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第六章 一日一夜物語

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市民街で起きたという火事の煙を
目印に、俺はひたすら建物の
屋根の上を走り続けていた。

もう少しで現場に着くというその時、
火災現場とはまるで正反対の方向から
青白い炎の柱がいくつも
立ち上がったのを目の端に捉えた。

・・・あれは。

方向転換をして急いでその炎の元へと
向かう。
あの炎柱は、シェラの使う魔法だ。

あれを使うということは、
よほどあいつの腹に据えかねた事態が
起きたと言うことだ。
まずい。あれを使われると盗人どころか
その犯行の痕跡すら何も残らない。

この先の窃盗対策を練るどころか
今回の犯罪の立証自体が
出来なくなってしまうではないか。

走りながらその青白い炎の柱の数を
確かめるが、全部で38はある。
あれが全て窃盗団だとすれば随分と
大量に王都へ入り込んでいたものだ。

しかしそいつらを全て消されて
しまってはこちらも困る。

王都で火の手が上がってから
この青白い炎が立ち昇るまでは、
そんなに時間は経っていない。

さすがのシェラでもこんな短時間で
ここまでキレることは稀だ。

一体何があってあいつはそこまで
機嫌を損ねたのか。

そう思って現場に辿り着いた時だった。

シェラの目の前に、ユーリがぺたりと
座り込んでいるのが見えた。

窃盗団との戦いの痕跡は綺麗に
消え失せていたがほんのわずか、
辺りにはまだ真新しい血の匂いが
漂っている。
ユーリに向かって艶然と微笑んでいる
シェラの頬にも血飛沫が飛んでいた。

ーあいつ、まさかユーリの目の前で
いつものあの血まみれの戦い方を
繰り広げたのか⁉︎

小さな少女にあいつの戦い方は
刺激が強過ぎる。

ーレジナスさん!
ユーリを庇うように2人の間に
割って入ると、よほど恐ろしい目に
遭ったのかユーリは俺の名を呼びながら
飛び付いて来た。

かわいそうに。
周りの景色から守るようにユーリを
抱き寄せながら怒りに任せて
シェラに文句を言えば、
俺が遅いのが悪いとでも言うような
口ぶりで反論された。

・・・あいつの言い分も理解はできる。
だが、皆殺しはないだろう⁉︎

そう思ってため息をつくと、
仕方なさそうに生きてる奴を
探してくると言ってあいつは消えた。

それはいい。
それはいいが、この場を去る時に
あいつはユーリに対してやけに
熱心に美辞麗句を重ねていた。

挙げ句の果てに、オレの女神とまで
言い放って消えた。

何があいつの琴線に触れてユーリが
そこまで心酔されることになったのか
分からないが、今後が心配だ。
付きまといにあうんじゃないだろうか。

そう思って懐のユーリを抱きしめていた
その時、突然ユーリが泣き出した。

あの美しい黒い瞳にみるみる涙が
盛り上がってきて、
しゃくり上げるようにポロポロと
その涙を流す。

やはりあの小さな体には色々と
刺激が強過ぎたのだ。

ユーリは自分でもその感情を
制御できないらしく、
ごめんなさい、止まらないんですと
言いながら泣き続けた。

考えてみたらユーリに初めて
出会ってから、いまの今まで
彼女が泣く姿を見た記憶がない。

潤んだ瞳で涙を流し続けるその姿は
それはそれで美しかったが、
それ以上に見ているこちらの
胸が痛んだ。

頼むから泣き止んでくれ。
そう思って懸命に慰めたが、
まるで効果がない。

ぽろぽろと、真珠のような涙が
いくつもいくつもその瞳から
転がり出てきて止まらない。

それを見ていたら、なぜか自然と
吸い寄せられるようにその頬に
顔を寄せてその涙を吸い取っていた。

そんなことをしても泣き止む訳でも
あるまいに。

だがこの時の俺はなんとかユーリを
泣き止ませようと必死で、その行為の
恥ずかしさに全く気付いていなかった。

・・・後日、この時のことを
思い出した時、俺は一体何を
バカな事をしてしまったのかと
恥ずかしさのあまり
また枕に顔を埋めてしまう羽目に
なったのは自業自得だろう。

何を言っても、どうしても
泣き止まないユーリを前に
俺は途方に暮れて参ってしまい、
ユーリの額にオレの額を寄せたまま
何も言えなくなってしまった。

そうするとその場にはユーリの
しゃくり上げる小さな声が
響くだけになった。

俺の額にユーリの体温が伝わってくる。
泣いている興奮のせいか、
少し熱っぽいその体温を感じていたら
ユーリがここにいるという実感が
ようやく湧いてきて、
それに安堵する自分がいた。

泣きながらユーリは、
俺に会えて良かった。もう二度と
会えないかも知れないと思ったと
言ってくれたが、
それは俺だって同じだ。

俺の方こそもう二度とユーリに
会えなくなるかと思ったら怖かった。

そう呟いたら、それを聞いたユーリが
なぜか笑った。

どうやら俺がそんな風に感じていたとは
夢にも思わなかったらしい。

変なの、とこちらの気も知らずに
笑う彼女に笑いごとなどではないと
思った。

・・・そう。笑いごとなものか。
俺にとって、ユーリはこの世で
一番大切な存在だ。
それが消えてしまったら俺は一体、
どうすればいい?好きな相手・・・
愛する者がある日突然消えてしまって
二度と会えないなど、それはその先、
生きている意味があるのか?

そんな苦しい目に遭うくらいなら、
いっそ死んだほうがましではないのか。

そういたら、なぜかユーリが
驚いたような顔で俺に何かを
話しかけてきていた。

いつの間にか泣きやみ
涙に濡れた瞳を瞬かせながら
頬を朱に染め、
不思議そうにこちらを見ている。

泣き止んで良かったと頭を撫でたが、
ユーリはそれでもまだ何か
言いたげな顔をしていた。

赤くなった頬をその小さな両手で挟み、
チラチラ俺を見てくるから
どうした?と聞いてみれば一瞬
言葉に詰まったあとに、

『レジナスさんのばかっ、
レジナスさんはずるいですっ』

と叫ばれてしまった。
その顔は耳まで真っ赤で、
ようやく泣き止んだと思ったら
今度はなぜか怒り出している。

一体どうしたと言うのか。
もしかして腹でも減って
気が立っているのだろうか?

そういえばもう夜になっている。
この騒ぎで何も口にしていないのでは?

心配になって抱き上げ、
食事について話してみれば
そういうことじゃないと言われた。

じゃあ何だ、と思ったが
当のユーリもうまく言葉に出来ず
説明できないようだった。

そうこうしていると、ふとユーリが
何かに気付いたように真剣な顔で
あの騒ぎで怪我人は出ていないのかと
聞いてきた。

どうやら癒しの力を使って
怪我人を助けたいらしい。

シェラの繰り広げただろう
壮絶な戦いを目の当たりにして
精神的なショックを受けている上に、
空腹の状態で力を使って平気なのか?

そう思うと心配でたまらなかったが、
ユーリは自分の今の状態など
おかまいなしに、躊躇することなく
力を使った。

イリューディア神に与えられたその力が
助けになると思えば、一切の迷いなく
全力を出してそれを行使する。

ユーリはいつも、与えられた自分の
使命に真摯に向き合い、傷付き悲しむ
誰かの為に手を伸ばす。

リオン様の時もそうだったが、
今もそうだ。

だからだろうか。そんなユーリの
祈りと行いに応えるかのように、
俺の目の前には今までに見たことのない
壮大な光景が広がった。

ユーリの中から広がった明るい光が
周囲を満たして消えると同時に、
リオン様を癒した時と同じ
あの金色の光の粒が空から降り注ぐ。

その規模は王都全体を覆い尽くすかの
ようで、夜だと言うのにまるで
昼間のように明るく街を照らした。

さらに気付けば、いつの間にか
その光の粒と一緒に白い花も
ふわふわと舞い降りて来ている。

あの花の形には見覚えがある。
リンゴの花だ。なぜだろう?

不思議に思いながらも、
その夢のように美しい光景から
目が離せない。

俺たちのいる塔の下からも
歓声が聞こえてくる。

誰かが、これが癒し子様の力なのかと
言っているのも耳に入ってきた。

恐らく火傷の治療に当たっていた
魔導士にでもこの不思議な現象に
ついて教わったのだろう。

リオン様は神殿と相談の上、
然るべきタイミングで召喚された
ユーリのことを国民に説明する
つもりでいたのだが、
まさかこんな形で多くの民に
召喚された癒し子のことを
知られるとは思わなかった。

これは大変なことになるのでは
ないのだろうか。
かわいそうだが当分の間は、
ユーリも街歩きどころでは
なくなるだろう。

王都を照らす金色の帳を見ながら
そう思っていたら、
ユーリの慌てたような声がした。

そちらを見ると、足から力が抜けて
へたり込んでいるユーリがいた。

・・・魔力切れか!

急いで抱き上げ、状態を確かめる。

顔色は悪くないし、話す言葉や
内容もしっかりしている。
本人も具合が悪そうなところはない。

ただ、ものすごく眠いのだと言って
目をパチパチと瞬いて必死で
睡魔と闘っているようだった。

心配しないでくれと俺に言い、
何とか頑張って会話を続けていたが
やがてあの長く烟るようなまつ毛が
ゆっくりと降りてくると、
ユーリは少しだけ眠らせて。と呟いて
その美しい瞳を完全に閉じてしまった。

その後は俺の服を握りしめたまま
すうすうと小さな寝息をたてて
眠るばかりだ。
その目尻は、さっきまで大泣きしていた
名残なのかわずかに赤くなっている。

これだけ大きな力を使ったのだ、
ゆっくり休んで欲しい。

おやすみ、ユーリ。

そう呟いてその白くなめらかな額に
そっと口付けた。

・・・気持ち良さげに
眠るユーリが目覚めるのは
それから実に3日後のことで、

まさかそんなにも長い間
眠り続けるとは思わなかった
俺やリオン様はその間
ひどく気を揉むことになる。

しかしこの時の俺は
そんな事になるとは露知らず
金色の粒子と白い花が舞い落ちる中、
ただただユーリにゆっくり休んで
欲しいと思っていたのだった。



























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