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目の前に居るのは 1
しおりを挟むだいぶ日中は温かくなってきているが、夜はまだかなり冷える時期だ。
イアンの歩く速さは緩まずに速いままだ。
風が冷たくてリア――――シュナは肩に置いている冷たくなった手をぎゅっと握る。
「いあん?」
「…何?」
「何でそんなにプンプンしてる?」
「…別に」
「歩くのが速くて風が寒いよぅ」
流石に冷えてきたシュナはイアンにくっつき暖を取ろうと体を丸める。
「―――ごめん」
イアンの速度が緩やかになり肩や腕、背中を擦ってくれる手にシュナは安心して肩に顎を乗せてほっと息を吐く。
「ううん。イアンがそういう風になるのって見たことないから、きっと私が何かしたんだよね?ごめん、今夜はかなり飲んだからちょっと頭回らないの。まともな時に文句言ってね」
「いや、僕が悪い…―――シュナ、何で今夜はあんなに飲んでたの?」
その言葉にいつものシュナならば颯爽と躱せたはずだが、外は冷たくとも酒が抜けないシュナはついつい言葉を漏らしてしまう。
「んー…最近何か楽しくなくなっちゃって」
「楽しくない?」
「うん。雄を捕食するのが」
「…何で?」
「精製しなきゃいけないからある程度魔力の為にもやらなきゃなんだけど…それでも何か…したくない」
「性交が嫌になった?」
「ううん。イアンとするのが一番気持ち良い」
「…っ」
「イアンが一番―――他が欲しくなくなっちゃった。だから困ってる。…どうしよぅ…」
シュナは今まで誰か一人でなければいけないなんてことはなかったし、させなかった。
それでもイアンと性交から始まり、一緒に眠るようになって、時には公園の花壇でのんびりしたり花屋へ行ったり。『リア』でなく『シュナ』としての関わりが深くなった。
他の雄とは日中に会うことなどなかったし、そうさせないように顔を変えて生活そのものを分けていたのだから。
だがいつの間にかイアンとの時間が一番の楽しみになっていた。
同時にシュナは他の雄と関わりたくなくなってしまった。
心が動いてしまった。
これを覆すことが至極困難になるのは現状でシュナは思い知っていた。
「クズな悪女じゃなくなったら強くなくなっちゃうよぅ…」
「…別に僕がずっと傍に居ればいいじゃない。シュナは強いままだよ」
「何言ってんの。イアンは特定を作らないんでしょ?…私も、…私は特定を作る資格すらない」
そんなこと分かっている。
悍ましい過去を持つシュナがまともな幸せなんか望めないことくらい。
だからこそ一人でも強く居られるように踏ん張るしかなかったのだ。
それでも願わくば。
一人が住める小さな家。
一人でもせめて花には囲まれて。
「…小さな家と庭と…」
「夢は叶えられるよ」
「ふふ。叶えられないから夢なんだよ」
それも分かっている。
きっとシュナには普通の幸せは訪れない。
小さな夢も夢のままで終わるのだろう。
あの悪夢とトラウマを乗り越えない限りは。
そしてそれを乗り越えることは。
十年経った今でも困難だ。
きっと一生無理なのかもしれない。
だからこそ小さな希う夢を掲げて何とかそちらを向こうと進もうと足掻く。もしかしたら、万が一があるかもしれないことを願って。
「…ん?イアンもお酒の匂いがするよぅ」
「親友とその伴侶達と飲んでた」
「そっか…伴侶、かぁ。…ふふ」
「何?」
伴侶。
唯一の相手でずっとこの先共に居る愛しい相手。
きっとこの前石鹸屋で会った相方とその可愛い伴侶のことだろう。
「親友とその伴侶さんはとても幸せそう?」
「うん。親友の変わり具合に驚いてる」
「そっかそっかぁ。…ちょぴっとだけ羨ましいなぁ」
「…シュナもそっちに夢を切り換えれば良い」
「それは無理」
シュナはイアンの言葉に被せるように答える。
そんなだいそれた素晴らしい夢なんて見てはいけない。
輝かしい未来なんて願うものではない。
叶わないとわかった時の衝撃は僅かにでも少ない方が心に優しい。
そんな幸せな未来はシュナには似合わない。
相応しくない。
何か言いたそうなイアンの顔を見てシュナはへらっと微笑みながら闇夜に目が慣れ景色を見る。どう見てもシュナの家の方向ではないことに気づいた。
「ありゃ。いあーん。どこ行くの?」
「僕の部屋。シュナを抱きたいの」
「うん?抱き枕ね?」
「それも」
それも…あとどれ?とシュナはくらんくらんする頭の回らないまま、イアンの肩に顎から頬を乗せ換えてイアンの匂いを嗅ぎながら目を閉じた。
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