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05.王子様は過保護です
王子様は恋人になりました②
しおりを挟むテイクアウトした食事を我が家で終えたビー太郎は、なぜか全く帰る素振りを見せず、ソファーに長い脚を投げ出してとてもリラックスして寛いでいた。
私を後ろから抱きしめ「ねえ」と話しかけてきては、さっきから「平気」「心配」という攻防戦を繰り広げている。
「……やっぱり、俺一緒に行った方がいいと思うんだよね」
「だから、食事するだけだから」
「そうは言っても、綾乃は優しいし、簡単に絆されるじゃん」
「ほ、絆されるって人聞き悪い…っ!」
明日新井さんと食事をすることを知ったビー太郎がさっきからずっとこの調子だ。
初めは少し可愛いな、とか嬉しいとか思っていたけど、段々と馬鹿にされている気がしてきた。
「御崎にデートに誘われてあんだけソワソワしてたくせに?」
ほら。こういう、ちくっと嫌味を言うところとか。
「男が女を誘う理由なんて下心しかないじゃん。新井に告白手前…というかほぼ告白されたようなもんでしょ、それ。そんな相手にランチだけとか。高校生でもあるまいし」
ビー太郎にはつい先程事情聴取という名の取り調べを受けた。新井さんと御崎くんについて洗いざらい吐けと言われたのだ。
『まだ食事しかしていない。男女の進展はない』と言った私に対してビー太郎は『告白された上での食事は合意とみなされかねない』とバッサリと否定。
おまけに『休日に会う』なんて。とわなわなと震えだした。その震えを抑えるためだとか、なんとか訳の分からないことを言って今私を抱き込んでいる王子様。
「綾乃ってちょっとズレてるんだよな。そういうところも可愛いんだけど」
残念だ、とでも言いたげな溜息が頭上から落ちてきた。
思わずムッとして振り返れば、唇にちゅう、と吸い付かれる。
「ふふ。可愛い。あー、やっぱり俺、ついて」
「平気だって言ってるじゃない」
「俺が平気じゃない!」
あー言えばこう言う。
しかも、何その「俺の心の平穏の為に」みたいな発言は。
どさくさに紛れてキスまでするし。
「ねえ、綾乃。普通に考えてよ。付き合い始めた翌日に俺が『ごめん、今日は知り合いの女性と食事をするんだ。その子は俺のこと好きみたいだけど、俺は何とも思ってないから心配しないで』って言われて平気なの?」
ううっ。
ビー太郎の例えが分かりやすくて困る。
そして、平気じゃない!と思ってしまった私はビー太郎がこうしてマイルドにオブラートに「行かないでほしい」と言っていることにようやく気づいた。
でも気づいてしまっても約束は約束。
新井さんとの約束はビー太郎と付き合う前に取り付けている。
電話で一方的に「ごめんなさい」をするのは簡単だけど、今後仕事上会うこともあるだろう。
蟠りはなるべく少ない方がいい。
誠意のある対応をすべきだと私は思っている。
「……平気じゃないわ。でも、その日にちゃんと断って今後二人で会わないならいいと思うの。約束は前からしてるわけだし」
「そうだけどさ」
ごめんね、ビー太郎。
項垂れるビー太郎の頭をよしよしと撫でる。
つい先程まで友達以上恋人未満だったのに、今はもう彼氏と彼女。ちゃんとした恋人同士だ。
だからこんな風にお互いの交友関係にも口出しできる。
ただ、ビー太郎が少し心配性すぎるのか、私が考えなしすぎるのかは分からない。
「……ねえ、綾乃。覚えておいて。俺本当は全然心広くないから。超狭いし、すっごく性格悪いし、嫉妬するし、独占欲が半端ない。本音を言えば、今すぐこの場で新井に電話をかけて明日の予定なんてキャンセルさせたいし、仕事上会わないよう取り計らうことだって簡単だよ。俺にはその力があるからね」
「その為の力じゃないでしょ」
「分かってるよ。綾乃がそういうの嫌がるって分かってるからしないよ。俺、綾乃には嫌われたくないから」
はぁあ、とビー太郎がまた深く盛大な溜息を吐き出した。肩に顔を埋めておでこをぐりぐりして、なんだか小さな子どもみたいだ。
王子様が幼い。可愛い。
それなのに、身体を拘束する腕は逞しくて、肩幅も背中を預けている胸もしっかりとしていてなんだかちぐはぐな気がする。
「そんな簡単に嫌いにならないわよ」
「……人間冷める時は一瞬じゃん」
「やめてよ。そんな怖いこと」
まだ今日明日ぐらいなら良い夢見たかな、で済むわ。
傷が浅いから仕事でもなんとか……うん、なると思うの。悲しいけどね。
でも、これが半年、一年後とかなら私、生きていられる自信がないわ。
「冷めないようにする、のもお互いの努力だと思うよ」
「それはそうだけど」
「心配しなくても俺が綾乃に愛想尽かすことはないと思うけど」
「何を根拠に」
「秘密。知ったらどん引くと思うから」
ビー太郎はクスッと笑うと片手で私の顎を掬う。
傾いた顔にはしっかりと折り重なるようにビー太郎の唇が重なった。
小鳥が啄むような、キスを何度も繰り返す。だけど、焦ったくなったのか、ビー太郎の舌が唇をこじ開けて入ってきた。
さっきまでの爽やかさから一転、熱の篭ったねっとりとしたキスが始まる。
舌を絡めたり吸ったりする。甘いリップ音が時折響き、口内を隈なく舐められた。
それが暫く続いて頭がぼぅ、とする。
ぼんやりした目で口内を掻き乱す男を見つめれば、淡く微笑まれて唇が離れていく。
「……綾乃」
それが寂しい、と感じてつい腕を伸ばした。
ビー太郎が嬉しそうに応えてくれる。
「よいしょ」と抱え上げられて、今度は横抱きにされる。
しっかり彼の首に腕が回せば、ビー太郎の手が片頬に添えられた。
「……ん」
がぶっ、という効果音が聞こえてきそうな勢いだった。
キスというよりも食べられている、という方が表現が合う。弾力のある熱くて柔らかな蠢きが口内を這いつくばる。彼に応えるように差し出せば、ビー太郎は嬉しそうに目元を細める。れろりと擦り合わせた舌が絡みついて離れない。息が苦しいのに、やめて欲しくない。
「……綾乃」
ほぅ、と小さく漏れた呼吸すら勿体ない、と唇を押し付け合う。
くったりと身体から力は抜けてしまったのに、身体の奥底がとても熱くて、彼の腕から逃げるようにソファーの背に身体を預けた。
「まだ、したい」
足りない、とビー太郎が言う。
ソファーの背に預けた身体が、いつの間にか椅子の部分に縫い付けられて、恍惚とした目で見下ろす彼と目が合った。
「…なにも、しないって」
「キスだけって言ったじゃん」
「言ったけど」
やっと息ができるようになったのに、「じゃあいいよね」って、「言質はとったから」ってビー太郎が唇の端をあげる。
「明日、新井と飯行くじゃん」
「なに、その浮気するじゃん、みたいな言い方」
「良い気はしないからね。だから、ちょっとお仕置きかな」
「んぅ」
黒く笑った彼はまたキスを始めた。
既にじんわりと痺れた唇に柔らかな感触が再び舞い降りる。少し硬くなった身体からすぐに力が抜けてビー太郎に委ねている自分がいることに気づいた。
「…綾乃」
好きだよ、と彼の瞳が物語る。甘く蕩ける視線を向けられて、恥ずかしいような嬉しいような擽ったい気持ちが溢れ漏れた。
ビー太郎の気持ちが嬉しくて、ふんわりと胸があたたかくなる。じわじわと嬉しい気持ちが募り何故だかとても安心した。
とろんとした目で見上げれば、同じように目元を和らげたビー太郎がまた顔を傾ける。
「綾乃」
確かめるように名前を呼ばれて、返事をするように唇が重なった。時折リップ音を鳴らして互いの口腔を舐め合う。甘やかなキスを散々繰り返して、次第に瞼が重くなり意識が微睡んでいく。
そういえば朝からずっと気を張り詰めていた。
洋服選びから始まって、ビー太郎の行動や仕草に期待しないよう、言い聞かせて。
そこにまさかの告白。泣いたことも体力消耗を促した要因だったのか、身体はもう限界だったらしい。
「……綾乃?」
ビー太郎の「え?」という呟きがなんとなく頭の片隅で聞こえた気がする。
それを最後に意識は心地よい微睡みから深いところに落ちていた。
そんな私をビー太郎が「やれやれ」と思いながらも愛おしげに見つめていることなんて知らない。
お互い、シャワーも浴びずに狭いシングルベッドで身体を起こすのは、それから朝も良い時間のことだった。
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