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9_交差する思惑
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今にも振り下ろされそうな刃の間に、祈里は躊躇なく飛び込んだ。腰に下げていた刀を一瞬で抜き、真っすぐ降りてきた剣を受け止める。金属のぶつかった場所から火花が散り、その明るさに刹那の間目が眩んだ。受け止めた刃を振り払い、再び刀を構えなおす。
「……陛下?」
背後からかけられた声に、祈里はもう大丈夫だと言うように振り返って笑って見せた。朝日は全身砂埃と返り血で満身創痍といった様相だが、致命傷は負っていないようだ。かなり危ないところだったが、なんとか間に合ったらしい。だがそう悠長にはしていられない。この辺りには朝日しか見当たらないが、撤退した隊員の中には重傷者もいるはずだ。
「引け。私に剣を向けるのならば容赦はしない」
祈里が周りにいる敵兵たちを睨みつけながら言うと、彼らははたじろぐ様に数歩後ろに下がった。そして突然現れた祈里に驚き戸惑うように顔を見合わせている。祈里の服装からただの軍人ではないと分かっているようだが、流石に神帝自身が助けに来るとは思っていないのだろう。祈里の正体を推測するように鋭い視線を向けられる。
敵兵たちは少しの間様子を見るように祈里を取り囲んでいたが、その中の一人が覚悟を決めた様に剣を振り上げて襲い掛かってきた。祈里は冷静にその男の動きを見極める。男が大振りに剣を振り下ろそうとした時、祈里は素早く体を反転させ相手の懐に潜り込み、瞬時に男の胴を切り伏せた。
その様子を見て祈里がただ者ではないと分かった他の敵兵たちは一瞬ひるんだが、撤退は選択肢にないらしく、次々に祈里に襲い掛かってきた。身に宿してた神性が消えたことで異能が使えなくなったとしても、祈里も長年前線で刀を振ってきた身だ。祈里が神帝となり初めて戦場に出た十六の時から今まで生き残ってこれたのは、強い異能と幸運だけが理由ではない。
代わるがわる攻撃してくる敵兵たちをいなしながら、祈里はふと違和感を覚えた。祈里は時間が巻き戻る前に西方諸国の兵と戦ったことがあるが、この敵兵たちはどこか記憶にある西方諸国の兵士たちと戦い方が異なる気がしたのだ。
ふと頭に思い浮かんだ考えは、敵兵の猛攻により直ぐに立ち消えた。敵の数が多いことに加え、祈里は動けない朝日を庇いながら戦っている為、思うように刀を振ることが出来ない。敵兵一人一人と祈里の技量の差は大きいが、なかなか数を減らすことが出来ない状況だった。
じれったい思いで刀を振るっていると、突然祈里の傍を強い風が通り過ぎていった。一瞬何かの攻撃かと構えた祈里だが、次の瞬間驚いて目を見開いた。
「クリス!?」
祈里のすぐ傍に、クリスが突然現れたのだ。祈里だけではなく敵兵も驚いて動きを止める。思わず祈里が名前を呼ぶと、クリスは祈里に向かって僅かに頷いた後、直ぐに剣を抜いた。
「こちらは私が」
祈里と背中を預け合うようにクリスが剣を構える。つられるように祈里も刀を構えたが、頭の中は混乱していた。先ほどの強い風は転移異能によるものだったのだろうが、何故クリスが転移してきたのか全く分からない。
突然現れたクリスに驚いていた敵兵たちも、祈里が刀を構えたことでハッと我に返ったらしい。再び剣を振り被って襲ってくる。だが、クリスの登場によって形勢は逆転した。クリスは祈里が戦いやすいように朝日を守りながらも、背後を護るように陣取ってくれている。そのお陰で思う存分戦えるようになった祈里は、確実に一人一人敵兵を減らしていった。
クリスの援護のお陰で、あっという間に敵兵は最後の一人となった。もうどうしようもないことを悟った男はその場に尻餅をつき、鬼人のごとく戦った祈里とクリスを恐れるように見上げている。
「君には聞きたいことがある。大人しくしていれば手荒な真似はしない」
そう言って祈里が近づくと、男は真っ青な顔で祈里から遠ざかろうともがいた。だがもう腰が抜けてしまったのか、地面を這いずる様にしか動けない。捕まえようと祈里が手を伸ばした時、男は正気を失ったかのように絶叫した。
「うわあああああ!」
「!」
次の瞬間、男の手が空を切る様に動いた。祈里は伸ばしかけた手を引き、信じられない気持ちで目の前の光景を見詰めた。あの手の動きは、炎を生み出す異能を使う時のものだ。だが異能を使える者は久遠神帝国の人間を除いて、この大陸にはほとんどいないはずである。
予想外のことに、祈里はとっさに顔を庇うように腕をあげることしか出来なかった。神性を持っていた祈里には異能の力を防ぐことなど簡単なことであったが、今はもう違う。異能が使えない祈里には、他人の異能を防ぐことが出来なかった。
目の前が炎に包まれる。眼前に熱が迫り、焼ける――と祈里が思った瞬間だった。突然、祈里の目の前に人影が割り込んでくる。祈里の視界に、炎の紅を反射する黄金の髪が映った。クリスだ。
「クリス!? 駄目だ、避け――」
祈里はなりふり構わず叫んだが、熱風がその声を押し殺した。祈里は自分が焼かれてもせめてクリスを助けようと手を伸ばそうとしたが、あることに気付いた。クリスが手にしているのは先ほどまで使っていた鋼製の剣ではない。クリスが常に腰に差している、もう一本の美しい白銀の剣である。クリスは炎がその身を焼こうとした瞬間、手にしていた『神殺しの聖剣』を炎に向かって横薙ぎにした。
その瞬間、空気そのものが分断されたように炎が左右に割れた。まるで見えない壁でも現れたように、炎がクリスを避けていく。
その信じられないような光景に祈里が呆然としている間に、次第に炎が収まっていく。目の前には、多少煤が付いただけで無傷のクリスが立っていた。クリスは何事もなかったかの様に、優美な動作で白銀の剣を鞘に納めた。炎を切り裂いたはずのその刀身も焼かれた様子が全くなく、空の青を反射させるほどの輝きを保っていた。
「ご無事ですか、陛下」
クリスに手を差し出され、祈里は自分がいつの間にか膝をついていたことに気が付いた。あらゆる異能を無効化し、人外の力を持つ神さえも貫く。この力こそ、『神殺しの聖剣』と呼ばれる所以だった。
***
クリスと協力して男を捕縛した後、祈里は後方にいた朝日に視線を向けた。朝日は地面に突っ伏すように倒れている。
「朝日大佐、大丈夫か?」
祈里が駆け寄って朝日を抱き起こすと、朝日はうめき声を返すだけで目を覚まさなかった。意識がはっきりしていないようだ。
「血を流し過ぎたみたいだな。止血しよう」
神性を失った祈里はもう傷を癒す異能を使うことは出来ないが、応急処置程度なら自分の手でも出来る。祈里は自分の服の裾を破り、血が流れ続けている朝日の腕を強く圧迫した。そして朝日の軍服のベルトを抜き、布ごと腕を強く縛る。すると、その拍子に朝日がぼんやりと目を開いた。
「朝日、私のことが分かるか」
祈里が声をかけると、朝日は祈里の顔をぼんやりと眺めた。
「…ああ、美しい……。私は神のもとに召されたのですね……」
朝日はそう言って抱き起した祈里の手をぎゅっと握った。まだ意識がはっきりしていないようで目の焦点が合っていないが、その手を握る力は強く言葉もはっきりしている。祈里は朝日の言葉に驚きもしたが、思わず笑ってしまった。存外幸せそうな夢を見ているらしい。
「大丈夫そうだな」
そう言って祈里がにっこり笑うと、朝日は何故か赤面して祈里の顔をじっと見た後、再び意識を失った。祈里は怪我をしている腕を庇うように朝日をゆっくりと寝かせておいた。もうすぐ増援が来るだろうし、朝日はこのまま寝かせておいても大丈夫だろう。
その後、祈里は倒れている敵兵たちに近づき、それぞれ容姿や服装を確認した。そうして、ようやく先ほど感じた違和感の正体に気付いた。分厚い布地を幾重にも巻いたような服装に、曲刀を使うというのは西方諸国の特徴だが、それ以外は微妙に特徴とは異なっているのだ。大陸西部は宗教上髪を伸ばさないはずだが、よく見ると服の下に長髪を隠している者がいる。そして、なにより西方部族の一番の特徴といえる金色の眼の者がいない。それに大陸にはもう異能を使える者はほとんど残っていない。例え極稀に異能を使う兵士がいたとしても、異能を使う前に手で空を切る様に動かすのは帝国だけが行う準備動作のようなものだ。
一通り確認し終えた祈里は、失望を滲ませて呟いた。
「自作自演、か……」
どこからどう見ても、この敵兵は久遠帝国の人間達だった。首謀者は西方諸国の手勢のふりをして帝国の軍を襲い、その報復として帝国が西方に攻め入ることを望んでいたのだろう。
『本当に大変なのはこれからですよ。国の内外問わず戦争を望む者もいますからね』
祈里は柊の言葉を思い出す。まさかこんな形であの言葉が現実になるとは思わなかった。祈里が思っていたより、帝国の人間達はずっと色々な思惑の中で動いているのだ。
「陛下、増援が到着しました」
「ああ、思ったよりも早かったな」
祈里が今後どうすればいいか考えていると、いつの間にか横に立っていたクリスがそう教えてくれた。祈里は丁度着いたらしい兵に朝日のことを頼み、再びクリスのもとに戻ってきた。色々なことがあって遅くなったが、クリスには聞かなければならないことがあった。
「クリスは、どうしてここに?」
祈里が尋ねると、クリスは特に隠す様子もなく素直に答えた。
「柊殿が異能で送って下さいました」
「柊が?」
意外な返答に、祈里は確認するようにクリスを見詰めた。文官で異能が使える者はそう多くない。異能者は戦場に駆り出されることが多いため、武官に多いからだ。それ故に柊も異能が使えないと思っていたが、そうではなかったらしい。転移異能は希少な能力であり、周りに知られれば柊も前線に送られていただろう。それを避けるために柊は異能を隠していたのかもしれない。
だが、柊が異能を使えたこと以上の驚きは、柊がクリスを増援として送ったことである。確かにクリスの剣技であれば、十分に増援としての役割を果たせるだろう。だが、クリスはあくまでも帝国に滞在している同盟国の客人というという扱いなのだ。クリスの他にももっと適任がいたはずだ。
祈里が首を傾げると、クリスも祈里が何を考えているのか察したようだ。
「柊殿は陛下が自ら戦場に出向かれたと聞いて、私が増援に適任だと判断された様です」
クリスの言葉に祈里はもう一度首を傾げたが、直ぐに柊の思惑に気付いた。柊は予想していたのだ。この襲撃が帝国側の人間が仕組んだことであると。帝国の人間なら異能を使う可能性もある。それを想定した柊は、異能に対して大きく有利をとれるクリスを増援に選んだのだ。
本当に柊は恐ろしい程に頭が切れる。小さな事柄を繋ぎ合わせて正確に予想を立て、最も適切な処置を行う。実際に柊の予想は当たり、祈里はクリスの力によって助けられた。
「そうか……。クリスのお陰で助かったよ、ありがとう」
「騎士としての勤めを果たしたまでです」
前回庭園で出会った時と同様に、今回もクリスは騎士としての態度を崩さなかった。だが、祈里の感謝を突き放すような冷たい言葉でも、前回とは異なりどこか優しい声音であった。自分の意思ではないと口では言いつつも、まるで祈里の無事を望んでいたかの様に聞こえて、祈里はまた少し切ない気持ちになった。
***
その後、祈里とクリスは遅れて到着した増援本隊と共に倒れている敵兵たちを回収し、負傷した隊員たちに応急処置を施した。重傷を負っている者もいるが、みな命に別状はないらしい。朝日がその身を犠牲にして隊員たちを護ったお陰だろう。
朝日には何か特別な報奨を与えなければいけないと祈里が思案していると、応急処置を終わらせたクリスに呼ばれる。増援部隊には転移異能者が二人いるため、祈里とクリスを先に宮に戻してくれるという。祈里は重傷者を先に運んではどうかと提案したのだが、術者はかなり恐れた様子で丁寧に断られた。何故そんなに恐れているのかと不思議に思ったが、祈里は自身の様子を見て思い至った。血濡れの神と呼ばれている自分が返り血だらけで立っている姿は、彼らにとってかなり恐ろしく見えるのだろう。祈里がいない方が彼らも何かと動きやすいのだ。それに、転移異能は異能を使われる側にも多少負担がかかる。重症者には使わない方が良いと判断したのだろう。
重傷者を置いて先に帰るのは少し罪悪感があるが、自分がここにいても皆を怯えさせてしまうだけだと思った祈里、は申し出を素直に受けることにした。クリスも、きっとこの術者にお願いをされて応じたのだろう。
祈里がクリスと共に並ぶと、待っていた転移異能者が空を切る様に腕をあげる。
「陛下は覚悟をして帰った方がよろしいかと」
「覚悟?」
今にも転移が行われるという時に、クリスが思い出した様に言った。言葉の意味を理解できなかった祈里が聞き返すと、クリスが微かに微笑んでその意味を教えてくれる。
「貴方が一人で戦場に向かったことに、柊殿がとてもお怒りのご様子でしたから」
クリスの笑顔に釘付けになったのも束の間、祈里はあの双眼に睨まれる想像をして背筋が震えた。すっかり失念していたが、今回のことは祈里の独断行動によるものだ。柊は大層気を揉んだに違いない。
「陛下、宮の中庭に転移を行います」
「あ、少し待っ――」
祈里の静止は途中でかき消され、術が完成した呼びかけと共に身体全体が光に包まれる。祈里がその眩しさに目を瞑ると、辺りを一陣の風が通り過ぎていった。身体が浮き上がる様な感覚のあと目を開けると、祈里がその場所に転移されることを知っていたのだろう。目の前に険しい表情をした柊が立っていた。
柊と目が合ってしまった祈里は、一度ごまかす様に笑顔を作って目を逸らした。
「もう少し覚悟を決める時間が欲しかったな……」
祈里が呟く様に言うと、横にいたクリスは悪戯が成功した少年の様に笑っていた。
「……陛下?」
背後からかけられた声に、祈里はもう大丈夫だと言うように振り返って笑って見せた。朝日は全身砂埃と返り血で満身創痍といった様相だが、致命傷は負っていないようだ。かなり危ないところだったが、なんとか間に合ったらしい。だがそう悠長にはしていられない。この辺りには朝日しか見当たらないが、撤退した隊員の中には重傷者もいるはずだ。
「引け。私に剣を向けるのならば容赦はしない」
祈里が周りにいる敵兵たちを睨みつけながら言うと、彼らははたじろぐ様に数歩後ろに下がった。そして突然現れた祈里に驚き戸惑うように顔を見合わせている。祈里の服装からただの軍人ではないと分かっているようだが、流石に神帝自身が助けに来るとは思っていないのだろう。祈里の正体を推測するように鋭い視線を向けられる。
敵兵たちは少しの間様子を見るように祈里を取り囲んでいたが、その中の一人が覚悟を決めた様に剣を振り上げて襲い掛かってきた。祈里は冷静にその男の動きを見極める。男が大振りに剣を振り下ろそうとした時、祈里は素早く体を反転させ相手の懐に潜り込み、瞬時に男の胴を切り伏せた。
その様子を見て祈里がただ者ではないと分かった他の敵兵たちは一瞬ひるんだが、撤退は選択肢にないらしく、次々に祈里に襲い掛かってきた。身に宿してた神性が消えたことで異能が使えなくなったとしても、祈里も長年前線で刀を振ってきた身だ。祈里が神帝となり初めて戦場に出た十六の時から今まで生き残ってこれたのは、強い異能と幸運だけが理由ではない。
代わるがわる攻撃してくる敵兵たちをいなしながら、祈里はふと違和感を覚えた。祈里は時間が巻き戻る前に西方諸国の兵と戦ったことがあるが、この敵兵たちはどこか記憶にある西方諸国の兵士たちと戦い方が異なる気がしたのだ。
ふと頭に思い浮かんだ考えは、敵兵の猛攻により直ぐに立ち消えた。敵の数が多いことに加え、祈里は動けない朝日を庇いながら戦っている為、思うように刀を振ることが出来ない。敵兵一人一人と祈里の技量の差は大きいが、なかなか数を減らすことが出来ない状況だった。
じれったい思いで刀を振るっていると、突然祈里の傍を強い風が通り過ぎていった。一瞬何かの攻撃かと構えた祈里だが、次の瞬間驚いて目を見開いた。
「クリス!?」
祈里のすぐ傍に、クリスが突然現れたのだ。祈里だけではなく敵兵も驚いて動きを止める。思わず祈里が名前を呼ぶと、クリスは祈里に向かって僅かに頷いた後、直ぐに剣を抜いた。
「こちらは私が」
祈里と背中を預け合うようにクリスが剣を構える。つられるように祈里も刀を構えたが、頭の中は混乱していた。先ほどの強い風は転移異能によるものだったのだろうが、何故クリスが転移してきたのか全く分からない。
突然現れたクリスに驚いていた敵兵たちも、祈里が刀を構えたことでハッと我に返ったらしい。再び剣を振り被って襲ってくる。だが、クリスの登場によって形勢は逆転した。クリスは祈里が戦いやすいように朝日を守りながらも、背後を護るように陣取ってくれている。そのお陰で思う存分戦えるようになった祈里は、確実に一人一人敵兵を減らしていった。
クリスの援護のお陰で、あっという間に敵兵は最後の一人となった。もうどうしようもないことを悟った男はその場に尻餅をつき、鬼人のごとく戦った祈里とクリスを恐れるように見上げている。
「君には聞きたいことがある。大人しくしていれば手荒な真似はしない」
そう言って祈里が近づくと、男は真っ青な顔で祈里から遠ざかろうともがいた。だがもう腰が抜けてしまったのか、地面を這いずる様にしか動けない。捕まえようと祈里が手を伸ばした時、男は正気を失ったかのように絶叫した。
「うわあああああ!」
「!」
次の瞬間、男の手が空を切る様に動いた。祈里は伸ばしかけた手を引き、信じられない気持ちで目の前の光景を見詰めた。あの手の動きは、炎を生み出す異能を使う時のものだ。だが異能を使える者は久遠神帝国の人間を除いて、この大陸にはほとんどいないはずである。
予想外のことに、祈里はとっさに顔を庇うように腕をあげることしか出来なかった。神性を持っていた祈里には異能の力を防ぐことなど簡単なことであったが、今はもう違う。異能が使えない祈里には、他人の異能を防ぐことが出来なかった。
目の前が炎に包まれる。眼前に熱が迫り、焼ける――と祈里が思った瞬間だった。突然、祈里の目の前に人影が割り込んでくる。祈里の視界に、炎の紅を反射する黄金の髪が映った。クリスだ。
「クリス!? 駄目だ、避け――」
祈里はなりふり構わず叫んだが、熱風がその声を押し殺した。祈里は自分が焼かれてもせめてクリスを助けようと手を伸ばそうとしたが、あることに気付いた。クリスが手にしているのは先ほどまで使っていた鋼製の剣ではない。クリスが常に腰に差している、もう一本の美しい白銀の剣である。クリスは炎がその身を焼こうとした瞬間、手にしていた『神殺しの聖剣』を炎に向かって横薙ぎにした。
その瞬間、空気そのものが分断されたように炎が左右に割れた。まるで見えない壁でも現れたように、炎がクリスを避けていく。
その信じられないような光景に祈里が呆然としている間に、次第に炎が収まっていく。目の前には、多少煤が付いただけで無傷のクリスが立っていた。クリスは何事もなかったかの様に、優美な動作で白銀の剣を鞘に納めた。炎を切り裂いたはずのその刀身も焼かれた様子が全くなく、空の青を反射させるほどの輝きを保っていた。
「ご無事ですか、陛下」
クリスに手を差し出され、祈里は自分がいつの間にか膝をついていたことに気が付いた。あらゆる異能を無効化し、人外の力を持つ神さえも貫く。この力こそ、『神殺しの聖剣』と呼ばれる所以だった。
***
クリスと協力して男を捕縛した後、祈里は後方にいた朝日に視線を向けた。朝日は地面に突っ伏すように倒れている。
「朝日大佐、大丈夫か?」
祈里が駆け寄って朝日を抱き起こすと、朝日はうめき声を返すだけで目を覚まさなかった。意識がはっきりしていないようだ。
「血を流し過ぎたみたいだな。止血しよう」
神性を失った祈里はもう傷を癒す異能を使うことは出来ないが、応急処置程度なら自分の手でも出来る。祈里は自分の服の裾を破り、血が流れ続けている朝日の腕を強く圧迫した。そして朝日の軍服のベルトを抜き、布ごと腕を強く縛る。すると、その拍子に朝日がぼんやりと目を開いた。
「朝日、私のことが分かるか」
祈里が声をかけると、朝日は祈里の顔をぼんやりと眺めた。
「…ああ、美しい……。私は神のもとに召されたのですね……」
朝日はそう言って抱き起した祈里の手をぎゅっと握った。まだ意識がはっきりしていないようで目の焦点が合っていないが、その手を握る力は強く言葉もはっきりしている。祈里は朝日の言葉に驚きもしたが、思わず笑ってしまった。存外幸せそうな夢を見ているらしい。
「大丈夫そうだな」
そう言って祈里がにっこり笑うと、朝日は何故か赤面して祈里の顔をじっと見た後、再び意識を失った。祈里は怪我をしている腕を庇うように朝日をゆっくりと寝かせておいた。もうすぐ増援が来るだろうし、朝日はこのまま寝かせておいても大丈夫だろう。
その後、祈里は倒れている敵兵たちに近づき、それぞれ容姿や服装を確認した。そうして、ようやく先ほど感じた違和感の正体に気付いた。分厚い布地を幾重にも巻いたような服装に、曲刀を使うというのは西方諸国の特徴だが、それ以外は微妙に特徴とは異なっているのだ。大陸西部は宗教上髪を伸ばさないはずだが、よく見ると服の下に長髪を隠している者がいる。そして、なにより西方部族の一番の特徴といえる金色の眼の者がいない。それに大陸にはもう異能を使える者はほとんど残っていない。例え極稀に異能を使う兵士がいたとしても、異能を使う前に手で空を切る様に動かすのは帝国だけが行う準備動作のようなものだ。
一通り確認し終えた祈里は、失望を滲ませて呟いた。
「自作自演、か……」
どこからどう見ても、この敵兵は久遠帝国の人間達だった。首謀者は西方諸国の手勢のふりをして帝国の軍を襲い、その報復として帝国が西方に攻め入ることを望んでいたのだろう。
『本当に大変なのはこれからですよ。国の内外問わず戦争を望む者もいますからね』
祈里は柊の言葉を思い出す。まさかこんな形であの言葉が現実になるとは思わなかった。祈里が思っていたより、帝国の人間達はずっと色々な思惑の中で動いているのだ。
「陛下、増援が到着しました」
「ああ、思ったよりも早かったな」
祈里が今後どうすればいいか考えていると、いつの間にか横に立っていたクリスがそう教えてくれた。祈里は丁度着いたらしい兵に朝日のことを頼み、再びクリスのもとに戻ってきた。色々なことがあって遅くなったが、クリスには聞かなければならないことがあった。
「クリスは、どうしてここに?」
祈里が尋ねると、クリスは特に隠す様子もなく素直に答えた。
「柊殿が異能で送って下さいました」
「柊が?」
意外な返答に、祈里は確認するようにクリスを見詰めた。文官で異能が使える者はそう多くない。異能者は戦場に駆り出されることが多いため、武官に多いからだ。それ故に柊も異能が使えないと思っていたが、そうではなかったらしい。転移異能は希少な能力であり、周りに知られれば柊も前線に送られていただろう。それを避けるために柊は異能を隠していたのかもしれない。
だが、柊が異能を使えたこと以上の驚きは、柊がクリスを増援として送ったことである。確かにクリスの剣技であれば、十分に増援としての役割を果たせるだろう。だが、クリスはあくまでも帝国に滞在している同盟国の客人というという扱いなのだ。クリスの他にももっと適任がいたはずだ。
祈里が首を傾げると、クリスも祈里が何を考えているのか察したようだ。
「柊殿は陛下が自ら戦場に出向かれたと聞いて、私が増援に適任だと判断された様です」
クリスの言葉に祈里はもう一度首を傾げたが、直ぐに柊の思惑に気付いた。柊は予想していたのだ。この襲撃が帝国側の人間が仕組んだことであると。帝国の人間なら異能を使う可能性もある。それを想定した柊は、異能に対して大きく有利をとれるクリスを増援に選んだのだ。
本当に柊は恐ろしい程に頭が切れる。小さな事柄を繋ぎ合わせて正確に予想を立て、最も適切な処置を行う。実際に柊の予想は当たり、祈里はクリスの力によって助けられた。
「そうか……。クリスのお陰で助かったよ、ありがとう」
「騎士としての勤めを果たしたまでです」
前回庭園で出会った時と同様に、今回もクリスは騎士としての態度を崩さなかった。だが、祈里の感謝を突き放すような冷たい言葉でも、前回とは異なりどこか優しい声音であった。自分の意思ではないと口では言いつつも、まるで祈里の無事を望んでいたかの様に聞こえて、祈里はまた少し切ない気持ちになった。
***
その後、祈里とクリスは遅れて到着した増援本隊と共に倒れている敵兵たちを回収し、負傷した隊員たちに応急処置を施した。重傷を負っている者もいるが、みな命に別状はないらしい。朝日がその身を犠牲にして隊員たちを護ったお陰だろう。
朝日には何か特別な報奨を与えなければいけないと祈里が思案していると、応急処置を終わらせたクリスに呼ばれる。増援部隊には転移異能者が二人いるため、祈里とクリスを先に宮に戻してくれるという。祈里は重傷者を先に運んではどうかと提案したのだが、術者はかなり恐れた様子で丁寧に断られた。何故そんなに恐れているのかと不思議に思ったが、祈里は自身の様子を見て思い至った。血濡れの神と呼ばれている自分が返り血だらけで立っている姿は、彼らにとってかなり恐ろしく見えるのだろう。祈里がいない方が彼らも何かと動きやすいのだ。それに、転移異能は異能を使われる側にも多少負担がかかる。重症者には使わない方が良いと判断したのだろう。
重傷者を置いて先に帰るのは少し罪悪感があるが、自分がここにいても皆を怯えさせてしまうだけだと思った祈里、は申し出を素直に受けることにした。クリスも、きっとこの術者にお願いをされて応じたのだろう。
祈里がクリスと共に並ぶと、待っていた転移異能者が空を切る様に腕をあげる。
「陛下は覚悟をして帰った方がよろしいかと」
「覚悟?」
今にも転移が行われるという時に、クリスが思い出した様に言った。言葉の意味を理解できなかった祈里が聞き返すと、クリスが微かに微笑んでその意味を教えてくれる。
「貴方が一人で戦場に向かったことに、柊殿がとてもお怒りのご様子でしたから」
クリスの笑顔に釘付けになったのも束の間、祈里はあの双眼に睨まれる想像をして背筋が震えた。すっかり失念していたが、今回のことは祈里の独断行動によるものだ。柊は大層気を揉んだに違いない。
「陛下、宮の中庭に転移を行います」
「あ、少し待っ――」
祈里の静止は途中でかき消され、術が完成した呼びかけと共に身体全体が光に包まれる。祈里がその眩しさに目を瞑ると、辺りを一陣の風が通り過ぎていった。身体が浮き上がる様な感覚のあと目を開けると、祈里がその場所に転移されることを知っていたのだろう。目の前に険しい表情をした柊が立っていた。
柊と目が合ってしまった祈里は、一度ごまかす様に笑顔を作って目を逸らした。
「もう少し覚悟を決める時間が欲しかったな……」
祈里が呟く様に言うと、横にいたクリスは悪戯が成功した少年の様に笑っていた。
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