木曜日のスイッチ

seitennosei

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木曜日のスイッチ。

唯一理解してくれた喜び。

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俺にとっては二学期最後の昼休み。
明後日は終業式で3日後からは冬休みだ。
俺は職員室の自分の机に着いて購買で買ってきたサンドイッチを頬張っている。
「山崎先生。ちょっと良いですか?」
後ろから声を掛けられ振り返ると副校長の木内先生だったので、驚きサンドイッチが喉に詰まった。
「ああ、お食事中だったのに申し訳ないね。」
木内先生は慌てて俺の机の上にあったペットボトルのお茶の蓋を開け差し出してくる。
むっふむっふとこもった咳をしながらそれを受け取り、動きだけで「大丈夫です」と表した。
木内先生は普段あまり笑わない。
真面目で厳しくて、雑談も殆どしない。
週2回しか出勤しない上に美術準備室に篭もりがちな俺は挨拶程度のコミュニケーションしかとったことがなかった。
だから怖い人なんだと思っていた。
ただ、今俺の前で心配そうにしている姿は優しいお父さんという雰囲気で嫌な感じは全くない。
しかも控え目に背中を摩ってくれていて、逆に過剰反応してしまったこちらの方が申し訳ない。
「も…っ大丈夫です…。すみません。」
大分落ち着いてきたので声を発すると木内先生はホッとしたように微笑んでくれる。
いつの間にか留守にしている隣の椅子に座りこちらを向いていた。
「ふーっ。すみませんでした。もう本当に大丈夫です。…木内先生、どうされたんですか?」
「ああ、山崎先生の絵について聞きたくてね。」
「…はい。」
「職員玄関の『団欒』、譲って頂く事は可能かな?」
「ええ?」
時が止まった。
一瞬、本当に意味が分からなかった。
絵の感想を言ってもらえたり、話題にしてもらう事はよくあるが、譲って欲しいとまではそうそう言われない。
「え?僕の絵ですか?」
「うん。可能だとしたらおいくら位になるかな?」
「え…、いやあ…。ちょっと待って下さい。うわー、とても光栄です。けど…考えた事もなかったもので…。」
人気画家でもない美術教師の絵って、一体いくらで売るものなんだろう…。
これって領収書とかどうするんだ?
確定申告とか必要なのか?
プロの画家として商売をした事がないので何一つ分からない。
「大切な物で譲れないとかでないなら是非お願いしたい。今度下の息子が結婚するんだけど、新居にプレゼントしたくてね。」
「それはおめでとうございます。」
そんな大切な贈り物として選んでくれるなんて。
益々値段の付け方に困る。
しかし、どうせ持って帰ってもアトリエに放置するだけなんだ。
「では僕からのお祝いも兼ねてお代は結構ですよ。」
「いやいや、そんなわけにはいかない。何十万とかは無理ですが、しっかり値段を付けて下さいよ、山崎先生。」
「では…材料費として五千円では如何ですか?」
「いやいやいや。私は絵の事に明るくないので相場は分からないが、あのサイズで数千円なんて事はないでしょう?お祝いだし、本当に気に入った物だからケチりたくはないな。」
暫くの押し問答の末、販売し収入としての扱いをしたくない点や、持って帰るよりも人にプレゼントされる方が自分としても有難い点を説明し、結果として絵は無料で譲る形になった。
その際、木内先生たっての希望で材料費の五千円は商品券で頂戴する事にし、絵の譲渡については一応の決着を見た。

「そういえば山崎先生。あの絵ってどういう絵なんですか?」
木内先生とのやり取りを聞いていた麻生先生が向かいの席から声を掛けてきた。
「それ俺も気になってました。」
「あ、私も…。」
そう言って少し離れた席から小林先生、出入口からは入室して来たばかりの森本先生が声を上げる。
俺は言い淀んでしまう。
実の所あの絵はお祝いに適した物ではない。
木内先生が居る手前あまり語りたくないけれど…。
「まず、僕の考えなんですが…。絵って言うのは受け取り手の解釈が全てなんです。描き手の手を離れてしまえば、そこにどんな思いが込められていようと関係ないんです。だから僕は自分の絵の解釈を聞かれても基本的に答えない様にしていて…。なのでさっきは言わなかったのですが、実はあの絵は僕の解釈としてはお祝いには適さないのかもしれなくてですね…。結果としてそれを黙っていて申し訳ありません。木内先生。」
「いや、それは構わないんだけど…、折角だからどんな由来かは聞いても良いかな?」
「…はい。」
麻生先生、小林先生をはじめ何人かの先生の視線を感じる。
注目されるのは苦手だ。
居た堪れない気持ちになりつつも何とか語り出す。
「あれは実家を出て一人暮らしを始めたばかりの頃を思い出して描いた物なんです。一人で食べる為にこれから自分で料理してって段階を絵にしていて。料理なんて初めてで簡単なカレーにしてみたけど、量の加減も何にも分からなくて。親の有り難さとか、一緒にいる時は煩わしかった家族の賑やかさとか。皆で囲んだ食卓を…『団欒』を思い出してホームシックになってしまった。その時を表した絵だったんです。」
「へー。そんな由来が…。」
「なるほど…。」
「確かに思った団欒とは違ったけれど、家庭の温かさを思い出している絵なんだからお祝いに適していなくないと私は思ったな。」
俺の話を聞いた上での感想を先生方が口々に語ってくれる。
ただ、その中で麻生先生だけが驚いた表情で固まっていた。
「麻生先生どうされました?」
「いやね。驚いてるんですよ。山崎先生その話誰か他にもしましたか?」
「いえ…、今初めてです…。」
「いやー、マジですか…。」
麻生先生は一人でニヤニヤと楽しそうに顔を崩す。
他の先生達はそれを不思議そうに見ている中、麻生先生は少し勿体ぶって話し始めた。
「とある生徒と何度か団欒の前で一緒になったんですよ。俺はその度に『これはカレーの絵だ』とか『シチューが食べたくなる』とか『タイトルが団欒で暖かい感じだから元気もらえる』とか勝手に語ってたんですけどね。その生徒はいつも静かにただ見ているだけなんですよ。だけど俺はどうしても一緒に語らいたかったんで、ある時どんな絵だと思うかって聞いてみたんです。そしたらその生徒…。『これはノスタルジックな絵だ』って。それでその後さっき山崎先生が教えてくれた事と全く同じ事を言ったんですよ。」
「えー!?本当に!?」
小林先生が大きな声を出した。
「全く同じだったんですか?」
「はい。そうなんですよ。だから俺、さっき山崎先生の話聞きながらビックリしちゃって。」
「あ、あの。もしかしてその生徒って…」
俺の後ろ辺りに立って会話に参加していた森本先生が口を開く。
一斉にそちらへ向かう視線。
「その生徒って3年の細谷咲さんではないですか?」
「え!?そうです!森本先生、よくお分かりですね。細谷と親しいんですか?」
「ふふふ、やっぱり。彼女そういう能力があるんです。作品の意図を正確に汲み取れるっていう…。全てではなくある特定の物だけみたいですけど。」
弾んだ声で細谷咲の話題を続ける森本先生。
他の先生方も細谷咲の思いがけない能力にテンションが上がっている。
「山崎先生。見る者の解釈に委ねてるって言ってもやっぱり正確に解釈されると嬉しいものですか?」
「あぁ、まぁ…。そう、ですね…。」
麻生先生が期待に満ちた目で問い掛けてきた。
だけど俺は真面に答えられない。
衝撃が強すぎる。
細谷咲が団欒についても完全に俺の意図を汲んでいたなんて。
最初に『入学式』の前に立っていた彼女の横顔が鮮明に蘇る。
心臓が暴れ、手が震えた。
呼吸が浅くなって苦しい。
自分でも今感じている強い感情が何なのか分からない。
感動や歓喜なんて通り越して畏れすら持つ。
そしてそこまでの存在を俺は拒絶しもう向かい合う事が叶わないのだという事実から喪失感にも襲われる。
「私も山崎先生のファンの一人としてその生徒と話してみたいね。」
穏やかに微笑み木内先生が言った。
だけど俺は誰とも共有したくないと思う。
俺の絵を気に入ってくれた麻生先生にも。
購入まで申し出てくれた木内先生にも。
今ここで俺を受け入れてくれている全ての人達に感謝しているのに。
その気持ちを嬉しく思っている筈なのに。
細谷咲にしか理解できない俺の中身を言語化して共有して欲しくないと思ってしまった。
いつの間にか、唯一彼女が理解してくれた喜びではなく。
他に理解させたくないなんていう独占欲に変わっていた。
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