木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

女として。

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放課後の中庭。
校舎の壁に何かが見えた。
気になって近寄るとウサギのキャラクターがマジックペンでいくつか描かれている。
壁のシミやヒビ割れに上手くマッチさせて色々なポーズをとっているウサギ達。
かなり前に描かれた物のようで所々薄くなり消えかけている部分もあるけれど、消される事なく生き残っているのを見るに、その愛らしさで見た人の心を癒してきたのだろうと憶測できた。
そういえば数ヶ月前、渡り廊下で一年生女子集団の会話を盗み聞きしながら観察した山崎先生がこの辺りの壁を見入っていた事があったな。
もしかして先生もこれを見付けたのかもしれない。
女生徒達に話題にされているとも気付かず、この可愛らしいイラストを真剣に見ていたのかと思うと益々山崎先生への愛しさが増してしまう。
山崎先生は今どうしているのかな?
今何を思ってどんな絵を描いているのか。
先生の考えを尊重するって決めたから、会いに行ったりはしないけれど。
やっぱりどうしても先生の事を考えてしまう。
「細谷さん。」
ハッとして振り返る。
渡り廊下の下。
森本先生がこちらを見ていた。
「…森本先生。」
「久しぶりだね…。」
そう言いながら笑顔でこちらへ歩いてくる森本先生。
相変わらず綺麗だ。
「何見てたの?」
「…これです。」
私はウサギのイラスト達を指さした。
「何これ。可愛いね。」
「何ですかね?可愛くて癒されるけど…謎です。」
二人して暫く壁を眺める。
穏やかな空気。
不思議だ。
もっと色々な感情が生まれてくるかと思っていたのに。
今隣に森本先生が居て仄かに嬉しく思うけれど、それ以外の感情が湧いてこない。
頭の片隅で山崎先生とどうなったのかとか、今私に対してどう思っているかとか少し気になる事もあるけれど、憎いとか苛立つとか不快な感情は一切ない。
「ふふふ…。」
「なんですか?」
「前に山崎先生もここを見てたなって…。」
森本先生の口から山崎先生の名前。
だけどやっぱり思った程心は騒がない。
余りにも自然で。
森本先生と話すのも、その内容が山崎先生な事もそれ程久しぶりに感じなかった。
「その時の山崎先生も随分真剣に見ていたけど…もしかしてこれだったのかな?」
「どうですかね…。でも山崎先生なら違和感ないですけど。こういうの好きそうだし。」
「ね。」
自然と笑顔で目を合わせる。
数ヶ月前と変わらない優しい笑顔。
胸がポッと暖かくなった。
「やっぱりホッとします。…森本先生が笑うと。」
「えぇ…。ありがとう。」
照れたように壁に視線を戻す森本先生。
ウサギがぶら下がっているヒビに指を滑らせると「やっぱり二人は繋がってるのかな?」と呟いた。
「え?」
「私なら気付かないな…こういうの。感性が近いんだろうね。細谷さんと山崎先生。」
寂しそうな声。
だけど整理の着いていそうな、あの学生時代の話をしている時と同じ過去の出来事を思い起こしているみたいな声で。
山崎先生とは上手くいかなかったのかな?
何となくそう感じた。
「分かりません。私、山崎先生の絵を見た時は全部分かったんです。これをどんな人がどんな事を感じて描いたのか。…なのに実際に山崎先生と居たら何を考えているのかとか私をどう思っているのかとかは全く分からなくて。きっと先生が私を拒絶したのは保身じゃなくて私の為なんだろうって、そういう先生の優しさみたいな物に対しては今でも揺るぎない確信があるんですけど。私にとって山崎先生は今でも特別で…。絵を見た時は私もきっと先生にとっての特別になるって思ったのに。実際に先生と居るとそんな事なかったのかなって。だから繋がってなんかないです。繋がりたかったけど…。」
「細谷さん…。」
声を真っ直ぐに感じ壁から目を離すと、いつの間にか森本先生は壁ではなくこちらを見ていた。
「細谷さん。私、山崎先生にフラれてるからね。」
「え?あ…。そう…ですか。」
「うん。大切なモノの代わりでも良いからって言ってみたけど『何かの代わりに出来ないくらいには人として好きだから』って残酷なフラれ方をした。」
人として好き。
森本先生程の女性を人として好きだなんて。
なんて贅沢な。
って場違いな感想を持ってしまった。
だけど確かに森本先生には素敵なところが沢山あって。
山崎先生は女性としての魅力だけに囚われず、しっかりと森本先生を見たんだって思うと、それはそれでやっぱり妬けた。
「細谷さん、前も…さっきも私の笑顔にホッとするって言ってくれたでしょ?山崎先生も私の笑顔をホッとするって言ってくれたんだ。それが凄く嬉しくて。だけどもう無理なんだなって思い知った。」
「どうして…」
「細谷さんと山崎先生はやっぱり繋がってるんだと思うよ。似てる…とはちょっと違うし、同じでもないんだけど。感性?が近いって言うのかな。」
「感性…。」
感性が何なのかはよく分からないけれど、波長は合うのかもしれないとは思う。
先生の絵を見る度、チャンネルが合う感じは常にしていたから。
「細谷さんもうすぐ卒業だね。」
「はい。」
「もう生徒じゃなくなるのね。」
「…はい。」
「今私が私の立場で言えるのはここまでかな?」
森本先生は何か意味を含んでいそうに微笑んでいる。
直ぐには汲めず考えてしまった。
もしかして、山崎先生との事を応援してくれているのかな?
今更どうしたのだろう。
「でも私…拒絶されていますし…。」
「そんなの大丈夫。必要としているのは細谷さんじゃなくて向こうなんだから。」
「向こう…?」
「そう。向こう。」
向こうとしか表現しないけれど、山崎先生の事を言っているみたいだ。
私を必要としてくれるだなんて到底思えないけれど、こちらの不安は他所に森本先生は自信満々に言い切る。
「細谷さんが生徒じゃなくなって、向こうの本心を聞ける時が来てさ。その時に細谷さんの気持ちが変わっていなかったら自然に身を任せれば良いと思うよ。」
「それはカウンセラーとしての言葉ですか?」
森本先生は静かに横に首を振る。
そして微笑むと「女として。」と囁いた。
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