21 / 28
21.隠された村
しおりを挟む
強く、抱きしめてくれる腕がある。
いつも影に日向に俺を護ってくれていて、たまに過保護が過ぎるんじゃないかと思うこともあるけれど、安心して身体を預けられる、そんな腕だ。
ただ、今回は本当に、俺が下手を打ってしまって。自分の血やら、言いたくもない何やらでべたべたに汚れた身体を見せてしまった。
俺は気を失ってたんだけど、あまりに強い力で掻き抱かれて慣れ親しんだ香りを嗅いだものだから、少しだけ意識が戻ったんだ。だから。
――すまない。
俺を抱きしめたまま、何度もそう言って震えていたのを、知ってる。
違うんだ。あなたはなにも悪くないんだよ。
次席という単語を耳にした時点で、俺は引き返すべきだったんだ。
事態を見誤ったのは俺で、助けてくれたあなたが悔やむことなんてなんにもない。
俺が俺として存在している間に救い出せたことを誇ってほしい。
なあ、聴こえてるか?
ヴィルヘルム。
柔らかいなにかに包まれた俺が、規則的にゴトゴトと揺れるなにかで長時間移動したことはなんとなく察していた。
頭はふわふわしていて、思考は鈍い。目を開けるのがとにかく億劫だ。たまに感じる外気が知らない匂いに変わっているのはわかっていたけれど、目覚めを促されることもなかったのでそのまま眠り続けた。なにより、身体がとにかくだるくて動ける気がしない。
だから、ようやく開いた瞼の向こうがまったく知らない環境だったことよりも、俺の額をなぜていたヴィルヘルムの変化の方に驚いた。
「おはよう、アンリ」
目覚めた俺に、それは嬉しそうに微笑んで、額にキスを落とす俺の騎士。
……そんなことをする男だったか?
もしかして、これはいつもの夢なのだろうか。
「……ヴィル?」
「ああ、声も出るんだな。良かった。水は飲めるか?」
「たぶん……」
サイドテーブルのトレイからコップを手渡され、受け取る。多少ぎこちない動きでひとくち水を飲み、俺はヴィルヘルムを見上げた。
もともと騎士の中でも軽装だったが、いまはもっとラフな服装に見える。髪も無造作に束ねていて、市井で見た人たちのような雰囲気だ。
市井といえば、この部屋もそうだ。大部分が石造りだった塔とは違って、まるでRPGの宿屋のような、どこもかしこも木製の素朴な造りをしている。俺が寝ているベッドもシングルサイズだ。
俺の状態を確かめたいらしいヴィルヘルムが、触るぞ、と、掛け布をめくる。ここは痛いか、これは大丈夫か、とあれこれ問答する間に、だんだんと俺の思考もしっかりしてきた。
「……あれから、どうなったんだ?」
「結論だけ言えば」
俺の関節の稼働チェックに忙しいヴィルヘルムは、なんでもない口調で続けた。
「私と君は駆け落ち中だ」
「ヴィルトさんの嫁さん、気がついたんだな! 良かったな!」
「帝国の魔法使いに酷い目に遭わされたんだって? もう心配いらないからな、ゆっくり養生するんだぞ」
「いくら旦那が騎士だっていっても、あの塔から逃げるだなんてまあ~! あなた可愛い顔して度胸あるのねえ!」
ヴィルヘルムに片腕で担がれ、挨拶だと連れ出された小さな広場で、俺は人々に囲まれた。
なにがなんだかわからないが、どうやら「ヴィルトさんの嫁」とは俺のことらしい。
「まだ本調子には遠いが、皆に顔を見せておきたくてな。私の命よりも大事なアンリだ。どうかよろしく頼む」
笑顔で俺を紹介したヴィルヘルムは、そのまま俺のこめかみにキスを落とす。俺が瞬時に真っ赤になって、周りからは歓声が上がった。
「はあ~美男同士、絵になるねえ!」
「そういや結婚式は済ませたのか? まだなら遠慮なく言ってくれよ」
「もう何に怯えることも誰に遠慮することもないんだからね! お幸せに!」
……本当だ。俺とヴィルヘルムが駆け落ちしている。
「ありがとう」
俺をしっかりと抱きしめるヴィルヘルムは、優しく笑った。
「ここはカラハン領内にある、トーラスという村だ」
小さな家の、先ほど俺が目覚めた部屋に戻ると、ヴィルヘルムは俺をベッドに横たえ、自分はベッド脇の椅子に腰を下ろした。
告げられた村の名に、どこかで聞いたなと首を傾げると、街に出たときに塔の入口にいた騎士のことだろうと答えがあった。あの茶髪の彼はこの村の出身らしい。
ヴィルヘルムの説明によると、ここは集落全体を感知不可の魔法で覆い、その存在をラーフェンに気取られないようにしている。カラハン領にはこの村のような隠れ里がいくつも存在していて、帝国や塔からの監視をくぐり抜けたジオール国民がひっそりと暮らしているのだという。
「君には静養が必要だ。回復するまで、しばらくここに身を潜めてほしい」
「わかった。けど、どうして俺は“ヴィルトの嫁”になってるんだ?」
ヴィルトがヴィルヘルムの偽名なのはわかる。本名とたいして違わないのは、ヴィルと呼ぶ俺が困らないための配慮なのだろうことも。
しかし、駆け落ちした夫婦という設定はどうしたことだろう。
そう尋ねられたヴィルヘルムは、珍しく押し黙った。
「え、なにか、たいへんな問題とか……?」
おろおろする俺に、騎士はうつむいてその長い指で眉間を抑えた。
「本来ならば、君の身が脅かされた際には速やかに本国と連絡を取り、移動には行き先の指定と準備の完了報告を待つ必要があるのだが」
「うん」
本国というのはジオールだろう。ヴィルヘルムは塔で集めた情報をクローセルのような諜報員と交換し、最近は俺の護衛をしながらも各地の同胞たちと連絡を取り合っている。故郷カラハンのために身を粉にして働き、こつこつと計画を進めていたはずだ。それほどまでに愛国心の強い忠義の騎士なのだから、通常通り上の指示に従って――
「気がついたら、君を抱えてここにいた」
――うん?
いつも影に日向に俺を護ってくれていて、たまに過保護が過ぎるんじゃないかと思うこともあるけれど、安心して身体を預けられる、そんな腕だ。
ただ、今回は本当に、俺が下手を打ってしまって。自分の血やら、言いたくもない何やらでべたべたに汚れた身体を見せてしまった。
俺は気を失ってたんだけど、あまりに強い力で掻き抱かれて慣れ親しんだ香りを嗅いだものだから、少しだけ意識が戻ったんだ。だから。
――すまない。
俺を抱きしめたまま、何度もそう言って震えていたのを、知ってる。
違うんだ。あなたはなにも悪くないんだよ。
次席という単語を耳にした時点で、俺は引き返すべきだったんだ。
事態を見誤ったのは俺で、助けてくれたあなたが悔やむことなんてなんにもない。
俺が俺として存在している間に救い出せたことを誇ってほしい。
なあ、聴こえてるか?
ヴィルヘルム。
柔らかいなにかに包まれた俺が、規則的にゴトゴトと揺れるなにかで長時間移動したことはなんとなく察していた。
頭はふわふわしていて、思考は鈍い。目を開けるのがとにかく億劫だ。たまに感じる外気が知らない匂いに変わっているのはわかっていたけれど、目覚めを促されることもなかったのでそのまま眠り続けた。なにより、身体がとにかくだるくて動ける気がしない。
だから、ようやく開いた瞼の向こうがまったく知らない環境だったことよりも、俺の額をなぜていたヴィルヘルムの変化の方に驚いた。
「おはよう、アンリ」
目覚めた俺に、それは嬉しそうに微笑んで、額にキスを落とす俺の騎士。
……そんなことをする男だったか?
もしかして、これはいつもの夢なのだろうか。
「……ヴィル?」
「ああ、声も出るんだな。良かった。水は飲めるか?」
「たぶん……」
サイドテーブルのトレイからコップを手渡され、受け取る。多少ぎこちない動きでひとくち水を飲み、俺はヴィルヘルムを見上げた。
もともと騎士の中でも軽装だったが、いまはもっとラフな服装に見える。髪も無造作に束ねていて、市井で見た人たちのような雰囲気だ。
市井といえば、この部屋もそうだ。大部分が石造りだった塔とは違って、まるでRPGの宿屋のような、どこもかしこも木製の素朴な造りをしている。俺が寝ているベッドもシングルサイズだ。
俺の状態を確かめたいらしいヴィルヘルムが、触るぞ、と、掛け布をめくる。ここは痛いか、これは大丈夫か、とあれこれ問答する間に、だんだんと俺の思考もしっかりしてきた。
「……あれから、どうなったんだ?」
「結論だけ言えば」
俺の関節の稼働チェックに忙しいヴィルヘルムは、なんでもない口調で続けた。
「私と君は駆け落ち中だ」
「ヴィルトさんの嫁さん、気がついたんだな! 良かったな!」
「帝国の魔法使いに酷い目に遭わされたんだって? もう心配いらないからな、ゆっくり養生するんだぞ」
「いくら旦那が騎士だっていっても、あの塔から逃げるだなんてまあ~! あなた可愛い顔して度胸あるのねえ!」
ヴィルヘルムに片腕で担がれ、挨拶だと連れ出された小さな広場で、俺は人々に囲まれた。
なにがなんだかわからないが、どうやら「ヴィルトさんの嫁」とは俺のことらしい。
「まだ本調子には遠いが、皆に顔を見せておきたくてな。私の命よりも大事なアンリだ。どうかよろしく頼む」
笑顔で俺を紹介したヴィルヘルムは、そのまま俺のこめかみにキスを落とす。俺が瞬時に真っ赤になって、周りからは歓声が上がった。
「はあ~美男同士、絵になるねえ!」
「そういや結婚式は済ませたのか? まだなら遠慮なく言ってくれよ」
「もう何に怯えることも誰に遠慮することもないんだからね! お幸せに!」
……本当だ。俺とヴィルヘルムが駆け落ちしている。
「ありがとう」
俺をしっかりと抱きしめるヴィルヘルムは、優しく笑った。
「ここはカラハン領内にある、トーラスという村だ」
小さな家の、先ほど俺が目覚めた部屋に戻ると、ヴィルヘルムは俺をベッドに横たえ、自分はベッド脇の椅子に腰を下ろした。
告げられた村の名に、どこかで聞いたなと首を傾げると、街に出たときに塔の入口にいた騎士のことだろうと答えがあった。あの茶髪の彼はこの村の出身らしい。
ヴィルヘルムの説明によると、ここは集落全体を感知不可の魔法で覆い、その存在をラーフェンに気取られないようにしている。カラハン領にはこの村のような隠れ里がいくつも存在していて、帝国や塔からの監視をくぐり抜けたジオール国民がひっそりと暮らしているのだという。
「君には静養が必要だ。回復するまで、しばらくここに身を潜めてほしい」
「わかった。けど、どうして俺は“ヴィルトの嫁”になってるんだ?」
ヴィルトがヴィルヘルムの偽名なのはわかる。本名とたいして違わないのは、ヴィルと呼ぶ俺が困らないための配慮なのだろうことも。
しかし、駆け落ちした夫婦という設定はどうしたことだろう。
そう尋ねられたヴィルヘルムは、珍しく押し黙った。
「え、なにか、たいへんな問題とか……?」
おろおろする俺に、騎士はうつむいてその長い指で眉間を抑えた。
「本来ならば、君の身が脅かされた際には速やかに本国と連絡を取り、移動には行き先の指定と準備の完了報告を待つ必要があるのだが」
「うん」
本国というのはジオールだろう。ヴィルヘルムは塔で集めた情報をクローセルのような諜報員と交換し、最近は俺の護衛をしながらも各地の同胞たちと連絡を取り合っている。故郷カラハンのために身を粉にして働き、こつこつと計画を進めていたはずだ。それほどまでに愛国心の強い忠義の騎士なのだから、通常通り上の指示に従って――
「気がついたら、君を抱えてここにいた」
――うん?
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
50
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる