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訪問

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おそらく長旅に慣れているらしい頑丈そうな侍女たちが、みっともなくはない程度に身支度を整えさせた少女を伴ってディーファン公爵家に到着したのは、伝書鳩に持たせたのとは別の早馬で正式な書簡が届いてからまさしく十日後のことだった。
いったいどんな扱いを受けてきたのか──大切に育てられてきた伯爵令嬢だと聞いていたはずのその少女はビクビクと落ち着きなく周囲を窺うような目付きで、世話係と教育係を担っているというフェザーヌ・クィンと名乗るエビフェールクス辺境侯爵の従妹が挨拶を促してからようやくぺこりとお辞儀をした。

それはスカートを軽くつまんで片足を引き、腰と膝を同時に沈める淑女の礼カーテシーではなく、使用人が行うような一礼。

それを見つめるディーファン公爵夫人はピクリと片眉を動かしたが、穏やかな笑みを浮かべたまま何も言わなかった。
「こちらに行儀見習いに上がらせていただけるとのこと……ミェシン……いえ、エビフェールクス辺境侯爵当主も、このように花嫁修業も満足に習得できない未熟者をこちらのお屋敷に上げるなど、赤面の至りと恐縮しておりましたわ」
「まあ……ホホホ。では、令嬢はいつまでこちらにいらっしゃるのかしら?」
「令嬢などそんな大層な呼び方をせずとも……そうですわねぇ……できれば一ヶ月ほどで礼儀作法を仕込んでいただけますと幸いですわ。何せ甘やかされて育っていますの!何せ挨拶ひとつまともにできないのですもの。本当にお恥ずかしいですわ!」
「まあ……それはそれは……よければ、娘のルエナが温室で待っておりますから、そちらにご案内させましょうね」
本来であれば主人筋の令嬢を「『令嬢』などという大層なものではない」だとか「礼儀を仕込め」などとは、いくら親戚であっても公爵夫人の前で言うべき言葉ではない。
それにあの礼の仕方はどう見ても『上級使用人である女主人付き侍女』を目指す令嬢のものではなく、下級使用人である厨房や洗濯室のメイドがする仕草である。
スッと目から温かみを消したディーファン公爵夫人の表情に気付かないのか、エビフェールクス辺境侯爵を名前で呼びつけるフェザーヌ嬢は、ルエナが在宅と聞いて色めき立った。
「あらまあ!ぜひお目にかかりたいですわ!ひょっとして、今日は王太子殿下もおいでなのかしら?」
「ええ、今日は側近候補の方も連れておいでになっていますわ」
「まあ!何て素晴らしい。ぜひわたくしもご挨拶を……」
「あらあら……イェン伯爵令嬢はこちらにお友達はおられないのでしょう?」
「えっ……ええ……王都に出るのは、これが初めてですから……」
「ではきっとルエナと良いお友達になってくださるわね?あの子は王太子殿下の婚約者ということでなかなか親しいお友達ができませんの……それにきょうだいは兄だけですから、きっと妹のように親しくなれるとお思いになりません?」
「えっ…え、えぇ……で、でも、まだその、この子は礼儀作法も成ってませんし……まだお目付け役が必要でしょう」
「そんな堅苦しいことはおっしゃらないで?娘と同い年のご令嬢がちょうど我が邸に滞在していますから、きっと少女たちは楽しく過ごせますわ……そんなところに大人・・のわたくしたちがお邪魔するなんて、無粋だとはお思いになりません?」
おそらくエビフェールクス辺境侯爵が監視役として付けたと思われるフェザーヌ嬢から幼い伯爵令嬢を引き離そうと水を向けるディーファン公爵夫人に対し、何とか自分も王太子がいる部屋についていこうとするフェザーヌ嬢だが、それなりに社交界を渡ってきた高位貴族夫人の前にあって顔色も旗色も悪い。
未婚らしいその女性はディーファン公爵夫人の慣れた目で観察したところ、おそらく十八から二十歳といったところ──ギリギリ嫁き遅れ直前の現在であれば王太子殿下の目に留まることが可能と思い込んでいるのがダダ洩れで、そんな肉食獣を未婚男性の目の前に差し出すわけがなかった。
「お嬢様のことはどうぞご心配なさらずに、我が家の自慢の庭でお茶でもいかがですか?」
「えっ……ええ……いえ、でもっ……」
なおも諦め悪く食い下がろうとするフェザーヌ嬢に対してサラリと受け流すように笑いかけ、ディーファン公爵夫人は辛そうな顔をしている少女だけ・・を案内するようにと側にいた侍女に言い付ける。
応接室に控えているパーラーメイドではなく、公爵夫人付き侍女に手を取られるという最高級のもてなしを受ける幼い令嬢に向けるフェザーヌ嬢の目付きは『自分のお嬢様を下にも置かない』という丁寧な扱いを満足げに見るものではなく、最側近らしい侍女ともうひとり補佐のためにつく専任侍女以外の者たちが少女と共に部屋を出るのを憎らし気に睨みつけていた。


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