青い月の天使~あの日の約束の旋律

夏目奈緖

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 8時半になり、俺は診察室に呼ばれた。中にあるリクライニング椅子に座って抜歯を受ける。その前に、先生の前の椅子に座った。この間会ったばかりの先生だ。物静かな感じの先生で、全く怖くない。

「おはようございます。医師の西川です。黒崎夏樹さんですね。今日は右下の親知らずの抜歯ということでよろしいですね?」
「はい。お願いします」
「この間お話ししたとおり、手術時間の予定は30分です。体調はよろしいですか?」
「はい。とてもいいです」
「では、こちらの椅子に……」
「はい……」

 椅子から立ち上がり、そばにあるリクライニング椅子に座った。そして、背もたれが倒れていった。コップには水が貯められている。ブクブクうがいをした方が良いだろうから、そうした。そして、先生が俺の隣に立った。かっちりと身体を防護するようにエプロンを掛けている。床にはビニールが敷かれている。血しぶきが上がったときのためだろうと思った。歯科衛生士さんも同じようにエプロンをしている。身体を追うような大きな物だ。

「ぶるぶる……」
「黒崎さん。大丈夫ですか?麻酔を打ちますよ」
「はい。お願いします……」

 通っている歯科医院の先生によると、西川先生はとても優しい人だそうだ。数人いる先生の中で一番いいそうだ。他の先生は厳しい感じで、手術中は怖いかも知れないと言っていた。斜めに向いて生えている親知らずを抜き続けて20年というベテランであり、いくら根っこが深くても、力強く抜いてくれるそうだ。

 先生の体温を感じるまで身体同士が近づいた。そして、俺は口を大きく開けて、目を閉じた。その目を閉じるまでの間に麻酔の注射の姿を確認した。そして、今、歯茎に針が刺された。チクチクと、何度も針が抜かれては刺されて、右の親知らずの周りにある歯茎全体に打たれている。

「傷みますか?」
「いひぇ、ひゃいひょうーひゅです」
「完了しました。このまま待って下さい。だんだんと麻酔が効いてきますので……」
「ひゃい」

 もう歯茎が痺れてきた。そこで、舌で触ってみると、たしかに感覚が鈍くなっている。これからますます効いてくるなら痛くないから安心だ。心なしか、肩凝りまでよくなった気がした。歯が原因もあるかも知れないと思った。

「黒崎さん。外にいるのは家族の方ですか?」
「はい。待たせています」
「そうだった。おっしゃっていましたね。当日は家族が来ると」
「はい。ソファーを占領しています」
「いいんですよ。何かあったら話が出来ますから……。付き添いはありがたいです」
「そう言ってもらえて良かったです。あへ?ひいへきました」
「効いてきましたね。抜歯後は柔らかい物を召し上がって下さい。歯茎を切開しますので、傷口が大きいので、糸で縫います。溶ける糸です。1週間以内に紹介元の歯科医院で経過を見てもらって下さい。そこで傷の治り具合を見ていきます。痛み止めは2週間分、こちらで処方箋をお出しします」
「ひゃい。あれ?麻酔が切れてきました」
「いえ、効いていますよ」
「……」

 麻酔に身体が慣れてきたのか、口の中の違和感が減ってしまった。この状態で歯を抜くとなると、痛いのではないだろうか。しかし、先生は麻酔は効いているという。そして、始めますの声が出されて、俺の手術が始まった。

「口を大きく開けて下さい。はい。よろしいですよ。これ、痛いですか?」
「痛くありまひぇん」
「歯茎を切っているんですよ。埋もれている親知らずを露出させないといけなくて、サクサクと……」
「ひゃい……」

 痛みがないから安心した。そして、先生が器具を変えて、親知らずに当てた。そして、ゴリゴリと音がして驚いた。しかし、声を上げるとかっこ悪いし、黒崎に聞こえたら診察室の中に入ってきそうだし、一貴さんが想像して倒れてもいけない。お義父さんはじっと待ってくれるだろう。

 そんなことを考えながら両手を握りしめて、すごい力で歯を抜こうとしている先生の手の力を感じ取り、少しぐらいは声を上げたくなった。

「うーーん。なかなか根が深い。根っこが出てきましたが、顎の骨にくっついていますので、削ります」
「ひゃい……」

 キュイーーーン。ガリガリ。

 歯を削るような音がして、俺の顎の骨が削られ始めた。すると、診察室の外から黒崎の声がして、一貴さんに何かあったのだと分かった。しかし、ここから出て行くわけにはいかず、先生に聞いてみた。すると、一貴さんが音に驚いて悲鳴を上げたのだと、スタッフの人が確認してくれた。

「黒崎さん。もう少しですからね……」
「ひゃい……」
「手術は順調です」
「ひゃい……」

 削り終えた後、また歯が抜かれ始めた。俺は椅子から落ちないように気を付けて、重力に耐えた。そして、カツンと音がして、抜かれた歯が銀色の器に置かれた。そこで、終わりましたと先生から知らされてホッとして、椅子から落ちそうになったのだった。
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