ニコチンを死守せよ

沢麻

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岡部

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 「ウィー」
 今日は久しぶりに賢一と会った。三週間ぶりで、普通の間柄であれば久しぶりでもなんでもないが恋人同士としてはご無沙汰だろう。しかも二人で会うのではなくて、他にもお互いの同僚を引き連れた四人飲みで、ロマンスなど期待できる状況ではない。
 「そっちは大変そうだなぁ」
 賢一が労いの言葉を発した。賢一の同僚で消化器をやっている毛賀弘和もうんうんと頷いている。ここ最近はラインでも「疲れた」「お疲れ」というようなシンプルな短文しか送っていない。私が勤める星ヶ丘産婦人科病院でいきなり産科医が二人も辞めて、当直の回数が激増しているのだった。少子化ではあるが産婦人科の需要は必ずある。また難解な症例が殺到して混む上に食事が不味い大学病院より、院長一人親方でこじんまりして相部屋の確率が高い個人医院より、星ヶ丘のような中規模で新しい病院は人気があるのだった。ただ自分が女だからという理由で産婦人科医になったが、基本的には外科だしかなり体力勝負の仕事だなと感じている。こんなんじゃ自分が子作りしてる暇もない。もし賢一と結婚するなら、産科からは退くかとも思うが、何せやりがいもあるもんだから悩ましい。
 その結婚の話だって出やしない。もう私は三十五なのだけど。
 「ほんとだよ。誰か大学の医局から来てくんないのかなといつも思う」
 「うち産科は閉めたからねー。医局員は大抵サテライトのクリニックのほうだから厳しいんでしょ」
 「って院長も言ってたわ」
 賢一や毛賀は大学病院で働いている。収入も私のほうが多いだろうなと察しがつく。
 「ていうかこの居酒屋も禁煙なのかな?」
 賢一が言う。最近は禁煙ブームで煙草が吸える飲食店も減ってきている。そこで私はつい先日、加熱式煙草のアイコスに鞍替えした。紙巻きはNGでも、加熱式ならOKというブースがあちこちにできているという情報を本日伴ってきた同僚の古里に聞いたのだ。ちなみに賢一も毛賀もまだ紙巻きのようだ。
 「誰も吸ってないよ。ていうか聞いて。私アイコスにした」
 「ええっ見せて見せて」
 二人は身を乗り出してきた。へぇーこれが噂の、とか、ここに入れて充電するんだ、とか騒いでいる。外科医は基本的に多忙なので、流行りものに疎い。相当気合いを入れないと購入するのも疲れていてめんどくさい。もうこれからの煙草は加熱式だ、と古里が熱弁している。禁煙と思われる店内で煙草を出して談義している四人組がまさか国民の健康を守る医師だなんて誰も想像しないだろう。
 「においはないわけ? 副流煙はどうなの?」
 「煙は水蒸気だからすぐ消える。においも私は気にならないけど」
 「へぇー」
 賢一は目を輝かせた。
 「実はうちの大学もいよいよ全面禁煙の動きが出てるんだけど、これなら大丈夫かな?」
 「大丈夫なんじゃない?」
 「よーし、今日は岡部の家に寄っていくかな!」
 いきなり賢一が言い出した。私とどうこうというより加熱式を吸わせろとかそういうことなんだと思うが、それでも構わない。だって久しぶりなのだから。他の二人はいいねぇとか、とっとと結婚しろよとか言っている。そうだそうだ、と両手を上げそうになった時、携帯が鳴った。しかも古里と同時に。皆の顔が凍った。
 「はい、岡部」
 「お疲れ様です。緊急帝王切開が二件入って、あと一人ドクター必要なんですけど来れます? 古里にも連絡してますが」
 「……はい」
 よくある。うん、よくあることなんだ。
 
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