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第四章:万世流転編
第三話「来訪者来たりて」 その三
しおりを挟むレクティファールを上座に置き、数カ所の欠けがある五重の円卓にびっしりと出席者を収めた会議場は、常日頃の御前会議とは明らかに違う様相であった。
扉は閉め切られる間もなく次々と伝令の軍人や官僚、皇城職員を飲み込んでは吐き出していたし、持ち込みが許された出席者の通信機ががなり立てる呼び出し音も途切れることはなかった。
情報交換という名目であるが、議事が進行する様子はない。彼らは自分たちが得た情報をそのまま口にすることだけが仕事になりつつあった。
議論をするほどの情報がないのだ。
掴み合いの喧嘩さえ珍しくない国民議会でさえ、もう少し静かだろうと思わせる有様に、ルーラはその感情を感じさせない細面の眉間に、細く小さな皺を寄せていた。
そんな様子を見ても変わらず、座り心地を最優先した椅子で腕組みしたままの主君に、彼女は複雑な想いを抱いていた。
「陛下、何かお持ちしますか?」
「いらない。強いて言えば、あそこで葉巻を突き付け合ってる莫迦に水を掛けろ」
言って、レクティファールは外務官僚たちが座る一角を顎で示した。
喫煙さえ禁じられていない会議場であるが、流石にそれを相手に突き付ける行為は見苦しい。ルーラは近くを通り掛かった近衛兵に外務院総裁への伝言を言付けた。「陛下が険しい顔でそちらを見ている」と婉曲な表現であったが、近衛兵に耳打ちされた吸精族の外務卿は、部下に命じてその二人を会議場から蹴り出させた。
「その葉巻を城の外で吸い終えてからもう一度来い」
それが彼の命令であった。恐縮した様子のふたりの官僚が戻ってきたのは退場処分を受けてから半時間後のことであり、会議場の出席者の半数が青ざめた顔で投影映像を見詰めながら、彼らを出迎えた。
◇ ◇ ◇
エミールが食堂に入ると、彼に目を向けた顔見知りの大半は驚き、沈痛な表情を浮かべた。
彼らにも人並みの情はある。エミールのためではなく、その可愛らしくも凜々しい新妻に悲しい想いをさせることが、自分たちにとってどれだけ不名誉なことかよく分かっていた。
自分の所属する歩兵分隊の列に紛れようとすると、エミールの肩を同僚たちが次々と叩いていく。それは慰めと、怒りの混じった感触だった。
「――すっとぼけて寝てれば良かったのに」
そう口にする同僚もいたが、軍人としてそれが不可能であることをエミールも、その言葉を発した本人も分かっていた。それでも口にしなければ治まらないほど、エミールの新妻は、夫の同僚たちに人気があったのだ。見事婚約にまで漕ぎ着けたとき、「エミールは我々が一個師団を以てしても落とせない堅城を陥落させた」という評判を得るほどに。
「おい、司令が来たぞ」
講堂を兼ねる食堂の一角に据えられた演壇に、基地司令の陸軍中佐パウル・フォン・メルダースが立つ。その顔には焦りと疲労が深く刻み込まれている。
「敬礼は省略する」
今までに聞いたこともないほど掠れたパウルの声に、その場にいた将兵は事態の深刻さを感じ取り、息を呑んだ。
パウルは自分の部下たちが状況を完全に飲み込むよりも早く、言葉を続けた。時間がなかった。
「今から二〇分前。当基地より北西、およそ一二〇メイテルの地点に大規模な次元振動を感知した。その後、航空偵察隊を組織して上空からの偵察を行ったが、そこで確認されたのがこの映像だ」
パウルの眼前に、航空隊が送ってきた映像が投影される。
基地司令の姿を隠すようにして自分たちの前に広がった光景を見て、基地将兵たちは言葉を失った。
航空隊が受影機の倍率を上げれば、地を埋め尽くさんばかりの異形の軍勢の姿がよく見える。
この地方でも出没する魔獣に似た姿を持った個体も居たが、爛れた皮膚を持つ巨人やのっぺりとした皮膚と巨大な角を持つ四足歩行の巨大個体。背にぐねぐねと触手を振るわせる蛇に、大きな鎌に似た腕を持つ蟲など、彼らが見たこともない個体の方が多かった。
何よりも恐ろしいのは、それらの集団が彼らの目にも分かるほど整然と並んで移動していることだ。
明らかに、何らかの意思によって統制されている。
「総数不明。しかし、一〇万を下ることはないだろう。しかも、連中はこの瞬間にも増え続け、こちらに向けて移動を続けている」
増える、という言葉の意味を確かめるよりも早く、エミールは自分が軍人としての最も根本的な役目を全うすることになったのだと自覚した。
こちらに向かってくるということは、少なくともこれらの集団を統制する誰かが皇国の国土を侵す決断を下したということ。
そして、侵される国土にはエミールの家族が居るということだ。
「そして我々は、軍人としてのふたつの役目を果たさなくてはならない。ひとつは戦闘区域となるであろうこの基地周辺の非戦闘員の生命を守り、一定の安全が確保された地域まで送り届けること。もうひとつは――」
司令はそこで食堂に集まる部下たちを見渡した。
彼の三分の一も生きていないような若者もいれば、彼よりも年上の経験豊富な武人もいた。
彼はこれから発する自分の言葉を嫌悪していたが、詰襟と肩の階級章。そして胸元の司令章がそれを口にせよと強要する。この場では、彼にしかできないことだ。
「――もうひとつは、この基地を抵抗拠点として、この国土全域を防衛する礎となることだ」
ざわめきはあった。
誰もが隣の同僚と言葉を交わし、しかし驚くよりも何処か諦めたような表情を浮かべているのが印象的であった。
誰かひとりが喚き散らせば、おそらくここにいる全員にその恐慌は感染するだろう。それが発生しなかったのは、彼らにとって幸運であった。
職業軍人としての教育と経験、そして無知が彼らを救った。
「まことに申し訳ないが、今の我国、そして陸軍と当基地にも志願を募るような時間的余裕はない。故に、ここで非戦闘員の護衛を務める部隊の人員を発表する」
つまり、ここで名が呼ばれなければ、基地と共に潰えることになる。
再びざわめきがあり、司令はその声を振り払うように名を読み上げる。
「フェイン・リー。グライア・デル・クライスラー。ハル・アズマ。ミリア・ドライズン――」
名前は全部で五十八名。
軍人として経験の浅い者。親が存命で兄弟が居ない者。子がおり、その養育責任が大きい者。戦闘経験の少ない非戦闘部署の者の名が多かった。
名が呼ばれるたび、悲鳴にも似た声が上がった。唇を噛み締める者もいたし、その場で同僚と固く握手をする者もいた。名の呼ばれた同僚に遺書を渡す者もいたし、自分の認識票の片割れを預ける者もいた。
「――以上である」
淡々とした部隊員の発表が終わった。その中に護衛隊指揮官のひとりとしてヴェルナーの名はあり、エミールの名はなかった。
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