青い月の天使~あの日の約束の旋律

夏目奈緖

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25-23

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 22時。

 実家を出てきて、宿泊先のホテルに戻ってきたところだ。偶然にも伊吹達と同じホテルだったから驚いた。てっきり、向かいにあるホテルに泊まっているのだろうと思っていたからだ。そこは聡太郎のお気に入りの朝食が出るレストランがあり、こっちに来たときは必ず泊まっていた。

 しかし、あいにく満室であり、伊吹が悪いわけではないのに、聡太郎から文句を言われながら、宿泊先を決めたそうだ。そして、これもまた偶然にも階が同じであり、その偶然に黒崎が笑っていた。これは何か起きる夜だぞと言いながら。

 俺と黒崎は部屋に入った。後で朝陽の部屋に様子を見に行くつもりだ。さっきコンビニで買ってきたコーヒーを渡し忘れたし、また泣いている気もするからだ。

「俺が渡してくる。お前はもう寝ておけ」
「だめだよ。あんたの顔を見たら、朝陽が怖がって、ますます泣くよ。いて!」

 黒崎から頰をつねられてしまった。別に黒崎は怖い顔をしていない。実家では和やかな時間を過ごした。このホテルにもなんの不満もない。しかし、今日のことでは緊張感があったようで、いつもよりも空気が堅い。俺もそうなのかも知れない。

 黒崎がシャワーを浴びてくるというから、俺は朝陽の部屋に行くことにした。同じく、シャワーを浴びているかも知れないが、それならまた後で行き直そう思った。

「黒崎さん。俺、行ってくるから」
「そうか。長居するなよ。明日も早い」
「分かっているよ」

 黒崎の言葉を背中で聞きながら、俺は部屋を出た。廊下は静かで、エアコンの低い音と、時おり、どこかのドアが閉まる音だけが響いている。朝陽の部屋は俺たちの部屋のすぐ近くだ。そして、部屋の前に立ち、ノックする前に、朝陽が廊下で話している声が聞こえてきた。

 そこで、その方向を見てみると、自動販売機の前で電話で話しているのが分かった。最初は小さく、何を話しているのか聞き取れなかった。しかし、耳を澄ますうちに、相手の声がかすかに聞こえてきた。倉口さんと話しているのだろうか。しかし、違うように感じた。

「……ああ、そう。……でも、無理しなくていいんだよ。みんなから何か言われた?」

 相手の声が聞こえてきた。低くて落ち着いた声だ。どこかで聞いたことがある。六槍さんだ。こんな場所で話すなんて、急ぎの用だと思った。朝陽なら部屋に戻って話すだろう。だから、どうしてこんなところで話しているのか違和感があった。

「うん……。大丈夫。みんな、優しかったよ」
「優しいって言葉、君、よく使うよね」
「え?」
「本当の優しさって、どんなものか、まだ分かっていないだけかもね」

 六槍さんが静かに笑っていた。柔らかいのに、どこか冷たい。しかし、まるで子供をあやすように朝陽を包み込んでいる。

「君、今日も頑張ったんだね」
「そんな……、大したことじゃないよ」
「朝陽君。君が“頑張る”っていう言葉を使うたびに、少しだけ苦しくなる。君はいつも、頑張りすぎている」

 そこまで聞いて、俺は立ち聞きは悪いと思って、部屋に戻ろうと思った。しかし、朝陽が沈黙した。何かを言おうとして言葉を飲み込んだ気配がしたから、俺は心配になり、声を掛けようかと思った。

 朝陽はさっきから首筋の絆創膏に触れ続けている。六槍さんから何か言われたのだろうか。しかし、水曜日と日曜日しか会っていないということだから、まだ見ていないだろう。それとも、朝陽が話したのだろうか。だから、六槍さんの声がなんだか変なのだろうか。自分の好きな子がキスマークを付けられたと知ったら、穏やかな気持ちでいられないだろう。

「……俺、明日、お父さんに会うんだ」
「知ってる。だから、怖いんだろう?」
「怖い……、かもしれない。今日のお父さんとは別の人かも知れないって思ってる」
「怖いのは悪いことじゃない。……でも、泣いてもいいんだよ」
「六槍君……」
「泣く顔、見たいな」

 その言葉に、思わず息を呑んだ。声の調子は穏やかなのに、どこか熱を帯びている。優しさというよりも、支配の匂いがした。六槍さんがこんな話し方をするなんて知らなかった。俺の前では朝陽には優しい声で話しかけているのに。

「君が無理に笑うより、ずっといい。……俺の前では、ちゃんと弱くなってほしい」
「……」
「君の声が震えると、どうしても守りたくなるんだ」

 朝陽の返事は聞こえなかった。しかし、小さく息を吸う音だけが聞こえてきたから、また泣き出すかも知れないと思った。だから、聞いてはいけないと思った。しかし、ここから離れられなかった。電話の向こうでは、六槍さんが囁くようにして朝陽の名前を呼んだ。

「……明日、終わったら、僕に連絡して。君の声を聞かないと落ち着かないんだ」
「……うん」
「いい子だね。朝陽君は本当に、いい子だ。今度は僕に吸わせて、君の肌……。おやすみ」
「おやすみ……」

 通話が切れる音がした。そして、静けさが戻った。俺は恋人同士の会話を聞いたような気がして悪いと思いつつも、六槍さんの声に落ち着かなくて、朝陽に話しかけることにした。朝陽が悩んでいるなら話を聞きたいからだ。

 俺はそっと息をついた。手に持っていたペットボトルのコーヒーが、すっかり汗を掻いている。そして、朝陽が顔を上げて、俺がいることに気がつき、顔を赤くした。俺は申し訳ない気持ちになって、ごめんと言って謝り、朝陽のそばに行った。
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