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「まあ! なんてはしたない格好ですの、ナタリー様! お昼間からそんなところで横たわって……ベルゼイン王国の令嬢の面汚しですわ!」
ウィルフレッド様の背後から、フリルを過剰にあしらったドレスの裾を揺らしながら、男爵令嬢メルティ様が飛び出してきました。
私は、サイラス様に「耳元で特製のアロマミストを散布してもらう」という、嗅覚の極致体験をしている最中でしたが、彼女の甲高い声によって鼻腔が収縮してしまいました。
「……メルティ様。その声の周波数、今の私の安らかな精神状態には極めて有害ですわ。不協和音を撒き散らすなら、あちらの防音完備の地下牢で歌の練習でもなさってはいかが?」
「なんですって!? 私は、ウィル様を支える立派な王太子妃候補として、貴女を教育し直してあげようと思って……」
「教育、ですか。ご自分の名前を『メルティー(Melty)』ではなく『メルティ(Melthy)』と、公式書類に三回連続で書き間違えた貴女にですか? ……あぁ、思い出すだけで私の視神経が疲労を訴えていますわ」
私はアイマスクを数ミリだけ上げ、メルティ様を冷めた目で見つめました。
「ナタリー、メルティをいじめるのはやめろ! 彼女は、君がいなくなった後の後宮を、一生懸命に切り盛りしているんだぞ!」
ウィルフレッド様が、メルティ様を庇うように前に出ました。
「切り盛り、ねぇ……。ウィルフレッド様。彼女が『一生懸命』に行った結果、何が起きたかご存じですか? ……彼女は、王宮の図書室にある貴重な古文書を『埃っぽいから』という理由で全て天日干しにし、突風で半分以上を紛失させましたわね。……あれの修復費用、貴方の五年分の小遣いでも足りませんわよ?」
「そ、それは……! 良かれと思ってやったことだ!」
「『良かれと思って』は、無能が犯す最大の罪ですわ。……さらに、彼女は厨房の予算を勝手に削り、自分専用のバラ風呂用の香油を輸入しました。その結果、下働きの使用人たちの夕食がパン一切れになり、先週ついに三人が逃亡したと聞いております。……メルティ様。貴女の『努力』のおかげで、国力は着実に削られていますわね」
メルティ様は顔を真っ赤にして、涙を浮かべて震え始めました。
「う、嘘よ! 私はただ、みんなが気持ちよく過ごせるように……! ナタリー様みたいに、座って命令するだけの嫌な女になりたくなかっただけですわ!」
「……素晴らしい志ですわ。ですが、メルティ様。私は『座って命令するだけ』で、王宮の離職率をゼロに抑え、予算を毎年一割ずつ黒字に転換させていました。……貴女の『汗を流す努力』と、私の『座り続ける怠惰』。どちらが国のためになるか、算数ができるのなら計算してみてくださいな。……あ、失礼。貴女、二桁以上の割り算は苦手でしたわね」
「ひ、ひどい……! ウィル様ぁ!」
メルティ様がウィルフレッド様に泣きつきましたが、ウィルフレッド様の表情は、もはや怒りよりも絶望に近いものに変わっていました。
彼もまた、ナタリーがいなくなった後の王宮で、メルティ様の「善意の暴走」に振り回され続けていたからです。
「……ナタリー。君は……君はいつも、そんなふうに冷徹に世界を見ていたのか?」
「冷徹ではありません。効率的であるだけですわ。……サイラス様、見てください。あちらのメルティ様。あんなに肩を震わせて泣いて、水分の無駄遣いですし、ハンカチで目を擦るたびに角膜を傷つけています。……あぁ、見ているだけでこちらのスタミナが削られますわ」
私はサイラス様の胸に顔を埋め、視界をシャットダウンしました。
「……ナタリー、もういい。これ以上の比較は、彼らに対する死刑宣告に等しい」
サイラス様は冷ややかな声で、ウィルフレッド様たちに告げました。
「ウィルフレッド殿下。君が連れてきたその女性は、君に『尽くしている』のではなく、君の『足を引っ張っている』だけだ。……ナタリーという至宝を捨て、泥を掴んだ自覚がようやく持てたかな?」
「……ぐっ……」
ウィルフレッド様は言葉を失い、ただ呆然と私とサイラス様を見つめることしかできませんでした。
「さあ、見苦しいから早く出ていくがいい。……ナタリーはこれから、私と一緒に『何もしないための最高級のアフタヌーンティー』を楽しむ予定なんだ。邪魔者は、一秒でも早く消えてくれ」
サイラス様が合図すると、周囲の騎士たちが威圧感を持って二人を包囲しました。
「ナタリー……! 私は、私は認めないぞ……! こんな、こんなことが……!」
ウィルフレッド様の叫び声が、メルティ様の泣き声と共に遠ざかっていきました。
庭園に再び、心地よい静寂が戻ってきました。
「……ふぅ。サイラス様。……私、三日分くらいの言葉を使い切りましたわ。……今すぐ、咀嚼不要の最高級冷製スープを……流し込んでください……」
「ははは、お疲れ様。君の毒舌は、どんな剣よりも鋭いな。……ほら、スープはもう準備させてある。君はただ、口を開けていればいい」
サイラス様の温かい手が私の頭を撫で、私は再び、勝利の怠惰へと沈んでいきました。
(……あぁ、やっぱり努力なんてするものではありませんわ。……私は一生、この心地よいソファーの上で、世界を嘲笑いながら寝ていたいのですから)
ベルゼイン王国の「新ヒロイン」との対決は、私の完全なる「不戦勝(動かなかっただけ)」で幕を閉じたのでした。
ウィルフレッド様の背後から、フリルを過剰にあしらったドレスの裾を揺らしながら、男爵令嬢メルティ様が飛び出してきました。
私は、サイラス様に「耳元で特製のアロマミストを散布してもらう」という、嗅覚の極致体験をしている最中でしたが、彼女の甲高い声によって鼻腔が収縮してしまいました。
「……メルティ様。その声の周波数、今の私の安らかな精神状態には極めて有害ですわ。不協和音を撒き散らすなら、あちらの防音完備の地下牢で歌の練習でもなさってはいかが?」
「なんですって!? 私は、ウィル様を支える立派な王太子妃候補として、貴女を教育し直してあげようと思って……」
「教育、ですか。ご自分の名前を『メルティー(Melty)』ではなく『メルティ(Melthy)』と、公式書類に三回連続で書き間違えた貴女にですか? ……あぁ、思い出すだけで私の視神経が疲労を訴えていますわ」
私はアイマスクを数ミリだけ上げ、メルティ様を冷めた目で見つめました。
「ナタリー、メルティをいじめるのはやめろ! 彼女は、君がいなくなった後の後宮を、一生懸命に切り盛りしているんだぞ!」
ウィルフレッド様が、メルティ様を庇うように前に出ました。
「切り盛り、ねぇ……。ウィルフレッド様。彼女が『一生懸命』に行った結果、何が起きたかご存じですか? ……彼女は、王宮の図書室にある貴重な古文書を『埃っぽいから』という理由で全て天日干しにし、突風で半分以上を紛失させましたわね。……あれの修復費用、貴方の五年分の小遣いでも足りませんわよ?」
「そ、それは……! 良かれと思ってやったことだ!」
「『良かれと思って』は、無能が犯す最大の罪ですわ。……さらに、彼女は厨房の予算を勝手に削り、自分専用のバラ風呂用の香油を輸入しました。その結果、下働きの使用人たちの夕食がパン一切れになり、先週ついに三人が逃亡したと聞いております。……メルティ様。貴女の『努力』のおかげで、国力は着実に削られていますわね」
メルティ様は顔を真っ赤にして、涙を浮かべて震え始めました。
「う、嘘よ! 私はただ、みんなが気持ちよく過ごせるように……! ナタリー様みたいに、座って命令するだけの嫌な女になりたくなかっただけですわ!」
「……素晴らしい志ですわ。ですが、メルティ様。私は『座って命令するだけ』で、王宮の離職率をゼロに抑え、予算を毎年一割ずつ黒字に転換させていました。……貴女の『汗を流す努力』と、私の『座り続ける怠惰』。どちらが国のためになるか、算数ができるのなら計算してみてくださいな。……あ、失礼。貴女、二桁以上の割り算は苦手でしたわね」
「ひ、ひどい……! ウィル様ぁ!」
メルティ様がウィルフレッド様に泣きつきましたが、ウィルフレッド様の表情は、もはや怒りよりも絶望に近いものに変わっていました。
彼もまた、ナタリーがいなくなった後の王宮で、メルティ様の「善意の暴走」に振り回され続けていたからです。
「……ナタリー。君は……君はいつも、そんなふうに冷徹に世界を見ていたのか?」
「冷徹ではありません。効率的であるだけですわ。……サイラス様、見てください。あちらのメルティ様。あんなに肩を震わせて泣いて、水分の無駄遣いですし、ハンカチで目を擦るたびに角膜を傷つけています。……あぁ、見ているだけでこちらのスタミナが削られますわ」
私はサイラス様の胸に顔を埋め、視界をシャットダウンしました。
「……ナタリー、もういい。これ以上の比較は、彼らに対する死刑宣告に等しい」
サイラス様は冷ややかな声で、ウィルフレッド様たちに告げました。
「ウィルフレッド殿下。君が連れてきたその女性は、君に『尽くしている』のではなく、君の『足を引っ張っている』だけだ。……ナタリーという至宝を捨て、泥を掴んだ自覚がようやく持てたかな?」
「……ぐっ……」
ウィルフレッド様は言葉を失い、ただ呆然と私とサイラス様を見つめることしかできませんでした。
「さあ、見苦しいから早く出ていくがいい。……ナタリーはこれから、私と一緒に『何もしないための最高級のアフタヌーンティー』を楽しむ予定なんだ。邪魔者は、一秒でも早く消えてくれ」
サイラス様が合図すると、周囲の騎士たちが威圧感を持って二人を包囲しました。
「ナタリー……! 私は、私は認めないぞ……! こんな、こんなことが……!」
ウィルフレッド様の叫び声が、メルティ様の泣き声と共に遠ざかっていきました。
庭園に再び、心地よい静寂が戻ってきました。
「……ふぅ。サイラス様。……私、三日分くらいの言葉を使い切りましたわ。……今すぐ、咀嚼不要の最高級冷製スープを……流し込んでください……」
「ははは、お疲れ様。君の毒舌は、どんな剣よりも鋭いな。……ほら、スープはもう準備させてある。君はただ、口を開けていればいい」
サイラス様の温かい手が私の頭を撫で、私は再び、勝利の怠惰へと沈んでいきました。
(……あぁ、やっぱり努力なんてするものではありませんわ。……私は一生、この心地よいソファーの上で、世界を嘲笑いながら寝ていたいのですから)
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