何もできない無能め!と婚約破棄された悪役令嬢は、最強の横着者でした

小梅りこ

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「……さて。ナタリー、返信の内容だが、私の独断で進めても構わないか?」


サイラス様が、銀の羽根ペンを弄びながら私を覗き込んできました。


私は今、特製の「自動揺れ機能付き(※騎士二人が人力で揺らしている)ハンモック」に揺られ、重力との共生を図っている最中でした。


「構わないどころか、推奨いたします。サイラス様、ペンというものは、あれは武器です。あんな鋭利で重いものを握って紙の上を滑らせるなど、指の第一関節に対する虐待に他なりません」


「……羽根ペンが重いと言い出す人間を、私は君以外に知らないよ」


「摩擦抵抗、という言葉をご存じですか? 紙とペン先の間に生じるあの微細な抵抗を克服するために、私の筋肉がどれほど悲鳴を上げているか……。考えただけで右手が痺れてきましたわ」


私はだらりと右手をハンモックの外へ垂らし、死んだふりを装いました。


サイラス様は「やれやれ」と肩をすくめ、さらさらと羊皮紙に文字を書き込み始めました。


「まず、冒頭はこうだ。『拝啓、隣国の哀れな道化師殿。貴殿の無知と傲慢が詰め込まれた紙屑を拝読した。環境汚染の観点から、次からは送らないことを勧める』」


「……サイラス様。それは少々、ストレートすぎではありませんか? もっとこう、オブラートに包んで、相手が自分の無能さに気づくまでに三日かかるような、じわじわくる嫌味がよろしいかと」


「ほう。例えば?」


私は目を閉じたまま、思考の海から最も燃費の良い毒を選び抜きました。


「『お手紙ありがとうございます。あのような支離滅裂な文章を綴られるほど、そちらの国政は逼迫(ひっぱく)しているのですね。王太子殿下の脳のリソースが、もはや主語と述語を一致させることすら困難な状況にあると知り、心よりお見舞い申し上げます』……というのはいかがでしょう」


サイラス様のペンが止まりました。


「……ナタリー。君、それは『包んで』いないぞ。核攻撃に近い」


「あら。事実を述べるのは、最も効率的な対話ですわ。無駄な修飾語を省くことで、相手の読解にかかるエネルギーを節約してあげているのです」


「くくっ……面白い。では、それを採用しつつ、私からの『付け足し』も加えよう」


再び、ペンが走る小気味よい音が響きます。


サイラス様の表情は、まるでおもちゃを見つけた子供のように輝いていますが、その瞳の奥には冷徹な王族の影が見え隠れしていました。


「よし、書けたぞ。『追伸。ナタリー嬢は現在、我が国の国賓として、また私の個人的な至宝として、一切の苦痛を排除した生活を送っている。彼女が指一本動かさずとも世界が回るよう、私が責任を持って整えているので、貴殿のような二流の飼い主は二度と視界に入らないでいただきたい。なお、これ以上の不敬な書簡は、宣戦布告と見なす用意がある』」


「……最後の一文、重すぎませんか? たかが置物一人のために、国を傾けるおつもりで?」


「たかが、ではない。君は我が国の物流を半日で変えた、歩く国家予算だ。それを『側室』だの『侍女』だので呼び戻そうとする無礼者には、これくらいの釘を刺しておかないとな」


サイラス様は書き終えた手紙を折り畳み、重厚な印章を押し込みました。


「……あぁ、せいせいした。ナタリー、君の代筆をするのは、意外と精神衛生上によろしいな」


「それは重畳(ちょうじょう)ですわ。これからも、私のあらゆる事務作業をサイラス様に丸投げできると思うと、私の未来はバラ色……いえ、極上のソファ色に輝いています」


「ふっ。代金は高くつくぞ? 一生かけて、その知恵と存在を私に捧げてもらう」


「……それ、ただの永年雇用契約では? 労働基準法に抵触しませんこと?」


「この国では、私が法律だ。……さて、手紙も出したことだし、ご褒美に次は『噛まなくていい高級ゼリー』でも持ってこさせようか」


「……サイラス様。貴方は、私の扱いを熟知しすぎていて恐ろしいですわ」


私は満足げにハンモックを揺らし、ペンを一度も握ることなく、外交問題(?)を一つ片付けたのでした。


(……ウィルフレッド様。貴方は、私という『動かない最強のカード』を捨てた。その代償がどれほど高くつくか、どうぞその空っぽな頭でゆっくりと計算なさってくださいませ)


隣国の王子という「最強の代筆屋」を手に入れた私は、ますます「無能」の階段を優雅に登り続けるのでした。
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