翻る社旗の下で

相良武有

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第三章 無念

第36話 沢木、心臓にペースメーカーを設置される

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 翌日、沢木はカテーテル室から同じ階にあるICUに移された。
比較的広めな個室で、ナースステーションへ向いている部分はガラス張りになっていて、室内が見通せるようになっていた。
部屋にやって来た医師が直ぐに沢木に言った。
「足の付け根には、まだ万が一の再手術のことを想定して、挿管用の管がついたままです。足を動かして、この管が動脈に傷をつけると大変なことになるので、絶対に右足は動かさないで下さい。辛いだろうけど、明日には、管を外せるので一晩だけガマンして。それから、飲食は当然ダメ、水もダメです。水分と栄養は点滴で補給しますから」
右足は付け根が固定され、かつ足先が動かないようにベッドに拘束具で完全に固定されてしまった。
右腕に点滴用の管、指先には心拍数計測用の装置、左腕に血圧測定用の装置、胸には心電図用の電極、股間に排尿用チューブ、鼻には酸素吸入用チュープ・・・体中、管やら線やらで身動きがとれず、沢木は直ぐに腰や背中が痛くなってきた。
自分では見えなかったが、頭の上の方にモニター類が心拍や血圧などをモニターしてもいた。
 夜の七時過ぎになって妻の恵子がやって来た。
「家族の方、お通ししますね・・・」
看護師の優しい声と共に姿を現した恵子は、今朝、沢木がICUに移った後、仕事に出かけて行って、その帰り掛けに再び病院へ寄ったのだった。恵子は仕事を持つキャリアウーマンで毎日何かと多忙な生活を送っている。
「おい、写真、写真」
看護師が出て行ってしまうと、恵子にカーテンをちょっと閉めさせて寝姿をパチリと撮影させた。滅多に無い体験なので記念に残しておこうと沢木は考えたのである。
 それから、沢木は、さすがにICUなので看護師に見つからないよう、恵子に見張って居て貰ってアイフォーンでメールをチェックした。そして、とりあえず、上司の営業本部長と部下の次長に対して、数日は出社が難しい旨のメールと併せて幾つかの残務処理のお願いをした。
時折、数個有る装置の内の一つが鳴り出したりして、その度に恵子は眉間に皺をよせ、看護師が来て何かの処置でそれが鳴り止むとほっと安堵の表情を浮かべた。
ICUには長居は出来ず、恵子は一時間ほどで帰って行った。

 恵子が帰って小一時間が経った頃、担当医師が診察にやって来た。
そして、幾つかの装置や記録を見た後、看護師や年配の医師と相談を始めた。
沢木がなんだろうと思っている内に、辺りが次第に慌ただしくなって来た。
「モニターしていた心臓の鼓動が宜しくありません。不整脈や不規則な鼓動がある。どうやら心不全を起こしている疑いが強いです。念のため、一時体外設置型のペースメーカーを設置して、心臓の動きを安定させます」
自覚症状が全く無く「ペースメーカー」と言う言葉の響きにビビリながら、沢木は「解りました。よろしくお願いします」と返事をした。直ぐに手術の準備が進み出した。
 初日の手術とその後の大腿動脈の止血終了で、沢木は気持ちが緩んでいたので、再度の手術室には大いに緊張し不安にも駆られた。ベッドごとカテーテル室まで移動して手術台に乗せかえられた。
 今度は、首の付け根から心臓の辺りに何本かの電極を差し込む手術だった。
点滴用の管が付いている側と反対の首の付け根に局部麻酔をして管が挿入された。電極の向きをうまく調節しなければならず、数名の医師が相談しながら手術を進めて行った。
沢木は、電極から発せられる微弱な電流が心臓のあたりを刺激するのが感じた。電極の向きや場所によって、心臓の鼓動が変るかのような感覚だった。微調整の後、肩口に体外ペースメーカーを括り付けて手術は終了した。開始から終了まで一時間程度のものだった。これで首を動かすことが不自由になり、更に、昨日より病状が進行して「要観察」となった。左手首から、採血と血管内から直接に常時血圧をモニターする為のセンサーが挿入され、針が外れないように左手首が固定された。
 沢木は病室に戻ったが、まったく身動きが取れない状態になっていた。大腿部の止血している箇所も痛く、背中特に腰が益々痛くなって、看護師を呼んで背中に枕を当てて貰ったりした。
そして、眠れない夜は更けて行った。
 一時間置きくらいに看護師がチェックや採血にやって来るし、一定間隔で血圧計が作動したり、点滴が切れそうになるとアラームが鳴ったりして、全く寝られる状況ではなかった。とにかく、足の付け根が痛い、背中が痛い、腰が痛い、喉が渇く、体は動かせない。沢木は何度か、看護師に頼んで氷を持って来て貰い、喉の乾きを癒した。うとうとしては目覚め、又うとうとする、そんな夢と現実の狭間を彷徨うような時間が暫く続いた。明け方漸くウトウトしたくらいで、あとは、もう、起きているのか、夢見ているのか、分からない状態だった。
 
 翌日の昼過ぎに担当医師がやって来た。
「足の管を抜きますね」
然し、動脈に穴を開けてカテーテル用の入り口が作られていたので止血が必要であった。
「心筋梗塞の治療で、血液をサラサラにする薬剤を投入していますから、止血をしっかりしておかないとね」
医師はそう言って、各種の挿管用の器具を取った後、棒状の器具で傷口を強力に押さえ込んだ。圧迫止血と言う方法だった。医師は兎に角、力づくで小一時間押し続けた。
強烈な痛さだった。沢木は呼吸が荒くなり、心臓の鼓動も早くなった。暫くすると足全体が痺れて来た。その後、止血用の添え木が当てられ、テープやゴムバンド、コルセットなどで大腿部と腰がガッチリと固定された。傷口近くに宛てられた止血棒の圧迫は途絶えることが無かった。
「今夜は絶対に動かしては駄目ですよ」
医師はそう言って沢木の足首をベッドに固定した。これまで以上に下半身の自由が効かなくなった。
首は点滴の管が繫がっていて曲げることが出来ず、両手も自由が効かない、沢木は身体の自由が効かない不自由さを今更ながらに思い知った。
 夕方になって恵子が諸々の入院道具を持ってやって来た。
取りあえず、看護師の目を盗んで記念写真をまたパチリ。
「ねえ、ご両親に連絡しなくて良いかしら?」
「うん、あんな遠い田舎から、八十歳過ぎの親父やおふくろに出て来て貰うのも大変だから、もう少し様子を見てからで良いんじゃないか」
話し合っている内に面会時間が終了して恵子は自宅へ帰って行った。
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