白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十四話「紅賛歌」 その四

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「姉さん、指切った」
「さっさと治せ」
「治った」
「ならば野菜を切れ。あと塩燻製肉を切り分けてくれ」
「分かったー」
 夕食時、レクティファールがそんな厨房から聞こえてくる姉妹の遣り取りに不安を覚えたとしても、誰も彼を責めることはできないだろう。
 離邸に押し込まれて三日、彼は常時緊張を強いられていた。母親たちに何を吹き込まれたのか、フェリエルたちがまるで市井の新妻のような行動を見せるからだ。
「無駄に凝らなくてもいいのに……」
 レクティファールはそう呟いた。本心だ。ふたりとも決して料理ができない訳ではないが、その腕を磨く機会は決して多くない。下手に凝った料理を作ろうとすれば、余計な被害が増えるばかりなのだ。
 しかし、何故か彼女たちは自分たちで食事を作ることに拘っている。
「まあ、弁当持って執務するという経験もなかなか得難いものですし、ふたりが満足するならそれでいいんですけどね」
 弁当を持って皇城に入る皇王。それは実に三〇〇年ぶりのことだ。
 ルキーティはその姿を見て可笑しさと懐かしさのあまり笑い転げ、皇城への境界線までレクティファールを見送りに出たマリカーシェルはどこか納得したような表情を浮かべていた。
 ちなみにレクティファールが政務を行っている間、ふたりは離邸の中を掃除したり洗濯をしたりと忙しく働いている。それこそ一般家庭の主婦のように、ときに忙しなく、ときにのんびりと動き回っている。
 本人たちが楽しそうなら別にいいか――レクティファールは初日にその考えに至り、以後深くは考えないようにしていた。
「レクティファール。皿を持っていくから食卓を空けてくれ」
「はいはい」
 妻に言われるまま、レクティファールは食卓に広げてあったいくつかの資料を片付けた。敷き布を広げ、食器などを並べていく。
「ふむ、今日もなかなか上手く出来たぞ」
「昼間空いた時間で色々勉強したもんねぇ。アタシたちが料理雑誌開いてるなんて、病院の同僚が見たら泡拭いて倒れそう」
 いや、父親も泡吹いて倒れると思う――レクティファールは喉から出かかった言葉を呑み込んだ。レクティファールはもとより、フレデリックにも被害が及ぶのは確実だからだ。
「はー、今度厨房担当の騎士に会ったら訳もなく絶賛しそう……」
 料理を並べ終えたファリエルが大きな溜息と共にそう漏らした。
『料理は戦争』という部隊標語を持つ後宮給養中隊だが、ふたりはその一部を身を以て理解した。
「これ以上オリガとかのご飯作れって言われたら、アタシ死ぬ」
「そうだな。今後はもっと味わって食べることにしよう」
 何度も頷き合うふたりに、レクティファールは心中で同意した。
 たった三人分を作るだけでも精神的肉体的に疲労するというのに、超が付くほどの大食であるオリガの食事を毎食用意する給養中隊の苦労は如何ほどのものだろうか。
 月に何度かはアナスターシャまでそこに加わるのだから、現在の後宮給養中隊は後宮史上もっとも過酷な戦場に立つ部隊であろう。
 そう考えれば、騎士の増員要請がもっとも頻繁なのも仕方のないことだ。レクティファールは先ほど片付けた書類の中にあった『速やかなる部隊の増強を求める部隊総員の署名』について、可能な限り手を尽くそうと心に決めた。
「まあ良い。冷めないうちに食べてくれ、我が旦那様」
「ええ、いただきます」
「味わって食べろよー」
 そして、食事が始まった。
 とはいえ、三人ともなれば後宮の食堂で食事をするときよりもだいぶ静かになる。
 ファリエルがレクティファールに外の様子を確認し、フェリエルがレクティファールの行動に苦言を呈する。
 生来の性格か、できるだけ会話を続けようとするファリエルと、必要のない会話はしないフェリエルは、こうしてふたりだけを見較べるとその違いがよく分かる。
 表情がころころと変わるファリエルは、時折身振り手振りを交えて話を盛り上げるのだが、フェリエルはそんな妹の姿に眉を顰める。しかしフェリエルが淡々と事務的な口調で言葉を発するときは、ファリエルが姉の言葉に辟易して表情を歪めるのだ。
 実に対照的な姉妹だった。
「しかし、初日に較べればだいぶ落ち着きましたね。これなら予定を繰り上げることもできるかもしれません」
「あー……」
「初日ね、初日……」
 ふたりの様子を眺めていたレクティファールの言葉に、紅の姉妹が顔を赤らめる。
 初日は唯々『酷かった』。そう評するしかないほどにもの凄く酷かった。
 ふたりは理性なのか本能なのか本人たちにも分からないもので自己を正当化し、監視役だったルミネアールが顔を引き攣らせ、最終的には顔を背けるほどの行動を見せたのだ。
 その様子についてルミネアールがマリカーシェルに報告した際、彼女は「視覚から感染するほどの淫靡さと美しさだった」と述べ、後輩にして絶好の玩具である旅団長の顔が赤くなったり青くなったりする様を楽しんだという。
 また、この一件については噂が噂を呼び、後世の作家たちの創作意欲をひどく刺激した。その結果、ふたりは全皇妃中もっとも多く裸体を描かれた皇妃となり、恥ずかしさのあまり寝台の上で足をばたばたと動かす羽目になる。
 もっとも、その場面の絵画を御用商人から贈られたフレデリックよりはいくらも“まし”であろう。いくら芸術的価値が高かろうとも、娘ふたりと婿の睦み合いなど見たくはないのだ。
 もっとも、公爵妃たちはこの絵画を好意的に受け止めた。そして娘たちに負けてなるものかと考え、夫をもう一度燃え上がらせて見せようと奮起したらしい。
 その結果きちんと次代の公爵が生まれたのだから、世の中何が幸いするか分からない。
「んん、ごほん、それで、今日の課題は何だ?」
 フェリエルは赤らんだ頬を誤魔化すように咳払いし、レクティファールに訊ねる。
 もっとも効率よくフェリエルとファリエルの本能を発散させるため、ルミネアールが一族の英知を結集して『夜の課題――但し夜に限らず――』を作成し、それを毎日レクティファールに渡しているのである。
 ある種、龍族と夢魔族の代理戦争と言えるかも知れない。
「ええと、今日は浴室でどうとか書いてありますね」
「お風呂!?」
 レクティファールが懐から取り出した紙を読み上げると、フェリエルとファリエルが同時に叫び、立ち上がった。しかし直ぐにもごもごと口を動かしながら椅子に座り直す、その口が小さく「掃除は楽だし」や「これは課題だから仕方がない」などと呟いていることについて、レクティファールは触れなかった。
(だって怖いですし)
 レクティファールも一応、妻に対する紳士的対応というものを学習している。それが現実として役立つかは別だが、間違いなく記憶はしているのだ。
「うーん、しかし浴室となると監視はどうするつもりだろうか?」
 レクティファールは、ルミネアールが職務放棄してもいいよねと思っているなど露程も考えていない。
 三人は、三日目にして百戦錬磨の夢魔族を追い込んだのだった。
「そ、それについては局長殿が上手く考えているんじゃないか?」
 フェリエルが若干上擦った声でレクティファールの疑問に答えた。
 彼女はルミネアールが監視を放棄したのではないかと疑っていたが、それをレクティファールに伝えることはしなかった。
 監視がないという一点に意識が持って行かれてしまった――彼女の精神状態を表すなら、そう述べるしかない。
「この離邸も後宮にあるんだし、大丈夫でしょ。へーきへーき」
 一方、ファリエルは姉よりも落ち着いていた。
 色々なところから仕入れた情報が頭の中を駆け巡っていることは姉と同じだが、多少なりとそれを受け入れる余裕があった。市井の新婚夫婦と同じように過ごすのも悪くはないと思い始めていた。
「それもそうですかね。じゃあ、私は……」
 いつの間にか食事を終えていたレクティファールが立ち上がろうとすると、フェリエルがびくっと肩を震わせた。
「――とりあえず、部屋で仕事を終わらせてますので」
「あーうん、食器とか片付けたら呼ぶよ」
「分かりました」
 そう答え、レクティファールは書斎として使っている部屋に向かう。
 ファリエルは硬直したままの姉を見詰め、ぼそりと呟いた。
「アタシよりねーさんの方が酷いよね」
「ひぐぅっ!」
「やってるときのねーさんの姿見ると、一瞬素面に戻るもん」
「はぐっ!」
「くそ親父の助平っぷりは姉さんに遺伝したんだね」
「ごふっ!」
 最後の一言が一番辛かった。
 でも一番不遇なのは、娘にそんな扱いをされるフレデリックだったかもしれない。
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