【完結】王国中の穢れを集める「毒の器」の私を捨てた国王様へ。銀狼騎士団長の十年来の執着で「愛の器」になったので、二度と戻りません。

Marine

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# Act22. 跪く狼の沈黙

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【Side:国王バルガス】

 石造りの謁見の間は、数日前よりもさらに重苦しい腐汁の臭いに満ちていた。
 純白の壁の隅に広がる黒い痣のような染みは、もはや絵画の裏まで侵食し、磨き抜かれた床にはうっすらと粘り気のある湿気がまとわりついている。
 そして天井の隅からは、時折、腐った滴が音もなく絨毯へ滴り落ちて、消えない染みを広げていった。

「……報告は以上です。北部国境の魔獣の動きについては、引き続き警戒を強めます」

 アレクセイは、澱んだ空気など微塵も感じていないかのように、よく通る声で公務の報告を終えた。
 跪くその姿は、相変わらず冷徹で、一点の曇りもない。
 だが、バルガスはその「清廉さ」こそが、今の王宮において何よりも鼻に付いた。

「……アレクセイ。貴公、毎日熱心に王宮へ足を運んでいるが、肝心なものを忘れているのではないか?」

 バルガスは玉座に深く背を預け、嘲るような笑みを浮かべた。
 アレクセイは顔を上げず、淡々と応える。

「……『肝心なもの』、とは何のことでしょうか。警備計画に不備がございましたか」

「知らぬふりをするな。……あの女――メリザンドのことだ。貴公の出仕に合わせて、毎日王宮へ連れてくると思っていたのだがな。まさか、あの汚物入れを邸に置き去りにしているのか?」

 バルガスの問いに、アレクセイの肩がわずかに動いた。
 バルガスはそれを「焦り」だと受け取り、さらに言葉を重ねる。

「あの女は後宮の結界なしには、自ら吸い込んだ毒に内側から焼かれる運命。……無理をして隠す必要はない。邸で苦しむ女の醜い悲鳴を聞くのは、騎士団長ともあろう者が耐えられぬだろう? いつまでも意地を張らず、連れてくるがいい。慈悲深い儂が、結界の端に置いてやるくらいは吝かではないぞ」

 バルガスは待っていた。
 アレクセイが「どうかお助けください」と額を床に擦り付け、再び自分の「飼い犬」に戻る瞬間を。
 だが、アレクセイが口にしたのは、予想だにしない拒絶だった。

「……お気遣い、痛み入ります。ですが、その必要はございません。妻は現在、安静にしております。邸を離れる方が、かえって負担になりますので」

「安静だと? ふん、死を待つの間違いだろう。……まさか、邸に籠って一人で毒の浄化でも試みているのか? 笑わせるな、一騎士の邸で何ができる。王族の魔力なくして、あの女を浄化する術などこの世に存在せん」

「……左様でございますか」

 アレクセイの声には、もはや感情の欠片も乗っていなかった。
 彼はただ、事務的に一礼し、立ち上がった。

「職務に戻ります。失礼いたします」

 背中を向けて立ち去るアレクセイの足取りは、驚くほど軽やかだった。
 そしてバルガスはふと気づいた。
 アレクセイが通り過ぎた後には、王宮の腐臭を一時的に忘れさせるような、透き通った冬の森のような香りが残っていることに。

「……あの野郎。何を隠していやがる」

 バルガスは、アレクセイが纏う「清浄さ」が、自分たち王族よりも遥かに「上位」のものであることを直感し、言いようのない恐怖を覚えた。
 毎日目の前に現れ、跪き、職務を完璧にこなす。
 反逆の兆しなどどこにもない。
 だが、その瞳の奥には、自分を王とも思っていないような、底冷えする虚無がある。

「ベアトリクスを呼べ」

 やがて現れた女官長に、バルガスは低く命じた。

「……あいつは嘘をついている。あの女は死にかけているはずだ。アレクセイが詰所にいる間に、邸へ忍び込み、その惨状を暴いてこい。……あいつの隠し持っている『延命のまやかし』を、完膚なきまでに叩き潰してやるのだ」

「かしこまりましたわ、陛下。……あの汚物入れがどれほど無様に腐り落ちているか、この目でしかと確かめてまいります」

 ベアトリクスは高慢な笑みを浮かべて退室していった。
 バルガスは再びハンカチで鼻を覆ったが、玉座から漂う死肉の臭いは、もはやどんな香水でも隠しきれなくなっていた。
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