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「ナタリー! どこだ、ナタリー! すぐに出てこい!」
エグバート王国の王宮に、静寂を切り裂くような品のない怒鳴り声が響き渡りました。
私は今、庭園の東屋(あずまや)に設置された「全自動日除け追尾式ソファ」の上で、摘みたてのハーブティーの湯気を鑑賞するという、高度に知的な休息を執り行っている最中でした。
「……サイラス様。あちらで吠えている、騒音の塊のような御仁はどなたでしょう。私の鼓膜が、過剰な振動によって悲鳴を上げておりますわ」
私の隣で、冷たい風を扇いでくれていたサイラス様が、不愉快そうに眉を寄せました。
「……困った客だよ。ベルゼイン王国の第一王子、ウィルフレッド殿下だ。どうやら国境の検問を強引に突破して、君を連れ戻しに来たらしい」
「ウィルフレッド……? あぁ、確か、以前の私の生活環境において『有害なノイズ』を担当されていた方でしたかしら。記憶の容量を節約するために、すでにゴミ箱フォルダに移動させておりましたわ」
私が気怠そうに答えると、植え込みをなぎ倒すような勢いで、金髪を振り乱した男が姿を現しました。
「ナタリー! 貴様、こんなところで何をしている! 私がわざわざ迎えに来てやったのだ、ありがたく思え!」
ウィルフレッド様は、私の前で仁王立ちになり、真っ赤な顔で指を差してきました。
私はアイマスクを数ミリだけ持ち上げ、その人物をじっと観察しました。
「……お言葉ですが、そちらの金髪の方。私のパーソナルスペースに土足で踏み込み、かつ無断で大気中の酸素を激しく消費して叫ぶ行為は、国際法における『安眠妨害罪』に相当すると思われます。……どなたでしたっけ?」
「貴様……! 婚約者だったこの私を忘れたというのか! とぼけるのもいい加減にしろ!」
「あぁ……思い出しましたわ。私を『無能』と罵り、卒業パーティで華麗に婚約破棄を演出してくださった、あのエンターテイナーの方ですね。本日は、どのような演目(ギャグ)を披露しに来てくださったのですか?」
「ギャグではない! 勅命だ! ナタリー、貴様を特別に許してやる。今すぐ荷物をまとめてベルゼインへ戻るのだ。君がいなくなったせいで、王宮の書類が……いや、メルティが君の不在を寂しがっているのだ!」
「……書類、と口が滑りましたわね。正直でよろしいですわ。ですが、お断りいたします」
私は再びソファに深く沈み込み、視線を空へと投げました。
「帰るという行為には『歩行』『荷造り』『国境越え』という、三大重労働が含まれています。今の私には、その一つを遂行するスタミナすら残っていません。……どうしてもというなら、私をソファごと、かつ振動を与えずに人力で運ぶ部隊を千人ほど用意してください。もちろん、三歩進むごとに休憩を一時間入れるのが条件ですわ」
「ふざけるな! 貴様は私がいなければ、一人では何もできないお荷物なのだぞ! この国でも、どうせサイラス殿下に迷惑をかけているに決まっている!」
ウィルフレッド様が私の腕を掴もうと手を伸ばした瞬間。
バシッ、と空気を切り裂く音がして、彼の腕が弾き飛ばされました。
「……私の『至宝』に気安く触れるな、ベルゼインの王子。彼女の肌に触れていいのは、彼女を運ぶ権利を持つ私だけだ」
サイラス様が、いつの間に抜いたのか、冷たく輝く剣の先端をウィルフレッド様の喉元に突きつけていました。
「サ、サイラス……! 貴様、これは外交問題だぞ!」
「外交問題? 先に我が国の国賓を侮辱し、強引に拉致しようとしたのは貴殿だろう。……ナタリーが『無能』だと? 笑わせないでくれ。彼女はこの数週間で、我が国の経済損失を三割削減し、官僚たちの残業時間をゼロにした『生ける奇跡』だ」
サイラス様は、私の肩を優しく抱き寄せました。
「君が彼女を『動かない置物』として扱っていた間、彼女は君の国のすべてを裏で支えていた。その価値に気づけなかった自らの無能さを、まずは恥じるがいい」
「そ、そんなはずがあるか……! こいつは、ただ座ってブドウを食べていただけだ!」
「……ウィルフレッド様」
私は、サイラス様の腕の中から、静かに口を開きました。
「座ってブドウを食べている間に、私がどれほどの計算をしていたか、貴方には一生理解できないでしょうね。……貴方の今の国。予算は底を突き、騎士団は食糧難で内紛寸前。そして、貴方の愛するメルティ様は、宝石の請求書を山積みにしている……。違いますか?」
ウィルフレッド様の顔が、一気に土色に変わりました。
「な、なぜそれを……」
「貴方の顔に、そう書いてありますわ。……あぁ、もう。こんなに喋ったせいで、今日の分のアミノ酸が枯渇してしまいました。サイラス様、この方を適当な檻……いえ、客室にでも放り込んでおいてください。私はもう、眠りの深淵へ旅立ちますわ」
「了解したよ、ナタリー。……おい、衛兵。この『自称・飼い主』を連れて行け。二度と彼女の視界に入れるな」
「離せ! ナタリー! 貴様、後悔するぞ! 私がいなければ、貴様は……貴様はぁ!」
ウィルフレッド様の叫び声が遠ざかっていくのを聴きながら、私は心地よい疲労感(しゃべりすぎ)と共に目を閉じました。
(……あぁ、うるさかった。……でも、これでようやく、彼がどれほど私に依存していたかが証明されましたわね)
隣国の王子の腕の中で、私は確信しました。
私はもう、あの地獄のような「無償労働の日々」には戻りません。
これからは、サイラス様という名の最強のセーフティネットの上で、永遠に怠惰を貪り続けるのです。
「……お疲れ様、ナタリー。よく頑張ったね」
「……ご褒美に、明日は……ベッドから出ない許可を……ください……」
「ははは。許可どころか、私が部屋をロックしてあげよう。誰にも邪魔させないよ」
サイラス様の過保護な囁きを子守唄に、私は深い、深い眠りへと落ちていったのでした。
エグバート王国の王宮に、静寂を切り裂くような品のない怒鳴り声が響き渡りました。
私は今、庭園の東屋(あずまや)に設置された「全自動日除け追尾式ソファ」の上で、摘みたてのハーブティーの湯気を鑑賞するという、高度に知的な休息を執り行っている最中でした。
「……サイラス様。あちらで吠えている、騒音の塊のような御仁はどなたでしょう。私の鼓膜が、過剰な振動によって悲鳴を上げておりますわ」
私の隣で、冷たい風を扇いでくれていたサイラス様が、不愉快そうに眉を寄せました。
「……困った客だよ。ベルゼイン王国の第一王子、ウィルフレッド殿下だ。どうやら国境の検問を強引に突破して、君を連れ戻しに来たらしい」
「ウィルフレッド……? あぁ、確か、以前の私の生活環境において『有害なノイズ』を担当されていた方でしたかしら。記憶の容量を節約するために、すでにゴミ箱フォルダに移動させておりましたわ」
私が気怠そうに答えると、植え込みをなぎ倒すような勢いで、金髪を振り乱した男が姿を現しました。
「ナタリー! 貴様、こんなところで何をしている! 私がわざわざ迎えに来てやったのだ、ありがたく思え!」
ウィルフレッド様は、私の前で仁王立ちになり、真っ赤な顔で指を差してきました。
私はアイマスクを数ミリだけ持ち上げ、その人物をじっと観察しました。
「……お言葉ですが、そちらの金髪の方。私のパーソナルスペースに土足で踏み込み、かつ無断で大気中の酸素を激しく消費して叫ぶ行為は、国際法における『安眠妨害罪』に相当すると思われます。……どなたでしたっけ?」
「貴様……! 婚約者だったこの私を忘れたというのか! とぼけるのもいい加減にしろ!」
「あぁ……思い出しましたわ。私を『無能』と罵り、卒業パーティで華麗に婚約破棄を演出してくださった、あのエンターテイナーの方ですね。本日は、どのような演目(ギャグ)を披露しに来てくださったのですか?」
「ギャグではない! 勅命だ! ナタリー、貴様を特別に許してやる。今すぐ荷物をまとめてベルゼインへ戻るのだ。君がいなくなったせいで、王宮の書類が……いや、メルティが君の不在を寂しがっているのだ!」
「……書類、と口が滑りましたわね。正直でよろしいですわ。ですが、お断りいたします」
私は再びソファに深く沈み込み、視線を空へと投げました。
「帰るという行為には『歩行』『荷造り』『国境越え』という、三大重労働が含まれています。今の私には、その一つを遂行するスタミナすら残っていません。……どうしてもというなら、私をソファごと、かつ振動を与えずに人力で運ぶ部隊を千人ほど用意してください。もちろん、三歩進むごとに休憩を一時間入れるのが条件ですわ」
「ふざけるな! 貴様は私がいなければ、一人では何もできないお荷物なのだぞ! この国でも、どうせサイラス殿下に迷惑をかけているに決まっている!」
ウィルフレッド様が私の腕を掴もうと手を伸ばした瞬間。
バシッ、と空気を切り裂く音がして、彼の腕が弾き飛ばされました。
「……私の『至宝』に気安く触れるな、ベルゼインの王子。彼女の肌に触れていいのは、彼女を運ぶ権利を持つ私だけだ」
サイラス様が、いつの間に抜いたのか、冷たく輝く剣の先端をウィルフレッド様の喉元に突きつけていました。
「サ、サイラス……! 貴様、これは外交問題だぞ!」
「外交問題? 先に我が国の国賓を侮辱し、強引に拉致しようとしたのは貴殿だろう。……ナタリーが『無能』だと? 笑わせないでくれ。彼女はこの数週間で、我が国の経済損失を三割削減し、官僚たちの残業時間をゼロにした『生ける奇跡』だ」
サイラス様は、私の肩を優しく抱き寄せました。
「君が彼女を『動かない置物』として扱っていた間、彼女は君の国のすべてを裏で支えていた。その価値に気づけなかった自らの無能さを、まずは恥じるがいい」
「そ、そんなはずがあるか……! こいつは、ただ座ってブドウを食べていただけだ!」
「……ウィルフレッド様」
私は、サイラス様の腕の中から、静かに口を開きました。
「座ってブドウを食べている間に、私がどれほどの計算をしていたか、貴方には一生理解できないでしょうね。……貴方の今の国。予算は底を突き、騎士団は食糧難で内紛寸前。そして、貴方の愛するメルティ様は、宝石の請求書を山積みにしている……。違いますか?」
ウィルフレッド様の顔が、一気に土色に変わりました。
「な、なぜそれを……」
「貴方の顔に、そう書いてありますわ。……あぁ、もう。こんなに喋ったせいで、今日の分のアミノ酸が枯渇してしまいました。サイラス様、この方を適当な檻……いえ、客室にでも放り込んでおいてください。私はもう、眠りの深淵へ旅立ちますわ」
「了解したよ、ナタリー。……おい、衛兵。この『自称・飼い主』を連れて行け。二度と彼女の視界に入れるな」
「離せ! ナタリー! 貴様、後悔するぞ! 私がいなければ、貴様は……貴様はぁ!」
ウィルフレッド様の叫び声が遠ざかっていくのを聴きながら、私は心地よい疲労感(しゃべりすぎ)と共に目を閉じました。
(……あぁ、うるさかった。……でも、これでようやく、彼がどれほど私に依存していたかが証明されましたわね)
隣国の王子の腕の中で、私は確信しました。
私はもう、あの地獄のような「無償労働の日々」には戻りません。
これからは、サイラス様という名の最強のセーフティネットの上で、永遠に怠惰を貪り続けるのです。
「……お疲れ様、ナタリー。よく頑張ったね」
「……ご褒美に、明日は……ベッドから出ない許可を……ください……」
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