「お淑やかな令嬢」は本日で廃業いたしました!文句ありますか?

小梅りこ

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「……驚きましたわ。まさか、辺境伯家のお茶会で、猪が主役を務めていらっしゃるとは」

私は、テラスに設置された大理石のテーブルを凝視しながら、感嘆の声を漏らした。
目の前には、お上品なマカロンやスコーンの代わりに、こんがりと黄金色に焼き上げられた「猪の半身」が横たわっている。
香ばしい脂の匂いが、春の柔らかな風に乗って鼻腔をくすぐる。

「……君が路地裏で見せたあの拳。あれは、並大抵の食事で養えるものではないと確信した。強者には、相応の栄養が必要だろう?」

アイン・クロムウェルは、冷徹な仮面の下で、どこか楽しげに目を細めた。
彼は自らナイフを手に取り、猪の最も肉厚な部分を、流れるような動作で切り分けて私の皿に乗せた。

「さあ、遠慮はいらない。私の領地で獲れた、最高級の獲物だ。……骨もついているぞ」

「……あ、ありがとうございます。……では、淑女の嗜みとして、ありがたく頂戴いたしますわ」

私はフォークとナイフを手に取った。
……が、数秒でそれを置いた。
じれったい。
この肉の厚み、この弾力。
銀の食器でちまちまと切り刻むのは、この猪に対する冒涜よ!

「ナギ様。……一応、忠告しておきますが、そこは辺境伯邸のテラスです」

後ろで控えていたエラが、小声で釘を刺す。
私はそれを無視し、シルクのナプキンを首元に押し込むと、皿の上の肉を素手で掴み取った。

「……ふっ、はっ!」

私は、大きく口を開けて肉に食らいついた。
ガブリ、という野蛮な音が、静かなテラスに響き渡る。
溢れ出す野性味溢れる肉汁。
噛みしめるたびに、イノシシの生命力が私の血肉に変わっていくのが分かる。

「……んんんー! 美味しいわ! この歯ごたえ、まさに『戦い』ね!」

私は骨を掴んだまま、アインを真っ向から見据えた。
口の周りが脂でテカっているのは自覚している。
だが、今の私に「恥じらい」という文字はない。
あるのは「完食」という二文字だけだ。

「……素晴らしい。……実に素晴らしい食べっぷりだ」

アインは、驚くことに引くどころか、感極まったように自分の胸に手を当てた。

「君が肉を噛み切る際の、その顎のライン。そして、喉を鳴らして飲み込む瞬間の逞しさ。……今まで、私の前で小鳥のように食事をする女性ばかりを見てきたが、君のような『捕食者』の美しさを備えた女性は初めてだ」

「あら、褒め言葉として受け取っておきますわ。……辺境伯、あなたもいかが? 見ているだけでは、お腹が空くだけでしょう?」

「……そうだな。私も、君に負けてはいられない」

アインは正装の袖を少し捲り、私と同じように骨付き肉を掴んだ。
「氷の騎士」が、獲物を前にした「狼」へと変貌する。
私たちは、お茶会という優雅な舞台の上で、無言のまま肉を食らい続けた。

カチ、カチ、と時計の針が進む。
聞こえるのは、咀嚼音と、時折響く骨が砕ける音だけ。
エラが「……これ、お茶会の報告書にどう書けばいいのよ」と頭を抱えているのが見えたが、気にする余裕はない。

「……ふぅ。……完敗ですわ。この猪、相当な手練れ(?)だったようです」

十分後。
私は、骨の髄まで綺麗に吸い尽くした皿を前に、満足げな溜息をついた。
これまでの人生で、最高に美味しい「お茶」だったわ。

「……いや、完食までのスピードは君の方が上だった。……ナギ・カーム。君は、私が思っていた以上に興味深い。……ところで、君はなぜ、その力を隠していたんだ?」

アインが、清潔なナプキンで口元を拭きながら、真剣な瞳で私に問いかけた。
私は、食後のティー(ようやくお茶らしいものが出てきた)を一口飲み、ふっと微笑んだ。

「……『お人形』でいることを求められていたからですわ。この国では、公爵令嬢は美しく、儚く、そして何より無力でなければならない。……殿下も、それを望んでおられました」

「……カイル王子か。……彼は、真の宝石が何であるか、理解する眼力がなかったようだな」

アインの声に、微かな冷徹さが混じる。

「私からすれば、君のような強さを秘めた女性こそが、最も尊い。……君の拳は、誰かを守るための力だ。それを『退屈』だと切り捨てた男に、君を語る資格はない」

「……辺境伯」

私は、少しだけ胸が熱くなるのを感じた。
お父様やエラ以外に、私の「素」をこれほど肯定してくれる人が現れるなんて。
……あ、でも待って。

「……あの、辺境伯。……一つ、伺ってもよろしいかしら?」

「なんだ?」

「あなた、先ほど私の拳を『見事だ』とおっしゃいましたわね。……もし、私があなたの顔を全力で殴ったら、どうなります?」

テラスに一瞬、沈黙が流れた。
エラが後ろで「ナギ様ぁあああ!」と絶叫に近い小声を上げている。
アインは少し目を見開いた後、クスクスと、低く心地よい声で笑い始めた。

「……ふふ、はははは! 面白い! 私を殴りたいと言った女性も、君が初めてだ!」

アインは椅子から立ち上がり、私の前で膝をついた。
そして、私の右拳……肉を掴んでいたせいで少し脂ぎっている手を、恭しく取った。

「……もし君が私を殴るというのなら、私は全身全霊でそれを受け止めよう。……だが、その前に。……甘いものは好きか?」

「……えっ?」

「肉の後は、甘味が必要だろう。……実は、我が家のパティシエに、君のために特大のパフェを作らせている。……食べるか?」

アインの瞳が、いたずらっ子のように輝いた。
氷の騎士が、私の「野生」に触れて、少しだけ溶け始めたような、そんな気がした。

「……辺境伯。あなた、やっぱり分かっていらっしゃいますわね。……喜んで、いただきますわ!」

私は、握られた拳を解き、彼の手を強く握り返した。
恋愛というよりは、最強のコンビが結成された瞬間のようだったが、私にとっては、これこそが理想の「社交」だった。

「ナギ様。……パフェを食べた後は、一時間ほど走り込みをしてもらいますからね」

エラの冷ややかなツッコミを背に、私の新しい「素」の人生は、より美味しく、より過激に加速していくのだった。
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