木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

痛む胸に最悪の言葉。

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通りかかった渡り廊下。
窓から中庭を眺めていると一人の女生徒がこちらに向かって歩いてくる。
目を凝らさなくても分かった。
細谷咲だ。
二週間前、夏休み最後の木曜日に美術室で会って以来の姿。
ただ歩いているだけなのに愛おしい。
今日はまた木曜日だ。
もしかしたら彼女はこの下を潜りプール棟へ向かうのかもしれない。
先週俺にすっぽかされたのに、今日も俺に会うために向かってくれるのか…。
今すぐ階段を駆け下り彼女の元に向かいたい衝動に駆られる。
しかしそれだけは出来ないんだ。
森本先生との約束。
もうこれ以上細谷咲にリスクを負わせるわけにはいかない。
予想通り彼女は渡り廊下の下を通過しプール棟の方へ向かって行く。
その背を追うように今度は反対側の窓まで移動しその足取りを見守った。
彼女は今日も俺が来ない事をどう思うのだろう。
傷付くのだろうか。
恨むだろうか。
それとも直ぐに忘れるだろうか。
森本先生の言う通り、相談に乗る事を教師の距離感でやり直すべきなのかもしれない。
そうでなくてもプール棟へはもう行けない事くらいは伝える必要があるだろう。
それでも今彼女を前にしたら俺はどうしても確認したくなってしまうだろう。
細谷咲と俺の気持ちの種類が一致しているのかを。
今日もまた彼女をあんな場所に一人待ちぼうけさせるしかない癖に、痛む胸に手を当てながら小さくなっていく背中を見送った。


放課後の中庭を進む。
ずんずんと風を切り、胸を張って歩く。
先週の木曜日、山崎先生は来なかった。
結局その理由は分かっていない。
そのまま一週間経って今日はまた木曜日だ。
きっと今日も来ないと分かっている。
だけどどうしても私は確かめたい。
私達の時間はもう本当に終わりなのか。
そして噂の真相も。
後は首に残した痕の意味。
山崎先生は少しでも私と同じ気持ちでいてくれていますか?
それがどうしても知りたい。
そうじゃないと前に進めない。
これ以上一人取り残されたくない。
私も亜樹みたいに知るべき事を知って、そして選んで前に進みたい。

鬱蒼とした記念樹に囲まれたプール棟。
鍵は捨ててしまったので扉の前に陣取ると、壁際にリュックを置いてその上に体育座りした。
お尻の下でペンケースかメイクポーチか分からないけれど、何かがガチャっと音をたてている。
ガサツでどう仕様もない自覚はある。
こういう女子力がないところも直していかないとダメなんだろうな。
きっとこんな理由で山崎先生が来なくなったわけじゃないだろうけど、良くない自覚があるのなら直しておいた方が良い。
だけど、もし山崎先生と森本先生が本当に噂通り付き合っているのなら。
そうでなくても付き合いそうな状態なら。
もう今更私に出来ることなんてない。
腕に力を込め膝をグッと抱き寄せ、そこに額をくっつけた。
前に進む為にここまで来たのに嫌な事ばかりが次から次へと思い浮かんで消えてしまいたくなる。
今日こそ山崎先生に来て欲しい様な、真実が苦しいものなら何も知りたくない様な。
自分でも分からない。
「山崎先生…。」
堪らず小さく呟いた。
その時。
「細谷さん…?」
私を呼ぶ声。
だけど顔を上げなくても分かる。
山崎先生の声では無い。
私はのそのそと気怠い速度で顔を上げ応える。
「森本先生…。こんにちは。」
「こんにちは。」
そこには森本先生が立っていた。
どうしてこんな所に森本先生が?
ここに居る言い訳をしないと。
だけどもうどうでも良い気がしてきて言葉を探すのも億劫で。
私は黙って森本先生の顔を見上げていた。
「細谷さん。もう山崎先生は来ないよ。」
「…え?」
どうして森本先生がそれを?
状況の把握が追い付かなかった。
一体何をどこまで知っているのか。
もしかして山崎先生が話したの?
やっぱり2人は…。
ただ呆然と森本先生を見上げ続ける。
「ここで山崎先生に相談に乗ってもらっていたんでしょう?」
「何で…それを?」
「前に細谷さんが親身に相談に乗ってくれるって言っていたのは山崎先生の事だったのね。」
こちらの質問に答えずに好き勝手言う森本先生にわけも分からないまま苛立った。
私は立ち上がる。
「だから何でそれを…」
「ダメだよ。」
強く問い掛けると被せられる否定的な言葉。
優しい森本先生からの初めての否定。
固まってしまう私の目をじっと見て続ける。
「山崎先生の事を思うなら、もうこそこそ2人きりになったりしたらダメ。もしばれたりしたら…大人は失うものが大きいの。まだ細谷さんには分からないかもしれないけど。」
「分かります!」
思わず叫んだ。
「分かっています。そんな事。」
「分かっていないよ。分かっていたらこんなに何度も続けないでしょう?」
言葉に詰まる。
言い返せない。
だって本当は何も分かっていなかった。
私は自分の欲求を満たすことに夢中で、先生との時間が本当に大好きで。
ただそれだけで。
バレるなんて思っていなかった。
バレたらどうなるのかは分かっていたけれど、バレるわけないって思っていた。
森本先生の言う事は正しい。
だけど素直に聞けない。
それは森本先生が大人の正論だけを語るから。
今目の前にいるのは優しくココアを入れてくれた時の森本先生じゃない。
親身に話して亜樹の成長を促せた森本先生じゃない。
いけない事だからダメなんて言い方していても、本当は自分が嫌なだけなんだと思えて仕方ない。
本当はただの嫉妬なんじゃないの?って…。
「山崎先生がここに来ないのは山崎先生の意思ですか?」
「うん…そうだよ。」
「じゃあ、森本先生が来たのは?山崎先生に頼まれたんですか?」
森本先生を睨み付ける。
「森本先生が来たのは誰の意思ですか?」
「私の意思だよ。」
「じゃあ嘘吐きじゃん。カウンセラーは自分の価値観は押し付けないって言ったのに。」
「今私はカウンセラーじゃない。」
「じゃあ、なんなんですか?」
声が震える。
私は怒っていて。
でもそれが何に対してなのか分からない。
仲良くなれたと思っていたのに。
裏切られたような気分に支配されコントロールを失う。
森本先生は初めから山崎先生と私を邪魔したくて私に近付いたのかな?
あの時くれた気遣いとか優しさとか全部嘘なの?
山崎先生だって酷いよ。
急に来なくなって。
何も教えてくれなくて。
解決するまで手伝うって言ってくれていたのに。
山崎先生も嘘吐きだ。
駄々を捏ねたって仕方がないのに、ただ目の前の森本先生に怒りをぶつけてしまう。
「ねぇ、なんなんですか?カウンセラーじゃないってどういう意味ですか?」
「ここには一人の女として来たの。」
何を言っているんだと思った。
意味が分からない。
だけど凄く嫌な予感がして。
次の言葉を聞きたくなくて耳を塞いで逃げようと思ったのに身体が動いてくれない。
森本先生の口が開く。
「私は山崎先生が好き。」
最悪の言葉。
あーあ、聞いちゃった。
もう知らないフリ出来ないじゃん。
真剣な顔で宣言した森本先生を眺め、私はただただ立ち尽くした。
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