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2.勇者さまはつらいよ
ここは道具屋
しおりを挟む――それから数日後。日が傾き、暑さも境を越えた時刻。
カランコロ~ンと店の扉に取り付けた木製の鈴が鳴り、薄汚れた革鎧姿の少年と一匹の獣が店内に入ってきた。黒くしなやかな大猫は、背負ったとトカゲ型の魔物をドサリと床に落としてから、座り込んで全身くまなく繕い始める。
どうやら、トカゲ型魔物の臭いがずっと気になっていたらしい。
「いらっしゃいませ~、勇者さま」
そろそろ来ると思っていたのだ。いつもの白い手袋で棚に商品を補充していたナイは、亜麻色のおさげ髪を揺らし飛びっ切りの営業的な笑顔で振り返った。
明るく清潔な店内には、麻の背負い袋に皮の水袋、火口箱にランタン、厚い毛織のフード付きマントにひねこびた木の杖、切り売りロープなどのありふれた雑貨類が広げて並べてあった。金回りのよくない旅人にも手に取りやすい手頃な値段である。
個人的には毛織りのフード付きマントがお薦めだが、素材と仕立てが良くて若干割高なせいか、売れずに店の隅でホコリを被っていた。
ちょっと仕入れに失敗したかなと思っているナイである。
そして棚に並んだ陶器の壷の中には、それぞれナイが村の外で採った薬草を煎じて作った丸薬が入っていた。体力回復、毒消し、麻痺取り、気付け薬、そして若干高価な魔力回復薬などである。高価なのは魔力草が希少だからだ。他にも常備薬としての咳止めや熱冷まし、下痢止めや虫下しなどの極普通の薬も置いてあった。
村の道具屋とは、平たく言えば雑貨屋と薬屋が混ざったようなものだった。
こんな辺境の寒村に、医者など当然いるわけがない。
病気になったり怪我をしたら薬草師の作った薬でも飲んで、己の体力頼みで治るまで大人しく寝ている以外に方法が無かった。これは僻地に限らず、貴族や裕福な商人のように掛かり付け医を持たない庶民なら、都市部でも似たようなものである。村に薬草師が常駐しているというだけで、恵まれた方だとさえ言えるだろう。
また、かつては各家庭に伝わる薬草の煎じ方があったらしいが、今となっては自前で薬を煎じるのは村でナイひとりだけになっていた。とはいえ、需要と供給の観点からいえば、当たり前の淘汰かもしれない。
いったい誰が、自らの手を暗緑色に染めてまで薬を煎じる必要があるというのか。そんなものは道具屋で買えばいいのだと、ナイですらも思わずにはいられない。
「また派手にやられましたね、勇者さま。お身体は大丈夫ですか?」
あの西の野原での一件以来、コトリ村を拠点と定めたらしい勇者は、毎日定期的に道具屋を訪れるようになっていた。理由は二つあって、体力回復薬や毒消しなどの補充はもちろんだが、退治した魔物の引き取り先を決める相談にやって来るからだ。
「宿屋に戻ってひと眠りすれば平気さ。さっそくだけど鑑定を頼むよ、道具屋さん」
――少しくらい休んでも、誰も文句は言わないのに。店の隅には勇者のために小さな椅子を用意してあったが、いつもの通り立ちっ放しだ。ナイは店の奥からよく冷やした水の椀を持ってきて、せめてもとばかりに勇者に差し出した。
「あっ、ありがとう」
ナイは内心の不可思議なもやもやを押し隠し、魔物の前にしゃがみ込む。
緑色のトカゲ型の魔物は瞬膜の張った縦長の目で、恨めしげに宙を見上げていた。職業的視覚を使って魔物の正体を確認したナイは、教会と武具屋の引き取り価格を諳んじて比較する。
「ああ、これなら教会よりも隣の武具屋に持ち込んだ方が高く買ってくれますよ。確かこの魔物はまだ揃っていなかったはず」
本来なら、冒険者ギルドに持ち込めば、依頼など受けていなくとも常に魔獣の買い取りは行っている。だが、辺境の寒村に過ぎないコトリ村には当然、冒険者ギルド支部など存在しない。基本的には、村の狩人や冒険者が倒した魔物は、武具屋か教会のいずれかで買い取って貰えることになっていた。
武具屋に卸せば一部の魔物の皮や牙、そして王都の住人が見向きもしない魔物肉などが、村を支える大切な生活物資となる。また、魔物の討伐は教会の教義としても奨励されているので、教会に運んでも報奨金が出ることになっていた。だから、冒険者や狩人は武具屋か教会か、引き取り金額の高い方に魔物を持ち込むのが常だった。
西の野原で初めて出会った時に倒したイノシシモドキもその場でナイが見立て、武具屋に持って行くよう進言したのである。
「それと、いつもの体力回復を三十個と、毒消しと麻痺消しを五個ずつ」
「……毎度ありがとうございます」
そして勇者はいつもの通り沢山の薬の袋を抱え――まるで病気のお金持ちの従僕みたいに――せっかく身奇麗になった大猫はまたトカゲ型の魔物を背負い直して店から出ていった。いっそ勇者の冒険について行き、その傍らで薬草を煎じて飲ませた方が早いのではと思うほど、丸薬の消費が激しい。道具屋としては丸薬の入れ替わりが速いのは良いことだが、勇者の懐具合を考えるとナイの心境は複雑だ。
先日、隣りの武具屋のロブに聞いたことを、ふとナイは思い出す。
一度、勇者が魔物を卸す以外に武具屋を訪れたことがあったそうだ。店内に所狭しと並べられた武具・防具のたぐいをひと通り眺め、深い溜め息をついて手ぶらで帰っていったらしい。持ち合わせが足りなかったのだろう。
確かに勇者の皮の鎧は、耐用年数を遙かに超えた代物だった。
しかし、魔物を狩ることで生計の大部分を立てる冒険者達に対して、決して武具屋が法外な値段設定をしているわけではない。恐らく勇者は薬にお金を使ってしまうので、装備にまで手が回らないことは容易に想像できる。
『世界を救う勇者さまなのに、お金がなくて困ってるってどういうこと?』
『俺に言われてもなぁ。そういうモンだから』
その時はロブに食って掛かり、いたずらに困らせてしまった。
北の祠の魔物退治を行う女神の筋書きは、村が依頼するわけでは無く、勇者にとって無報酬だ。もっとも、女神の筋書きの最中で倒した魔物や溜め込んでいた財宝などは、勇者の正当な取り分ではあった。いまのところ、それに期待するしかない。
「勇者さまに、何か実入りの良いお仕事が入るといいのだけれど――」
このままでは防具の新調など夢のまた夢だ。ナイは大猫の機嫌良く揺れる尻尾を思い出しながら、しばし物思いに沈んだ。
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