ニコチンを死守せよ

沢麻

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曽根

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 俺は住む家がある分まだましだ、と思ったのは、町内会のメンバーだった鳥部が失踪してしまったからだ。鳥部はもともとアパート暮らしではあったが、ここ最近見かけないと思っていたら挨拶もなく姿を消したという。噂では家賃の滞納があったようだ。
 持ち家がない老人は珍しくない。国民年金だった奴等は特に年金が足りず、それで病気でもしようもんなら暮らしぶりは目に見えてわかる。鳥部はおしゃべりだが、自分のことはあまり言わなかった。真偽のほどはわからないが、とにかくいなくなってしまった。そういえば鳥部も喫煙者だった。
 俺は田巻らに町内会の正月の凧上げイベントに駆り出され、仕方なく参加した。田巻たちは凧上げ部隊なので忙しくしているが、俺は参加した子供達に凧を配る役で、凧が捌けてしまえば暇であるため、煙草を吸いながらぼんやりと皆の様子を眺めていた。すると若い子連れの母親が露骨に睨み付けてきて、何か悪いことをしただろうかと戸惑っていたら千代川に「煙草を消せよ」と言われてようやく気付いた。
 「曽根さん、煙草は後にしようよ」
 俺は半分しか吸っていない煙草を仕方ないので靴で踏んで消すと、「ポイ捨ても言われるよ」と更に突っ込まれ、しょうがないのでそれをポケットにしまう。
 「……まったく生きづらい世の中だなぁオイ」
 俺は田巻が苦戦しながらも高く上げた凧を眺めて呟いた。
 「仕方ないじゃない、小さな子供達もいるんだから」
 「俺が子供の頃は親父だってその辺で吸ってたよ」
 「俺だってそうだけど、まぁ田巻さんに注意されるより俺に言われたほうがいいでしょ」
 千代川が笑う。確かに。
 「……今年は鳥さんがいないんだなぁ」
 去年はそういえばここで鳥部と煙草を吸いながら凧を見た。
 町内会の面々も、毎年いなくなる奴がいる。死んだり、老人ホームみたいなところに入ったり、入院したり、鳥部のようにいなくなったりする。俺もいつかはいなくなるのだ。ひょっとしたら健康診断でがんだと言われるかもしれない。鳥部のように生活が苦しくなって、家を売ってどこかへ行くかもしれない。事実煙草が値上がりしてから食事が質素になっているし、あり得る。しかしその「いなくなる時」が訪れたとき、俺は何を思うのだろうか。寂しいのは寂しいだろうが、何かさっぱりした気持ちになれるのではないだろうか。俺がいなくなって、皆が少しでも寂しいと思ってくれたら、それも嬉しいかななどと感じる。
 「実はさ曽根さん」
 千代川が口を開いた。
 「俺、がんかもしれない」
 「ほんとかい」
 「正月明けたら、検査入院する」
 「……」
 まさか千代川が。俺は次の言葉を失った。
 俺たちの年代になると、がんは珍しいものではない。最近は医療技術の進歩で、必ずしもイコール死の宣告というわけではない。しかしやっぱり命にかかわる大病だ。千代川は喫煙仲間で、町内会でも気の合う友人だった。なんてことだ。
 「……俺さ、この間まで、禁煙して何年か長生きしたところで誰の得にもならないって思ってたんだ。でも、もし検査でがんが確定して、禁煙したら助かりますよって言われたら俺煙草やめるかもって気分になってる。面白いよね、人間って」
 千代川は笑った。弱々しく、それでいて、いつものお茶目な笑顔だった。
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