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「……奥様。エスター様。いい加減にお目覚めください。本日は結婚記念日。そして、お嬢様が『不働女王』として独立を宣言してから、ちょうど三周年の記念日でございますよ」
アンの、もはや悟りの域を超えて虚空を見つめるような声が、私の最新型「全自動・時空歪曲・浮遊宮殿」の内部に響き渡る。
私は、アルベルトが大陸中の魔導師を脅し……いえ、説得して作らせた「体圧を完全に分散し、魂を包み込む雲の繭」の中に、顔の半分まで埋もれたまま、極小の声を絞り出した。
「……アン。……三周年? ……そんな数字の話、私の眠りには一ミリも関係ないわ。……お祝いなら、……私をあと三世紀ほど、……このまま寝かせておくことで表現してちょうだい……」
「そうはいきませんが、お屋敷の外には、世界中から『不働の教え』を授かりに来た信者たちが数万人、静かに横たわっております。……あ、セドリック殿下も、記念の『黄金のゴミ袋』を手に、最前列でゴミ拾いに励んでいらっしゃいますよ」
……セドリック。……あいつ、……ゴミ拾いのプロフェッショナルとして、……ついに国際ライセンスを取得したんですってね。……幸せそうで何よりだわ……)
私は、外の世界が「平和」という名の「巨大なお昼寝会場」になっていることに満足し、再び重力と一体化しようとした。
しかし、部屋の扉が「静寂を維持するための魔法」と共にゆっくりと開き、銀髪を輝かせた私の夫、アルベルトが姿を現した。
「エスター! 私の女神、私の永遠の安息! 今日の君の寝癖も、まるで芸術的な嵐の跡のように美しいよ! 君が動かないことで、世界にまた一日、争いのない平和がもたらされた!」
アルベルトは私のベッドの傍らに跪き、私の指先に恭しく口づけをした。
(アルベルト。……貴方、私の指先に、さっきから新しい宝石をはめようとしてない? 重いわよ。指が、沈んでいくじゃない)
「分かっているとも! 君が指を動かす負担を減らすため、この指輪は反重力魔法を組み込んである! さあ、今日は記念日だ。君のために、大陸最高峰の料理人に『噛む必要が一切ないフルコース』を作らせた。……私が、君の細胞一つ一つに流し込んであげよう」
「……あーん」
私は最小限の開口で、アルベルトの献身を受け入れた。
口の中で溶ける至高のスープ。それは、私が「悪役令嬢」として追放されたあの夜には想像もできなかった、あまりにも甘美で、あまりにも怠惰な味だった。
「……美味しいわ。アルベルト。……貴方、……後悔していないの? こんな、……一歩も歩かない妻を娶って」
私は、三白眼を僅かに細め、夫の顔をじっと見つめた。
アルベルトは一瞬、眩しさに耐えるように目を細め、そして至福の表情で微笑んだ。
「後悔? そんな言葉、私の辞書には存在しない。……エスター、君がそこにいて、たまにその鋭い眼差しで私を射抜いてくれる……それだけで、私の人生は完璧なんだ。……君が動かないから、私は君のために動ける。……君が働かないから、私は君のために世界を整えられる。……これ以上の幸せがあるかい?」
「ふん。……相変わらず、……変な人ね」
私は僅かに口角を上げようとしたが、それさえも面倒になり、代わりに彼の頬を指先で一撫でした。
するとアルベルトは、爆発的な氷の魔力を立ち昇らせ、感極まって絶叫した。
「アン! 見たか! 今、エスターが私を触った! 三センチほど、腕を動かしたぞ! これは奇跡だ! 今すぐ今日のこの瞬間を、歴史の教科書の太字に書き加えさせろ!」
「はいはい。公爵様、落ち着いてください。お嬢様が驚いて起きてしまいますよ」
アンが手際よく「本日の歴史的接触記録」をメモしながら、私に視線を向けた。
「お嬢様。マリア様からも手紙が届いています。『エスター様、今日も最高に睨んでますか? 私は今、王都で「三白眼は世界の救い」という宗教を立ち上げて大忙しです!』とのことです」
(……マリア様。本当に。貴女、一番の『悪』は、貴女かもしれないわね……)
私はクスクスと、声に出さずに笑った。
かつて、私は「悪役令嬢」として、誰からも愛されず、疎まれる存在だと思っていた。
けれど、今。
私はこの「三白眼」と「怠惰」を武器に、誰よりも愛され、世界を平和に導き、そして何より……誰よりも「寝て」いる。
「……アルベルト。もう、いいわ。疲れたわ。寝るわよ。私の隣に、来なさい」
「……! ああ、エスター! 喜んで、君という名の深淵に沈もう!」
アルベルトが私の隣に横たわり、心地よい冷気で部屋を最適な温度に整えてくれる。
私は彼の腕の中で、最高級の毛布に包まれながら、三白眼をゆっくりと閉じた。
外では、鳥たちが静かにさえずり、人々は「不働女王」の安眠を乱さぬよう、音を立てずに生活している。
争いも、義務も、過労もない。
私が「動かない」ことで完成した、美しき停滞の世界。
(あー。幸せ。おやすみなさい。世界……)
エスター・ド・ヴァリエールの物語。
それは、史上最強の「悪役令嬢」が、一歩も歩かずに辿り着いた、究極のハッピーエンド。
彼女は今日も、明日も、そして永遠に……誰よりも深い眠りの中で、一番幸せな夢を見続けるのである。
アンの、もはや悟りの域を超えて虚空を見つめるような声が、私の最新型「全自動・時空歪曲・浮遊宮殿」の内部に響き渡る。
私は、アルベルトが大陸中の魔導師を脅し……いえ、説得して作らせた「体圧を完全に分散し、魂を包み込む雲の繭」の中に、顔の半分まで埋もれたまま、極小の声を絞り出した。
「……アン。……三周年? ……そんな数字の話、私の眠りには一ミリも関係ないわ。……お祝いなら、……私をあと三世紀ほど、……このまま寝かせておくことで表現してちょうだい……」
「そうはいきませんが、お屋敷の外には、世界中から『不働の教え』を授かりに来た信者たちが数万人、静かに横たわっております。……あ、セドリック殿下も、記念の『黄金のゴミ袋』を手に、最前列でゴミ拾いに励んでいらっしゃいますよ」
……セドリック。……あいつ、……ゴミ拾いのプロフェッショナルとして、……ついに国際ライセンスを取得したんですってね。……幸せそうで何よりだわ……)
私は、外の世界が「平和」という名の「巨大なお昼寝会場」になっていることに満足し、再び重力と一体化しようとした。
しかし、部屋の扉が「静寂を維持するための魔法」と共にゆっくりと開き、銀髪を輝かせた私の夫、アルベルトが姿を現した。
「エスター! 私の女神、私の永遠の安息! 今日の君の寝癖も、まるで芸術的な嵐の跡のように美しいよ! 君が動かないことで、世界にまた一日、争いのない平和がもたらされた!」
アルベルトは私のベッドの傍らに跪き、私の指先に恭しく口づけをした。
(アルベルト。……貴方、私の指先に、さっきから新しい宝石をはめようとしてない? 重いわよ。指が、沈んでいくじゃない)
「分かっているとも! 君が指を動かす負担を減らすため、この指輪は反重力魔法を組み込んである! さあ、今日は記念日だ。君のために、大陸最高峰の料理人に『噛む必要が一切ないフルコース』を作らせた。……私が、君の細胞一つ一つに流し込んであげよう」
「……あーん」
私は最小限の開口で、アルベルトの献身を受け入れた。
口の中で溶ける至高のスープ。それは、私が「悪役令嬢」として追放されたあの夜には想像もできなかった、あまりにも甘美で、あまりにも怠惰な味だった。
「……美味しいわ。アルベルト。……貴方、……後悔していないの? こんな、……一歩も歩かない妻を娶って」
私は、三白眼を僅かに細め、夫の顔をじっと見つめた。
アルベルトは一瞬、眩しさに耐えるように目を細め、そして至福の表情で微笑んだ。
「後悔? そんな言葉、私の辞書には存在しない。……エスター、君がそこにいて、たまにその鋭い眼差しで私を射抜いてくれる……それだけで、私の人生は完璧なんだ。……君が動かないから、私は君のために動ける。……君が働かないから、私は君のために世界を整えられる。……これ以上の幸せがあるかい?」
「ふん。……相変わらず、……変な人ね」
私は僅かに口角を上げようとしたが、それさえも面倒になり、代わりに彼の頬を指先で一撫でした。
するとアルベルトは、爆発的な氷の魔力を立ち昇らせ、感極まって絶叫した。
「アン! 見たか! 今、エスターが私を触った! 三センチほど、腕を動かしたぞ! これは奇跡だ! 今すぐ今日のこの瞬間を、歴史の教科書の太字に書き加えさせろ!」
「はいはい。公爵様、落ち着いてください。お嬢様が驚いて起きてしまいますよ」
アンが手際よく「本日の歴史的接触記録」をメモしながら、私に視線を向けた。
「お嬢様。マリア様からも手紙が届いています。『エスター様、今日も最高に睨んでますか? 私は今、王都で「三白眼は世界の救い」という宗教を立ち上げて大忙しです!』とのことです」
(……マリア様。本当に。貴女、一番の『悪』は、貴女かもしれないわね……)
私はクスクスと、声に出さずに笑った。
かつて、私は「悪役令嬢」として、誰からも愛されず、疎まれる存在だと思っていた。
けれど、今。
私はこの「三白眼」と「怠惰」を武器に、誰よりも愛され、世界を平和に導き、そして何より……誰よりも「寝て」いる。
「……アルベルト。もう、いいわ。疲れたわ。寝るわよ。私の隣に、来なさい」
「……! ああ、エスター! 喜んで、君という名の深淵に沈もう!」
アルベルトが私の隣に横たわり、心地よい冷気で部屋を最適な温度に整えてくれる。
私は彼の腕の中で、最高級の毛布に包まれながら、三白眼をゆっくりと閉じた。
外では、鳥たちが静かにさえずり、人々は「不働女王」の安眠を乱さぬよう、音を立てずに生活している。
争いも、義務も、過労もない。
私が「動かない」ことで完成した、美しき停滞の世界。
(あー。幸せ。おやすみなさい。世界……)
エスター・ド・ヴァリエールの物語。
それは、史上最強の「悪役令嬢」が、一歩も歩かずに辿り着いた、究極のハッピーエンド。
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