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遺恨
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サラが目を覚ますとそこに黴臭さはまったくなく、代わりに清潔なシーツの敷かれたベッドだけがある質素な部屋にいた。
窓は手が届かないほど高く小さく、扉は何故か内側に取っ手がない。
「ここ……」
来たことはないが、ここが公爵家のどこかであることは、たぶんこの家に染みついた匂いというか雰囲気でわかった。
身体を起こそうとしたが激しい眩暈で股ベッドに倒れ込み、耳鳴りで周囲の音がおかしなぐあいに遠くなる。
まさか──
死んではいないが、公爵令嬢に薬物入りのお茶を飲ませたり、子爵家の娘を襲わせるために出かける予定を伝えたりという犯罪に手を染めたサラが、約束を反故にされた仕返しに犯されそうになったところを助ける義理が、被害者である公爵令嬢の両親にあるだろうか?
自分が気を失った後には完全に無防備になってしまったのだから、きっとあの気持ち悪い男に純潔を散らされたに違いない。
身体的には床に叩きつけられた時に負った背中や後頭部の痛みしか感じないみたいだが、それこそ男たちが言ったように、気を失った自分は『楽しんで』しまったから、聞いていた『純潔を失う時の痛み』などないのだろう。
婚姻に伴う夫婦の初夜や閨のこと、それらの正しい教育は受けていたが、それよりも下世話な会話を年上の夫人たちがお茶会でするのを側で聞き、いずれは閨の中で女も『喜び』を得られるのが最上ではあるがそれを与えられる夫などめったにいないという愚痴で終わるのが常だった。
その代わりに隠語で愛人のことを語る婦人たちは、意味がわからずキョトンとする若いサラに向かってニヤニヤと笑い、「あなたもそのうちわかるわよ…」と意味深に囁いてくる。
そんな下品さが気持ち悪く、自分は絶対あんな女たちのようにはなるまいと決めていたのに──こんな恥辱を晒し続けるのなら、あの男たちの言うとおりに『せいぜい楽しんで、殺される』方がましだったに違いない。
「クッ……」
起き上がることを諦め、天井がグルグル回る感覚に吐き気を催しながら流す涙は、自分がシーナ嬢に対してやろうとしていたことが跳ね返ってきたことに対する恨みで、けっしてルエナやシーナの命すらも脅かしたかもしれないことへの後悔ではなかった。
半地下になっている牢は、邸内で働く使用人たちを一時的に捕縛して入れておくための部屋である。
一応頑丈な閂はかかっているが、今は牢屋というよりも単に使用人用の反省部屋として使われているのだが、上級使用人──しかも勤務期間がまだ半年ほどしか経っていないサラは知らない場所だった。
起き上がって見ればわかったのだろうが、部屋の中できちんと反省しているかを確認するための監視窓もあるのだが、ベッドの上から動くことができない恨みや泣き言を漏らしているだけのサラはまったく気が付かないようである。
「……あれは反省というより、手順間違いを思い返しているだけか?」
「似たようなものでありましょう。ディーファン公爵家への奉公を命じたというティアム公爵家令嬢に対しての恨み言も漏らしていましたが」
「ほう?」
アルベールは軽く眉を顰め、元々サラが雇われた経緯を思い出す。
いや、サラだけでなくすでに家族全員が名を呼ぶことすら忌避するルエナのためにと紹介されたあの女家庭教師も、確かティアム公爵家に連なる家の者だったはずだ。
ティアム公爵令嬢──確か彼女もルエナと同い年で、むろん同じく貴族学園に通っている。
王太子を含む王家の子供たちの幼馴染みの公女で、彼らの大叔母に当たる王女が降嫁した家でもあった。
あまり直近ではないにしても、やはり血の繋がりというのは子孫繁栄に悪影響をもたらすという研究結果が出ており、最近では血族婚姻は忌避される傾向にある。
そのため、王家では順番に公爵家のいずれかと結んでいた婚姻をあえて外し、『王妃の弟』という血が繋がっているようでいないディーファン家の公爵令嬢を王太子妃として迎えることを決定した。
しかしティアム公爵家は同い年の公女がいなければ確実にあちらの家が婚姻関係となったはずだと主張し、さらにはディーファン家が興ったことに関しても、わざわざ他国から降嫁してきた姫君を篭絡して無理やり身体の関係を結び、そのことを知られないために『姫とディーファン侯爵家嫡男双方の合意』という茶番を行ったのだから、今回も裏で手回ししたあくどい家系だと言いふらしているらしいのだが──
窓は手が届かないほど高く小さく、扉は何故か内側に取っ手がない。
「ここ……」
来たことはないが、ここが公爵家のどこかであることは、たぶんこの家に染みついた匂いというか雰囲気でわかった。
身体を起こそうとしたが激しい眩暈で股ベッドに倒れ込み、耳鳴りで周囲の音がおかしなぐあいに遠くなる。
まさか──
死んではいないが、公爵令嬢に薬物入りのお茶を飲ませたり、子爵家の娘を襲わせるために出かける予定を伝えたりという犯罪に手を染めたサラが、約束を反故にされた仕返しに犯されそうになったところを助ける義理が、被害者である公爵令嬢の両親にあるだろうか?
自分が気を失った後には完全に無防備になってしまったのだから、きっとあの気持ち悪い男に純潔を散らされたに違いない。
身体的には床に叩きつけられた時に負った背中や後頭部の痛みしか感じないみたいだが、それこそ男たちが言ったように、気を失った自分は『楽しんで』しまったから、聞いていた『純潔を失う時の痛み』などないのだろう。
婚姻に伴う夫婦の初夜や閨のこと、それらの正しい教育は受けていたが、それよりも下世話な会話を年上の夫人たちがお茶会でするのを側で聞き、いずれは閨の中で女も『喜び』を得られるのが最上ではあるがそれを与えられる夫などめったにいないという愚痴で終わるのが常だった。
その代わりに隠語で愛人のことを語る婦人たちは、意味がわからずキョトンとする若いサラに向かってニヤニヤと笑い、「あなたもそのうちわかるわよ…」と意味深に囁いてくる。
そんな下品さが気持ち悪く、自分は絶対あんな女たちのようにはなるまいと決めていたのに──こんな恥辱を晒し続けるのなら、あの男たちの言うとおりに『せいぜい楽しんで、殺される』方がましだったに違いない。
「クッ……」
起き上がることを諦め、天井がグルグル回る感覚に吐き気を催しながら流す涙は、自分がシーナ嬢に対してやろうとしていたことが跳ね返ってきたことに対する恨みで、けっしてルエナやシーナの命すらも脅かしたかもしれないことへの後悔ではなかった。
半地下になっている牢は、邸内で働く使用人たちを一時的に捕縛して入れておくための部屋である。
一応頑丈な閂はかかっているが、今は牢屋というよりも単に使用人用の反省部屋として使われているのだが、上級使用人──しかも勤務期間がまだ半年ほどしか経っていないサラは知らない場所だった。
起き上がって見ればわかったのだろうが、部屋の中できちんと反省しているかを確認するための監視窓もあるのだが、ベッドの上から動くことができない恨みや泣き言を漏らしているだけのサラはまったく気が付かないようである。
「……あれは反省というより、手順間違いを思い返しているだけか?」
「似たようなものでありましょう。ディーファン公爵家への奉公を命じたというティアム公爵家令嬢に対しての恨み言も漏らしていましたが」
「ほう?」
アルベールは軽く眉を顰め、元々サラが雇われた経緯を思い出す。
いや、サラだけでなくすでに家族全員が名を呼ぶことすら忌避するルエナのためにと紹介されたあの女家庭教師も、確かティアム公爵家に連なる家の者だったはずだ。
ティアム公爵令嬢──確か彼女もルエナと同い年で、むろん同じく貴族学園に通っている。
王太子を含む王家の子供たちの幼馴染みの公女で、彼らの大叔母に当たる王女が降嫁した家でもあった。
あまり直近ではないにしても、やはり血の繋がりというのは子孫繁栄に悪影響をもたらすという研究結果が出ており、最近では血族婚姻は忌避される傾向にある。
そのため、王家では順番に公爵家のいずれかと結んでいた婚姻をあえて外し、『王妃の弟』という血が繋がっているようでいないディーファン家の公爵令嬢を王太子妃として迎えることを決定した。
しかしティアム公爵家は同い年の公女がいなければ確実にあちらの家が婚姻関係となったはずだと主張し、さらにはディーファン家が興ったことに関しても、わざわざ他国から降嫁してきた姫君を篭絡して無理やり身体の関係を結び、そのことを知られないために『姫とディーファン侯爵家嫡男双方の合意』という茶番を行ったのだから、今回も裏で手回ししたあくどい家系だと言いふらしているらしいのだが──
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