婚約破棄で謳歌するはずが、構ってほしそうにこっちを見てる?

どんぶり

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「……お嬢様。お嬢様。本日は屋敷の門前に、周辺の領主様たちが列をなしております。まるで、伝説の聖獣の御開帳を待つ信者のような熱量ですよ」


アンの声が、羽毛の海で溺れる私の意識を無理やり引きずり上げる。


私は特注の「快眠を約束するマイナスイオン発生装置」を抱えたまま、シーツの中で芋虫のようにのたうち回った。


「……アン。領主? そんな偉そうな人たちが、どうして私の平穏を乱しに来るのよ。あいつら、自分たちの領地で美味しいお酒でも飲んで寝ていればいいじゃない……」


「そうはいきません。王都からの特使や勇者までもが、この屋敷で『更生(という名の堕落)』したという噂が広まり、皆様、お嬢様の機嫌を損ねて領地を消滅させられないか戦々恐々なのです」


「……は? 誰がそんな物騒なことするのよ。面倒くさい」


私は重い頭を振り、寝癖で爆発した髪をそのままに、ガウンを羽織ってリビングへ向かった。


そこには、普段なら王宮でふんぞり返っているはずの伯爵や子爵たちが、額に汗を浮かべて直立不動で並んでいた。


そしてその中心には、腕を組んで氷のオーラを全身から放っているアルベルトが、門番のように立ちはだかっている。


「エスターは今、世界を平穏に導くための『瞑想(昼寝)』に入っておられる。無礼な言葉を一つでも発してみろ。その瞬間に君たちの領地を氷河期にしてやる」


(……アルベルト。貴方が一番、物騒なこと言ってるわよ)


私がリビングに足を踏み入れた瞬間、領主たちの間に戦慄が走った。


私は眩しさに耐えるために三白眼をギリリと細め、低血圧による立ちくらみでフラつきながら、一番大きな椅子へと「倒れ込むように」座った。


「……何よ、みんな。静かにしてくれない?」


地を這うような、かすれた低音。


領主の一人、恰幅の良いファットマン子爵が、ヒッと喉を鳴らしてその場に跪いた。


「ひ、ひ、平伏してお詫び申し上げます! エスター・ド・ヴァリエール様! 我々は、決して貴女様の『深き思索』を邪魔しに来たわけではございません!」


「……じゃあ、何」


「は、はい! 我が領地で採れた、最高級の蜜で作った『天国の口どけマカロン』を……! どうか、我が領地を滅ぼさないためのお印として、お受け取りください!」


(……マカロン。……天国の口どけ。……採用)


私は無言で手を差し出した。本当は「早く置いていって」と言いたいのだが、声を発するのさえ面倒だった。


子爵は震える手で、宝石箱のような箱を私に差し出した。


「……っ! 今の、あの一言も発さずに手を差し出す威圧感……! 『言葉など不要、誠意(菓子)を見せろ』という沈黙の圧力! 流石は、隣国の公爵を従える魔性の女王だ……!」


(……違う。ただ、喋るのが怠いだけよ)


私はマカロンを一つ手に取り、口に運んだ。


(……!? 美味しい。何これ、噛まなくても溶けて消えたわ。名前通り天国だわ……)


あまりの美味しさに、私の三白眼がわずかに潤んだ(※美味しくて感動しただけ)。


それを見た隣の伯爵が、さらに真っ青になって叫んだ。


「お、お許しを! エスター様の目に『涙』を浮かべさせるとは……! 今の眼差しは、『この程度の献上品で私が満足すると思っているのか』という、静かなる憤怒に違いありません!」


「……えっ、いや、そんな……」


「畏まりました! すぐに我が家宝の『黄金の茶葉』を持って参らせます! どうか、どうか我が家をお守りください!」


領主たちは次々と、持ってきた貢ぎ物――高級チョコレート、ヴィンテージワイン、特製の羊毛ブランケット――をその場に積み上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。


後に残されたのは、お菓子の山と、満足げに微笑むアルベルト。


「エスター。君は今日も、その圧倒的な瞳だけで、愚かな貴族たちを服従させたのだね。流石だ。君が瞬き一つするたびに、この地の平和が約束されていくよ」


「……アルベルト。もう、好きに言いなさい。私は……このブランケットを使って、ここで寝るから」


私は頂いたばかりの羊毛ブランケットに包まり、ソファの上で丸くなった。


アンが、積み上がった貢ぎ物を手際よく整理しながらぼそりと呟く。


「お嬢様。これでは、もうどちらが王都かわかりませんね。今やこの屋敷は、大陸中の美食と贅沢品が集まる『堕落の聖域』と化しました」


「……いいわよ。美味しいものがあって、暖かい毛布があれば……私は、それで満足なの……」


エスター・ド・ヴァリエールのニート道。


彼女が動けば動くほど、周囲は勝手に跪き、彼女の「平穏」という名の支配は、もはや不可逆なものへと進化を遂げていた。


一方、王都のセドリック王子は、周辺領主たちからの「エスター様に挨拶を済ませたので、王都の夜会は欠席します」という断り状の山を前に、ついに本当の孤独を味わい始めていた。
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