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第十章 酒とナミダと男と女

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ダーヴィゼルドに新しく出来たグノーデル神の
聖地を確認しに行こうと自領を出立すると、一体
どこでそれを嗅ぎつけたのか陛下に王都へ寄るよう
命じられた。時間が惜しいと思いながら王都へ行けば
偶然にも弟のアントンまでそこにはいるではないか。

そうして始まった飲み会では私以外の3人で、自分と
癒し子ユーリ様との交流自慢が始まり、その合間で
片手間にヨナス神の力への対策会議となった。

それにしても、本来ならば誰よりも召喚者に近しく
親しい間柄であるはずのユールヴァルト家を
差し置いて癒し子の自慢話を聞かされるのは
耐えられない。

そう思い、私もユーリ様と親しく交流を持ち
ユールヴァルト家へユーリ様を招待することが
出来ないかと考えたが、ナジムートにそれを
阻止された。一体何なのだ、保護同盟と
いうのは。癒し子は希少動物か何かか?

仕方がないのでそれに付き合い、やれ食事は
食べさせるな、抱き締めるな、縦抱きをするのは
一度の面会につき一回だけだなどとあれこれ
うるさい約束事を結ばされた。

アントンだけは子供がいないので我が子の代わりに
ある程度ユーリ様に甘く接するのを許され、本人は
いたく満足気だったが。

・・・まあいくらユーリ様が愛らしかろうと
ナジムートの言うことはいつも大袈裟だ。
アントンもまるで自分の娘かのように可愛がって
いるようだから、ユーリ様の話になるとつい熱が
こもるのも理解できる。

そう、実際ユーリ様に会うまでは召喚者と我々の
違いなど大したことはないと軽く考えていた。

それが間違いだとはっきり理解したのは、実際に
ユーリ様へ目通りした時だった。

リオン殿下の膝の上にちょこんと腰掛けこちらを
見つめている黒髪の少女は一見すると美しいが
ただの子供に見える。

しかし魔法を扱う者ならばすぐに分かるだろう、
その身の内に計り知れないほど多くの魔力を
内包しているのを感じる。リオン殿下の服を掴む
手に僅かに力を込めたらしく、少しその手を
動かしただけで大気に漂う精霊なのだろうか?
空気が揺らめいた。その意に従い力を行使しようと
でもしているようだ。

その仕草になんの意図もないために精霊は何も
しないが、ここでユーリ様が何らかの意思を持って
力を使おうとすれば待ってましたとばかりに
精霊達は喜んで力を貸すだろう。

なるほどこれでは酔って力を制御できなくなれば
何が起きるか分からない。

戯れに山をまるごと覆い尽くすだけの雷を落とすのも
王都全域に癒しの力を使うのも造作もないだろう。

そしてその大きな力を使ってもその反動で
傷付くことがない強い体も持っている。

確か王都を癒す力を使った後のユーリ様は三日ほど
眠り続けただけでその他は何も悪いところは
なかったという。

普通ならあり得ないことだが、あの勇者様もその体は
頑強で無尽蔵の体力を持ち、三日三晩に渡って
悪竜とも対峙したと我が祖先より伝わっている。

それを考え合わせると、召喚者が神より賜わるのは
その並外れた魔力だけではなく、体自体にも神の
祝福を与えられ、違う作りをしているのでは
ないだろうか。

目の前の少女はただひたすら愛らしく見えるだけだが
侮ってはいけない。

そう思ってもう一度じっと観察するように見つめる。

長い黒髪に揃いの黒い瞳。確かセディは手紙で
その容姿を褒め称える中、瞳に特徴があるのだと
言っていた。普通の人間と違い、複雑な深い色味の
中に見える金色がとても美しいのだと。

残念ながら殿下の膝の上に座っているこの距離では
まだそれは確かめられないが。

と、見つめていた私に緊張したのかユーリ様の顔が
僅かに強張っているのに気付いた。

まるで野良の仔猫が人間を警戒するように用心深く
殿下に掴まりながらこちらを伺っている。

・・・怖がらせたか。そう思い、ふいと視線を外して
殿下に挨拶をすれば、殿下はこれ幸いとユーリ様が
自分のものであることを主張するかのようにその
小さな白い手に口付けた。

これだから王家は。
そして、あの親にしてこの子ありだ。

酔ったナジムートにユーリ様自慢を延々聞かされた
昨晩のことを思い出し、少しばかり苛ついた。

そのままユーリ様に向き直り、ユーリ様を必要と
しているのは王家だけではなくユールヴァルト家も
そうなのだという意図も込めてこれからも息子を
含め我々にも目をかけてくれるよう挨拶をすれば、
ユーリ様は明るい笑顔を見せて我が家の不肖の
息子に世話になっていると言ってくれ、見舞いの
品々についても礼を述べられた。

・・・ふむ、この様子からするとどうやらあの
変わり者の息子にも呆れることなく親しく
付き合ってくれているらしい。

セディの手紙にもあったが、二人は仲良さげに
星の砂に加護の力を使い、それに加工をしていた
という。

二人分の魔力を混ぜて一つのものを作るには
相手と魔力の受け渡しをするためにも心から
信頼しあい、互いの魔力の相性が良くなければ
ならない。ましてや、今まで誰ともそんな事を
しなかったあの息子が誰かと共同で魔力操作を
するなどなかなかない。

それを考えればユーリ様を我が家に迎え入れる
望みはまだ充分ある。

そんな事を考えていたら、突然しゃがみ込んだ
アントンが、ユーリ様へ抱き上げようとする姿勢を
取りながら話しかけていた。

・・・お前はよくなんの躊躇もなくリオン殿下の
前でそんな事が出来るな。

我が弟ながらその図々しさ・・・胆力に呆れたが、
リオン殿下に目配せしたユーリ様は軽い足音を
響かせてアントンの元へと駆け寄った。

その様子は餌に釣られた野良猫が喜んで駆け寄って
来るような、無防備な愛らしさがあった。
ないはずの猫の尻尾が見える。それをピンと立てて
震わせながら駆け寄ってくるようだった。

それにしても身長のわりに足音が軽い。少し体重が
軽く痩せすぎではないか?そう思えば、抱き上げた
アントンも同じようなことを言う。

それに対してユーリ様はこれでも食べている方だ、
先日は騎士団の野営訓練を見学したと近況報告を
して二人で盛り上がっている。私だけが蚊帳の外だ。
率直に言って羨ましい。

あまりにも楽しそうにしているので、私の存在を
忘れられているのではと思い咳払いをすれば、
そこで慌ててアントンが私にユーリ様を手渡して
きた。・・・やはりユーリ様に夢中になって
忘れていたな。

子供を抱き上げるなど、実の息子のシグウェルが
幼い時ににすらしたことがないのでやや緊張したが、
怖がらせないようなるべく優しく腕の中に座らせる。

突然の出来事に面食らい、なぜ手渡されたのだろう?
とユーリ様は不思議そうにアントンを見つめている。

その姿を見降ろして観察する。私の腕の中へと
手渡され、戸惑いながらも初めましてとその
小さな頭を下げて恥ずかしそうに挨拶をしてくれた
白い頬はほのかに赤く染まり、黒髪が絹糸のように
さらさらと流れた。腕の中から落ちないようにと
しっかりと私に掴まる手もまだまだ小さい。

この世界に来た当初よりも少し成長したと言うが、
年頃の少女らしい美しさもありつつ幼さもまだ
感じさせ、接する相手の庇護欲をくすぐる。

なるほどこれはユーリ様というよりもユーリちゃんと
呼ばれても違和感はない。ナジムートがそう呼んで
いるのを聞くのは業腹ごうはらだが。

そう思っていたら、私は自然とその呼び方を
口に出していたらしい。ユーリ様がふいに私を
見上げてきた。

パチパチと瞬きをして見つめられれば、その瞬きを
するごとに瞳の中の紫紺色が濃さを変え金色が
火花を散らすように煌めいている。

セディの言ったように本当に不思議な瞳の色だった。

そこでやっと、ナジムートと交渉して取り付けた
ユーリ様への挨拶がまだだった事に気付いた。
頬への口付けと縦抱き。

それがあの自分本位な男ととりあえず交わした
約束事だった。ユーリ様も、最初の緊張感が
取れたのかこの上なく無邪気で愛らしい笑顔を
見せてくれた。可愛らしいその様子に、自然と
こちらの顔も緩んで頬へと口付け挨拶を述べれば
ユーリ様は赤くなっている。

なんとまあ素直で愛らしいことか。

こんなにも素直であれば、数日共に過ごして我が
ユールヴァルト家と召喚者の尊い繋がりをとくと
聞かせれば、気が変わりユールヴァルト家へ入って
くれるのではないか?

ナジムートの勢いと口車に乗せられてくだらぬ
同盟とやらにサインをしてしまったのが悔やまれる。

同盟など知らぬふりをして、とりあえずこれから
ユーリ様も一緒にダーヴィゼルドへ連れて
行けないものか。

長い道中、色々と話せばこちらに絆されて
もしかするとダーヴィゼルドから直接ユールヴァルト
へと招けるかも知れない。

そんな事を考えていたら、不穏な気配を察知した
アントンに止められてしまった。

・・・お前こそ誰よりも我が一族にユーリ様を
迎えたがっていたはずではないか?ユーリ様を
養女に迎えられずお義父さまと呼ばれるのが
叶わないなら、せめて本家へ迎え入れておじ様と
呼ばれたいなどという世迷言を夢見るように
吐いていたのはどこのどいつだ。

そう思って冷たく見やれば、分かっておりますと
頷きつつ、私が動けば陛下が口出しをしてきて
ユールヴァルト家にユーリ様が入る目が万に一つも
なくなると暗に言われた。

一理ある。あの男はへらへらと人の油断を誘いながら
心の内ではいつでもこちらの隙を伺っているのだ。

仕方ない、ここは一度引き下がるか。
舌打ちをしてユーリ様へ向き直る。

私から我がユールヴァルト領へ呼び寄せるのが
無理ならばユーリ様の方から来たくなれば良い。

そう思いユーリ様の関心をひきそうなことを
言ってみる。同じ召喚者である勇者様に関係の深い
品々が我が領にはある。特にキリウ書簡は召喚された
勇者様がどのようにこちらで過ごしていたかが分かり
ユーリ様にも参考になるはずだ。

話してみれば、どうやらだいぶ興味をひけたようだが
ユーリ様は背後のリオン殿下を気にしている。
我々の誘いに気を付けるようにでも言われているか?

・・・もう一押しか。さて、どうしよう?

その時ふと頭に浮かんだのはユーリ様は魔獣料理も
喜んで食べたというマディウスの話だ。

そういえば勇者様も食にはうるさく故郷の味を求めて
変わった料理を口にしていたと書簡にもあったな。

サシミだったか?勇者様を喜ばせるために考案された
金毛ヒツジのそれは、舌の上でとろけるような
甘さと濃い肉の滋味に溢れた今ではユールヴァルトを
代表する祝い事の席で供される特別な料理だ。

食べ物に関心があるらしいユーリ様ならば、この
話題にも乗ってくるのではないか?

そう思いサシミについて話を振ればやはり興味を
ひいたらしく、今までになくユーリ様の瞳が輝いた。

なんと分かりやすい。そしてそこがまた愛らしい。

瞳の中の金色をきらきらと輝かせながら、
魚のサシミについて話され金毛ヒツジのそれに
ついても食べたそうにしている。ここまで興味を
ひいておけば、後は何かのきっかけさえあれば
簡単に我が領へと足を運んでくれそうだった。

してやったりと思っていれば、こちらを見る
リオン殿下の目が何か言いたげだ。

今回はこの辺りが潮時だろう。こちらもこれから
ダーヴィゼルドへ向かわねばならないのだ。

そうして腕の中から離すのを惜しみながら
ユーリ様をそっと降ろせば、何故かユーリ様に
強く引き留められた。

『もうお帰りですか⁉︎』

そう言って、幼い子供のように私の服の裾を
あの小さな手で縋るように引かれれば最初に
警戒されていた分離れがたさと愛しさはひとしおだ。

思わずもう一度抱き上げたくなるがそれは
ナジムートとの約束違反になる。約束事を
少しでも違えればあの男に何を言われるか。

そう思いぐっと堪えれば、代わりにアントンが
優しくその頭を撫でてやっていた。

我々が外せない諸用のためどうしても残れないと
分かり、悲しげに頷いたユーリ様を後に謁見の間を
二人で出る。アントンは後ろ髪を引かれながらも
満足そうに私へと話しかけてきた。

「まさか最後にユーリ様が兄上の服を掴んでまで
別れを惜しむとは思いませんでした。いやあ
良かったですね、初めてお会いしたというのに
あそこまでユーリ様に好かれるとはさすが兄上です。
それにあのご様子ならば、近いうち我々の領へと
来ていただけるかも知れません。」

「そうなれば良いがな。しかし気になるのは
抱き上げた時のあの軽さだ。ユーリ様は我が身も
惜しまずその力を使うと聞く。もう少し食べて体力を
つけねば大きな力を使うたびに倒れることに
なりかねないな。我が領からも金毛ヒツジ以外で
滋養のつくものを献上させよう。」

「金毛ヒツジはユーリ様をユールヴァルト領へ
呼び寄せる切り札として取っておかなければ
なりませんからね。」

アントンがニヤリと笑う。そういう事だ。

「それから、貴族街にあるユールヴァルトの邸宅に
とっておきの果実酒があったな。あれで酒が
たっぷり入ったフルーツケーキを王都で一番
人気と技量のある菓子職人に作らせろ。」

「なんのためにです?」

「近々ナジムートが王命を下してユーリ様が
どの程度の酒量であれば大きくなってもその力を
制御出来るか試させるはずだ。そこにはどうせ
シグウェルも立ち会うだろうからフルーツケーキを
持参させろ。少しでもユーリ様のあいつに対する
心証を良くしておくに越したことはないからな。」

「ああ、ユーリ様はおいしいお菓子に目がない
方ですからそれは良いかも知れません。すぐに
手配させましょう。」

そう言ったアントンを見て頷く。私がユーリ様を
直接食べ物で懐柔するのはあの同盟で禁じられた。

しかしユーリ様が自ら食べたい物のためにどこかへ
出向くのも、私の息子が食べ物でユーリ様を懐柔する
のも禁じられてはいない。

使える手は考え方次第で色々あるのだ。
残念だったな、ナジムート。

やっと少し溜飲が下がり、自然と顔に笑みが
浮かんだ。それを見たアントンが、

「上機嫌ですね兄上。ユーリ様はとても可愛らしい
ので兄上の機嫌が良くなるのも無理はありませんが」

などと勘違いをしていたが、機嫌が良いのは
事実なので黙っておいた。

いつの日か、ユールヴァルト領を訪れたユーリ様が
あの美しい瞳を煌めかせながら、金毛ヒツジの
サシミを堪能する時が来ると思えば今から
それが楽しみで堪らない。
早くそんな日が来る事を願うばかりだ。



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