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第3話 婚約者のいない日々
しおりを挟む出立の日の早朝。まだ人が疎らな馬車乗り場で私はマーカスとベンチに座り発車の時刻を待っていた。ちゃんと笑顔で送り出そうと決めていたのに、私の決意と涙腺はあっけなく崩壊した。
「毎週きちんと手紙を書くよ。夏と冬の長期休暇には帰って来る。だからアリス、泣かないで」
うつむいて泣きじゃくる私の頭をマーカスが片手でそっと引き寄せ、そして優しく髪を撫でた。小さい頃から私が泣いていると彼はいつもこうやって慰めてくれていた。二度と会えない訳じゃないってことは分かってる。でも当たり前のように側にいてくれたマーカスがいなくなってしまうことがたまらなく悲しかった。
「じゃあ行ってくるよー! アリスっ! 着いたらすぐに手紙を書くからー!」
マーカスが乗合馬車の上から大きく手を振った。私とは対照的に彼の目には希望が満ちているようだった。そんな彼を応援したいという気持ちと、心まで離れて行ってしまうんじゃないかという不安が入り混じりながらも、私も彼に手を振り返す。見えなくなるまで彼を見ていたかったのに涙が邪魔をしてそれは叶わなかった。
恋人になってわずか一年で私達は離れ離れになってしまった。マーカスがザイロを旅立つ直前に父から「婚約を結んでいるということをちゃんと書面にしておくように」と言われそれに従った。結婚を前提としたお付き合いというのは両家の親も承知している。ならばということで父は正式な契約としての書類を用意した。実に商人らしいな、と私は思った。
この頃になると父のおおよその展望が私にも見えていた。家督は長男であるイーサンに継がせ、私には魔道具の付与をやらせるという算段。バッシュ家の子息とはいえマーカスは三男坊だ。下手な所に嫁がせるよりは、彼ならなにかと融通が利くと踏んだのであろう。
私は10歳になるとすぐに学業以外の時間はグレイン商会の魔道具制作所で見習いとして働かされた。グレイン家の長女だからと言って特に優遇される訳でもなく、かと言って嫌がらせを受けるということもなかった。いい意味で周りの皆は私に対して普通に接してくれた。ただ一人を除いて。
「マーカスくんは昨日王都に向かったんだって? アリスちゃんはやっぱり寂しいかい?」
薄ら笑いを浮かべながら近づいてきたのは副所長のクリフトだった。齢30歳になるこの男はなにかと私に絡んでくる。今も作業台に座る私の真横に立ち、軽く肩に触れながら顔を覗き込んできた。
「ええ……まぁ」
私は出来るだけ彼から距離を取るためにすっと席を立った。まだ14歳とはいえ彼が向けて来る気持ちの悪い視線とその思惑がどういうものなのか理解している。ここに来た当初は私のことなど全く興味もなさそうだったのに、昨年辺りから妙に声をかけられるようになった。私ももうすぐ15歳だ。何もしなくとも身体は勝手に成長していく。
「なにか悩み事とかあればいつでも相談するんだよ?」
クリフトは席から離れたはずの私の後ろにいつの間にか立っていた。思わずぞわっと鳥肌が立ち私は逃げるようにトイレへと駆け込んだ。
彼の私への態度や振る舞いについては何度も父に伝えていた。直接クリフト本人に言ってものらりくらりとはぐらかされるからだ。はっきり言って会話が成立しない。だが父に伝えても「あいつは優秀だし結婚もしている。おまえの勘違いだろう」と、どんなに訴えても聞き入れてもらえなかった。
マーカスが遠くに行ったことでクリフトが今まで以上に近付いてくるかもしれない。そんな不安が頭をもたげる。マーカスへ送る手紙にそのことを書くと「おれの方からもアリスの父上に抗議しておくよ。アリスも嫌な時ははっきりと言うんだよ」という返事を読んで思わず涙が出た。その言葉を貰えただけで私は勇気が持てた。まるで彼が後で見守ってくれているかのように心が強くなれた。
ある日の朝、いつものように背後からクリフトが私の肩に手を置いてきた。彼が来ると部屋中にきつい香水の臭いが漂うのでそちらを見なくても誰だかわかる。
「アリスちゃん、なにか疲れてないかい? 凄く髪が痛んでる」
一瞬ゾクッと悪寒が走り振り返るとクリフトが私の髪に触れようと手を伸ばしていた。私はすぐに身を反らしその手を思いっきり叩いた。折角なので今練習中の雷魔法を発動させるとバチンという大きな音が鳴った。私が抵抗するとは思ってなかったのか、クリフトは腰を抜かしたように後ろに倒れ込み目を大きく見開きながら「あわあわ……」となにか喋っていた。
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