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# Act24. 銀狼の花嫁①
しおりを挟む夕方、アレクセイが出仕から帰宅したとき、ベアトリクスの残していった不快な臭いは跡形もなくなっていた。
しかし、迎えに出た私の腕についた痕を目ざとく見つけられてしまった。
「これは……どうした。誰にやられた」
アレクセイの声は、低く、地這うような怒りに満ちていた。
その指先が、痕をなぞるように震えている。
「……びっくりしたわ。そんなに大きな声を出さないで」
私は彼の寝室についていき、今日あった出来事を、ベアトリクスのあの無様な逃走劇を含めて話して聞かせた。
彼女がどれほど寒がり、自分の「毒」に焼かれていたか。それを聞いたアレクセイの口元に、氷のように冷ややかな、だが酷く美しい笑みが浮かぶ。
「なるほど……。この邸の空気が、奴自身の罪を暴いたというわけだ。面白い」
「でも、不思議ね。私は最初からとても心地よかったのに」
「君は『器』にされていただけで、魂まで汚れてはいなかったからな。……だが、王宮の連中は違う。自らが毒そのものと化している奴らにとって、この邸の空気は、自身を削り取る『劇薬』でしかない」
その断罪するような言い方に、私はふと疑問を覚えた。
「アレクセイ様だって、王宮を支える騎士団長ではありませんか?」
「私が、王に忠誠を誓っているとでも?」
アレクセイは自嘲気味に笑い、私の手を引き寄せ、慈しむようにその甲に唇を落とした。
「君を取り戻す場所へ、最短で辿り着くための道がそこしかなかった。ただ、それだけだ。王の懐に潜り込み、喉元を噛み切る機会を10年、待ち続けていた」
衝撃だった。
私のために、そこまですべてをかけてくれていたなんて。
「王宮は君という器がなくなったことで、浄化能力の落ちた結界では持たなくなってきているようだ。そのうちに自らの重みで崩れ落ちるだろう。私の近衛騎士団長という地位も、もう無くなる。それでも、ついてきてくれるか?」
いつもの断定的な口調ではない。少し自信なさげな言い方が、堪らなく愛おしかった。
「もちろんです。私はあなたの妻ですから」
ただ座って毒を飲まされてきた日々を思えば、好きな人と一緒なら、どんな生活にも耐えられる。
「ここを捨てて、どこかに行くの?」
「いずれは……な。だが、まだだ。王の最後を見届けないとな。幸い、この邸に奴らは近づけない。毒の塊では、この聖石の浄化に耐えられないだろう。奴らはそれほどまでに重い罪を犯した」
「それ……十年前のこと?」
「そうだ」
「その記憶がないのが……とても、もどかしいの」
その言葉に、アレクセイは優しく、切ない目で私を見た。
彼の傷を私も背負いたいのに。
「記憶の奥底にこびりついた毒が浄化されていけば、自然と思い出してくることもあるだろう」
「そういえば……湖で、若いアレクセイ様の幻影を見たわ。あれって私の記憶なのかしら」
「そんなことが……」
「あなたの日記は読んだけど、詳しい部分はわからなかったの。教えてください、十年前に何があったのかを」
彼は私を見つめて黙っていたが、やっと重いため息をついて口を開いた。
「君は近くの穢れを吸い寄せて、毒として体内にため込んでしまうという珍しい体質だった。しかしその毒のため、徐々に体が弱り、このままでは死んでしまう。だから神殿の大聖石で体質を変え、毒を浄化するしか、生きるすべはなかった」
アレクセイの声は震えていた。その時の小さい少女を悼むように。
「その旅で護衛してくれていたのよね?」
「私は修行としてこの国の北部騎士団に所属していた。北の辺境貴族から娘を王都の神殿に無事に送り届けて欲しいと依頼されて同行したんだ」
私は彼の顔をじっと見つめた。
確かに、彼から懐かしく温かい雰囲気を感じることはよくあった。
けれども、はっきりとは思い出せない。
「何日もかけて移動するうちに、君と仲良くなって、よく話をした。甘いものが好きだという君に、私は家から持ってきた蜂蜜の飴を渡した」
アレクセイの手が、自身の首元へと伸びた。
いつも身に着けている黒いチョーカーのヘッドを、強く握りしめる。
途端、彼の顔に重なるように、映像が脳内に流れた。
大きな手が、黄金に光る小さな塊を私の手の上に置く。
ほんの一瞬だったけど……これは昔のこと? それとも、彼の話を聞いて、作り出してしまった幻?
「その飴を食べさせた瞬間、私の狼のフェロモンが暴走した……いや、潜在的な欲望というべきか」
「狼のフェロモン?」
「私は古くからの銀狼の血を引く家系だ。君を一方的につがいと定めてしまった。そのときに、一緒にいた聖騎士がつがいのフェロモンに当てられて、君を襲った。」
すうっと指の先が冷たくなっていくのを感じた。
そんなことは全く覚えていない。
「君を助けた後、同行していた神殿の聖女が……君を見て、言ったんだ。『この子はもう狼のつがいになってしまった』と。そしてその後、王宮騎士団が来て、王命をたてに君を無理やり連れて行かれてしまった。連れ戻しても毒で死ぬと言われて……守れなかった。すまない」
私たちの間に、重い沈黙が落ちた。
彼はもうすべてを語りつくしたとでも言うように、押し黙ってしまっている。
「神殿に聖石があるというのは?」
「王宮の嘘だった。最初から嵌められていたんだ。君という器を手に入れるために」
王宮の大結界の中で、私のからだは守られていた。
でも同時に毒の貯蔵庫にされていた。
「君のからだを浄化し、体質を治せるのは唯一、聖石だけだった。見つけるまでに十年もかかってしまって……」
彼は小刻みに震えていた。
伏せられた瞳、青ざめた顔、全てが深い悔恨を表していた。
改めて客観的に聞かされると、ずいぶんなことをされていたと思う。
それでも、悪いのは彼ではない。
私は立ち上がって、彼の元に歩み寄った。そして、その首筋に、そっと触れる。
「アレクセイ様……私が王宮に連れていかれたのは、あなたのせいではないわ。罠だったんでしょう。死ぬと言われていたし、そうするしかなかったのよ」
「だが、無垢な君をつがいにしてしまった」
彼の頭の中には、十年前の私が焼き付いてるのだろう。
「でも……私、いま幸せです。つがいにして頂けなかったら、毒の器として王宮の片隅で朽ちていたでしょうし……」
彼は顔を上げた。
その瞳は濡れていて、私の心臓が、キュンと痛いほど愛しさに溢れた。
「……メル……」
掠れた声ごと、彼を抱きしめた。
こんなに大きくて頑丈な体なのに。私の腕が半分も回りきらないのに。
なぜか、可愛く思える。
ぎゅっと力を込めたとき、彼の首のチョーカーについている銀のアミュレットが肩に当たった。
そういえば、話している時に彼はこれを握りしめていた。
また、とくん、と心臓が動いた。
「この……チョーカーは?」
「この革紐は……強すぎる狼のフェロモンを封じるためのものだ。だが、このトップは違う。……ここには、あなたに渡した蜂蜜の飴と同じものが入っている。十年前、あの事件の日から保存していたものだ」
強烈に気になった。その飴を、どうしても見てみたい。
「開けて頂いてもいいですか? そのアミュレットを」
「分かった」
彼はゆっくりと首から銀のペンダントトップを外した。銀細工が施されたアミュレットだ。
それを開けると、呪符の書かれた紙が出てきた。何か包まれている。
「これは保存の術式が書かれた魔蝋紙だ」
カサカサと乾いた音が室内に響いた。
その紙の中には、先ほどのイメージで見たものと寸分たがわない、黄金色の飴が入っていた。
「手を」
彼の方に震える手を差し出す。
そうだ、あの時も、震えていた。とても寒くて。
手袋を外すのが嫌だったから、お願いしたんだわ。
私の手の上に飴が置かれた。
それは、宝石のように手の中で輝いていた。
彼はいつも首にこのチョーカーを巻いていた。
もしかしてずっと、肌身離さず保管していたのだろうか。
この十年間。
それなのに、私はその重さを自分のこととして受け取ることすらできない。
(彼はずっと、これを抱えて苦しんでいたのね)
(だったら……私が全部、飲み込んであげるわ)
(あなたの重い愛も、罪悪感も、全部私が食べて消化してあげる)
(そうすれば、あなたはもう過去に縛られず、私だけのものになるでしょう?)
私は手の中の飴をつまむと、ためらいなく、その飴を口に運んだ。
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