信長の室──小倉鍋伝奇

国香

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出会い

五・桜の童子

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 信長はじっと待っていることが嫌いである。

 八風越えができるのかどうなのか、一刻も早く知りたかった。

 知りたいと思ったら、知らずにはいられない。

 夜中、彼はほんの数名の供を連れ、都を出ていた。

 二月七日の早暁、信長がいないことに気づいた馬廻り衆は、仰天して慌てて荷造りし、俄かに都を出発した。都人は、だから、尾張の田舎者一行が帰ったのは、七日だと思った。

 だが、信長本人は日付が変わる前には、都を出ていたのである。

 信長は夜中だろうと全く気にせず、また、昼夜兼行であっても、目的のためならば、疲れも知らずに突っ走る人間だ。近衆小姓七人、信長に従ってきたが、夜中の旅は辛く、ひいひい言いながら、ついて行く。

 信長は北近江を行く。当地の浅井氏からは、予め通行の許可を得ている。堅田から湖水を渡り、朝妻で上陸した。一人を成菩提院に遣り、なおも湖東を南に進む。

 やがて、愛知川に至る。川を渡ると、川に沿うように道を進み行く。六角氏の本拠地の観音寺城や箕作城の近くを、こっそり通って行く。商人やらの往来も多く、賑わっており、数人での移動のことなので、怪しまれることもない。

 やがて、市原に来た。そのまま川沿いを行けば、八風越だ。そこで、一人の俊敏な男に、

「ちょっと行って八風峠の方の様子を見て来い」

と命じた。

 男が去ると、信長はそこで道を右に折れた。しばらく南下する。

「殿、間もなく前方に佐久良城が見えて参るはずでございます」

 そう言った小姓に、

「うむ。お前はあの於巳という娘と親しくなったのだったな。於巳を訪ねて、状況を聞いてこい」

と命じ、さらに屈強な侍に。

「おぬしは、圓斎だったか、日野の医者に会って状況を聞いて来い」

 そして、空を見上げた。そろそろ夕方だが、まだ間に合いそうだ。

「俺はその間に、日野の大狢の鉄砲でも見てくる」

 彼方に大きな木が見えた。おそらく桜と思われる。

「あそこで落ち合おう」

 その木を指差し、信長は言った。

「はっ!」

 それぞれ散って行った。

 信長はなお進む。伊勢経由で帰るなら、東海道を行った方がよい。蒲生家の日野に寄るのも、東海道がよかった。土山から蒲生家の領地に来ることができる。しかし、北近江の浅井家に、行き帰りの通行の許可を得ていたし、東海道は荒れて山賊も出ると聞いていたので、当初から北近江経由で美濃を通る予定だった。美濃衆のせいで、その計画は狂ったが、成菩提院が気になったので、やはり北近江を通行したのだ。

 佐久良川までやって来た。向こうに佐久良城が見える。

 その前に、その桜の巨木が行く手を阻むように立ちふさがっていた。

「鍋御前はその城にいるのか。どうしているかな?」

 お鍋はこの時、まだ高野の館で右京亮や行国、さらには、その後やって来た山上城の右近大夫と小倉城の左近助良秀といった面々を、説得中であった。佐久良城にはまだ戻っていなかったのである。

 そうとは思わないので、信長は佐久良城を眺めてお鍋を思ったのだが、その時、おやと前方に視線をやった。

 その桜の古木の下を、ぴょんぴょん狐か犬か、跳ねているのが見える。袖を翻し、敏捷に飛び跳ねる無邪気な姿。

「まるで犬ころだな」

 翻る袖が、犬の尾のようだ。

 信長は微笑み、佐久良川を渡って、その桜のもとへとやって来た。

 木の根元に、三歳前後と見える童男がうずくまっていた。その眼は上を向いて、一本の枝に狙いを定めている。

 見れば、童男が狙っている枝先には、桜の花が幾つか咲いていた。早咲き種なのか。それにしても、その枝は咲初めの一輪であるらしい。他の枝に花は見えなかった。

(奇妙丸と同じくらいか)

 悪戯を企む時の我が子の瞳とそっくりだと、知らず声を立てて笑っていた。

 童子の供か。木の側に大人の男が三人いたが、信長の声に、はっとこちらを見た。だが、童子は夢中で気づかない。

 信長と従者四人。いずれも目つきが鋭く、童子の従者は警戒した様子で凝視している。

 童子は完全に自分の世界に入っている。体の割に頭が大きく、歩くだけで危なっかしい。そんな童子だが、強い風が枝を揺らした時、その動きに合わせて飛び上がった。

 小さな童子が思いきり跳躍しても、到底枝に手は届かないと思われた。しかし、枝の動きをよく見た童子の手は枝をかする。本当にあともう少し。

「ああ!」

 童子は残念そうに声をあげたが、苛立ちは感じられず、その声が可愛らしかった。

「大人は見てるだけなんだな。枝を持ってやればいいのに」

 信長がこそっと自身の従者達に言う。

 童子はしかるべき家の子弟のようだが、その従者達はただじっと見守るだけで、手を貸してはやらないのだ。

 童子はまたうずくまった。また風を待つのかと思いきや、急にすっくと立ち上がり、袴の紐を解きはじめる。そこで初めて従者の一人が慌てて駆け寄り、その小さな手を制した。

「若様、何なさるんですかっ?」

 慌てる大人に、童子はにこにこ笑って言った。

「あのね、いいこと思いついたの!紐を枝に投げて引っ掛けて、紐を引っ張ったら、枝が垂れて、お花に手届くよね?」

「よく気づかれました」

 従者は、童子が何らかの策を己で思いつくようにと、わざと手を貸さなかったのだろうか、童子の言葉をほめた。が、やや困ったように、ため息も漏らす。

「ですが、紐を解いたら、袴が脱げてしまいます」

 見苦しいのは駄目だと、童子の腰紐を結わえ直す。

 きちんと着せてもらうと、童子は、

「じゃ、他に思いつかないや。わかんない。町野をふんずけるくらいしか」

と言って、また風を読み始めた。

「ええ?それがしをふんずける?」

「うん、そうだよ。町野、そこに馬の格好してごらんよ。そしたら、鶴、背中に乗って、それで飛び上がったら、お花取れるよ」

「それがしを踏み台になさるとは。勘弁して下さい、若様」

「えええ。絶対届くんだけどな」

 そう言うのが可笑しく、信長主従がまた声を出して笑った時、再び良い風が吹いて、童子は飛び跳ねた。

「わ!」

 今度こそ確かに掴んだ、まだ蕾しかない枝だったが。枝は激しくしなり、べきっと乾いた音と共に派手に折れた。

 童子は枝と一緒に頭から地面に叩きつけられる。

 花の咲く一枝は無傷のまま、平然と高い場所に鎮座して、童子を見下ろしている。

「ああっ、若様!」

 町野と呼ばれた従者が助け起こす。他の二人も駆け寄った。

 頭を打ったか、茫然としている童子。さらに、頭の重さによろけ、その拍子に右手に掴んでいた枝をぽろりと落とした。

 瞬間、ぽとっと地面に雫が落ちる。ぽとっ、ぽとっと次から次へと落ちる赤い雫に、町野はぎょっとして、童子の腕を掴んだ。

 手のひらを仰向けると、夥しい出血で。

 それを見た途端、

「ふええ……」

 童子は泣き出した。

 蒼白になっている大人三人は、止血しようと自身の着物を探るが、適当なものがなく。町野は自身の袖を破こうとした。

「待て!」

 信長が声をかけ、歩み寄った。童子は涙を浮かべながらも、初めて目にする人間に、不思議そうに信長を見つめた。

「そんな汚いので傷口を覆ったら、病気になるぞ」

 さんざん童子に鬼ごっこの相手でもさせられたか、どこを潜ってきたのか、三人とも着物を泥で汚していた。

 信長は袂、そして懐を探った。つと、懐から紫の大判の布が出てきた。

(おっと、これは──)

 童子は信長のその手元をじっと見ていた。大人三人も布を見てしまったので、引っ込めるわけにもいかず。

(生まれる子をこれでくるもうと思ったのだが、仕方ない……)

 信長は紫の布の端を細く裂いて、残りを懐に戻すと、童子に手を伸ばした。

 童子は再び自分の手のひらを見た。ずっと上を向けていたので、随分たくさん血が溜まっていた。

「やっ!」

 童子は手をぱたぱた振って、血を払い落とす。

「おい、こら、振っちゃ駄目だ!止まらなくなるぞ。じっとしてろ」

 信長が注意すると、童子は手を止めたが、目からはぽろりと涙が落ちた。

(しょうがない奴だ)

 男子が泣くなとは言えなくなってしまうくらい、あまりに素直な童子の反応に、信長は微笑んでしまう。

 信長は童子の手のひらに、裂いた紫の布をぐるぐる巻いていく。

「できたぞ、やや。動かすんじゃないぞ」

 ややと言われても、不本意ではないのか、童子は涙のままにこっと笑った。

「ありがとうございます!」

(調子の狂う小童だな)

 何が嬉しいのか、童子は泣きながら、

「紫草だよ、治っちゃうね」

と、町野に言っている。

「紫草?」

「傷に効くんだよね?」

「そうですな……」

 町野はそう答えて、信長に非常に丁重に頭を下げた。

「貴重なものを、かたじけのうございます」

「いや、別にいい」

 信長はそこで、ここが蒲生野だったと思い至った。

 蒲生野は奈良時代から紫草を栽培していた所だ。

(こんな赤子でも詳しいわけだわ)

 信長はその布を都で手に入れたのだが、もしかしたら、この辺で採れた紫草で染め上げて、この辺で織られた物だったのかもしれない。

「ところで、やや、花見か?随分気が早いんだな」

 信長は童子に言った。さすが幼児だ、もう泣き止み、にこにこ笑っている。

「祖父が叔父の所にご用があるの。待ってなさいって」

 どうやら童子は祖父と一緒にどこかからか来て、祖父が用足ししている間、ここで待っているよう言われたようだ。だが、町野達三人は苦笑している。

「む?本当は祖父に叔父の家に一緒に行くぞと言われたんだろう?それなのに、お前、遊びたいから嫌だって駄々をこねたな?」

「え?」

 どうしてわかったんだろうという顔をした童子。だが、

「でも、ここの桜を見たいって言ったら、いいよって、ここで待ってなさいって──」

 随分人懐っこい童子だ。人見知りなんて言葉は知らなそうな。

 信長は我が子の奇妙丸と重なって、この子の無垢さが可愛いかった。見れば、信長の四人の供も目を細めている。

「一番最初の花を見つけたかったの」

 無邪気に童子は真っ直ぐ信長を見上げて言う。

「ふうん、すごいな。最初の一輪、見つけたんだな」

「はい!」

 年齢の割に、また、男子の割には口達者な子である。信長に馴れる様は、まるで人間に遊んでと訴える子犬の顔だ。

「だけど、せっかく咲き初めたものを、何で取ろうとしたんだ?」

 母親にでも見せようとでもいうのだろうか。

「花の命は短い。すぐに寿命がきて、散ってしまうのだぞ」

 折ったら可哀想だろうと言おうとしたら、童子はちょっと俯いた。

「干からびる前に、散っちゃうもの……風が吹いたら……」

「風が。そうだな。花吹雪だ。なかなか雅びて綺麗なものよ。そうだ、寿命が尽きて干からびた花びらなんかが、自然に落ちるのより、瑞々しい美しい盛りの花びらが風に吹かれる様の方が美しい」

 しかし、信長の言葉に、ますます童子は顔を曇らせた。

「風が強かったから……お花、風に吹かれないように、持ち帰って花活けに挿そうと思って」

「む?」

 童子が花を折ろうとした理由を言っているらしいが、その意味がいまいちよくわからない。

 童子は急にばっと顔を上げ、信長を見つめると、また珍問してきた。

「どうして風は、花を散らしてしまうんですか?」

「……風が吹いたら、花は散るに決まっ……」

「干からびてない、まだ瑞々しい花びらは、散らないのに……」

 寿命が来ていないのに、風が吹くと、散ってしまう。

 それは、花びらが萼にへばりつく力よりも、風の吹き飛ばす力の方が強ければ、花びらは散るに決まっているが。

(そんなこと言っても仕方ないわな)

「散り際ってものだ。一番良い時に散るのが良いのだ。散り際を逸するのは見苦しい。お前もそういう生き方をしろ、良き武士となれ」

 信長は童子の頭に手を置いた。

 猫が頭を撫でられて気持ち良さそうにする時のように、童子は目を細める。

「はい」

「うむ、いい子だ。──せっかく咲き初めた花が風に散らされるのが嫌で、持ち帰ろうとしたのか」

 信長の手を乗っけたまま、童子はこくんと頷く。

「だが、枝を折るのは、お前が風になったのと同じだぞ」

 信長はそう言うと、童子の頭から手を離した。従者達の方を振り返り、

「思いもよらず道草を食った。そろそろ行くか」

と、素早く馬に乗った。

 童子が名残惜しげに見上げている。町野という者が慌てて、

「あ、あの、お名前をお聞かせ下さい。主に伝えて、後日お礼に伺いまする故」

「いや、別にいい」

「ああ、でも、主にしかられてしまいます」

「たいしたことでない。やや、大事にな」

 信長は一瞬童子に微笑むと、鞭をくれて、走り去った。

「ありがとうございます!」

 童子のあどけない声が背後から響いていた。

 不思議な巡り合わせである。

 信長に会ったこの日。

 毒害のために肝を病んで、風に吹かれる花に思い馳せながら、この童子が亡くなるのは、奇しくも三十数年後のこの日のことである。

「……若様、風が強くなってきました。お風邪を召しまするゆえ、そろそろ佐久良のお城へ参りましょう」

 信長が去った後、なおも木の下に佇む童子に、町野が言った。

「ええ?でも、大殿様はここで待ってなさいって言ったよ!」

 童子は周囲の大人が祖父を大殿様と呼ぶのを真似して、己の祖父を大殿様と呼んでいる。祖父もいちいち訂正したりしないので、童子は祖父というものは大殿様と呼ぶものなのだと思っていた。

「そろそろ大殿様もお話が済んだでしょう。暗くなる前にお帰りになるはずですし」

 町野はそう言って譲らない。

 ここまでは馬できた。乗ってきた馬は佐久良城に預けている。帰るためには、一度佐久良城に行って、馬をもらってこなければならない。

「……わかった」

 不服そうに口を尖らせながらも、童子は承諾した。

 手は痛くないのか、けろりとした様子で歩き始める。その足取りはよちよちとしていて、何とも危なっかしく、実際この子はよく転ぶ。

 町野は前かがみに両腕を差し出しながら、童子のすぐ後ろをついて行った。

「あっ!」

 いきなり童子が駆け出した。

「大殿様!」

 黄色い無邪気な声を上げ、童子は城門に向かってまっしぐらに走って行く。

「危のうござる!若様、お待ち下さい!」

 町野が必死に追いかけるが、予想外にすばしっこく、全然捕まらない。童子は不安定な体つきのまま、大人を嘲笑うように駆け抜ける。

 佐久良城の城門を、多数の従者を連れた二人の男がくぐり抜けていた。一人は実隆だ。童子は目敏くそれを見つけて、駆け出したのだ。

「大殿様!」

 もう一人は祖父。幼い孫の声を聞きつけ、祖父も早足で童子の方へ向かってくる。

「わあっ!」

 あと少しで祖父のもとに至るというところで、童子の重い頭が前のめりに傾いだ。

「危ない!」

 次の瞬間、童子は辛くも祖父の腕の中に倒れ込んでいた。

「こら、鶴千代!無闇に走ってはいかん!皆が追いつかんではないか!」

 祖父は叱ったが。すぐに孫の手を見て、首を傾げた。

「この手はどうした?」

 童子は起き上がって、にこにこして言った。

「尾張の小父様が巻いて下さいました!紫草です。すぐに傷治りますね」

 追いついた町野が、

「申し訳ございませぬ!」

と、頭を下げた。

「それがしが付いていながら、それがしの不注意で若様を──」

 怪我させてしまったことを、ひたすら詫びぬく。

「尾張?」

 実隆は町野にもう構わないからと言って、童子に質問した。

「はい、さくら様!」

 佐久良の殿と皆が呼ぶので、これまた童子は実隆を叔父とは呼ばず、さくら様と呼ぶ。童子は、城の前に件の桜の大木があるから、さくらの殿というのだと思っていた。

 苦笑いしながら、実隆がなお問う。

「何故尾張の小父様なのだ?」

「だって、尾張語話していたもの」

「尾張語だ?」

 祖父も目を点にした。

 童子はこくりと頷いて、

「大殿様、尾張は面白い言葉を話すって言ってたでしょう?」

「父上は、そういえば尾張にお住まいでしたな」

 実隆が実父である定秀──童子の祖父・大殿様に言った。

 定秀の父は蒲生家の当主になりたくてならず、当主と対立した。そのため、若き日の定秀は近江にはいられず、尾張の知多に逃亡していた。

 やがて、当主を毒殺すると、呼び戻されて、こうして蒲生家の当主になっている。

 近江人から見て、尾張は田舎だが、若き日の定秀にとっては、知多の常滑はじめ、津島港や熱田など、なかなか刺激的なことも多い地だった。

 幼い童子には、あまり小難しい話をしたことはないが、面白い尾張言葉を教えたりしている。その珍しい響きに、童子はいつも耳を喜ばせていた。

 その祖父から聞いた尾張言葉を覚えていて、童子は先程の男が尾張から来た人間だと確信した。

「そうか、尾張の言葉をなあ」

 実隆が言うと、定秀は何事か思い至ったような顔になり、何故かにんまり笑った。

「どんな小父様だった?」

「えっと、きれいな小父様!」

「きれいだ?……ああっと、じゃあ年はどの位?若い?」

「ううんと……」

 童子は考え込んだ。この年齢の子から見れば、若者も皆小父様だ。

「この佐久良の叔父くらいか?それとも、わしくらい?」

 そう聞く祖父に、童子は首を横に振る。

「さくら様はお兄様だよ。大殿様はお爺様。小父様でないもん」

「わっはっは!わしは爺か!では、父上くらいか?」

 童子はよく考え、己の父親と先程の男の姿を脳裏で比較した。

「……はい、多分、父上と一緒です」

 それを聞いて、定秀と実隆は顔見合わせる。

「父上」

「うむ」

 定秀は頷き、また笑った。

「実光の娘はうまくやっておるかの?まあ、いい。尾張の奴が来たなら、無理無理にでも通ってもらえるだろう。そなたは素知らぬ顔を続けるのだぞ?」

「……はあ。鍋はまだ戻らないということは、難航しているのでは……」

「難航していようが、尾張の奴は無理に通るであろうよ、ここに現れたのだから。無理に通れば、小倉はうかうか通してしまったことになるわさ。楽しみやなあ」

 定秀は童子に向き直り、

「でかしたぞ、鶴千代。吉報をもたらした褒美に、馬を買ってやろう」

と、その頭を撫でた。

 童子は意味がわからず、ただ祖父から馬がもらえることが嬉しくて、瞳を輝かせた。

「ありがとうございます!」

「うむ。では帰ろう」

 そして、もう一度、実隆へ念を押した。

「小倉当主は素知らぬ顔を決め込まねばならぬぞ。くれぐれもな。尾張の奴を八風越えさせるのは、本家以外の小倉諸家でなければならぬ」

「……わかっております」

 厩から定秀の馬が引いてこられた。

 定秀は素早く飛び乗り、自身の前に孫を乗せると、童子を抱えるように手綱を操りながら、佐久良城を後にした。

 定秀は信長が鉄砲を見に行ったとは思いも及ばない。西の空が赤く色付く中を、にやにやと行く。

「鶴千代、もうすぐ戦になるぞ」

 腕の中の童子はさすが武家の子、戦と聞いて、また顔を輝かせた。

「戦?どこで?鶴も連れて行って下さいませ!」

「わはは!勇ましいことだが、そなたにはまだちと早いの」

「つまんない。いつもそうなんだもの」

「はっはっ!此度は小倉との戦になる。すぐそこや。佐久良城に遊びに行ったら、櫓から見えるであろ。祖父の戦いぶり、よう見ておれ」

「えっ、戦が見られるの?いつ?いつ?」

「すぐだ。六角の屋形が小倉にお怒りになって、すぐにもこの祖父や佐久良の叔父に、出陣を命じられるであろうからのう」

 童子はうきうきと馬上ではしゃいだ。

「暴れるな、今度は馬から落ちて、怪我するぞ」

 祖父は注意しながら孫の手を弓手に握って、思い出す。

(尾張の織田か。頃合を見て、刺客の手配をせぬとなあ)
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