何もできない無能め!と婚約破棄された悪役令嬢は、最強の横着者でした

小梅りこ

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「……ナタリー・ド・ベルクール。覚悟、してもらうぞ」


深夜。私の寝室の天窓から、音もなく黒い影が舞い降りました。


月光に照らされた短剣が鈍く光り、覆面の男が低い声で私に告げます。


私は今、最高級のシルクシーツに身を包み、まさに「夢の国」への入国審査を終えようとしていたところでした。


「……刺客さん。お言葉ですが、不法侵入は立派な犯罪ですし、何より私の安眠を妨害するのは万死に値する重罪ですわ」


私は枕に顔を埋めたまま、目も開けずに答えました。


「……起きろ! 貴様を連れ戻すか、さもなくばここで息の根を止めるよう命じられている!」


「……連れ戻す? 歩いて、ですか? 冗談ではありませんわ。もし私を動かしたいのなら、まずは馬車をベッドの横まで横付けし、私を毛布ごとクレーンで吊り上げて運ぶ工程表を作成してから出直してください」


「何を……ふざけるな! そんな手間をかけるはずがないだろう!」


刺客が短剣を突き出して一歩踏み込んできましたが、私は深い溜息をつきました。


「……その踏み込み。無駄が多いですわね。右足の重心が外側に逃げています。そんな歩き方では、この部屋の絨毯に仕掛けた『踏むだけで自動的に睡眠薬が噴射される罠』を避けることは不可能ですわ」


「な……っ!? 罠だと!?」


刺客は慌てて足を止め、周囲を警戒し始めました。


「……嘘ですわ。そんな装置を作るエネルギーがあるなら、私はもっと寝心地の良い枕を開発します。ですが、貴方が今、極度の緊張状態で心拍数を上げ、無駄に酸素を消費しているのは事実です。……刺客さん。貴方の今の労働対価は、いくらですの?」


「……は? 金の話か?」


「ええ。ウィルフレッド様が貴方に支払った報酬と、今の貴方の心労、そして私を説得するために費やしているカロリー。……天秤にかけてみてください。明らかに赤字でしょう?」


私はようやく、重い瞼を数ミリだけ持ち上げました。


「……ウィルフレッド様は、自分では何一つリスクを取らない方です。貴方がここで私に論破され、疲弊して捕まったとしても、彼は『無能な駒だった』と切り捨てるだけですわ。……そんな非効率な仕事、今すぐ辞めて、ここのソファーで仮眠でも取ったらいかが?」


「……貴様、俺を馬鹿にしているのか!?」


「いいえ。労働環境の改善を提案しているのです。……いいですか。今の貴方に必要なのは、私の命ではなく、明日への活力としての休息です。そこの床、私が昼寝用に特別にワックスを厚く塗らせておきましたから、滑りやすくて寝心地が良いですよ」


「ふざけるなー!」


刺客がしびれを切らして飛びかかろうとした瞬間。


「……そこまでだ」


冷徹な声と共に、部屋の扉が音もなく開き、凄まじい威圧感を持ったサイラス様が姿を現しました。


彼の背後には、抜刀した騎士たちがずらりと並んでいます。


「……サイラス、殿下……っ!?」


「私の婚約者(予定)の寝室で、何を騒いでいる。彼女は今、全細胞を休止させて『明日のための置物』になるという重要な儀式の最中なんだぞ」


サイラス様は一瞬で刺客との距離を詰めると、その手首を掴んで短剣を取り上げ、床に組み伏せました。


「……あぁ。サイラス様、助かりましたわ。この方、声が大きくて、私の鼓膜が振動過多で筋肉痛になりそうでしたの」


私はベッドの中から、力なく手を振りました。


「……ナタリー。君、刺客と世間話をしていたのかい? 普通は悲鳴を上げるものだよ」


「悲鳴は一回につき、イチゴのショートケーキ一個分のカロリーを消費しますから。そんな贅沢はいたしませんわ。……それよりサイラス様。その刺客さん、捕まえるのも面倒でしょうから、適当に美味しいスープでも飲ませて、あちらの国に『ナタリーは重力と一体化して動かせなかった』と報告させて帰してはいかが?」


「……はは、相変わらず慈悲深いというか、面倒くさがりというか。……おい、この男を連れて行け。……ただし、ナタリーの言う通り、少しだけ『知恵』を授けてから放り出してやろう」


サイラス様は騎士たちに指示を出すと、私のベッドサイドに腰を下ろしました。


「……怖かったかい?」


「いいえ。……ただ、眠いです。サイラス様が来てくださったので、私は安心して、意識をシャットダウンさせていただきますわ」


「……ああ、おやすみ、ナタリー。明日の朝は、君が起きるまで私がずっと手を握っていてあげよう。……君の安眠を妨げるゴミは、私がすべて片付けておくから」


サイラス様の温かい手が私の頬を撫でるのを感じながら、私は今度こそ、深い、深い眠りの淵へと沈んでいきました。


(……ふふ、刺客さん。次は、もっと楽な仕事を見つけなさいね……。あ、でも、私の代わりに寝てくれる仕事なら、私が採用したいくらいですけれど……)


私の平穏な夜は、サイラス様という最強のガーディアンによって、再び守られたのでした。
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