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「琴音、お前との婚約を破棄させてもらう。お前が俺や蘭子に対して取っている行動、それが俺の婚約者に相応しいものだとは思えない。お前のような心弱い編入生を差別するような心の狭い女の面倒を見るつもりはない」

 サマーパーティーの日、壇上でパーティーの開始を告げるはずだった悠人がマイクを片手に真っ先に口にしたのがその言葉だった。
 同じく壇上に立っていた琴音達は「あちゃー」と心の中で思ったが、多くの生徒や教師の目がある為表面上は何ともないように振舞っている。
 その中で同じく壇上に立っている雅也だけが当たり前だというように頷いていた。

「この機会にSAとして提案もさせてもらう。学生をIDランク分けなどせず、どの施設も利用できるようにすべきだと」

 その言葉に反応したのは一部の生徒だけで、ほとんどの生徒は「何を言い出しているんだ?」と首を傾げる。
 学生IDランクでの施設入場制限に関しては、昼食時間や放課後に施設が混雑しないよう、また生徒の経済状況によって利用料金の支払いが難しくならないように配慮されたものであり、薔薇学園が設立されてから何度も協議を重ねて出来上がった規律なのだ。
 この規律が出来るまで、見栄を張って施設を利用して自分の首を絞める生徒も多かったし、人気のある施設は時間によって混雑してしまい入場待ちなどが出来て時間を無駄にするとSAに苦情も入っていた。
 何年も協議を重ね、どういった生徒をどのランクに所属させるか、どの施設への入場を許可するか、膨大なデータを集めて作り上げられたのだ。
 薔薇学園は確かに旧家や名家、政財界の子女が多く通うが、入学試験や編入試験で合格する事さえできれば一般家庭の子女だって通うことが出来るのだ。
 そもそも価値観の違う生徒たちの間で問題が起きないわけもなく、同じ施設を使っていた時代は幾度も生徒の間で諍いが起きていた。
 SAである悠人も、当然その事を知っているはずなのだが、悠人の頭の中は如何に文句を言われずに蘭子とより洗練された施設を使用できるかという事だけに占められていた。
 自分の言葉の正当性をさらに言い募ろうとした悠人の手からマイクが奪い取られる。
 いつの間にか隣に来ていた美波が奪い取ったのだ。

「皆様、お騒がせして申し訳ありません。悠人様の言葉など気にせずに今年のサマーパーティーを楽しんでいただけたらと思います。悠人様の言葉は遅れてやって来た中二病だとでも思ってください」

 にこやかに言う美波に、たとえそれが今取り繕った言葉なのだとわかってもせっかくのサマーパーティーを邪魔されてはたまらないと思う生徒の方が圧倒的に多く、SAによるパーティー開始の挨拶を美波が行うという流れに従っている。
 悠人は桐子と汐里が両腕を引いて舞台袖に引っ込ませた。

「では、夏季休暇前の最後の日、他の学校であればお偉い先生方の長ったらしいご高説を頂く終業式が行われるようですが、この学園ではこのように生徒の交流を深めるためのサマーパーティーが行われます。今年初めて参加する生徒は緊張してしまうかもしれませんが堅苦しく考えず、ただ提供される音楽や食事を楽しんでください。ではここに、サマーパーティーの開始を宣言します」

 美波がそう言うのと同時にこの日の為に雇われた楽団が音楽を奏で始め各所に設置されたスピーカーから音が流れ出す、何度も経験している生徒はそれぞれ自由な場所に移動し、初めての生徒も美波が言ったようにとりあえずこのパーティーの作法を観察するために移動を始めた。
 壇上に居た美波達も動き始めた生徒を見て壇上から舞台袖に下がり、そこで桐子と汐里にいまだに抑えられている悠人を見る。

「全校生徒の前でふざけたことを言う暇があるなら会場に行って生徒達のフォローをして来たらどう?」
「ふん。お前達いい加減に手を離せ」
「暴れないと約束してもらえるなら離しますよ」
「当たり前だろう」

 悠人の言葉に桐子と汐里は手を離すと美波や琴音の隣に移動する。
 その様子に悠人と雅也は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「群れないと何も出来ないなんてな。少しは蘭子を見習ったらどうだ?」
「悠人様はどこまで馬鹿になったの? 群れるというのなら男子生徒に群がられている蘭子様の方が余程そうでしょう」
「また蘭子を馬鹿にするつもりか」
「ここで無駄に言い争うつもりはないわ。貴方達のこれからの行動なんて予想が付くけど、せいぜいSAとしてこれ以上恥の上塗りをしないで頂戴ね」
「そんなもの俺の勝手だ」

 悠人はそう言うと舞台袖から立ち去って会場の方へ行き、雅也もその後を追った。
 残された少女達はため息を吐きながらサマーパーティーが円滑に執り行われるようにするためにそれぞれ決められた役割を全うすべく動き始めた。
 琴音は比較的動くことが少なくて済む軽食コーナーの一カ所に向かう。
 ここで食事を出すタイミングなどの采配を行うのが琴音の主な役割だ。
 食事を提供するスペースは多数あるが、サマーパーティー運営に関わる生徒が琴音の元に状況を伝えに来て、それに合わせて琴音が指示を出すという形をとる。
 本来なら食事を提供する場所を何度も往復して各所で個別に指示を出すべきなのだが、琴音の体力を考えて琴音がSAに所属するようになってからずっとこの形式をとっているし、これが思いのほか効率的に回っているのだ。
 全校生徒が集まるパーティー会場は広く、連絡用のスマホがあるとはいえ動き回るSAの生徒を捕まえるのは苦労する。
 その点、一定の場所から動くことのない琴音を捕まえることは容易で、食事の提供の相談の他、問題が起こったり起こりそうな場合にSAに指示を仰ぎたい生徒が琴音の所に来ることも珍しくない。
 一般家庭の生徒がなれないパーティーに戸惑い、知らないうちに問題行動を取ることもあるのだ。
 逆に家格の高い生徒が場所を占拠したり傲慢にふるまうこともある為、そう言った事柄を解決するのはSAの担当だ。
 美波、桐子、汐里も会場内を動き回り問題が起きていないか見て回っているが、何せ広い会場だ、全てに目が行き届くわけではない。
 SA以外の運営に関わる生徒と常に会話できるようにはしているが、同じ話を同時に聞くため同じ場所に集まってしまう可能性もある為、総指揮をとる者が必要なのだ。
 昨年までは悠人がその役目をしていたが、今の悠人にその役目を任せられるわけもなく、今年は琴音がその役目を任されている。
 そんな琴音の元に、早くも悠人達の一団が騒がしくしていると周囲の生徒から苦情が入ってるという事が持ってこられ、琴音はすぐさま美波に悠人のもとに行って解散するか場所を移動、正確には騒ぎを続けるのであれば会場を出て中庭で話せというように頼んだ。
 琴音の要請を受けて悠人達の元にやって来た美波は多くの生徒の前という事で、親しい者の前でのみ見せるようなラフな口調ではなく、旧家のお嬢様らしい丁寧な、いっそ丁寧過ぎる口調で悠人達に解散するか会場を出ていくように告げた。

「なんで? 水鐘さんが来るはずなのに」
「琴音様は役割上一定の場所から動くわけにはいきません。何を根拠に琴音様がこの場に来ると思われたのかは存じませんが、自分勝手な思い込みはおやめになったほうがよろしいですよ」
「ひどい、思い込みなんて。だって、こういう時は大抵水鐘さんが文句を言いに来るじゃないですか。だから、今回もそうなんだって思っただけで」
「それが思い込み以外の何だというのです? まあ、今この場で蘭子様を責める時間も惜しいですね。それで悠人様、解散するか会場を出ておしゃべりを続けるかどちらにするのですか?」
「別にそこまで騒がしくしていないだろう」
「自覚が無いのも困ったものですね。今日は多くの生徒が楽しみにしているサマーパーティーです。SAに所属している者がそれを台無しにするつもりですか?」

 美波の言葉に悠人は少し考えるようにすると、蘭子の手を取った。

「蘭子、会場の中心ではフォークダンスを行っている。参加しないか?」
「え? あ、うん」

 どこか戸惑ったような蘭子の態度に悠人はダンスという言葉に臆したのかもしれないと思った。

「社交ダンスのような形式ばったものじゃないから大丈夫だ。それに俺がちゃんとリードしてやる」
「そ、そうなの? えっと、フォークダンスなら中学の時に授業でやったけど、悠人君がリードしてくれるなら安心だね」

 蘭子は戸惑ったように言ったが、それでも悠人の心をくすぐる言葉を忘れずにつけ足して悠人の手を握り返した。
 立ち去って行く悠人と蘭子を見送って、美波は残された雅也達を見る。

「貴方達の大切なお姫様は悠人様が攫って行ってしまったようだけれど、いつまでここにとどまっているつもりなのでしょうか。素直に解散していただけますか?」

 美波の言葉に雅也達は苦虫を噛みつぶしたような顔をして悠人達の後を追うべく移動を始めた。
 それを見て美波はダンスの邪魔になるようなら問答無用で悠人達を追い出すように桐子達のみならず運営に関わってくれている生徒へ伝達した。
 琴音にもその事はもちろん伝わっており、琴音は誰にも分らないように小さくため息を吐き出した。
 婚約破棄という事を悠人が考えているという気配はもちろん琴音もわかっていた為、当然様々な対策を取っていたし、先ほど壇上で悠人が放った婚約破棄の言葉は公式記録として今回のサマーパーティーを記録している映像証拠として残される。
 両親への説得の為、琴音に何の落ち度がない事を証明するために、悠人周辺に対して探りも入れていた。
 その周辺にはもちろん蘭子も入っている。
 蘭子は一冊の鍵付きの日記帳を常にカバンに入れて持ち歩いており、たまにある一人でいる時間にそれを開いてはぶつぶつと何かを言っているのだという。
 聞き取れた単語に「イベント」「選択肢」「ゲームの予定」というものがあり、諜報に当たっていた者は蘭子が何かのゲームにはまっているのかもしれないと伝えてきた。
 それならばそれでよかったし、蘭子を監視させておいたおかげで蘭子が自分で自分の物を壊し、教室を出て行き、しばらくして友人と呼称する生徒と教室に戻って来て悲壮な顔をして「また持ち物が壊されてる」と嘆いている姿も映像として記録されている。
 盗撮に証拠能力はないが、両親に琴音に何の責任もない事は伝えることが出来る。
 悠人に対する配慮が足りなかったのではないかという声が上がるかもしれないが、琴音としてはいまだに婚約者としての義務感もあり悠人に対して毎日「おはようございます」「おやすみなさい」のメッセージを送るのを欠かしていないし、琴音なりに悠人の事を尊重して対応していた。
 ただ、和人を知っている琴音の言葉では悠人の心に響かなかった、それだけのことである。
 なんとも自分勝手なことだが、悠人は琴音がどんなに言葉を重ねても、その心の中には和人と比べているのだと思えてしまい、婚約者としての義務感から悠人に対応しているだけなのだと思い込んでしまう。
 蘭子に出会う前であったら、それでも表面上はうまくやっていただろうが、悠人は蘭子に依存してしまった。
 もはや琴音の言葉が悠人に届く事は無い。
 その事を察した琴音は両親にその事を伝え、もし悠人側から婚約破棄の言葉が出た場合、婚約時の契約に従い婚約破棄をして欲しいと頼んでいた。
 既に琴音と悠人の婚約、ひいては結婚を前提に動いているプロジェクトがいくつもあるが、婚約破棄によって解体されるものも出てくるだろうし、残るものもある。
 それがビジネスと言うものだが、今回の婚約破棄は明らかに悠人の独断専行であり、水鐘家からしてみれば契約違反も甚だしい事なのだ。
 もちろん六角家に慰謝料の請求がなされるし、プロジェクトの損害賠償も請求することになっている。
 六角家には事前にその事は伝えており、悠人の両親は悠人にくれぐれも馬鹿な真似をするなと言われているのだが、悠人はその言葉に逆に煽られたのだ。
 このままでは琴音と強制的に結婚させられて蘭子と引き離されてしまうと怯えたのだ。
 その結果が先ほどの馬鹿々々しい婚約破棄宣言だった。
 確かに婚約破棄をしなければ琴音は悠人に嫁ぐだろうが、婚約破棄をしたいのであれば両親を説得して内々に済ませればよかったのだ。
 なにも学園全体に噂話の話題を提供する必要はない。
 もはやそんな事にも気が回らなくなってしまったのかと琴音は悠人の劣化にもの悲しさを覚えたが、それの全てが蘭子の影響である事にも気が付いていた。
 蘭子がどんな魔法を使って悠人達に取り入っているのかはわからないが、この学園にとってよくない異分子になっていることは確かだ。
 SAとしてそう言った生徒を野放しにしておくことは出来ないが、生徒から多くの苦情が出ているとはいえ大きな問題を起こしているわけではない。
 職員達も蘭子がなにか問題を起こしてくれれば停学処分など明らかな罰を与えることが出来るのだが、それが出来ない状態である。
 美波は覚えのない冤罪を押し付けられていると訴えればいいのでは? と言っているが、琴音は自分が関わる事があまり大事になり気力を割くようなことになって欲しいとは思っていない。
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