翻る社旗の下で

相良武有

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第一章 悔恨

第10話 佐々木、剣道の朝稽古を始める

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 翌日から佐々木の登校前の朝稽古が始まった。
早希は稽古に手加減を加えることは無かった。父親に対する時と同じ様に裂帛の気合と迫真の気迫を以って対峙した。技の型や剣道の精神を教えることも無かった。無論、手取り足取りの指導もしなかった。唯々、木刀を持って前に突くことだけを求めた。
 佐々木は必死の形相で早希に突き掛かって行った。しかし、何度突きを入れても唯ただ身を躱されるだけで、その度に佐々木は道場の床につんのめって転倒した。二人の稽古は小一時間に及び、佐々木はふらふらになって、終わる頃には半分泣き顔で突き掛かっていた。
 掌に出来た木刀を握る肉刺が潰れ、起居にも苦痛を伴うほど足腰の痛みも強く、転倒して擦り剥いた膝にようやく瘡蓋が出来かかった頃、早希はただ身をかわすだけでなく、佐々木の突き出す木刀を叩き落すようにし始めた。突いても、突いても叩き落された。拾っては突き、また拾っては突いて、佐々木は憑かれたように死に狂いで突きを入れていった。
 突きの稽古を始めて半年近くが経った頃、佐々木の木刀は叩かれても落ちなくなっていた。それほど強く握っている訳ではないのに、不思議と手から落ちないのである。そして、佐々木の突き出す木刀が極く稀に早希の稽古着の袖を掠めることも起った。無論、佐々木には解らなかった、佐々木は無意識であった。ひたすらに脇目も振らず突きを入れていた。早希も佐々木も言葉は交わさなかった。二人とも無言で突きの稽古に励んだ。裂帛の気迫で対峙する剣の稽古に指導や叱責や激励の言葉など無用であると早希は身を以って示していたし、佐々木にもその気持は通じていた。
「佐々木君、突きの的は相手の心臓と喉元に絞りなさい。君の腕は既にそれを十分に可能にするまでに上達していますから」
この早希の一言を以って、突きの稽古は終焉した。
 
 翌日から始まったのは、居合いの稽古であった。
この時は、身体の構えや腰の落とし方、その位置等を早希は最初に手本を示しつつ、佐々木に教えた。如何に速く木刀を抜くか、その鍛錬が又、始まった。早希と対峙して腰に差した木刀を抜くのであるが、先ずは上手く木刀が腰から抜けなかった。佐々木が思った以上に木刀は長く感じられた。剣道衣の帯に引っかかって抜けない。速く抜くことよりも如何に上手く抜けるようにするか、其処から始めなければならなかった。何度試みても佐々木が抜く前に早希の居合い抜きで胴や足腰を払われた。右太腿も右腰も打たれた痣で赤く膨れ上がるのに時間は掛からなかった。佐々木は歯を食い縛って痛みに耐え、雨の降らぬ日には、学校帰りに道場前の庭の立木に向かって、来る日も来る日も、独りで居合いの稽古に励んだ。時折、老師範がその様子を窺っていたが、佐々木は気付く筈も無かった。
 
 季節が移って蝉の声が喧しくなって来た頃、珍しく夕刻に早希が道場に現れた。立木相手に一人稽古を積む佐々木を見て早希が言った。
「佐々木君、居合いは速さが第一です。それも、疾風の如く、豹の如くです」
佐々木は又、その日から疾風と豹を頭に描いて立木と対峙した。朝稽古では早希の存在を頭から掻き消して、己の動きだけに心を研ぎ澄ました、疾風の如く、豹の如くにと。
速さは疾風の如く、動きは豹の如く敏捷に、と佐々木は一心に稽古を積んだ。
 やがて、霜が降りる頃になって、十本に一本程度は佐々木の方が早希より速く抜くことが出来るようになっていた。
一本取られた早希が言った。
「佐々木君、本来、居合いと言うものは片手の刀で相手を斬るものです。当然ながら、両手で持って振り下ろされる太刀ほどの力はありません。従って、相手に与える手傷の深さは両手斬りよりも浅くなります」
「と言うことは先生、如何に刀に体の重みを乗せるかが大事ということですか?」
「そうです、その通りです。足幅の広さ、腰の低さを上手く加減して、体の重みが十分に刀に乗るようにしなければなりません。敏捷さと同じように、足腰や手首を鍛えることもこれからの稽古です」
佐々木は未だ未だ会得しなければならない剣の道の奥行きの広さとその深さを思い知った。

 佐々木が剣の稽古に見たものは強靭なまでの孤高であった。単に技を極めるのみならず精神を鍛え人間を高めるその奥義であった。練達の技を極めるのは無論のこと、真剣で対峙するならば斬られて独り死ぬかもしれないという恐怖心を克服すること、謂わば、孤独な克己の強靭さが求められているのだと佐々木は理解した。
佐々木が木刀を交え渾身の力で早希に対峙する瞬間、顔を緊張させ眼差しを刺し違えて激突する時だけ、佐々木はその一つの行為の中で自分と全く等しい他の人間と、仮令それが師の早希であっても、合一することが出来た。
剣の稽古は、それを行った人間だけのものであった。これだけのことをやったという満足感や出来なかったという悔恨や焦燥といった感慨以外に、改めてその行為に加わることは出来はしない。行った後のこの率直な感慨の中でこそ、佐々木は初めて独りきりになれた。それには、今一瞬を捉えることが出来た満足感と、危うく泣けて来そうな生命感が在った。それは決して観念ではなく、体中で支えて抱く陶酔の実体であった。それは他の誰もが立ち入れない、奪い取ることの出来ない佐々木独りきりの世界であった。従って、佐々木に必要なものは結果という小さな帰結ではなく、行為の一瞬一瞬やその全ての堆積の果てに、向かい合い乗り越え、獲ち得なくてはならないものが在るのだった。が、それが何であるかは未だ佐々木には解からなかった。
佐々木は又、新しい想いで、居合いの稽古に立ち向かっていった。
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