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# act21. 蜂蜜の口づけ
しおりを挟む「メル、そろそろ起きるぞ」
耳元で囁く声と、重なる唇。
寝ぼけ眼のまま応えると、挨拶代わりのキスがねっとりと深くなった。
ぼんやりとした意識が、甘い熱でとろかされていく。
起きろ、と言われても腰がだるすぎる。
昨日あんなにしたのは誰のせいなの、と記憶をたどると、抱き上げながら『どこに置いたらいい?』と必死に言われたことを思い出した。
その後はベッドで『寂しかった』だの『もっと早く言ってほしかった』だの、甘えながら訴えたらしい……。
らしい、というのは記憶が曖昧だからだ。
途切れた記憶の奥にあるのは、彼が『もう二度とそんな顔はさせない』と低い声で囁き、執拗に私の奥を愛し抜く感覚だけ。
……やっぱり、この体の怠さは、私が彼を煽ってしまったせいなの?
ココッ。
軽い二回連続ノックに、びくっと背を強張らせた。
「しっ、失礼いたします。ジーン殿より、奥様の在室確認がきております」
カイの硬質な声が朝の甘い空気を破る。
若干、いつもより噛み気味だ。
その声から守るようにアレクセイは懐深くに私を抱き寄せた。
「在室だ。朝食はここで……」
言いかけた彼の袖を慌てて引っ張った。
先日は何とか誤魔化して、見られる恥ずかしさに耐えたけど、やはりベッドの上での朝食は恥ずかしすぎる。
二人が情熱的に乱れた痕跡がシーツに残っているし、何よりこの空気の中に入り込まれるのが嫌だった。
「朝食室に行くわ」
「立てるか? 昨日はあんなに泣かせたし、種もたっぷりと……」
「だ、大丈夫ですから!」
騎士という人種の、事実をありのままに報告する習性は、こういう時だけは本当に困る。
「……では、朝食はサンルームに変更だ」
「はっ」
短い返事を残して、カイの気配が消えた。
「サンルーム? 三階の」
「ああ。この部屋でなければいいのだろう。朝食室は公だ。まだ私は君とゆっくり過ごしたい」
彼はベッドの中で『二度と寂しい思いはさせない』と言っていた。
本当にその通りにしてくれている。
騎士は一度口に出したことは絶対に守ると聞いたことがあるけど、その律義さ、不器用さが……堪らなく……愛おしい。
サンルームに着くと、すでに朝食の準備が整えられていた。
人払いされた、二人だけの空間。
ほどよく落ち着いた広さのガラス張りの部屋は、朝の光に満ちていた。
上半分は青空が広がり、下半分は中庭の石畳を見ることができる。
アレクセイはソファにゆったりと腰を下ろすと、外を見ている私に向かって自分の膝を叩いて見せた。
「ここへ」
瞬時に顔が熱くなった。
(もうっ、恥ずかしいわ……でも昨日の彼の拒絶を考えると、私が受け入れてあげなきゃ)
私は彼の逞しい膝の上に乗った。
これにだんだん慣れていきそうで――怖い。
「また黒パンを食べてみるか?」
「はい」
小さくちぎったパンを口元に運ばれて、口を開けてそれを受け入れる。
前回は味も分からないほど恥ずかしかったが、今回は味わう余裕ができたようだ。
黒パンは硬くて少し酸味があった。噛んでいると穀物の旨味を感じる。
いつも食べているパイや白パンよりも、力が湧いてくる味だ。
「君のパンも食べてみたい」
そう言われて、蜂蜜がたっぷり巻かれているロールパンをカットしてフォークで彼の口元に運んでみた。
彼は素直に口を開けて食べていて――近衛騎士団長にあーんをするなんて、この光景を見たらカイは失神しちゃうんじゃない?
「甘いな」
「アレクセイ様は甘いものをあまり食べないのね」
「君は好きなんだろう?」
「はい、特に蜂蜜が大好きなの」
「…………」
一瞬、彼の目が痛ましげに細められた気がした。
けれどすぐに、愛おしげな熱を帯びて私を見つめる。
「でも、甘いものは体の疲れをとるそうよ。たまには……」
話し続ける私の顎が彼の指に捕らわれた。
「食べている。――こうやって」
唇が合わさり、私は自分が堪能される番なのだと悟った。
本当に、彼とのキスは蜂蜜より甘くて、必要な栄養なのかもしれない。
舌を絡めてゆっくりとお互いを味わい合う。
私の喉がこくりと動いた時、彼は満足げに唇を離した。
甘さに蕩けた脳がゆっくり動き出していく。
「……でも、まだ信じられないわ。あの日記には全然覚えがないから」
呟くと、彼は頷いた。
「……おそらく、王直属の魔術師の仕業だろう。生半可な術師では太刀打ちできない」
彼の声が、地を這う獣の唸りに似た低音に変わる。
その瞬間だけ、邸を満たす穏やかな空気が凍り付いた。
――そんなに、私のことで傷つかないでほしい。
(でも、湖で感じたあの不思議な感覚……あれがあったから、受け入れられた。あの日記は本当のことなんだと心が納得している)
「そういえば、日記にあった『私の体質を治す』ってなに?」
「君は毒を体に集める体質だ。だが、聖石があればその体質は治るんだ」
「えっ、聖石……あれは伝説じゃないの?」
「……まあ、金と力は使った」
さらりと言うけど、それがどれほど大変なことか、薄々だけど分かってしまう。
「それってどこにあるの?」
「この邸の地下だ。絶対に盗まれないように地下に封じ込めた。その力はこの邸全体をカバーできるほど強力だからな。……この邸は聖石を守るための要塞というわけだ」
「……まさか全部、私を迎え入れるための準備だったの?」
「君が、二度とあんな寂しい場所に戻らなくて済むようにな」
彼は恥ずかしそうに少しだけ視線を逸らして言った。
その姿に、胸が痛いほど波打った。
彼が私を手に入れるために諦めてきた普通の幸せ。
それを取り戻してあげたい。
「……メル、どうした?」
「もうちょっとだけ……」
私は彼の首に手を回して、自分からキスをねだった。
唇が触れ合うと、そこから清浄な気が染み入ってくる気がして、とても心地いい。
「こうしてアレクセイ様に触れていると、浄化されていくみたい。もしかして魔力で……?」
「いや、私にそんな力はない。ただ、愛でることによって聖石の力が増幅されて、対象に注ぎ込まれるという伝承があった」
だから抱かれるたびに劇的に体調が回復していったのかと思うと、少し恥ずかしい。
「だが、これほど早く回復したのは、君の本来の性質が神聖だからだろう」
執務室にあるたくさんの本が頭に浮かんだ。
彼が私を手に入れるために諦めてきた普通の幸せ。
それを取り戻してあげたい。
(もし記憶を回復することが出来たら……彼の重荷を一緒に背負いたい)
出仕するぎりぎりの時間まで、彼のキスは止まらなかった。
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