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第十三章 好きこそものの上手なれ

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がぶっ、とシグウェルさんの唇に文字通り噛み付く
ようにした乱暴な口付けのせいか、口の中に血の味が
滲んだ。

もしかしてシグウェルさんの唇を勢いあまって
傷付けてしまったのかも。

そして私の背後でユリウスさんの上げた大声・・・
団長が襲われてるっす!っていうのが私の耳にも
しっかり届いている。

うう、違うんです、これは私だけど私がしてるんじゃ
ないんです。

唯一の救いは口付けた時に私の長い黒髪が周りの景色
から口付けている私達の顔を隠してくれたことだ。

視界の隅に、私とシグウェルさんの体が薄く金色に
輝いているのが映る。

もしかして私の体を操っているグノーデルさんの力が
何かしているのかな。

そう思っていたら、私の体の下でシグウェルさんが
身じろいだ。浄化されようとしているのに気付いた
みたいだった。

それに構わず口付けたままの私の体の光は輝きを
増していく。

すると急に頭の中に、あんな奴いなくなればいいのに
とか何であいつが、とか美味そうな人間だ、もっと
力を、というような妬みそねみのあらゆる負の感情が
流れ込んで来た。

これは『強欲の目』が吸収し続けた人間や魔物の
マイナスの感情や魔力だろうか。

頭の中で色んな声がするようでくらくらする。

黒い霧みたいなのに体を明け渡したシグウェルさんも
同じような声や感情に襲われたのかな、だとすれば
早く解放してあげたい。

そう思った私の気持ちと、魔石の集めた魔力を浄化
するのだというグノーデルさんの力との思いが一致
したからか、体が熱くなって力がより強くなった
ような気がした。

頭の中に響く嫌な感情の声がだんだん薄くなって
くる。

これは浄化が進んでいるってことかな?と思って
いるとやがて完全にその声は聞こえなくなった。

口付けながら見つめていたシグウェルさんの瞳も
いつの間にかあの竜のように縦に開いた瞳孔は消えて
いる。視線は定まらずぼんやりと私を見つめていた。

浄化し切った・・・?と安心したその時、突然
ぶわりとさっきまでとは全然違うものが私の頭の中に
流れ込んで来た。

少し前の、10歳女児姿だった私がお菓子を手にして
無邪気に笑っている顔やノイエ領に初めて猫耳ヘアで
降り立ち気まずそうに頬を染めながら周りを伺って
いた姿、顔を赤くしてこちらに向かって必死に何か
抗議をして話している顔、片手を差し伸べながら
意気揚々と笑い掛ける姿。

涙目で何かお願いしている私、陛下の離宮で大きく
なった私。至近距離で目を丸く見開いて赤くなって
いる私の姿もあった。

くるくる変わる表情を見せるのは、どれもこれも
全部わたしだ。

誰かの視点から見た私みたいだなと思った瞬間、
あることに気付いて心臓が跳ねた。

これ、もしかしてシグウェルさんから見た私の姿の
記憶じゃないの⁉︎

シグウェルさんの中に私の見せた様々な姿がこんな風
に記憶されていたのかと思うと途端に恥ずかしく
なった。

いい加減離れたいし口付けたまま見つめ合ってるのも
気まずいから目を瞑りたいのに、体が言うことを
聞かないのでそれもままならない。

うわあ、と思っていたらぼんやりと私を見つめていた
シグウェルさんが眠りに落ちるように静かに目を
閉じた。

すると今度は映像だけでなく感情まで流れ込んで
来た。

さっきまではあの黒い霧の魔力が発するネガティブな
感情が荒れ狂う暴風みたいに押し寄せてたけど、
今度は違う。

胸がぎゅっと切なくような愛おしさ、甘く優しい
気持ち、見守りたい、見つめていたい、だけど
それ以上に強く抱き締めて腕の中に閉じ込めたい。

狂おしいほどの熱さを感じる様々な感情は、まるで
洪水みたいな激しさでそれに飲み込まれそうになる。

「おっといかん。これは浄化してしまってはいけない
ものだな」

私の体はそう言うと、そこでやっとシグウェルさん
から離れた。良かった!

「危うくこいつの娘に対する気持ちまで消してしまう
ところだった。」

危ない危ない、とぐいと乱暴に私の体は自分の唇を
腕で拭った。

てことは最後、私に流れ込んで来たあの感情は
シグウェルさんが私をああいう気持ちで見てたって
こと?相手が知らないうちにその感情を盗み見た
ようで罪悪感が湧き上がる。

と同時に、私のどんなところが好きなのか熱を一切
感じさせずに淡々と分析するように話していた
シグウェルさんの内面がこんな風になっていたのかと
知りじわじわと顔が赤くなってきた。

いや、確かに私に語りかける口説き文句は甘かった
けどそのわりに淡々とした態度だったよ?

それなのに中身は全然違った。こんな風に思っていた
のに、それが少しも表に出てこないのはある意味
すごい。やっぱり燃える氷みたいな人だ。

「ふむ、おれもそろそろお役御免だな。この体には
さっきこいつから吸収した竜の魔力がまだ僅かに
残っているから、おれはそれを引き連れて消えよう。
娘、世話になった。お前の魔力はおれと相性が良く
心地良かったぞ。」

頬が熱を持っている。という事は体の主導権が私に
戻ってきているということだ。

そんな私に応えるように、グノーデルさんの力は
緩慢な動作で祈るように両手を組むと目を閉じた。

体が薄い光を放ち、何かが頭上へ抜けていくのを
感じる。その感覚が完全になくなったのでゆっくりと
目を開けた。

組んでいた両手をほどく。

「もどった・・・?」

呟いた声はいつもの私の声だ。見下ろせば私の体の
下にはまだ目を閉じて眠っているシグウェルさん。
その唇にはうっすらと血が滲んでいる。

私の体の下・・・?

そこで私が馬乗りになっていたことを思い出した。

「ひえぇっ、ごめんなさい‼︎」

慌ててどこうとしてべしゃっ、とシグウェルさんの
隣にうつ伏せに転んだ。鈍臭い・・・。さっきまで
軽やかに回し蹴りをしていたのと同じ体と思えない。

「う~・・・」

鼻を打ってしまい、うつ伏せたまま顔をさすって
いたらそっと起こされた。レジナスさんだ。

「ユーリ、大丈夫か?まだ大きい姿のままだが
どうすれば戻るんだ?」

片膝をついてしゃがみ込んだレジナスさんが戸惑い
ながら聞いてきたけど私にも分からない。

あのグノーデルさんの力がいなくなればすぐ戻るかと
思いきや、私はまだ大きいままだ。

体の内側に意識を向けても、もうグノーデルさん
らしい気配は感じないのに。

「戻るまではもう少し時間がかかるんですかね?」

そう言いながら、レジナスさんに助け起こして
もらって立とうとした時に突然大事なことに気が
ついた。

このまま立ち上がってはいけない。

「レジナスさん‼︎」

「うわっ!」

立ちあがろうとした姿勢のまま私は勢いよく
レジナスさんに抱き付いてその胸元を握りしめた。

突然の行動にレジナスさんも珍しく声を上げた。

「なんだいきなり!どうした、どこか痛めて
立てないのか⁉︎」

それなら抱き上げようか、と言うレジナスさんに
必死で縋り付いてそれを止める。

この、下半身に感じるスースーした違和感。
このまま立ち上がってはいけない、私の尊厳が死ぬ。

レジナスさんの胸元をぎゅうぎゅう握り締めてそこに
顔を埋めていたけど、言わなければ話は進まない。
思い切って顔を上げた。

「し・・・」

「し?」

「下着が、脱げてます・・・多分。」

「なっ・・・⁉︎」

ひそひそ呟いた私の言葉に腰の辺りに手を添えて
助け起こそうとしていたレジナスさんが固まった。

そう。ただでさえ大きくなってきつくなっていた
下着が、思い切り走ったり回し蹴りしたせいでその
衝撃に耐えきれなかったみたいだ。

極め付けにシグウェルさんの上に足を開いて馬乗りに
なったし、きっとそのせいでビリッと。

さっきからずっと腰の辺りがスースーするし、
ふくらはぎの辺りに何か引っかかっている気がする。

多分脱げたパンツがそこに引っかかっている。
もしこのまま立ち上がれば、きっとそれは私の足元に
ストンと落ちてレジナスさん始めドラグウェル様達
にも目撃されて、ユリウスさんは空気を読まずに
大声でユーリ様のパンツが脱げてるっす!とか
言う。絶対言う。間違いない。

そんな目には遭いたくないので、レジナスさんに
縋り付いて必死に目で立たないで!と訴える。

恥ずかし過ぎて涙が滲んで、カコン、コロコロ・・・
とあの真珠みたいな丸い粒が数個転がった。

まさかこんなことで泣く羽目になって貴重だという
例の真珠みたいなのをまた作り出すとは。

そんな私を見たレジナスさんはうっ、と言葉を
詰まらせると顔を赤くしながら

「シンシア、頼む!」

たまらずと言った風にシンシアさんに助けを求めた
のだった。





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