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# Act25. 銀狼の花嫁②
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「……何を! それは十年も前の……!」
驚いて立ち上がるアレクセイを手で制して、私は目を閉じてそれを味わった。
舌の上に、じんわりと甘さが滲んでいく。
それはどこか懐かしい、特別な花の香りがした。
そのとき、ぐらっと視界が揺れた。
目の前のアレクセイが何かを言っている。
だが、その言葉は全く耳に入ってこない。
無音の世界の中で――彼の姿は、古い絵のような記憶と重なっていった。
雪がちらつく中、休憩中に持ってきた飴を見せてくれた。
その長い指が包をつまみ、ゆっくりと自分の口の中に入れた映像が、まるでスローモーションのように記憶に刻まれている。
その指に、何故か胸が熱くなったことも。
※ ※ ※
まだ若い彼が、笑いかけてくる。
「そうやってふわふわのフードを被っていると、雪うさぎみたいだな。目も赤いし」
「ピンクよ! アレクってば雑なんだから」
「悪かったな」
いつから、彼に惹かれていたのかは分からない。
孤独を常に慰めてくれた優しさからなのか、それとも……。
――そして、あのときが訪れる。私の運命が変わった瞬間だった。
ちらつく雪で、手袋をしていてもかじかんでしまう。
休憩中に熱い紅茶を飲むと、甘いものが欲しくなった。
「お菓子……食べたいなぁ……ママの作ったクッキー……」
「蜂蜜の飴くらいしかないが、これでいいか?」
「蜂蜜? 大好きなの!」
「俺……私の邸の料理長が作ってくれたものだ」
「なんで『私』って言い替えるの?」
「騎士になったら私と言えと……父に言われたからな」
「アレクって真面目なのね」
ちょっと甘えたくて、口の中に入れてとねだった。
彼は苦笑しながら、皮手袋を脱いだ。
長い男の指が飴をつまんで、舌の上に乗せてくれた。
途端に、強烈な甘さが舌の上で爆発した。
それはただの味覚ではなかった。
彼の体温と匂いが、飴の甘さと混じり合い、私の中へ雪崩れ込んでくる。
脳が溶けていくような甘い痺れは、腹の奥に熱となって突き進んでいった。
その瞬間、本能が塗り替えられていく。
私は理解した。
『少女』から『女』に変わるのは、こういうときなんだ。
腹に溜まっていた冷たい毒が、温かくて甘やかなものに変わっていく。
男から与えられた初めての甘さを、恋として体が受け入れたとき。
幼い毒は、媚薬へと変質した。
――カチリと、体の中で、何かが嵌る音がした。
それは魂がつがいとして繋がった音だった。
(もうアレクとは離れられない)
(この人のつがいになりたい)
その熱い想いが、幼い私の全てを支配した。
※ ※ ※
私は薄っすらと目を開けた。
立っていた筈なのに、いつの間にか彼の腕の中にいた。
私を支える腕が、小刻みに震えている。
「大丈夫か? 急に固まって動かなくなって……」
焦って私の顔を覗き込み、安否を確かめようとする彼に、私はそっと微笑みかけた。
「大丈夫よ……アレク」
その刹那、彼の目が見開かれた。
時が止まったように、息を呑む。
「思い出したのか……? あの時の記憶を」
アレクセイの声は、今にも壊れそうなほどに震えていた。
彼は顔を歪め、己を呪うように言葉を絞り出す。
「……っ、すまなかった。俺の欲望が漏れ出ていたんだ。あの時、あんなに無垢だった君を、俺の本能が強制的に『つがい』として刻みつけた。俺が、君の人生を、君自身を、塗り潰してしまったんだ」
(……ああ、この人は。どこまで傲慢で、愛おしい勘違いをしているのかしら)
10年間、彼は自分が「加害者」であるという暗い檻に閉じこもっていた。
無垢な少女を一方的につがいにしてしまった罪と、それなのに王宮から守れなかったふがいなさと。
だが、その扉を今、私が壊してあげる。
「違うの、アレク。……私を、ただの無垢な犠牲者だと思わないで」
私は彼の方へ手を伸ばし、その強張った頬を両手で包み込んだ。
指先に伝わる彼の熱は、あの日、舌の上で爆発したあの蜂蜜の甘さと、少しも変わっていなかった。
「あの時、あなたの熱に反応して、『この人がいい』としがみついたのは……私の方よ」
「……なに?」
「フェロモンなんて関係ない。私の魂が、あなたを選んだの。10年前に、私はもう……あなたに、恋をしていたのよ」
アレクセイの瞳が、衝撃に揺れる。
ずっと「一方的に穢した」と信じ込んでいた罪が、実は「両想いの始まり」だった。
私は彼の首に腕を回し、その耳元で囁いた。
10年越しの、愛の告白を。
「私はあのときからずっと……あなたの、銀狼の花嫁だったのね」
驚いて立ち上がるアレクセイを手で制して、私は目を閉じてそれを味わった。
舌の上に、じんわりと甘さが滲んでいく。
それはどこか懐かしい、特別な花の香りがした。
そのとき、ぐらっと視界が揺れた。
目の前のアレクセイが何かを言っている。
だが、その言葉は全く耳に入ってこない。
無音の世界の中で――彼の姿は、古い絵のような記憶と重なっていった。
雪がちらつく中、休憩中に持ってきた飴を見せてくれた。
その長い指が包をつまみ、ゆっくりと自分の口の中に入れた映像が、まるでスローモーションのように記憶に刻まれている。
その指に、何故か胸が熱くなったことも。
※ ※ ※
まだ若い彼が、笑いかけてくる。
「そうやってふわふわのフードを被っていると、雪うさぎみたいだな。目も赤いし」
「ピンクよ! アレクってば雑なんだから」
「悪かったな」
いつから、彼に惹かれていたのかは分からない。
孤独を常に慰めてくれた優しさからなのか、それとも……。
――そして、あのときが訪れる。私の運命が変わった瞬間だった。
ちらつく雪で、手袋をしていてもかじかんでしまう。
休憩中に熱い紅茶を飲むと、甘いものが欲しくなった。
「お菓子……食べたいなぁ……ママの作ったクッキー……」
「蜂蜜の飴くらいしかないが、これでいいか?」
「蜂蜜? 大好きなの!」
「俺……私の邸の料理長が作ってくれたものだ」
「なんで『私』って言い替えるの?」
「騎士になったら私と言えと……父に言われたからな」
「アレクって真面目なのね」
ちょっと甘えたくて、口の中に入れてとねだった。
彼は苦笑しながら、皮手袋を脱いだ。
長い男の指が飴をつまんで、舌の上に乗せてくれた。
途端に、強烈な甘さが舌の上で爆発した。
それはただの味覚ではなかった。
彼の体温と匂いが、飴の甘さと混じり合い、私の中へ雪崩れ込んでくる。
脳が溶けていくような甘い痺れは、腹の奥に熱となって突き進んでいった。
その瞬間、本能が塗り替えられていく。
私は理解した。
『少女』から『女』に変わるのは、こういうときなんだ。
腹に溜まっていた冷たい毒が、温かくて甘やかなものに変わっていく。
男から与えられた初めての甘さを、恋として体が受け入れたとき。
幼い毒は、媚薬へと変質した。
――カチリと、体の中で、何かが嵌る音がした。
それは魂がつがいとして繋がった音だった。
(もうアレクとは離れられない)
(この人のつがいになりたい)
その熱い想いが、幼い私の全てを支配した。
※ ※ ※
私は薄っすらと目を開けた。
立っていた筈なのに、いつの間にか彼の腕の中にいた。
私を支える腕が、小刻みに震えている。
「大丈夫か? 急に固まって動かなくなって……」
焦って私の顔を覗き込み、安否を確かめようとする彼に、私はそっと微笑みかけた。
「大丈夫よ……アレク」
その刹那、彼の目が見開かれた。
時が止まったように、息を呑む。
「思い出したのか……? あの時の記憶を」
アレクセイの声は、今にも壊れそうなほどに震えていた。
彼は顔を歪め、己を呪うように言葉を絞り出す。
「……っ、すまなかった。俺の欲望が漏れ出ていたんだ。あの時、あんなに無垢だった君を、俺の本能が強制的に『つがい』として刻みつけた。俺が、君の人生を、君自身を、塗り潰してしまったんだ」
(……ああ、この人は。どこまで傲慢で、愛おしい勘違いをしているのかしら)
10年間、彼は自分が「加害者」であるという暗い檻に閉じこもっていた。
無垢な少女を一方的につがいにしてしまった罪と、それなのに王宮から守れなかったふがいなさと。
だが、その扉を今、私が壊してあげる。
「違うの、アレク。……私を、ただの無垢な犠牲者だと思わないで」
私は彼の方へ手を伸ばし、その強張った頬を両手で包み込んだ。
指先に伝わる彼の熱は、あの日、舌の上で爆発したあの蜂蜜の甘さと、少しも変わっていなかった。
「あの時、あなたの熱に反応して、『この人がいい』としがみついたのは……私の方よ」
「……なに?」
「フェロモンなんて関係ない。私の魂が、あなたを選んだの。10年前に、私はもう……あなたに、恋をしていたのよ」
アレクセイの瞳が、衝撃に揺れる。
ずっと「一方的に穢した」と信じ込んでいた罪が、実は「両想いの始まり」だった。
私は彼の首に腕を回し、その耳元で囁いた。
10年越しの、愛の告白を。
「私はあのときからずっと……あなたの、銀狼の花嫁だったのね」
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