白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第八話「破壊のその先」 その四

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 軍務院海軍総局艦政本部第九〇三三六号制式設計案。
 その設計案に基づいて皇国東部のノストバーン海軍工廠で起工された艦は、これまでの皇国海軍の常識の埒外にあった。
 その艦は海軍の公式名称で呼ぶならば『潜水航行型水龍母艦』であり、より人々に浸透した名で呼ぶならば『潜航水母』だ。
 この水中艦艇としては異常なほど巨大な艦種は、最初期の〈ベルディファー〉級ですら二〇〇メイテルに達する巨人艦で、以降の潜航水母もまた、彼女と同じかより巨大な体躯を有している。
 それはこの艦が、戦龍母艦や重戦艦よりも重要な戦略兵器であったことの証明でもある。一度出航すれば半年は母港に戻れないこともあり、艦内で乗員生活を完結させる必要があった。つまり、内部に小さな街を内包していたのだ。
 食料の栽培施設から有機分解施設まで、というのが初期の潜航水母であり、この艦が後々の星天軍艦船の雛形となったのはある意味当然のことかもしれない。

「でっかいどー」
「どー」
 建造船渠の中で鐵の鯨を見上げ、両手を挙げて真っ白い息を吐きながら感想を述べるオリガと、その真似をするマティリエ。
 皇王自らによる地下の秘匿船渠での視察ということで緊張しきりであった艦政本部長と工廠長は、ふたりの小さな皇妃の様子に表情が崩れそうになっていた。
 少なくとも、緊張感は消し飛んだ。
「ふたりとも、あまり騒がないように」
 海軍大元帥の徽章を付けた大外套を纏い、零下に保たれた船渠を一瞥したレクティファールは、そうふたりを注意した。静かにと言ったところで船渠内は騒音に包まれており、一行のいる床にはその振動が伝わってくる。
「あ、眩しい、です」
「――ん」
 錬金溶接の反応光に目を細めるマティリエに、オリガが懐から取り出した遮光眼鏡を手渡す。ふたりの皇妃は真っ黒い遮光眼鏡を掛け、じっと建造風景を眺めていたが、揃って大きめの黒眼鏡を掛けているその姿は、やはり周囲の人々の笑いを誘う。
 艦政本部長が必死に笑いを堪え、工廠長は遠くの作業員を見ることでふたりを視界から外している。レクティファールの随員だった軍務院職員の中には息荒く積極的にふたりの姿を眺めている者もいたが、彼は護衛の海軍陸戦隊員によって何処へと連行されていき、視察終了の頃になってようやく戻ってきた。
 なお、このときのふたりの写真がいつの間にか秘匿船渠の休憩室に飾られたのは、本人たちも知らないことだ。
「見事なものだ」
「は、恐縮です」
 レクティファールが口にした感想に、艦政本部長が背筋を伸ばした。隣では手柄を取られたような気分になった工廠長が、遙か上の階級の艦政本部長をじっと見詰める。
「隣の船渠で建造中の二番艦の進捗も順調です。予定通り、今年の暮れには慣熟航海に出られるでしょう」
 工廠長がそう請け負う。ふたつの海軍の再編制もあって皇国三大海軍工廠はどこも忙しく動いているが、それだけに対抗意識も抱いている。どの工廠が何を得意とする訳でもなく、規模も同格とあっては仕方のないことだ。
「搭乗予定の水龍戦隊の方は、すでに実験施設で第二段階まで訓練を終えています。こちらも予定通りですね」
 潜航母艦によって構成される予定の第十三艦隊の参謀として艦隊建設に当たっている女性参謀が、レクティファールの背後で資料を捲りながら口を挟む。
 ウェルチ・フォードという名の作戦参謀は、海軍総司令部が強く推薦したことでその任に就いた。現在少佐になったばかり、新進気鋭の海軍参謀であった。
「問題があるとすれば、この艦の存在がどれだけ他国を刺激するかということですが……」
「それは政治の仕事だ。ただ、この艦隊が使い物にならなければ、我国は余計な苦労を背負うことになる。この艦が存在することで発生する苦労は、それよりも小さい」
 レクティファールはついに船渠内を走り出したふたりの妃を一瞥し、槍の穂先にも似た姿の鉄鯨を見上げる。ちょうど、艦体の横から迫り出していた水龍の発進装置が、動力によって艦体に引き込まれていくところだった。
「少ない水龍をより分散することに不安はある。だが、群龍による海域閉鎖の可能性を他国に知らしめることで、戦いを抑制することはできる」
「そうでもしなければ、我国は超大国に太刀打ちできませんか」
 艦政本部長は苦々しい表情で漏らした。
 彼は自分たちが作り上げた海軍に絶対の自信を持っている。同数を相手にする限りは決して負けない。寡兵であっても、その動きを止めることはできると信じていた。
 ただ、政府はそう考えていない。
「何ヶ月も潜り続けることのできる母艦と、そこを拠点とする水龍戦隊。たった一隻で一国の海軍を拘束するのがこの艦の役目だ」
 壮大に過ぎる計画だった。
 しかし、必要な計画だった。
「艦隊戦力ををどれだけ充実させても、他の超大国には抗えまい。艦の性能が勝っていても、海軍の性能は遙かに劣っている。訓練を重ねて兵士たちを鍛え、配備された艦の稼働率を高い水準で維持しても、より大きな力はそれを簡単に踏み潰してくる」
「だからこその海中要塞、ですな」
 要衝を扼する要塞は、たとえ寡兵でも相手の戦略行動を著しく制限する。皇国は海の中で同じ役目を果たす存在を作ろうとしていた。
「これから面倒なことになるだろうが、この国を守るにはどうしてもこの艦が必要だ。諸君らにはより一層の努力を求めることになるが、よろしく頼む」
「はっ」
 皇王の言葉は凄まじいまでの重さを持っていた。
 工廠長は、自分たちの作る艦がこの国そのものを支える存在になるのだと、ここでようやく理解した。その重要性と水龍の絶対数を考えれば、替えの効かない艦だった。
 間違っても、技術的欠陥で失われる訳にはいかない。
「恐れながら、陛下」
「何だ」
 工廠長は船渠の端を走り回る皇妃ふたりに目を向け、続いてレクティファールの銀の瞳を見た。
 自分となんら変わらぬ、家族を持つ者の目だった。
「無事の竣工を願い、皇妃殿下に守護の呪いを賜りたく存じます」
 艦政本部長がぎょっとした顔を浮かべ、工廠長を振り返る。随行員たちは困惑した様子だったが、ウェルチだけは表情を変えなかった。
「乙女ではないぞ」
 少しだけ笑みを浮かべたレクティファールは工廠長に向かってそう答えた。
「あのお姿であれば、海の神々も騙されましょう」
 工廠長がオリガたちに目を向ければ、一同もまた同じように両手を挙げて走り回るふたりを見る。
 ふたりは自分たちに視線が集中していることに気付き、ぴたりと動きを止めた。
「なに?」
 オリガの口がそう動いたのを、レクティファールは確かに見た。
 マティリエの尾が忙しなく動いているのは、好奇心によるものだろうか。
「確かに、あれは騙されるかもしれないな」
「ええ、実に天真爛漫で、水精が好みそうな方々だと」
 工廠長の言葉はまったくの本心だった。
 彼は現代の船大工として、船に関してはあらゆる験を担ぐ。食べ物から拝する歴代皇王まで、自分の作り上げた艦が乗組員たちを守り、皇国を守ることを望んでいる。
「それに、マリア様やフェリス様が祝福された艦は、今までに訓練中の事故なども起きておりません。そう考えれば、如何に水精に好かれるかの方が重要なのでしょう」
「そういえば、他の妃たちも何隻か祝福していたな……」
 海軍艦への祝福は、数少ない皇妃単独公務のひとつだ。
 中でも蒼龍の一族の祝福は、海軍の中で恐ろしいまでの信仰心を集めている。フェリスの公務の大半が海軍や海運業関連なのは、水龍信仰が原因なのかもしれない。
「分かった。あの二人はまだそういったことをしていないが、今日この工廠に二隻の姉妹鯨がいて、ふたりの皇妃がいる。それもひとつの巡り合わせだろう」
「はっ、ありがたき幸せ」
 工廠長が頭を垂れ、一瞬遅れて艦政本部長が脱帽して腰を折る。
 一行の中にいる工廠職員がざわめく中で、ウェルチだけが冷静に通信機を取り出して祝福の準備を行うよう部下に命じていた。
「しかし陛下、ひとつ不思議なことが」
「何だ?」
 工廠長の言葉に、艦政本部長が目を丸くしている。気が高ぶっているのか、明らかに踏み込んではならない部分に踏み込んだ工廠長に驚いたのだ。
 だが、レクティファールは工廠長の言葉にも何ら気分を損ねた様子を見せなかった。それは演技でも何でもなく、彼の本心だった。
「今日の御行幸、皇妃殿下はいらっしゃらないとお聞きしておりましたが……」
「ああ……それか」
 レクティファールは表情を消し去り、皇都のある方角を見て呟いた。
「今、後宮で招待主リリシア・メリエラ。招待客マリア・アナスターシャの茶会が開かれてる。そしてマリカーシェルがあのふたりを連れて行けと言った。それだけだ」
 その眼は、どんよりと濁っていた。
 絶対に今日は帰らない、そんな心の声が聞こえてきそうだった。
「は、はぁ……それは……臣には如何とも……」
 工廠長がこの寒い中冷や汗を浮かべ、艦政本部長の胃が捻れるような痛みを発する。そんな重苦しい空気など知らぬと言わんばかりにうろうろと動き回っていたふたりの皇妃が、その空気を吹き飛ばした。
「ぬわー」
「お義姉さまー!?」
 オリガが凍った地面で滑って豪快にすっ転び、マティリエがそれに巻き込まれた。ふたりの様子を見守っていた乙女騎士が慌てて駆け寄っていく。
 レクティファールはその様を一目見て、一行に告げた。
「見ての通り、皇王家といっても市井とそう変わるものではないさ。夫の立場は常に浮動しているんだよ。分かるだろう、工廠長」
「は……痛いほどに」
 一行の中で既婚者男性が頷き、独身男性が戦慄する。
 女たちが呆れたような表情を浮かべている間に、レクティファールはふたりの妃の元に向かうのだった。
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