暴君皇帝は二度目の人生でも騎士を愛する

蒼井あざらし

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24_十年前の誓い

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「神に選ばれし新しい陛下に、ご挨拶を申し上げます」

 幾分か若い姿の夜月を見て、祈里はああ、これはいつもの夢だとすぐに分かった。だが、いつもの様に祈里が少年を通して見ているのではなく、今の祈里は完全に少年の頃に戻っていた。当時の自分の感情が、今の祈里の感情に重なっていく。

「あの、へいかって……?」

 突然の来訪者に深々と頭を下げられた祈里は、戸惑って後ろにいた母親を振り返った。何が起こっているのか分かっていない祈里とは対照的に、母は口元を押さえて泣き出した。父が亡くなっても涙一つ見せなかった母のそんな姿に祈里が更に困惑していると、母は頬を高揚させ、嬉しそうに祈里に言った。

「貴方は神様に選ばれたのよ、すごく名誉なことなの」
「神様……?」

 説明されてもよく分からなかった祈里は母にもっと詳しく聞こうと思ったが、母は夜月と名乗った初老の男性と数度会話をしてから祈里を見下ろした。

「我らは貴方様の庇護の翼に在る者。新しい皇帝陛下の誕生に、感謝と祝福を」

 そう言って祈里に向かって頭を下げた母は、祈里の知っている母ではなくなっていた。今まで母から向けられていた温かく慈しむような目が、どこか恍惚としたものに変わっていた。突然の母の変わりように祈里が呆然としている間に、物事は勝手に進んでいった。

 祈里は馬車に乗せられ、夜月と共に神帝の住む宮に連れてこられた。勿論そんな祈里を母は止めなかった。田舎で育った祈里では見たことのない美しい建物に案内され、たくさんの大人に傅かれ、祈里はずっと戦々恐々と身を縮こませていた。自分が何になったのかは分からずとも、とにかく自分の生活が、世界がすっかり姿を変えてしまったことだけは分かった。

「一週間後、貴方が神帝になる儀式が行われます。それまでは、どうか宮内でご自由にお過ごしください」

 そう言われ、祈里は何が起きているのかも理解できないまま宮内で過ごすことになった。宮内で出される食事は舌が蕩けると思うくらい美味しかったし、渡される服はどれもすべすべとしていてとても動きやすかった。だが宮内にいる人間は皆祈里を見れば頭を下げるし、丁寧な言葉遣いをされるので、祈里はずっと居心地の悪さを感じながら生活をしていた。

 そんな一週間という短いモラトリアムの中で、祈里は夜月から神帝というものを少しずつ教えてもらった。この国を統べる統治者であり、神の代行者であること。儀式を行うと神の力である神性を得てそれまでの記憶が無くなること。神性を得れば、あらゆる知識を神から与えられ、国を統べる能力が身に付くこと。

 そんな話を聞いて、祈里は自分という存在がこれからどうなっていくのかをやっと理解できた。みんな、神帝になることは素晴らしいことだと言う。選ばれたことは、とても幸運だと言う。だが祈里にとって、それは神様になる代わりに自分の何もかもを捨てろと言われていることと同義だった。優しかった両親の記憶も、父が亡くなった悲しみも、そして神への怒りも。

 そんなこと、祈里は嫌だった。祈里は神帝のことを理解してからすぐにこの宮から逃げ出そうとしたが、どこに隠れてもどこに逃げても必ず見つかってしまい、いつも宮内に連れ戻された。宮内の人間は誰もかれもが祈里に対して丁寧で寛容だったが、決して祈里のお願いは聞いてくれなかった。

 神になる儀式の前日、これが最後だと決行した脱出劇も結局失敗に終わり、祈里はあてがわれていた自分の部屋のベッドに突っ伏して泣いていた。夕餉を持ってきた夜月はそんな祈里を見て、いつも通り静かな声で言った。

「神帝になられるのは、お嫌ですか」
「嫌だよ、僕は神様になんてなりたくない……」

 ぐずぐずと泣きながら、祈里は枕を抱きしめて丸くなった。この時は宮の中で過ごす寂しさに、枕を抱きしめるのが癖になっていた。

「僕は、神様より戦争で亡くなった父さんの方がずっと好きだったんだ。父さんを殺した神様になるなんて、僕は嫌だよ」

 こんなことを言っても、仕方ないとは分かっていた。夜月は祈里が聞いたことは答えてくれるが、他の宮内にいる人間と同様に決して祈里をここから逃がしてはくれないだろう。祈里がどんなに愚図っても、暴れても、結局意味などないのだ。神様になるということがどれほどこの国にとって大切なことなのか、この国で生まれ育った祈里には分かっていた。

 夜月は祈里の言葉を聞いても表情を崩さなかった。同情の言葉をかけてくれる訳でもなかった。だがいつも通り何も感情が感じ取れない声音で、祈里にあることを教えてくれた。

「貴方を止められる方がいるとしたら、それは聖剣の使い手でしょう」
「……聖剣?」
「神を殺すその聖剣は、神の祝福を受けた神帝の命さえ奪うそうです」

 夜月が、どうしてそんなことを祈里に教えてくれたのかは分からない。だが、きっと夜月以外の宮内の人間は教えてくれなかっただろう。ただ夜月だけが祈里の話をきちんと聞いてくれ、夜月だけが祈里に答えてくれた。

「お会いしたいですか、聖剣の使い手に」

 どうしてそんなことを聞くのかと思いながらも、祈里はその言葉にこくりと頷いた。

***

 翌日、祈里は大げさに飾り付けられて周囲の人間に言われるままに玉座に座った。事前に教わっていた通りの台詞を言い、事前に教わっていた通りに挨拶を受ける。大勢の大人が神に選ばれただけの何も出来ない子供に頭を下げるという光景に、祈里は慣れることない居心地の悪さを感じていた。そんな楽しくない即位式はすぐに終わり、後は祈里が一人で神が降り立つという「久遠の庭」に行けば儀式は終了するらしい。

「陛下、失礼いたします」

 自分は神様になるのだという諦めと悲しさに祈里が部屋でぼんやりしていると、不意に夜月が部屋に入ってきた。いよいよ最後の儀式なのかと祈里が立ち上がると、夜月は祈里に耳打ちするように小さな声で言った。

「今、庭園に聖剣に選ばれたクリスティアナ第三皇子がいらっしゃいます」
「え……」
「お時間は限られています、手短に」

 夜月の突然の話に祈里は驚いたが、すぐに我に返って庭園に駆けだした。どうして夜月がこんなことをしたのか、こんなことをして夜月は大丈夫なのかと、そんな疑問が頭を過ったが、祈里はすぐにその疑問を追い出した。今はそんなことを考えている場合ではない。自分が自分でいられる時間は、今しかないのだ。

 辿り着いた中庭には月明りが降り注いでおり、とても静かで誰かがいるようには見えなかった。祈里はキョロキョロと辺りを見回しながら、不安げに声をかけた。

「あの……急にごめんなさい。どうしても貴方と話がしたくて」

 祈里が誰もいない空間にそう言うと、たださわさわと草木が風に揺れる音だけが返ってきた。もうこの場からいなくなってしまったのだろうか。それとも祈里と話したくないと思っているのだろうか。そんなことを考えながら祈里が立ち尽くしていると、不意に葉擦れではない凛とした声が返ってきた。

「どうしてここに?」

 返事を貰えたことは嬉しかったが、相手は祈里を警戒しているのか未だに姿を現さない。祈里は相手を驚かせないよう、出来るだけ緊張を隠した声で言った。

「夜月さんが教えてくれました。貴方に、聖剣に選ばれたクリスティアナ第三皇子様にお願いがあるのです」

 ドキドキと、心臓が音を立てる。こんなことを急に言われて、彼も困っていることだろう。祈里は彼がそのまま立ち去らないことを心の中で祈っていると、不意に柱の陰から人影が現れた。

 自分と同じくらいの少年が、月明りに照らされてそこに立っていた。黒目黒髪以外の人間を生まれて初めて見た祈里は、彼のキラキラと光っている髪に釘付けになった。祈里を真っすぐに見詰める双眸は、その落ち着いた深海の色に反して意思の強さを表しているかのように強いものだった。

「お願いとは何でしょう」

 彼に声をかけられ、祈里はハッと我に返った。もっと彼のことを知りたいと思ったが、今の祈里にはゆっくり彼と話をする時間はない。祈里は緊張で音を立てている心臓をそっと両手で押さえ、ある覚悟を持って彼に言った。

「もし、僕が悪い神帝になったら、僕を殺してくれませんか」
「……何故そんな望みを?」

 祈里のお願いに、彼はほんの少し間を開けてからそう聞き返した。彼が不思議に思うのも当然だろう。だが、祈里は昨日夜月から聖剣の話を聞いた時からずっと考えていたのだ。これから神帝になる自分に、今の自分は何ができるだろう、と。

「僕は五年前、戦争で父を亡くしました。母は父が亡くなった時、神様の決めたことだから父の死は正しいことなのだと、僕に言いました」

 祈里は、父を殺した戦争を憎んでいる。そして、その戦争を指示した神帝を恨んでいる。この気持ちはいくら母に諫められようと、いかに神が偉大で素晴らしいものかを説かれようとも、決して変わらないだろう。祈里は、そんな自分の怒りを、悲しみを、憎しみを、神に奪われたくなかった。神帝になった自分を殺すことは、今の祈里が出来る、精一杯の神への復讐だった。

 それに、その怒りも悲しみも分かっているからこそ、祈里は神帝になった自分がそんな苦しみを人に強いるなど許せなかった。

「この国では神帝の、神様のやったことは全部正しいことになります。でも僕は……そんな神様にはなりたくありません。でも、神帝になったらきっとこの僕の気持ちも消えてしまいます。明日、この身に神様が宿ったら、僕は本当に神帝になるのですから」

 こんなお願いをしているというのに、不思議と殺される恐怖は無かった。それどころか、どこか穏やかな気持ちでさえあった。彼の腰に下がっている白銀の剣が、どこか優し気に月光を反射させていたからもしれない。その美しい剣に貫かれるのならば、神帝になる自分のことも許せると思った。

「こんなお願いをしてごめんなさい。でも、聖剣を持つ貴方にしか頼めないことなのです」

 自分のお願いが自分勝手なものであると分かっていた祈里は、申し訳ない気持ちで目を伏せた。正直、断られても仕方がないとは思っていた。彼の聖剣は祈里にとっては救いだが、それを振るうかどうかは彼次第だ。だが祈里は自分の気持ちを人に伝えられただけで、ほんの少し自分が救われた気がした。

「約束します」

 彼の意外な言葉に祈里が伏せていた顔を上げると、彼がゆっくりとこちらに歩み寄ってくるのが見えた。彼は祈里の正面で足を止めると、不意に祈里の手を取った。彼の手は自分と違って固く、そして大きかった。

「貴方の神を憎む気持ちを邪魔するものがあったのなら、私が必ず倒します。たとえそれが、貴方自身だったとしても」

 誓いの言葉と共に、真っすぐと見詰められる。彼の目は、彼の言葉が決して嘘ではないということを証明するかのように青く澄んでいた。

「ありがとう」

 彼は、彼だけは祈里のことを救ってくれる。その事実に嬉しくなって祈里が笑みを浮かべると、彼も少しだけ悲しそうに微笑んだ。
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