へ連れて
行かれるところだったと言うのに、
戦い方を選んでいる場合が
あったとでも?
感謝こそされてもそのような顔で
睨まれる覚えはありません。」

そう言われてはレジナスさんも
何か思うところがあったらしい。

何か文句を言いかけたけど
ぐっとそれを飲み込むと、
渋々といった感じで
別の言葉を探して言った。

「・・・分かっている。ユーリを
助けてくれたことには礼を言おう。
いち早く窃盗団に気付いて見つけ出し
対処してくれたのも助かった。
だがこれは・・・皆殺しか?」

それに対してシェラザードさんは
満足そうに頷いた。

「その素直なところはあなたの
美徳だと思います。歳下で若輩者の
オレに対しても公平に接するその姿は
賞賛に値する高潔さですね。
ありがとうございます、
あなたのそういう美しい姿勢は
好きですよ。
ちなみにあなたの問いに対する答えは
見ての通りです。
あの醜い輩どもがこの世に存在した
証を残すなどあり得ません。」

やはりダメだったか・・・。
レジナスさんのため息が聞こえた。

それに対してシェラザードさんは
小首を傾げた。紫色の髪の毛が
さらさらと流れる。

「生きた者どもをお望みで?
であればおそらく、一緒に連れてきた
隊員の誰かが他の場所で
確保しているかもしれませんが。」

「今後の為にも情報が欲しい。
最低1人は生きたまま連れて来てくれ」

「仕方ありませんね。
ではちょっと行ってきます。
・・・ああ、ユーリ様。」

レジナスさんと会話をしていた
シェラザードさんが
ふと思い出したように
私に話しかけてきた。

「恐ろしい思いをさせてしまい、
申し訳ありませんでした。
どうかお許し下さい。
あなたはオレの大事な部下の人生と、
生涯を賭けた夢を守り救って下さった。
その崇高な行いと他者へ対する
思いやりはこの世の何よりも美しい。
また、この騒ぎの中において
悪党の隠された姿を看破された
その智慧と聡明さにも心よりの賞賛を。
また日を改めてお会い致しましょう、
オレの女神。」

そう言って私のスカートの裾を取ると
そっと口付け、あっという間に
闇の中に溶け込んで消えてしまった。

言うことがいちいち大袈裟だ。
それに私を買い被り過ぎている。

デレクさんを助けたのは、あの人が
見るからに悲しんで困っていたからだ。
そして私にはそれをどうにか出来る
力があった。

それなら、私じゃなくても
誰だってそうするはずだ。

それに悪党の姿を見破るも何も
うかうかとその悪党の手を取って
走っていたのは私だ。

気付いた時にはもうどうやっても
逃げられなかったし。

レジナスさんの懐に抱きついたまま、
そう思っていたら今更ながらに
じわじわと恐怖がぶり返して来た。

あの時シェラザードさんが現れて
助けてくれて本当に良かった。

でなければ、彼が言っていたように
もう二度と皆に会えなくなる
ところだった。

抱きついているレジナスさんが温かい。
その体温を感じて、ようやく助かったと
いう実感が湧いて来た。

ついさっきまでの恐怖と
助かったという安心感が私の中で
ないまぜになって、
胸の内から込み上げて来るものがある。

あっ、これやばい。

そう思った時にはもう、私の目には
みるみる涙が溢れ出て来た。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

ただ、あなただけを愛している

恋愛 / 完結 24h.ポイント:2,477pt お気に入り:259

隠れジョブ【自然の支配者】で脱ボッチな異世界生活

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:617pt お気に入り:4,044

【長編版】婚約破棄と言いますが、あなたとの婚約は解消済みです

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:3,961pt お気に入り:2,189

乗っ取られた令嬢 ~私は悪役令嬢?!~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,796pt お気に入り:115

隻腕令嬢の初恋

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,995pt お気に入り:101

処理中です...