婚約者に会うためにアリスは空を飛ぶ

三毛猫ジョーラ

文字の大きさ
3 / 27

第3話 婚約者のいない日々

しおりを挟む

 出立の日の早朝。まだ人がまばらな馬車乗り場で私はマーカスとベンチに座り発車の時刻を待っていた。ちゃんと笑顔で送り出そうと決めていたのに、私の決意と涙腺はあっけなく崩壊した。

「毎週きちんと手紙を書くよ。夏と冬の長期休暇には帰って来る。だからアリス、泣かないで」

 うつむいて泣きじゃくる私の頭をマーカスが片手でそっと引き寄せ、そして優しく髪を撫でた。小さい頃から私が泣いていると彼はいつもこうやって慰めてくれていた。二度と会えない訳じゃないってことは分かってる。でも当たり前のように側にいてくれたマーカスがいなくなってしまうことがたまらなく悲しかった。

「じゃあ行ってくるよー! アリスっ! 着いたらすぐに手紙を書くからー!」

 マーカスが乗合馬車の上から大きく手を振った。私とは対照的に彼の目には希望が満ちているようだった。そんな彼を応援したいという気持ちと、心まで離れて行ってしまうんじゃないかという不安が入り混じりながらも、私も彼に手を振り返す。見えなくなるまで彼を見ていたかったのに涙が邪魔をしてそれは叶わなかった。



 恋人になってわずか一年で私達は離れ離れになってしまった。マーカスがザイロを旅立つ直前に父から「婚約を結んでいるということをちゃんと書面にしておくように」と言われそれに従った。結婚を前提としたお付き合いというのは両家の親も承知している。ならばということで父は正式な契約としての書類を用意した。実に商人らしいな、と私は思った。

 この頃になると父のおおよその展望が私にも見えていた。家督は長男であるイーサンに継がせ、私には魔道具の付与をやらせるという算段。バッシュ家の子息とはいえマーカスは三男坊だ。下手な所に嫁がせるよりは、彼ならなにかと融通が利くと踏んだのであろう。

 私は10歳になるとすぐに学業以外の時間はグレイン商会の魔道具制作所で見習いとして働かされた。グレイン家の長女だからと言って特に優遇される訳でもなく、かと言って嫌がらせを受けるということもなかった。いい意味で周りの皆は私に対して普通に接してくれた。ただ一人を除いて。
 
「マーカスくんは昨日王都に向かったんだって? アリスちゃんはやっぱり寂しいかい?」

 薄ら笑いを浮かべながら近づいてきたのは副所長のクリフトだった。齢30歳になるこの男はなにかと私に絡んでくる。今も作業台に座る私の真横に立ち、軽く肩に触れながら顔を覗き込んできた。

「ええ……まぁ」

 私は出来るだけ彼から距離を取るためにすっと席を立った。まだ14歳とはいえ彼が向けて来る気持ちの悪い視線とその思惑がどういうものなのか理解している。ここに来た当初は私のことなど全く興味もなさそうだったのに、昨年辺りから妙に声をかけられるようになった。私ももうすぐ15歳だ。何もしなくとも身体は勝手に成長していく。

「なにか悩み事とかあればいつでも相談するんだよ?」

 クリフトは席から離れたはずの私の後ろにいつの間にか立っていた。思わずぞわっと鳥肌が立ち私は逃げるようにトイレへと駆け込んだ。


 彼の私への態度や振る舞いについては何度も父に伝えていた。直接クリフト本人に言ってものらりくらりとはぐらかされるからだ。はっきり言って会話が成立しない。だが父に伝えても「あいつは優秀だし結婚もしている。おまえの勘違いだろう」と、どんなに訴えても聞き入れてもらえなかった。

 マーカスが遠くに行ったことでクリフトが今まで以上に近付いてくるかもしれない。そんな不安が頭をもたげる。マーカスへ送る手紙にそのことを書くと「おれの方からもアリスの父上に抗議しておくよ。アリスも嫌な時ははっきりと言うんだよ」という返事を読んで思わず涙が出た。その言葉を貰えただけで私は勇気が持てた。まるで彼が後で見守ってくれているかのように心が強くなれた。


 ある日の朝、いつものように背後からクリフトが私の肩に手を置いてきた。彼が来ると部屋中にきつい香水の臭いが漂うのでそちらを見なくても誰だかわかる。

「アリスちゃん、なにか疲れてないかい? 凄く髪が痛んでる」

 一瞬ゾクッと悪寒が走り振り返るとクリフトが私の髪に触れようと手を伸ばしていた。私はすぐに身を反らしその手を思いっきり叩いた。折角なので今練習中の雷魔法を発動させるとバチンという大きな音が鳴った。私が抵抗するとは思ってなかったのか、クリフトは腰を抜かしたように後ろに倒れ込み目を大きく見開きながら「あわあわ……」となにか喋っていた。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

最後に一つだけ。あなたの未来を壊す方法を教えてあげる

椿谷あずる
恋愛
婚約者カインの口から、一方的に別れを告げられたルーミア。 その隣では、彼が庇う女、アメリが怯える素振りを見せながら、こっそりと勝者の微笑みを浮かべていた。 ──ああ、なるほど。私は、最初から負ける役だったのね。 全てを悟ったルーミアは、静かに微笑み、淡々と婚約破棄を受け入れる。 だが、その背中を向ける間際、彼女はふと立ち止まり、振り返った。 「……ねえ、最後に一つだけ。教えてあげるわ」 その一言が、すべての運命を覆すとも知らずに。 裏切られた彼女は、微笑みながらすべてを奪い返す──これは、華麗なる逆転劇の始まり。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

元夫をはじめ私から色々なものを奪う妹が牢獄に行ってから一年が経ちましたので、私が今幸せになっている手紙でも送ろうかしら

つちのこうや
恋愛
牢獄の妹に向けた手紙を書いてみる話です。 すきま時間でお読みいただける長さです!

それは報われない恋のはずだった

ララ
恋愛
異母妹に全てを奪われた。‥‥ついには命までもーー。どうせ死ぬのなら最期くらい好きにしたっていいでしょう? 私には大好きな人がいる。幼いころの初恋。決して叶うことのない無謀な恋。 それはわかっていたから恐れ多くもこの気持ちを誰にも話すことはなかった。けれど‥‥死ぬと分かった今ならばもう何も怖いものなんてないわ。 忘れてくれたってかまわない。身勝手でしょう。でも許してね。これが最初で最後だから。あなたにこれ以上迷惑をかけることはないわ。 「幼き頃からあなたのことが好きでした。私の初恋です。本当に‥‥本当に大好きでした。ありがとう。そして‥‥さよなら。」 主人公 カミラ・フォーテール 異母妹 リリア・フォーテール

我慢しないことにした結果

宝月 蓮
恋愛
メアリー、ワイアット、クレアは幼馴染。いつも三人で過ごすことが多い。しかしクレアがわがままを言うせいで、いつもメアリーは我慢を強いられていた。更に、メアリーはワイアットに好意を寄せていたが色々なことが重なりワイアットはわがままなクレアと婚約することになってしまう。失意の中、欲望に忠実なクレアの更なるわがままで追い詰められていくメアリー。そんなメアリーを救ったのは、兄達の友人であるアレクサンダー。アレクサンダーはメアリーに、もう我慢しなくて良い、思いの全てを吐き出してごらんと優しく包み込んでくれた。メアリーはそんなアレクサンダーに惹かれていく。 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。

断罪された薔薇の話

倉真朔
恋愛
悪名高きロザリンドの断罪後、奇妙な病気にかかってしまった第二王子のルカ。そんなこと知るよしもなく、皇太子カイルと彼の婚約者のマーガレットはルカに元気になってもらおうと奮闘する。  ルカの切ない想いを誰が受け止めてくれるだろうか。  とても切ない物語です。  この作品は、カクヨム、小説家になろうにも掲載中。   

妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです

藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。 ――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。 妹は父の愛人の子。 身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、 彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。 婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、 当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。 一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。 だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。 これは、誰かが罰した物語ではない。 ただ、選んだ道の先にあった現実の話。 覚悟のなかった婚約者が、 自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。

とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜

入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済!】 社交界を賑わせた婚約披露の茶会。 令嬢セリーヌ・リュミエールは、婚約者から突きつけられる。 「真実の愛を見つけたんだ」 それは、信じた誠実も、築いてきた未来も踏みにじる裏切りだった。だが、彼女は微笑んだ。 愛よりも冷たく、そして美しく。 笑顔で地獄へお送りいたします――

処理中です...